中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第12回);第3日目(3);太田宿

2012年05月07日 03時20分09秒 | 中山道六十九宿

                                  <文化会館付近から木曽川を望む>

      中山道六十九宿巡り(第12回);第3日目(3);太田宿
              
(五十三次洛遊会)

           2012年4月6日(金)~8日(月)

第3日目;2012年4月7日(土) (つづき)


<地図>

■太田橋・太田宿

※前回掲載した地図と同じ

■太田宿詳細図

※美濃加茂ガイドマップより引用

<化石林公園>

■太田橋を渡る
 先頭を行く方々に引きずられるようにして,太田橋を渡る.長い橋である.
 11時12分に橋を渡りきる.渡った先は,ヤケに広い道路が走っている.中央に広場のある変形十字路である.十字路を鋭角に曲がって.木曽川の河川敷に下る道に入る

<太田橋を渡る>

■広々とした木曽川河川敷
 目の前に広々とした河川敷が広がる.木曽川を挟んだ対岸には,今渡の渡し跡と思われる公園が見えている.青々とした水を湛えた木曽川が静かに流れている.実に雄大で伸び伸びとした風景である.
 河川敷の一角に公園の案内板が設置されている.そこには,「化石林公園」と書いた地図が描かれている.地図の右手に「太田の渡し跡」と書いてある場所がある.資料で「川合の渡し場跡」と書いてある場所のようである.ただし,この案内地図は,北が左側に書いてあるので,一見して,自分が何処にいるのか見当が付かない.地図は常に北を上にして書いて貰わないと困る.
 私は,早速,渡し場跡までブラブラと歩いてみる.数名の方が私と一緒に歩く.でも大半の方々は草臥れたのか,看板横にベンチに座り込んでいる.
 「折角,ここまで来たのに,何も見ずに座り込むなんて・・・勿体ないな」
と私個人は思うのだが,それは人それぞれ.

<木曽川の広い河川敷が公園になっている>


<化石林公園の案内板;北が変な方向を向いているので一寸戸惑う>

■太田の渡し場跡
 太田の渡し場跡まで行ってみる.綺麗に整備された近代的な公園の一角らしいが,往時を偲ぶものは何もない.ただ,ここから見上げる太田橋は,大きくて立派である.
 岸壁,というよりは川岸の石垣に立って,暫くの間,ヒタヒタと打ち寄せる小さな川波を眺めている.
 渡し場跡近くに設置されている案内板によると,ここは中山道の難所の一つとして「木曽のかけはし,太田の渡し,碓氷峠がなくばよい」と言われていたそうである.また,渡船は時代によって,何度も場所や姿を変えてきたが,当時の渡船場跡は,1927年(昭和2年)に太田橋が完成するまで使われていたという.

<太田の渡し場跡から太田橋を見上げる>

化石林公園で一休み
 天気は上々,風はなく,暑くも寒くもない.実に心地よい場所である.河川敷のベンチに座り込んで,休憩を取る.
 近くに設置されている案内板によると,1997年(平成9年)夏の異常渇水のときに,木曽川両岸で425本の樹木の化石(化石林)が確認されたとのこと.これだけ大規模な化石林は全国でも珍しく,貴重な発見となった.ここで発見された化石林は,主としてアオギリ科の樹木で,温暖な地方に分布しているが,現在の日本では見られないという.
 また,この付近の上流では,カニサイという大型ほ乳動物の足跡化石が発見されている.その他に,バク,ミノシカ,ビーバー,コイ科の魚類,ドブガイの動物化石,メタセコイア,カバノキ,ブナ,ニレ,クルミ,カエデなどの植物化石も確認されているそうである.

