エンジョイ・ライフ 『人生楽ありゃ、苦もあるさ!』

「なすべきことをなせ、何があろうとも・・・・・」(トルストイ)

日本の憲法 Vol.41 人の生死の問題でも人格権を尊重?(「エホバの証人」輸血拒否事件)

2017年10月21日 | Weblog


自己決定権
個人は、人格的自立にかかわる一切の重要な個人的事柄について、公権力から干渉されることなく、自ら決定し得る権利を有する。
その具体的内容には、①自己の生命・身体の処分にかかわる事柄、②家族の形成・維持にかかわる事柄、③リプロダクションにかかわる事柄、④その他の事柄に分けられる。
その中で①の生命・身体の処分に関する自己決定権は、「人の生と死にかかわる最も根源的な自律にかかわるもの」であり、インフォード・コンセント、治療拒否、尊厳死(「品位ある死」)などの問題がこれに関係する。

その判例に、「エホバの証人」輸血拒否事件」がある。

エホバの証人の信者である成人女性のがん患者Xが、その手術に先立ち「輸血以外には救命手段がない事態になっても輸血しないでほしい」旨の意思表示をしたにも拘わらず、担当医師であるYらが手術に際して輸血をしたことに対して、不法行為による損害賠償を求めた訴訟。

1審では請求を棄却される。
2審の東京高裁は、次のように判示して、Yらに対して損害賠償を認めた。(東京高判平成10年2月9日判時1629号29頁)
「手術を行うについては、患者の同意が必要であり、医師がその同意を得るについては、患者がその判断をする上で必要な情報を開示して患者に説明すべきものである。」
「この同意は、各個人が有する自己の人生の在り方(ライフスタイル)は自ら決定することができるという自己決定権に由来するものである。Yらは自己の生命の喪失につながるような自己決定権は認められないと主張するが、当裁判所は、特段の事情がある場合は別格として[自殺しようとする者の治療拒否、交通事故等の救急治療の必要のある場合]・・・・、このように主張に与することはできない。すなわち、人はいずれ死するべきものであり、その死に至るまでの生きざまは自ら決定できるといわなければならない。」
「本件は、後腹膜に発生した肝右葉に浸透していた悪性腫瘍・・・であり、その手術をしたからといって必ずしも治療が望めるというものではなかった。」
「この事情を勘案すると、Xが相対的無輸血の条件の下でなお手術を受けるかどうかの選択権は尊重されなければならなかった。」

最高裁では、自己決定権という言葉こそ用いなかったものの、輸血拒否を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪うことは、人格権を侵害するものであると判示した。(最判平成12年2月29日民集54巻2号582頁)

日本の憲法 Vol.40 ストーカー規制法の合憲性(憲法第13条、第21条1項)を争った事件

2017年10月20日 | Weblog


ストーカー行為等の規制等に関する法律(通称、ストーカー規制法)違反被告事件
平成13年6月、ストーカー規制法違反で逮捕され罪に問われた被告人が、ストーカー規制法第2条、第13条1項は、憲法第13条、同法第21条1項を侵害すると主張して合憲性を争った事件である。(最判平成15年12月11日刑集57巻11号1471頁)

最高裁は、ストーカー規制法は「個人の身体、自由及び名誉に対する危害の発生を防止し、あわせて国民の生活の安全と平穏に資することを目的としており」
この目的を達成するために「恋愛感情その他好意の感情等を表明するなどの行為のうち、相手方の身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる社会的に逸脱したつきまとい等の行為を規制の対象とした上で、その中でも相手方に対する法益侵害に基づき刑罰を科すこととしたものであり、しかも、これに違反した者に対する法定刑は、刑法、軽犯罪法等関係法令と比較しても過酷ではない」
と判示し、同法を合憲とし、被告人の主張を斥けた。

日本の憲法 Vol.39 自己情報コントロール権(江沢民講演会名簿提出事件)

2017年10月19日 | Weblog


「自己情報コントロール権」とは、「自己に関する情報を、いつ、どのように、どの程度まで他者に伝達するかを自ら決定する権利」である。

【江沢民講演会名簿提出事件】
1998年11月28日、早稲田大学が中国の江沢民主席の講演会を開催するに際して、参加学生の名簿の写しを警察の要請を受けて学生に無断で提出したことが、プライバシー侵害にあたるかが争われた事件である。

最高裁は、私人間の問題についてであるが、学籍番号、氏名、住所、電話番号という個人情報に関して次のように判示した。
「本人が、自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示したくないと考えることは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきものであるから、本件個人情報は、原告らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象になる」
として、原告学生のプライバシー侵害を認め損害賠償の請求を認容した。(最判平成15年9月12日民集57巻8号973頁)

日本の憲法 Vol.38 戸別訪問を禁止した公職選挙法138条1項は違憲か?合憲か?

