ヤーマン!
流行りのブログってのを始めてみた。
理由はたくさんある。
まずMIXIなんかで日記を書きたくないよね。
でも日々の出来事とかを残しておくことは自分にとって大事なことだと思うし。
気持の捌け口にでもなればねってことで。
去年ほぼ日記を書いてなかったが、正直激動の一年間だった。
そんな去年のことから少しづつ話そう。
その前に、まずは自己紹介でもしてみようか。
けっこう長いけど我慢してちゃんと読んでほしい。
名前は234。フサシと読んでくれたらイイ。
歳は現在22歳。生年月日は2月22日。
2揃いときたとこでラッキーナンバーは2。
今は神奈川に落ち着いているが実は親の仕事の関係もありいろんな地域を転々としてきた。関東全域、新潟も。
たくさん引っ越しを繰り返してきたので地元というものが無いに等しい。
しかしおかげで人を見る目はそこらのハナタレ小僧どもよりはあると思う。
まぁ、お互い刺激しあえる大事な仲間が数人いてくれればオレの生活には問題ない。
趣味は音楽。かなり漠然としているが、そりゃそうだ。ジャンル問わず何でも聴くし楽器も何でもやるし。
家族の影響もあり小6からギターを始め、それから音楽にのめり込む。
NIRVANAからオレのギターは始まった。オレのことを知ってる人は意外とおもうかも。
あれは小6の夏。横浜の花火大会に友達の親が持っているクルーザーで見に行った夜。その友達のいとこの家に泊まった。そこでいとこさんにNIRVANAを教わった。当時、小6の鼻水垂らしてたオレはNIRVANAなんて知ったこっちゃないがとりあえず弾いてたわ。
家に帰って親の年代物のフォークギターを取り出して、たくさんたくさん練習した。
うちは金持ちでもないから当然すぐにエレキギターなんて買ってもらえなかった。
ただオレは末っ子の甘えん坊かつワガママなガキだったので床に寝そべって手足をバタバタさせてお願いしカートコバーンと同じギターを数ヶ月後手に入れた。
それは今でも大事な宝物。
そんな訳で勉強そっちのけでやってきたので学力は当然なかったよね。
それから中学時代日本のメロコア旋風に紛れ込んだ。
んでいろんな道を通り今のオレがいると。
そんな感じだ。
最後かなり投げやりになってしまったが徐々にあかしてきますから。
いまは基本的にアメリカ西海岸の音楽、カルチャーが基盤になってる。
それとレゲエ、SKA。
一応好きなアーティストをここでひとつ。
SLIGHTLY STOOPID
奴らのサウンド、スタンス、醸し出す雰囲気はもう最高よ。
SUBLIME直系の彼らだがSUBULIMEより好きだな。
来日を待つ日々ですな。
話変えよっか。
最近、見た目が狂いだしてますね。
完璧なジーザスと化してきてる。
真っ黒で長い髪。そしてたくさんのヒゲ。長らく会ってない人はまず気付かないと思う。
また話変えよっか。
いま、とあるIRISH PUBで働いてる訳よ。
そこに至るまで大変だった。
大学卒業して自分の将来のために就職しなかった。
とりあえず就職ってのがいまの同じくらいの世代の人たちには普通なんだろうけどね。
その、 とりあえず みたいなのがオレはマジでイヤだった。
お前なんもねーのかって思っちゃう。
ただそれが社会人としての第一歩ってやつなのかなぁ。
人はそれぞれだからまぁイイとしよう。
まぁ卒業してからすぐ単身アメリカ、メキシコに行ったよ。
いやーマジで勉強になったね。苦労もたくさんあって。
そのときの出来事も徐々に明かすから。
帰国してからはそこで見えてきた新たな目標に向け動くと決めた。
まずは語学ね。また長期で渡米する予定だから資金作り。
そして昔から自分で店を持ちたかったから料理、酒、店作りの勉強。
すぐに青山にあるイタリアンで働き出した。
そこは人は最高だった。マイ包丁もGETし本格的なイタリアンに乗り出した。
失敗を繰り返して、たくさんの料理を覚えたねー。ガキの頃から料理が好きでそこそこやってたけど、やっぱ家とは事情が全く違う。
ただそこのお店は店長がおかしくてさ。チンピラみてーなやつなんだけどね。
まぁ、それ原因で辞めてしまったんだわな。
