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中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(5);大津宿(1)

2012年12月28日 05時55分06秒 | 中山道六十九宿

                             <瀬田の唐橋を渡る>

    歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(5);大津宿(1)
            (五十三次洛遊会)
      2012年11月16日(金)~19日(月)

第3日目;2012年11月18日(日) (つづき)


<東海道瀬田地区地図>


※再掲

<大津宿に入る>

■大津宿の概要
 大津宿は中山道第69次,東海道第53次の宿場である.つまり,江戸から京都までの宿場の中で一番最後の宿場である.
 資料1(p.182)によれば,「大津宿は本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠72軒の規模だった.大津宿は琵琶湖舟運の港町としても栄えていたという.
 札の辻で京町と八町がL字型に交差している.本陣は東八町にあったが碑のみで,京町の古い街並みが保たれている.」

■瀬田の唐橋を渡る
 14時02分,瀬田の唐橋を渡る.いよいよ大津宿内に入る.立派な橋の欄干を眺めながら,長かった中山道の旅ももう少しで終わりだなと実感する.そして嬉しくもあるが少々寂しい感じもしてくる.

<瀬田の唐橋>

■京阪電鉄の踏切を渡る
 橋を渡ると家屋が密集する街中の道になる.
 14時08分,京阪電鉄「からはしまえ」駅に隣接する踏切を渡る.

<京阪電鉄「からはしまえ」駅>

■長徳寺
 14時10分,長徳寺に突き当たる.長徳寺の前で右折して北へ向かう.
 長徳寺の写真を撮るが西日が邪魔をして上手く撮れない.
 資料3によると,この寺は真宗仏光寺派.長徳元年(995年)開基.もと天台宗の寺だったが,嘉曆3年(1328年),真宗に改宗した寺である.

<長徳寺>

■石山駅
 14時17分,再び京阪電鉄の踏切を越える.地図を見ていないと,電車が何処をどう走っているのか良く分からなくなる.
 14時20分,京阪石山駅とJR石山駅共通の駅前広場に到着する.
 東海道はどこに続くんだろうと,一寸迷う.
 結局,JR石山駅の高架道を越えて駅の北側に出る.
 

■膳所城勢多口総門跡
 14時39分膳所城勢多口総門跡を示す杭の前を通過する.
 資料4には,「膳所城は大津市街の東部に位置し,相模川河口付近にあった膳所崎と呼ばれ琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり,日本三大湖城の一つに数えられ,また大津城,坂本城,瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つである.陸続きの部分に三の丸を配し,二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった.本丸には4重4階の天守が上げられ,水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし,水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた.」と紹介されている.
 また,同資料によると,「別名石鹿城、望湖城.城郭構造梯郭式平城.天守構造4重4階(非現存),築城主徳川家康,慶長6年(1601年)築城.主な改修者本多俊次」である.大手門,北大手門は国の重要文化財に指定されているが,すべて他所へ移築されている」という.

<膳所城勢多口総門跡>

<フォローしきれないほど沢山の社寺>

■若宮八幡宮
 14時42分,若宮八幡宮に到着する.立派な社殿である.境内にある案内板によると,御祭神は仁徳天皇.天武天皇が我が子仁徳を祀ったのが,この神社の始まりだという.
 資料5には,「若宮八幡神社は,壬申の乱(672年)があって3年後の白鳳4年(675年).天武天皇が宇佐八幡の神託により造営した. 神社の社殿等が完成したのは白鳳8年(679年)で,九州の宇佐八幡宮の次に古い八幡宮であり,当初は粟津の森八幡宮,のちに若宮八幡宮となり,明治から若宮八幡神社となった. 表門は膳所城の犬走り門」と簡潔に紹介している.

<若宮八幡宮>

■光源寺
 14時50分,光源寺に到着する.実は若美は八幡宮から光源寺に至までの間に寺があったが,寺の名称が分からなかったので,このブログでは名前の分からない寺の記事を省略することにしよう. 
 さて,光源寺だが山門脇の石柱によると膳所山三昧院光源寺というのが正式な名称らしい.
 この寺の由来などインターネットで調べたが,これといった記事は見当たらない.

