中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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善光寺街道;第3回;第2日目(3);上戸倉宿と下戸倉宿

2016年05月29日 10時00分42秒 | 善光寺街道・善光寺西街道

                                <戸倉付近の美しい風景>

  善光寺街道;第3回;第2日目(3);上戸倉宿と下戸倉宿
                (五十三次洛遊会)
   2016年4月20日(水)~2016年4月22日(金)

第2日目;2016年4月21日(木)
(つづき)

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1544d5924a27eeea0568b42cd480f696

<ルート地図


■坂木宿・上戸倉宿(再掲)

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■上戸倉宿・下戸倉宿   この地図には誤りがあるので,後日訂正番に差し替えます

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<松雲山泉徳寺>

■信号苅屋原
 9時丁度に信号苅屋原を通過する.この辺りは旧苅屋原村である.
 この苅屋原の信号を越えると,そろそろ上戸倉宿に入る.折から道路沿いのサクラ(かな?)が満開である.
 道路の両側には,民家が建ち並ぶ.静かな住宅地である.

 
<苅屋原交差点>                              <サクラが満開>

■火の見ヤグラと虎枝の句碑
 9時04分,火の見ヤグラの脇を通過する.その先で,9時04分,虎枝の句碑という案内板を見つける.
 ここはどうやら泉徳寺参道入口のようである.
 虎枝とはどのような人物かは浅学の私には分からない…が,ともかく泉徳寺に立ち寄ることにする.

 資料4には,「宮本虎枝(1741-1823年)は江戸時代中期-後期の俳人。寛保(かんぽう)元年生まれ。加舎白雄(かや-しらお)に師事し,明和8年(1771年)ともに北陸,近畿,伊勢などを旅する。天明4年(1784)判者となり,倉田葛三(かっさん),宮沢武日(ぶえつ)らをそだてた。文政6年8月13日死去。83歳。信濃(しなの)(長野県)出身。名は道孟(みちもと)。通称は八郎兵衛。別号に古慊,梨翁など。編著に「つきよぼとけ」「いぬ榧(かや)集」など。 」という説明がある.この説明文には沢山の人名が出てくるので,読んでいるうちにますます分からなくなる.要するにこの辺り出身の江戸時代の有名な俳人ということだろう.
 
<火の見ヤグラ>                              <虎枝の句案内杭>

■泉徳寺
 泉徳寺の境内に入ってみる.
 参道入口の門柱を見ると,ここは曹洞宗の寺で,山号は松雲山.境内の花が美しい.

 泉徳寺の由来など,帰宅後,インターネットで調べたが,今のところ詳細は分からない.
 件(くだん)の虎枝の句碑は境内右手にあるようだが,沢山の石塔が立ち並んでいて,どの石塔が句碑なのか良く分からないままにタイムアップとなる.

 
<花が美しい泉徳寺の境内>                      <立ち並ぶ石塔>

<道を間違える>

■しなの鉄道の踏切を渡る

 9時14分,しなの鉄道の踏切に到着する.
 地図を見ると踏切の手前に「あゆ宿入船」があるはずだが見当たらない.でも,ここは苅屋原の集落の中である.松勝手も良いから,とにかくこの踏切を渡ろうということで右折する.
 ちょうどそのとき,しなの鉄道の長野行下り電車が通りかかる.電車と猫の写真は必ず撮ることにしている私は,これ幸いと電車の写真を撮る.
 
<しなの鉄道の踏切>                          <長野行下り電車>

■山間の素晴らしい小径
 やがて道路は山裾に突き当たって左折する.このときちょっとおかしいなと思うが,新緑が美しい山道に魅せられてもう少し先まで歩く.
 「おかしいですね…地図では道の両側は集落の筈ですが…」
 でもまあ,もう少し先まで言ってみる.
 9時18分,「泉平経由姫城登山口」の案内板がある.さらにその先には道祖神らしい石柱が数基立ち並んでいる.
 その内に,道路にロープが張られていて,進入不可になっているところに到着する.
 その先にはどうやら無人の小屋が建っている.ロープを無視して侵入して,先へ進めば善光寺街道に出られそうだが,道を間違えたことを確信した私達は,温和しく元の踏切まで戻る.ここで30分ほどのロスタイムが生じたことになる.