2017年10月18日 | Weblog


昭和51年12月5日施行の衆議院議員総選挙において、被告人Aは立候補していたBに投票依頼の為、同選挙区の選挙人宅数軒を戸々に訪問して投票を依頼したとして、公職選挙法138条1項の戸別訪問禁止の罪で起訴された事件である。

1審では、「戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的で必要やむをえない限度の規制であると考えることはできないから、これを一律に禁止した公職選挙法138条1項の規定は憲法21条に違反する。」と判示して無罪とした。

憲法21条1項【集会・結社・表現の自由】
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

控訴審でも、第1審判決を維持して無罪となった。

しかし、上告審の最高裁判決は、原判決を破棄し、広島高等裁判所に差し戻された。
「戸別訪問の禁止によって失われる利益は、禁止によって得られる利益(戸別訪問という手段方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保)に比べてはるかに大きいからである」と判示している。

※私自身は、1審、2審の判決を支持したい。この最高裁での判断は、今までの同じような戸別訪問禁止の訴訟が数件あり、それらの判例の変更をしたくなく出した判決のように感じる。

日本の憲法 Vol.37 プライバシーの権利 Ⅱ 前科照会事件訴訟

2017年10月17日 | Weblog


前科照会事件(最判昭和56年4月14日民集35巻3号620頁)

原告Xは、会社を解雇されたのは会社側の弁護士が、京都弁護士会を通して京都市中京区長にX氏の前科犯罪歴の照会を受け、それに応じて安易に回答をしたためだとして、損害賠償を求め京都市に対して国家賠償請求訴訟を起こした。

1審は、原告X氏の敗訴。X氏は控訴する。
2審は、逆転しX氏の勝訴。京都市長は上告する。

そして上告審は、「被告側の上告棄却」よって、原告X氏の勝訴が確定した。
判決文において、下記のように判示した。(抜粋)
「前科及び犯罪経歴は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するのであって、市区町村長が、本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏洩してはならないことはいうまでもないところである。」
「市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたる。」

日本の憲法 Vol.36 【新たな人権】プライバシーの権利(「宴のあと」事件)

2017年10月16日 | Weblog


幸福追求権から具体的な権利が、新しい人権として主張されてきたものに、プライバシーの権利、環境権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権、平和権など多数がある。

プライバシーの権利は、まず1964年の「宴のあと」事件の一審判決で、「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」と定義され、私法上の権利(人格権)の一つとして承認された。
その後、私法上の権利として認められた人格権の一つとしてのプライバシーの権利は、京都府学連事件、前科照会事件等の最高裁判決によって憲法上の権利としても確立した。

「宴のあと」事件訴訟(東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号2317頁)
原告は、外務大臣の経験もある有名な政治家であったが、昭和34年の東京都知事選に出馬し落選した。三島由紀夫は、この原告をモデルとする小説「宴のあと」を出版した。
この小説「宴のあと」によって、自らのプライバシーが侵害されたとして、三島由紀夫と出版社の新潮社を相手取り、謝罪広告と損害賠償を請求した事件である。
第1審の東京地方裁判所は、プライバシーの権利性の根拠を憲法13条の個人の尊厳に求め、プライバシー権の侵害が不法行為を構成するための成立要件を示したうえで、本件についてその侵害を認め、被告に80万円の損害賠償を支払いを命じた。
なを、事件は二審に係属中に和解が成立して決着がついている。

※プライバシー侵害の要件
公開された内容が、①私生活上の事実または事実らしく受けとられるおそれのあることがらであること。②一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められることがらであること。③一般の人々に未だ知られていないことがらであること。が必要と判示された。

日本の憲法 Vol.35 幸福追求権Ⅱ(ハンセン病訴訟)

2017年10月15日 | Weblog


「らい予防法」(1953年制定の新法)に基づき国立療養所に入所していたハンセン病患者らが、厚生労働大臣により遂行された隔離政策の違法性、国会議員が新法を制定した立法行為および新法を1996年まで廃止しなかった立法不作為の違法性などを主張して、国に損害賠償を求めた訴訟事件である。
熊本地方裁判所は、新法の隔離規定が「居住・移転の自由を包括的に制限するものである」と述べた上で、「人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性を大きく損な」うような「人権制限の実態は、単に居住・移転の自由の制限ということで正当には評価し尽くせず、より広く憲法13条に根拠を有する人格権そのものに対するものととらえるのが相当である」として、損害賠償を認めた(熊本地判平成13年5月11日判時1748号30号)。