<光源寺>

■篠津神社
 14時51分,篠津神社参道に到着する.時間がないので参拝はしなかったが,参道のずっと奥に社殿が見えている.
 資料6には,「
創祀年代は不詳であるが,往古は「大梵天王社」と呼ばれていたという.近世には本多氏を始めとする歴代の膳所藩主から崇敬され,また有栖川宮などの崇敬も深く,同宮による鳥居の寄進や度々の社参記録が残されている.万治4年(1661年)に本殿が造替された.明治元年(1868年)に現社号に改められ,村社に加列,その後大正11年(1922年)には県社に昇格した.」という説明がある.

<篠津神社>

■縁心寺
 続いて,15時01分,縁心寺に到着する.
 駐車場の奥に本堂の屋根が見えている.山号は梅香山というらしい.
 資料7によると,慶長7年,本多康俊が,父本多忠次追善のために三河国西尾(愛知県西尾市)に建立(元和3年1602年).元和3年(1617年),本多氏が膳所に移封.このときこの寺もに膳所に移転したという.どうやら非公開.

<縁心寺>

■和田神社
 15時03分,和田神社に到着する.ここの鳥居も立派.
 資料8には「斉明天皇,天智天皇,天武天皇のいずれの御世かとされる白鳳4年に,創祀されたと伝えられている.その後,八大龍王社や正霊天王社,などと時代の移り変わりとともに呼び名も代わり,明治維新のころに膳所藩主の令達により,現在の名前,和田神社になったと言われる.
 壬申の乱から間もない頃,湖に暮らす人々の安寧を願ってここに「海津見(わだつみ)の神」が祀られた.いつからか,祀られる祭神の名にちなんで,この地は和田浜や和田岬と呼ばれるようになった.
 湖に桜の吹き入る頃は,膳所を愛した芭蕉が湖上から社とイチョウの大木のある和田岬を眺めたこともあったであろう.
 この地に散った木曽義仲や天下を手にした信長が,湖面の強い照り返しを受けながら,社の前の道を通りすぎたかもしれない.
 山々の木々が赤く染められる頃,金色の塔のようにそびえ立つ大イチョウは,関ヶ原の戦の後,捕らわれた石田三成がつながれたという言い伝えが残っている.
 和田神社の和田という名には,海津見(わだつみ)の神以来の歴史と和田浜に暮らしてきた.人々の思いが込められている.」という説明文がある(文語調に書き改めて引用).

<和田神社>

■響忍寺
 15時07分,響忍寺(こうにんじ)に到着する.
 私が調べた範囲では,この寺の由来は余りはっきりとはしないが.資料9に「長屋門は,元家老屋敷(北本田家)を譲りうけたもので,膳所城西の守りの要であった.敷地西側には今も相模川(当時は新堀川)と防塁の1部がある.いざ事が起こった場合には上流の池の水を流し,下流をせき止めて東海道を溢水させる手筈であったという.」という記述がある.

<響忍寺>

■そろそろ現在地確認だ
 私達は地図を頼りに歩いているが,そろそろ現在地を正確に確かめたいなと思っていた.
 丁度そのとき(15時09分),街角に付近の地図か掲示されている.私達は,正に今,この地図の「現在地」の位置にいる.
  私は自分が持っている地図と,この掲示板の地図とを見較べながら,現在地を確かめる.


[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;http://kokokujitanbo.com/ootu-d-9-1.htm
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%86%B3%E6%89%80%E5%9F%8E                                          
資料5;http://www.jinriki.info/kaidolist/tokaido/kusatsu_otsu/wakamiyahachiman.html
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE
資料7;http://kokokujitanbo.com/ootu-g-8-1.htm
資料8;http://wadajinja.mitsu-nari.com/contents/syoukai.html
資料9;http://www.geocities.jp/sisekiguide/28/walk28.htm
資料10;http://www.weblio.jp/content/%E7%9F%B3%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE

                                         (つづく)
「中山道六十九宿」の前の記事

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