洗い場から初めて最後はパスタもやらしてもらってた。
いろんな仕事を任せられて仕込みから調理までやってたんだけど、とにかくメッチャクチャランチが混むんです。
そんななか、良いシェフ、先輩にかわいがってもらって、やってた。
休みもほとんど無かったけどそれはそれで充実していたよ。
なぜ辞めたかってとこなんだけど、お金なんだよ。
その辺にやたらルーズな店でさ。そこで出てくる馬鹿店長。
暴力的で人を殴る蹴るは日常茶飯事。
あげくの果てにはガッツリ赤字出して逃げたってゆう。
キッチンの先輩方には今でも感謝しています。
辞める前にいろんなレシピを渡されたり、「困ったらここにおいで」と名刺渡されたり。
その後、銀座のフレンチに少しいた。
ここでは精神的に軽く狂ったんでやめてしまいました。
今まで生きてきた中で一番いろいろ考えさせられた店だったかも。
ちょうどいろんな事で悩んでいて正直ホント辛かった。
そのあとは、青山の店で一番世話になっていた先輩から一緒にやらないかって感じで誘いがあっていまのIRISH PUBにいる訳だ。
ここは非常に居心地が良い。そりゃ不満もあるけど、そんなんどこ行ったってあるし。
いまはここでその先輩とキッチンを任されてんだ。
最近はBARに出てお酒作りもやってるし、原価計算、新メニュー開発、お店づくりにも頑張って取り組んでいる。
お客さんは6~7割は外人さんだから英語の勉強してるオレにとってはもってこいの環境。
いつもは好きな音楽をかけて、LIVEもちょこちょこやってるから居心地がイイよね。
ただ資金作りがなかなか捗らないから、何かもうひとつ仕事をするか考え中。
そんな感じで最近は生活している。
休みの日はギター弾いたり海らへんに散歩に行ったり、そんな具合。基本金使わずスローライフ。
けっこう長くなっちゃったけど少しはオレのこと分かってもらえたかな。
ちゃんと読んでくれた人、ありがとう。
これからよろしくお願いしますね。
初回はこんなとこで終わりにするよ。
んじゃ、see you next 234 OF THE YEAR,
流行りのブログってのを始めてみた。
理由はたくさんある。
まずMIXIなんかで日記を書きたくないよね。
でも日々の出来事とかを残しておくことは自分にとって大事なことだと思うし。
気持の捌け口にでもなればねってことで。
去年ほぼ日記を書いてなかったが、正直激動の一年間だった。
そんな去年のことから少しづつ話そう。
その前に、まずは自己紹介でもしてみようか。
けっこう長いけど我慢してちゃんと読んでほしい。
名前は234。フサシと読んでくれたらイイ。
歳は現在22歳。生年月日は2月22日。
2揃いときたとこでラッキーナンバーは2。
今は神奈川に落ち着いているが実は親の仕事の関係もありいろんな地域を転々としてきた。関東全域、新潟も。
たくさん引っ越しを繰り返してきたので地元というものが無いに等しい。
しかしおかげで人を見る目はそこらのハナタレ小僧どもよりはあると思う。
まぁ、お互い刺激しあえる大事な仲間が数人いてくれればオレの生活には問題ない。
趣味は音楽。かなり漠然としているが、そりゃそうだ。ジャンル問わず何でも聴くし楽器も何でもやるし。
家族の影響もあり小6からギターを始め、それから音楽にのめり込む。
NIRVANAからオレのギターは始まった。オレのことを知ってる人は意外とおもうかも。
あれは小6の夏。横浜の花火大会に友達の親が持っているクルーザーで見に行った夜。その友達のいとこの家に泊まった。そこでいとこさんにNIRVANAを教わった。当時、小6の鼻水垂らしてたオレはNIRVANAなんて知ったこっちゃないがとりあえず弾いてたわ。
家に帰って親の年代物のフォークギターを取り出して、たくさんたくさん練習した。
うちは金持ちでもないから当然すぐにエレキギターなんて買ってもらえなかった。
ただオレは末っ子の甘えん坊かつワガママなガキだったので床に寝そべって手足をバタバタさせてお願いしカートコバーンと同じギターを数ヶ月後手に入れた。
それは今でも大事な宝物。
そんな訳で勉強そっちのけでやってきたので学力は当然なかったよね。