国は、控訴を断念したため、本判決が確定し、「ハンセン病療養所入所者に対する補償金の支給等に関する法律」(平成13.6.15法63)が制定された。

☆このハンセン病問題の全面解決では、「坂じい」こと、公明党の坂口厚生労働大臣(小泉内閣)の活躍が目を引いていた。

日本の憲法 Vol.34 幸福追求権(京都府学連事件)

2017年10月14日 | Weblog


個人尊重の原理に基づく幸福追求権(憲法13条)は、憲法に列挙されていない新しい人権の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり、この幸福追求権によって基礎づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることができる具体的権利である。と解されるようになったのである。判例も、具体的権利性を肯定している。(芦部信喜著「憲法」第3版)

京都府学連事件(最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁)
デモ行進に際して、警察官が犯罪捜査のために行った写真撮影の適法性が争われた事件。
最高裁は、「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する・・・。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」と判示して、肖像権(プライバシー権)の具体的権利性を認めた。

日本の憲法 Vol.33 逮捕勾留者には喫煙を認めない。これは違憲?合憲?(憲法第13条)

2017年10月13日 | Weblog


公職選挙法で逮捕勾留されていた原告X氏は、勾留期間中、喫煙を禁止されたことから精神的肉体的な苦痛を受けたとして、国に対して損害賠償を求めた裁判。
1審、控訴審ともに原告側敗訴。
よって原告X氏は憲法13条に違反しているとして上告をした。

憲法第13条【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

判決:上告棄却(原告の敗訴確定) 最大判昭和45年9月24日民集24巻10号1410頁

最高裁は判決文の中で、
「被拘禁者の身体の自由を拘束するだけでなく、右の目的に照らし、必要な限度において、被拘禁者のその他の自由に対し、合理的制限を加えることもやむをえないところである。」
「煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず、喫煙の禁止は、煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめるとしても、それが人体に直接障害を与えるものではないのであり、かかる観点よりすれば、喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない。」

☆煙草の愛好者がもっとも多かった時代でも、このように喫煙禁止規定は合憲とされた。現在では、世界的に健康被害を及ぼす最たる原因の一つに煙草が挙げられているので、喫煙が禁止される「あらゆる時、所」が拡大されている。

日本の憲法 Vol.32 公務員の政治活動【有罪か無罪かの分れ目】Ⅱ

2017年10月11日 | Weblog


国家公務員法違反事件①
【事件】
被告人は、事件当時、厚生労働省大臣官房統計情報部社会統計課長補佐として勤務する国家公務員であった。日本共産党を支持する目的で、集合住宅の郵便受け32か所に同党の機関紙を投函配布したために国家公務員法及び人事院規則違反で起訴された事件である。

国家公務員法違反事件②
【事件】
被告人は、事件当時、社会保険庁東京社会保険事務所目黒社会保険事務所に年金審査官として勤務していた国家公務員であった。日本共産党を支持する目的で、同党の機関紙や同党を支持する政治的目的を有する文書等を配布したため国家公務員法及び人事院規則違反で起訴された事件である。

両事件とも上告され、平成24年12月7日に最高裁判所第2小法廷で判決が言い渡された。
①刑集第66巻12号1722頁
②刑集第66巻12号1337頁

判決文の中で共通して示されている箇所
「公務員として禁止の対象とされるものは、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為に限られ、このようなおそれが認められない政治的行為や本規則が規定する行為類型以外の政治的行為が禁止されるものではないから、その制限は必要やむを得ない限度にとどまり、前記の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲のものというべきである。」
「公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものかどうかについて、前記諸般の事情を総合して判断する。」

①の被告人は、部下を直接指揮できる立場にあり、また課内の総合調整役である管理職員等に当たる。このような地位及び職務の内容や権限を持っていた被告人が政党の機関紙の配布をする行為は、勤務外であっても国民全体の奉仕者として政治的中立な姿勢でない。所属する行政組織の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に生じるものである。よって、本件配布行為は、本件罰則規定の構成要件に該当する。と判示して有罪となった。

②の被告人は、管理職的地位にはなく、その職務の内容や権限もほとんどなく裁量の余地のないものであった。このような公務員によって職務とは全く無関係に、公務員により組織される団体の活動としての性格もなく行われたものであり、公務員による行為と認識し得る態様で行われたものでもないから、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものとはいえない。そうすると、本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当しない。と判示して無罪となった。

☆この最高裁判決から、公務員の政治活動に対する憲法の解釈が、同じ公務員の政治活動、選挙支援活動であっても、それが政治的中立性を損なう行動かどうか、そして、その判断基準としては、公務員としての地位、職務の内容や権限をはじめ多くの事情等を総合判断して決まるようになったといえる。