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「食は、人を良くする」という仮説。

食育を研究する若造による「食は、本当に人を良くするのか」という仮説を検証するための、人生をかけた社会実験。

食を見れば、あなたがどういう人かバレちゃいますよ。

2016-01-22 13:52:05 | プロフィール

(Domaine des Amielのホームページより引用)

いや、
僕には、そんな能力ないです。



むしろ、

僕自身が単純人間なので、


僕のフードヒストリーを見れば、


どういう人かバレてしまうということです。




ということで...


フードヒストリーをもって

やっとこさ
正式なプロフィール
とさせて頂きます。

(なるのか!?)


8歳
給食が食べられない。

(朝日新聞より:中学給食に「おいしい」を連発する橋下 元大阪市長(政治的な意図は一切ありません。))

こんなこと言ったら

脱脂粉乳や

トンカチで叩いても壊れないほど固いパン

を経験してきた世代の方々に対して、

非常に申し訳なくなるのですが、

給食が美味しく感じなくなりました。


空腹を我慢しながら、

「お母さんがいつも運動会の時とかに

お弁当に入れてくれる

唐揚げとか、ちょっと甘いたまご焼き

毎日食べれたらな〜」


とか我儘なことを考えながら、

家にダッシュで帰ってお菓子を食べていました。

親にもずっと隠していました。




あの時、自らが産出した食品廃棄の量

を今でも悔いているし。



子どもの「食」って

予想以上に複雑なことを

身にしみて学びました。



この経験が、幸か不幸か
今でも生きている気がします。
「僕が、食堂に行かなくなったら、まっ昼間からワインが飲めるようになった。」にも書きました)

9〜20歳(←括り、おい。)
食べた分だけ
カラダは反応する。




この時代は、
プロ野球選手になるべく

「野球一色」


だったので、こういう括りでいいです。

日々、

「野球のために」
これを食べる。



「野球のために」
これを食べない。



を真剣に考えていました。

結果も出てきました。



試合前は、バナナ。

練習後は、みかん。

勝つには、カツ丼。

・・・

食に関して、知識がないことが
露呈してきたのを機に
大学では、食品生物化学を学ぶことに決めました。


母親から、

「食べても太らない食べ物開発したら、
みんなにモテるよ」

という謎のプッシュがあったのも事実です。



(以下は、大学院進学時「食育」のため
農業経済学に専攻を変更した時の想いだが、
この時はこんなことになると思わなかった。)



(当時の筆者Facebookページより引用)


21歳 
暴食で、スランプ。



野球のために、

死ぬほど食うことにしました。


食べて、食べて、食べました。



コンビニで菓子パン買い込み、

プロテインパウダーも飲みまくり、



練習した分だけ、
カラダも大きくなりました。

でも、結果が出たのも束の間。


疲労がたまりやすくなり、
カラダのキレもなくなり、
精神も不安定になりました。


プロアスリートだったら、

上手くやると思いますが、

素人の僕には、うまくできませんでした。


工藤公康:粗食は最強の身体をつくる!

チームメートからは

「粗食野郎」

と呼ばれるほど、食を改善しようとしましたが、

カラダに負担を
かけた食は
なかなか戻りませんでした。





21歳 夏
第一次 食ノイローゼ
〜添加物編〜


(人工甘味料アスパルテームの分子構造)

ここから、

本当に苦しかったです。



食品生物化学科ですから、

「食品添加物」も自分で合成します。

僕らは、

人工甘味料として使用される

アスパルテーム

を有機合成して、官能試験をするという

ミッションを与えられました。




…実験後、

「甘〜い」「甘〜い」

と喜び合うクラスメートの横で


「なんじゃこりゃっ!?」


と甘味を通り過ぎた刺激に

この道を、諦めました。

1時間後、軽い頭痛にも恵まれました。


有機合成をミスったのか
官能試験の量をミスったのか

今では永遠の謎ですが、

「人工」「添加物」


という言葉に過剰に反応するようになりました。


「食品の裏側」系の本はほとんど読み、

(これでは、議論が一方的で客観的でない)

