<木曽路を下る>
中山道六十九宿巡り(第11回);第1日目(5);木曽古道を楽しむ
(五十三次洛遊会)
2011年11月11日(金)~14日(月)
第1日目;2011年11月12日(土) (つづき)
<ルート地図>
<木曽古道を行く>
■古い石塔
寝覚の床の風景を眺めながら,臨川寺の境内で,1人,昼食を済ませる.生来,1人気まま旅が性に合っている私には,1人でノンビリと食事をする時間も貴重である.かといって仲間達と一緒に摂る食事を忌み嫌うということではない.仲間と一緒の食事も楽しいが,四六時中それでは疲れ果ててしまうという意味である.
他の皆さんに迷惑を掛けてはいけないので,早めに食事を済ませた私は,臨川寺を出て,越前屋と道路を挟んだ空き地に腰を下ろして,仲間が食事を済ませて,店から出てくるのを.ノンビリと待つ.こういうボンヤリとした時間が,私にはとても嬉しいのである.
10分ほどで,全員が揃う.揃ったところで,午後の部が始まる.
まずは,国葬266号線沿いに歩き続ける.
寝覚の床簡易郵便局の前を左折して旧道に入る.閑静な道になる.
12時30分,古い石塔の前を通過する.この石塔が何なのかは良く分からない・
<古い石塔>
■滑川橋
やがて古い石畳の道を通過して,再び車道に出る.そして,12時35分,木曽川の支流,滑川に架かる滑川橋を渡る.
橋の上からの川の流れが美しい.
滑川橋を渡ると,目の前の小さな山塊に突き当たる.ここで右折する.
資料1(p.213)によれば,かつて,子野橋は,「長十五間,南北より刎木(はねぎ)にて,中に橋杭なし.此辺特(こと)に急流なり」と有名だったという.また,この橋は,往時,木曽三大橋と呼ばれていたようである(資料3,p.38).
<滑川橋>
■木曽古道
滑川に並行するように歩く.そして,12時40分,木曽古道の案内杭が立っている場所に到着する.
暫くの間,夜襲溢れる長閑な道が続く.
<木曽古道の道標>
■御嶽山道標
やがて,中央本線(西線)の線路に突き当たり,線路沿いの道に変わる.
12時46分,御嶽山道標の前を通過する.道標は草むした土手に立っている.
<御嶽山道標>
■小野の滝
やがて,道路は中央本線(西線)のガード下を潜って,国道19号線に突き当たる.ここから,暫くの間は,自動車の交通量の多い道路を歩くことになる.
12時49分,進行方向左手に,小野の滝が見え始める.滝のすぐ上に中央本線の鉄橋があるので,美観が阻害されるが,下の写真は,敢えて,鉄橋を入れずに写したものである.
滝の傍らの案内板によると,「広重らの『中山道六十九次』に書かれている上松の絵はこの小野の滝」であり,また,細川幽齋は『老いの木曽越』の中で,「『布引や箕面の滝にも,をさをさおとらじ,これほどの物をこの国の歌枕には,いかにもらしける』と,手放しで誉めている」という.ところが1909年(明治42年)に,この滝の前を横切るように中央本線の鉄橋が作られてしまった.
<小野の滝>
■荻原の一里塚跡
暫くの間,国道19号線を歩き続ける.
13時丁度に萩原の一里塚跡に到着する.「一里塚の跡」と刻字した石塔が立っている.江戸日本橋から73里目の一里塚である.
案内板の記事によると,この一里塚辺りから萩原の集落の北野入口に当たる.かつては,この左右両方の一里塚には榎の木が植えられていたという.
萩原の集落の南側の入口には高札場があったようである.
この一里塚から,京までは,後64里である.
<萩原の一里塚>
■廿三夜塔
萩原の一里塚から,左折して枝道に入る.この枝道は萩原の集落の中を通っている.
長閑な集落の間の道を歩きつづける.13時02分,須原の集落が終わる頃,廿三夜塔に到着する.ここには,二つの石塔がある.右側の石塔の刻字は何て書いてあるんだろうか.私には読めない.