<山間の素晴らしい散策路>

<上戸倉宿>

■玉井本陣跡

 もう一度振り出しに戻って,地図を見直す.その結果,迂闊にも本来曲がるべき所から200メートルほど手前の踏切を曲がってしまったことを確認する.これがもし山の中だったら遭難したかも知れない.
 9時33分,改めて順路に沿った踏切を渡る.今度は地図通りに道路の両側に集落が続く.
 進行方向右手の直ぐ近くに,先ほど間違えて入った道路が見えている.そして,あのまま構わずに歩いたら,やっぱり,再び善光寺街道に合流するようである.
 9時40分,鉄柵で囲まれた空き地に到着する.鉄柵の向こうには案内板が立っている.案内板の記事によると,ここが上戸倉の玉井本陣跡だという.
 
<両側に集落>                               <玉井本陣跡>

■滝沢問屋場跡と庄屋跡
 9時41分,滝沢問屋場跡らしいところに到着する.ここが問屋場跡かどうか良く分からないが,門札に「滝沢」と書いてある所から多分ここだろうと勝手に推測する.
 資料1によれば,「豪華な構えを残している.一部遺構が残っている」とのことだが,だて遺構は何処にあるんだろう?
 善光寺街道は三叉路に突き当たって左折する.資料1によると,ここを右折すると庄屋跡と芝宮神社があるらしい.
 「折角だから,庄屋跡と芝宮神社を廻りましょう…」
と提案する.

 
<滝沢問屋場跡>                           <庄屋跡(かな?)>

■芝宮神社と福井神社
 T字の三叉路の角に,古い神社(多分,芝宮神社)がある.せめて神社の名前だけでも確認したいが,中戊朽ちかけた鳥居に掛かる扁額の文字は全く読めない.また社殿の土壁は少し崩れ落ちていて,一部の下地が露わになっている.この朽ちていく風情がまた何とも言えない.
 三叉路を右折すると,狭い路地は登り坂になる.その路地の突き当たりの山裾に真っ赤な鳥居が鮮やかな神社が見えてくる.近付いて鳥居の扁額を見ると福井神社と書いてある.
 資料1では,この神社は芝宮神社になっている.芝宮神社とは福井神社の別名なのだろうか.それとも.同じ境内に両方の神社が祀られているのだろうか.その辺りは一見(いちげん)の旅人である私には全く分からない.
 
<古いお社(芝宮神社)>                         <福井神社>

<下戸倉宿に入る>

■朽ち果てた土蔵に惹かれる
 福井神社の参拝を終えて,もとの三叉路に戻り,善光寺街道のつづきを歩き出す.
 この辺りで上戸倉の集落は途絶えて,周囲の見晴が良くなる.辺りは風光明媚な田園地帯である(冒頭の写真).
 9時48分,古びた一軒の土蔵の前に到着する.この半ば朽ちかけた土蔵の雰囲気に,私は何だか圧倒される.土壁のヒビ,半ば崩れかけた屋根,そんなところが私の絵心をくすぐる.
 もし私が一人旅ならば,ここで30分ぐらい粘って,スケッチするだろう.そんな我が儘を言って良いはずもないので,写真を撮るだけに留める.
 この辺りで,上戸倉宿も終わりである.
 9時53分,2基の石塔の前を通過する.大きい方の石塔は二十三夜,小さい方は道祖神である.2基の石塔の廻りはとてもよく整備されている.地元の方々がこの石塔を大切にしていることが分かる.
 
<朽ち果てた土蔵>                            <二十三夜と道祖神>

■磯部踏切と聖徳太子碑
 9時54分,しなの鉄道の磯部踏切を渡る.この辺りから下戸倉宿が始まる.
 踏切を渡ってすぐの所に,立派な石塔が立っている.そこには詩のようなものが刻字されているが,変体仮名で書かれているために,私には全く読めない.少々気になるが,読めないものは逆立ちしても読めない.こればかりは仕方がない.
 なお,資料1には,ここに聖徳太子碑があるとの記述があるが,あるいはこの石塔が聖徳太子碑なのかもしれない.
 でも,仮に聖徳太子碑だとしたら,なぜここに聖徳太子碑が建てられているかが知りたくなる.
 