それから中学時代日本のメロコア旋風に紛れ込んだ。
んでいろんな道を通り今のオレがいると。
そんな感じだ。
最後かなり投げやりになってしまったが徐々にあかしてきますから。
いまは基本的にアメリカ西海岸の音楽、カルチャーが基盤になってる。
それとレゲエ、SKA。
一応好きなアーティストをここでひとつ。
SLIGHTLY STOOPID
奴らのサウンド、スタンス、醸し出す雰囲気はもう最高よ。
SUBLIME直系の彼らだがSUBULIMEより好きだな。
来日を待つ日々ですな。
話変えよっか。
最近、見た目が狂いだしてますね。
完璧なジーザスと化してきてる。
真っ黒で長い髪。そしてたくさんのヒゲ。長らく会ってない人はまず気付かないと思う。
また話変えよっか。
いま、とあるIRISH PUBで働いてる訳よ。
そこに至るまで大変だった。
大学卒業して自分の将来のために就職しなかった。
とりあえず就職ってのがいまの同じくらいの世代の人たちには普通なんだろうけどね。
その、 とりあえず みたいなのがオレはマジでイヤだった。
お前なんもねーのかって思っちゃう。
ただそれが社会人としての第一歩ってやつなのかなぁ。
人はそれぞれだからまぁイイとしよう。
まぁ卒業してからすぐ単身アメリカ、メキシコに行ったよ。
いやーマジで勉強になったね。苦労もたくさんあって。
そのときの出来事も徐々に明かすから。
帰国してからはそこで見えてきた新たな目標に向け動くと決めた。
まずは語学ね。また長期で渡米する予定だから資金作り。
そして昔から自分で店を持ちたかったから料理、酒、店作りの勉強。
すぐに青山にあるイタリアンで働き出した。
そこは人は最高だった。マイ包丁もGETし本格的なイタリアンに乗り出した。
失敗を繰り返して、たくさんの料理を覚えたねー。ガキの頃から料理が好きでそこそこやってたけど、やっぱ家とは事情が全く違う。
ただそこのお店は店長がおかしくてさ。チンピラみてーなやつなんだけどね。
まぁ、それ原因で辞めてしまったんだわな。
洗い場から初めて最後はパスタもやらしてもらってた。
いろんな仕事を任せられて仕込みから調理までやってたんだけど、とにかくメッチャクチャランチが混むんです。
そんななか、良いシェフ、先輩にかわいがってもらって、やってた。
休みもほとんど無かったけどそれはそれで充実していたよ。
なぜ辞めたかってとこなんだけど、お金なんだよ。
その辺にやたらルーズな店でさ。そこで出てくる馬鹿店長。
暴力的で人を殴る蹴るは日常茶飯事。
あげくの果てにはガッツリ赤字出して逃げたってゆう。
キッチンの先輩方には今でも感謝しています。
辞める前にいろんなレシピを渡されたり、「困ったらここにおいで」と名刺渡されたり。
その後、銀座のフレンチに少しいた。
ここでは精神的に軽く狂ったんでやめてしまいました。
今まで生きてきた中で一番いろいろ考えさせられた店だったかも。
ちょうどいろんな事で悩んでいて正直ホント辛かった。
そのあとは、青山の店で一番世話になっていた先輩から一緒にやらないかって感じで誘いがあっていまのIRISH PUBにいる訳だ。
ここは非常に居心地が良い。そりゃ不満もあるけど、そんなんどこ行ったってあるし。
いまはここでその先輩とキッチンを任されてんだ。
最近はBARに出てお酒作りもやってるし、原価計算、新メニュー開発、お店づくりにも頑張って取り組んでいる。
お客さんは6~7割は外人さんだから英語の勉強してるオレにとってはもってこいの環境。
いつもは好きな音楽をかけて、LIVEもちょこちょこやってるから居心地がイイよね。
ただ資金作りがなかなか捗らないから、何かもうひとつ仕事をするか考え中。
そんな感じで最近は生活している。
休みの日はギター弾いたり海らへんに散歩に行ったり、そんな具合。基本金使わずスローライフ。
けっこう長くなっちゃったけど少しはオレのこと分かってもらえたかな。
ちゃんと読んでくれた人、ありがとう。
これからよろしくお願いしますね。
初回はこんなとこで終わりにするよ。
んじゃ、see you next 234 OF THE YEAR,