<化石林公園で一休み>

<川沿いの散策路>

■土田一里塚跡
 休憩を終えて,11時30分頃,化石林公園を出発する.
 まずは,さきほどの変形十字路まで戻る.ここから木曽川右岸沿いの堤防道を西へ向かう.終始,広々とした木曽川の川面が見えている.私たちは,木曽川緑地ライン公園に沿って歩く.ときどき,散策をしている地元の方とすれ違う.進行方向左手前方にこんもりとした山が見えている.何処の山か正確には分からないが,地図を見ると,多分,可児山だろうと思う.
 11時38分,堤防下にある大きくて白い建物に到着する.地図を見ると文化会館と書いてある.ひょっとすると創価学会関連の施設かもしれないなと思いながらも,堤防から降りて,文化会館を覗いてみる(後刻,この施設が美濃加茂市文化会館であることを,地図で知った).
 建物には人気が全くなく静まり返っている.中に入るのも憚られるので,建物の裏手で,立ち休憩を取る.
 裏手の空き地の一角に,一里塚跡と書いた杭が立っている.もしここに一里塚があったとすれば,江戸日本橋から98里目の一里塚である.京まで後36里.
 資料1(p.158)によると,土田(どだ)一里塚と呼ぶようである.
 文化会館に隣接して,可茂総合庁舎の大きな建物が建っている.そこへ行けば,何か観光用に資料があるかもしれないなと思ったが,今日はあいにく日曜日だ.


<文化会館脇の一里塚跡>

■神明水神
 11時51分,堤防下にある神明水神を見付ける.見学.
 本来の中山道は,この神明水神の前を通り抜けて,自動車の往来が激しい通りに出ることになっている.でも,このまま雑踏の市街地に入るのも気乗りがしないので,もう少し堤防道を歩くことにする.

<神明水神>

<太田宿>

■太田宿の概要
 太田宿は,江戸から51番目の宿である.資料2(p.274)によれば,宿内人口505人,内,男259人,女246人.宿内惣家数118軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠20軒の規模である.

■祐泉寺
 神明水のすぐ先で右折して堤防を降りる.そして,すぐに左折して太田宿の目抜き通りに入る.
 資料にはこの付近に新町大木戸跡があるはずだが,何となく見落としてしまう.
 美濃太田駅前から南へ下る道と交差する.その交差点をほんの少し先へ進んで,祐泉寺に到着する(12時02分).何となくせせこましい雰囲気の寺である.資料2(p.275)によると,この寺は臨済宗妙心寺派の末寺.本尊は鎌倉時代に作られた観世菩薩像.1828年(文政11年)に槍ヶ岳に初登頂した幡上人の墓がこの寺にあるという.
 境内には芭蕉句碑,坪内逍遙歌碑,北原白秋碑などがあるようだ.でも,今日は早く帰りたい人もいるので,見学は省略.次回,またここを通るので,そのときに期待をつなぐ.
 今日は4月8日.鎌倉の寺では甘茶が振る舞われるが,残念ながら祐泉寺では甘茶はでないとのこと.

<祐泉寺>

■可愛い子ども御輿
 私たちが遊泉寺に到着したときに,可愛い子ども御輿が,寺から丁度街に繰り出すところである.ご近所の方々も沢山集まっている.
 12時03分,お囃子のリズムに乗って,子ども御輿が祐泉寺を出発する.
 私たちもニコニコしながら,子ども御輿を見学する.実に可愛い.

<子ども御輿が祐泉寺を出発する>

■元旅籠小松屋
 祐泉寺の隣に元旅籠小松屋がある.
 中を見学することができるというので,家の中を見学させて貰う.
 地元の観光協会の資料によると,江戸時代の旅籠をそのままに,今でもお休みどころとして使っている.ここには美濃加茂市出身の坪内逍遙ほかの資料が展示されているとのこと.
 このまま何も見ずに立ち去るのも一寸惜しい気もするが,団体行動なので仕方がないと諦める.

<元旅籠小松屋>

■JR美濃太田駅へ
 今回の旅は,一応ここで終わりである.次回13回の旅は祐泉寺から始まる.
 私たちは,小松屋近くの路地を適当に北の方向に向かう.歩いている途中でも,子ども御輿のお囃子が聞こえてくる.
 後数分も歩けばJR美濃太田駅である.
                                          (つづく)

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;五街道ウォーク事務局,発行
年不明,『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』
資料4;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社

美濃加茂市,発行年不詳,『美濃加茂ガイドマップ』美濃加茂市・美濃加茂市観光協会

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a2b22e63d2a34018826d5211aba46f4f
「中山道六十九宿」の次回の記事

http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b5cf32e58a5466e48bb333fa3b99f885

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