<廿三夜塔>
■くしかした村
荻原沢橋を渡って,くしかした(串ヶ下)村跡辺りを歩く(資料1,p214).くしかした村がどんなところだったかは良く分からない.
13時08分,再び中央本線のガードを潜る.
<中央本線のガードを潜る>
<展望を楽しみながら・・・>
■くるみ坂
ガードを潜ってから,やや急な登り坂になる.ちょっとウンザリした気分になる.
暫くの間,登り坂が続く.この辺りの登り坂を「くるみ坂」と呼ぶようである.
<やや急な登り坂に入る>
■眺望の良いトラバース道
くるみ坂を登り続けると,次第に眺望が開けてくる.資料3(p.38)によると,この辺りは室戸の農道と呼ばれているらしい.
歩いていても,実に気分がよい.
<室戸のトラバース道>
■木曽古道の案内板
13時16分,木曽古道と書いた木杭の前を通過する.野趣溢れる心地よい道が続く.
<木曽古道の案内板>
■展望の峠で一休み
ダラダラと長い坂道を登り続けると,やがて見晴らしの良い平らな道になる.13時23分,眺望の良い所で,10分ほど展望休憩を取る.
<展望の峠道で展望休憩>
■長閑な道を下る
休憩後,再び歩き出す.今度は緩い下り坂の草道である.道端のススキがいかにも秋らしい雰囲気を醸し出している.
とにかく,歩いていても,実に心地の良い散策路である.
<ススキの峠道を行く>
<中央本線の線路に沿って>
■神明社
やがて,草道が小さな土手に突き当たって終わりになる.ここから右折して,中央本線のガードを潜って,国道19号線に合流することになっている.
地図を見ると,近くに神明社あるはずである.
私は,一同に先へ行って貰いながら,左手にある数十段の階段を駆け上ってみる.案の定,階段を登り切ったところに,神明社の立派な社殿がある.大急ぎで一礼して,今登った階段を下りかける.
すると,リーダーのO村さんも,神明社を確かめに階段を登ってくるのとすれ違う.
<神明社の立派な社殿>
■神明社の鳥居
神明社から,階段を下って,中央本線沿いの道路を下り,線路下のガードを潜る.
ガードを潜ってから,進行方向右側に,先ほどの神明社の参道があるのを見つける.参道入口には,木製の簡素な鳥居が建っている.
<中央本線沿いの道を歩く>
<ガードを潜る> <神明社の参道>
■諸原吊り橋
立町の集落に入る.旧道に入ると,立町の常夜灯,立町立場跡などがあるはずだが,何故か見落としてしまう.まあ,仕方がない.
13時38分,諸原吊り橋に到着する.
地元の観光案内には,「一休みして,吊り橋でユラユラしてみませんか?」と書いてある.私たちには,時間的余裕がないので,この橋を見るだけで通過する.
<諸原の吊り橋>
<JR倉本駅で一休み>
■空木岳登山口
13時51分,空木岳(うずきだけ)登山口に到着する.私も2年ほど前に空木岳に登っているが,ここからではなかった.予想しなかったところで登山口を見つけたので驚きである.
また,急に中央アルプスのどこかの山に登りたくなる.
<空木登山口>
■JR倉本駅
13j時52分,中央本線倉本駅に到着する.ここで,10分ほど休憩を取る.
無人駅のようである.待合室に入る.時刻表を見ると,ほぼ2時間に1本の割合で普通列車が走っているようである.東京近郊に住んでいる私たちにとっては,随分と本数が少ないなと実感する.
ホームに入ってみる.随分と長いホームである.こんなに長いホームが必要になるほど,長い列車編成には思えないのだが,なんとも不思議である.
<倉本駅の待合室>
<倉本駅のホーム>
[参考文献]
資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9be83841b5623313d0c9fc5fd9434ba2
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dd1a1ed0fdd34aacaf1576bcf8e745b5
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