<磯部踏切>                              <立派な石塔>

問屋場跡と柳沢本陣跡
 10時03分,信号戸倉上山田入口を横断する.この交差点を手がかりにして,手持ちの地図で現在地を確かめる.
 地図を見ると,この辺りは上町というところのようである.
 さらに先へ進むと上中町という所に入る.進行方向左手,善光寺街道から少し離れた所に千手観音があるらしいが,時間が押しているので,参拝は省略する・
 10時18分,大きな石碑と灯籠が並んでいる小公園のようなところに到着する.この大きな石碑には「明治天皇行在所址」と刻字されている.資料1によれば,ここは問屋場跡である.またここには柳沢本陣跡のようである.
 
<信号戸倉上山田温泉入口>                    <明治天皇行在所址と石灯籠>

■宗安寺
 10時19分,宗安寺参道入口に到着する.本堂は路地の奥まったところにあるらしい.
 「先に行ってて下さい.本堂の写真を撮ってから追いかけます…」
と同行の皆さんに言ってから,私は参道を駆け足で通り抜けて,本堂の写真を撮る.
 この寺は浄土宗.山号は諏訪山.山門の石柱には総本山知恩院直末という刻字がある.
 帰宅後,そう安寺の由来などをインターネットで調べたが,良く分からない.
 
<宗安寺参道入口>                          <宗安寺本堂>

<水上布奈山神社>

■水上不奈山神社に到着
 宗安寺の西隣に水上不奈山神社がある,どうやら参拝見学すべき神社のように思えるので,善光寺街道から少し逸れて枝道に入る.
 10時26分,水上不奈山神社に到着する.予想以上に荘厳で立派な神社である.
 赤い鳥居の脇に「水上不奈山神社」という刻字のある大きな石柱が立っている.私達は,ここで参拝を兼ねて,給水休憩をとることにする.
 
<水上不奈山神社入口>                       <境内で一休み>

■立派な御柱
 まずは拝殿に向かう.
 拝殿参道の両側には御柱が立っている.
 境内に掲示されている説明文によると,「諏訪大社の建御名方神を勧請して,当地の鎮守とした.諏訪社と呼ばれていたが,天保6年(1835年),神祇管領より許可を受けて現在の社名になった.「寅」と「申」の年の春には諏訪大社にならい御柱の祭が行われる」とのこと.

<御柱が立つ境内>

■重要文化財の本殿
 本殿を拝観する.外から見える社殿は,重要文化財の指定を受けた本殿を保護するために外側を囲むように造られた建屋である.
 建屋の中を覗くと,重要文化財の本殿が見える.
 境内の説明文によると,「この本殿は,寛政元年(1785年),諏訪の大隅流大工棟梁柴宮長左衛門矩重により再建されたもの」である.

<重要文化財の本殿>

■飯盛女衆寄進の灯籠
 境内の一角に飯盛女衆寄進の灯籠がある.近くに立っている案内板の説明によると,この灯籠は天保十年(1839年)に建立されたものである.

 
<飯盛女衆寄進の灯籠>                       <鳥居全景>

<戸倉駅に立ち寄る>

■萱乃庵のある十字路を右折して戸倉駅へ
 10時33分,水上不奈山神社を出発する,
 10時38分,再び善光寺街道に戻る.そして,善光寺街道を北に向けて歩き出す.
 10時41分,駅入口交差点に到着する.交差点の角に茅葺きの大きな家が建っている.地元では有名な萱乃庵という蕎麦屋のようである.
 一行のどなたかが,ここで昼食にしたらと提案するが,まだ昼食には余りにも早い時間である.残念ながら,ここはパスすることにする.
 
<蕎麦屋「萱野庵」>                          <戸倉駅>

コンビニで一休み
 善光寺街道を北へ向けて歩き続ける.
 10時50分,Y字型三叉路の近くにあるコンビニ「ローソン」に到着する.ここで買い物兼トイレ休憩を取る.
 まだ4月だというのに,今日は少々蒸し暑い.同行のお一人が,ガリガリ君を購入する.ところが大変幸運なことに,このガリガリ君が「当たり」である.「当たり」になるとどんな賞品が貰えるのか,私には全く分からないが,とにかく目出度くて幸先が良い.
 10時59分,休憩を終えて,コンビニから歩き出す.
 コンビニ前のY字型三叉路を右折して裏通りに入る.
 
<コンビニで一休み>                          <Y字型三叉路を右折する>

                                                             (つづく)    
                 
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;黒田茂夫(発行人),2014,『県別マップル20長野県道路地図』昭文社
資料4;https://kotobank.jp/word/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%99%8E%E6%9D%96-1113951

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【参考資料】
善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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