一線の研究者の意見を仰ぐこともありましたが、


その時は、ずっと違和感を感じていました。



ラベルの裏側を毎回チェックし、

自分の感性に集中し反応を見る以外

ありませんでした。



21歳 冬
第二次 食ノイローゼ 
〜菌が見える編〜


(菌が見える少年の物語、もやしもん:http://blogs.yahoo.co.jp/dragonx_51/7990942.htmlより引用)


「なんだこのカビヤロウ」


こっちのセリフです。


第一ノイローゼを終え、

同じような違和感を感じている人のために何かしたい


「食品安全学」
を学ぶことにしました。

変な知識が増えたことで、



鶏肉はカンピロバクター

僕の手には黄色ぶどう球菌



など、
菌が見えるようになりました。
(正)妄想するようになりました。


もう、

「何を食べてよいのか」


本当にわからなくなり、

こんな風に書いているけど、


......



本当に食べることがつらく、

対人関係にも影響が出るようになりました。



22歳 冬
おばあちゃんとの出会い




こんな僕を救ってくれたのは、


間違いなく、おばあちゃんでした。


おばあちゃんといっても
僕自身のおばあちゃんではありません。


働くお母さんを支援する会社
マザーネット

経営する母の仕事の関係で


鳥取県の智頭町で
昔ながらの野菜作りをする
おばあちゃんの畑を訪れました。



畑につくなり、いきなり言われました。

「食べてみんさい」




く。

「・・ぅうめ〜〜!!!!」


もう

何もかも取り戻した気がしました。



小さい頃、

マザーネットの自然体験スクールで食べた

畑のきゅうりやトマトの味


一瞬で思い返しました。



そういや、畑なんて来たの久しぶりだな…。



頭で、数字で、考え過ぎてました。


自分の健康のことばかり考えていました。



「食」は「自然」と「人」が生み出す。




こんな簡単なことを、

すっかり忘れていました。




そんなおばあちゃん達から

もっと学びたいと思うのは

至極当然のことでした。



23歳
「食」を学び、教える。



この感動を、

他の人にも伝えたい
と思いました。


そうして、特別宅急便

「おばあちゃん野菜」


は生まれました。


この感動を減じたくないから、


鮮度・旬・知恵・多様性


ぜ〜んぶ、くるめて入れることにしました。



伝える側になった瞬間、


僕自身の学びが足りない
ことにも


気付かされました。



フランス・バイオダイナミック農法を営むワイナリーで農業研修。
真の意味で、人と自然が繋がること、を学びました。


イタリア・プラートの味覚教育センター
どのように子どもの感性を解き放てるのかについて学びました。



デンマークのコペンハーゲンに位置する世界一のレストラン noma
初めて、を食べたが、これが次世代へのメッセージ。



学んでは、伝える。



子どもだけで無農薬米づくり。
子ども自身で「販売」まで行い、
米、農薬、地域の現状を伝えました。


山奥で、鹿肉をさばきBBQ。
肉食とは何か、命とは何か
について学びました。



・・・

学んでは、伝える。

伝えては、学ぶ。




これからもこの繰り返しだと思います。


これが

一日一食育


の由来です。


このブログを通して、



一人でも多くの人の

心が少しでも

動けばいいな
、と願っています。



僕が実験台になります。一日一個の食育。

2016-01-17 13:44:05 | プロフィール

「食」は人に良いと書くが、

「食は、本当に人に良いのか?」


こちらは、そんなシンプルな問いに対して、

「一日一個の食育」
を筆者自身に行い、検証していくブログです。

読者層(Audience)は、

こんな意味のわからない実験・冒険・考察をする暇もなく、

毎日一生懸命家族のために働くパパママ、

そして将来パパママになっていく同世代の君たちを想定しています。


「結局、何食べたらええの?」


そんな日常で出会うシンプルな疑問に、

「食育」という観点から、

あの手この手を尽くして挑戦していきます。



教授ほど知識もない、
お母さんのように育児経験もない、
教師のように子どもと接する機会も少ない。

僕にできるのは、体を張って、愛をもち、

一日を捧げながら、食に向き合うことだけです。


食育とは、食を通して人格形成をはかるものである。


誰も答えを知らないからこそ、
僕が実験台になってやろうと思います。