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moi! タンペレ

フィンランドのタンペレに半年滞在することに。その滞在記です。

ポーランド旅行~ワルシャワ編・後編の続編~

2019年05月12日 | 日記

間が空いてしまいましたが、ポーランド旅行の続きをいってみたいと思います。

ワルシャワ編・後編の続編、どうぞ!

「その2」からでしたよね...

その2 地下鉄・トラム・バスの乗り放題券はお得

今回はまるまる3日、ワルシャワで過ごす時間があったのだが、

ワルシャワの街は広く、目的の場所を歩いて回っていると意外に時間がかかってしまう。

そこで移動手段として地下鉄・トラム・バスの72時間乗り放題券を購入した。

これです。↓

 

見た目は何の変哲もない普通の切符で、ポケットに入ってたらごみと間違って捨てちゃいそうだが、

これで3日間乗れるすごいヤツ。36PLNで、日本円だと1000円ちょっとだから、かなりお得だ。

ちなみに、PLNは「ポーリッシュニュー」の略。

1995年のデノミで新しい通貨基準が導入されたことによる呼称で、1PLN=約30円である。

チケットは地下鉄構内の券売機で買え、街中にも気をつけて見てみるとポツポツあるようだった。

券売機は英語の案内に切りかえることもでき、クレジットカードで購入できた。

チケットは72時間のほか、48時間、24時間というのもあり、滞在日数に合わせて選ぶことができる。

 

ワルシャワ駅に到着後、駅そばの文化科学宮の1階にあるインフォメーションでもらったワルシャワの地図を握りしめ、

バスにこそ乗らなかったものの、地図に記された観光スポットと地下鉄(2路線しかない)の駅をたよりに、地下鉄とトラムを乗り回した。

この地図にはなぜかトラムの路線が記されてないのだが(たぶん複雑すぎるから?)

乗り放題のチケットは使い初めに改札を一回しておけばあとは乗り降り自由なので、

自分の行きたい方向に走っているトラムを見つけてはとりあえず乗って、適当なところで降りる、というようなことも簡単にできる。

注意したいのは、チケット使い初めの改札。地下鉄なら乗る時にいつものように改札機に通せばOKだが、

トラムやバスの場合、乗車後に自分で車内に設置されている機械にチケットを通して、乗車時間を打刻する必要がある。

日本人には慣れないシステムなので、チケットを買ったことに安心して、つい忘れてしまいそうだ。

 

しかし、乗った時も自分で打刻(運転手はノーチェック)、降りる時もノーチェックの性善説に則ったこのシステム、

究極のところ切符を持っていなくても、乗って降りてができてしまうんじゃないか!?と思うのだが、どうなんでしょう。

まあ、今までトラムもバスも経営破綻することなく続いているところをみると、仮にそういう人がいたとしても

今の乗降車システムの運用に支障をきたすような人数ではないということなのだろうか。

(ガイドブックには、乗車中に抜き打ちで切符のチェックがあるから気をつけろ、と書いてありました。)

 

日本人には慣れない、と言えば、地下鉄を降りる時の作法も日本と違って、最初はとまどった。

日本であれば地下鉄を降りた後、そのまま改札を出るにせよ、乗り換えるにせよ、一度切符を改札機に通すのが常識だ。

しかしワルシャワでは(ヨーロッパではそういうところが多いのかもしれないが)、降りるときは改札機に通さなくてもよい。

というか、改札機にそもそも切符の挿入口が付いていないのだ。

 

初めて地下鉄を降りて、改札を通る時はこんな感じでした。(「  」はわたしの心の声)

「72時間の切符だから、切符を改札機に入れてもまた出てくるはず。取り忘れないようにしないとね。」

しかし改札機を見るも、どこにも切符の挿入口がない。

「あれ?おかしいな...ないの!?」

しかししかし、目の前には両サイドから開閉する式の小さいドアがあって、もちろん閉まっている。

このままでは通れない。

運悪く、その場に他に人はおらず、正しいやり方を真似することができない。

「えっ?なに、なに? どうすればドアがあくわけ?」(あたふた、あたふた💦)

必死の形相で切符の挿入口を探す私の姿があまりにもみっともなかったのか、

通路を歩いていたおじさんが立ち止まって、こちらに合図を送っている。

何か言いながら、しきりに前を指さしている。

「何?前?行くの?」真似して指さすわたし。

そうだ、そうだ、とうなずくおじさん。

「えーい!ままよ!」

己を信じて前に歩いてみたら、あら、不思議。目の前のドアが開いたではありませんか!

杖を振り上げたモーゼの前に海がパカッとふたつに割れたのって、こんな感じだったのかしら(そんなはずなかろう)。

言った通りだろう、という顔で笑っているおじさん。

「おじさん、ありがとね!」笑顔でOKサインを送るわたし。

 

なんのことはない、自動ドアというやつです。

ドアではなく腰のあたりで回転するバーの場合もあるが、どちらにしても、己を信じて進めば

相手が勝手に開いたり回ったりしてくれるので、何も心配することはない。

心配することはないのだが、慣れていないせいか、ほんとにドアは開くのかな?(ドキドキ) 

ほんとにバーは回ってくれるのかな?(どきどき)と、改札を通るたびに妙に緊張してしまう。

そう、あれです、ETCカードを入れて高速に乗って、高速を降りるときにETC専用レーンに入って、

そのままスピードを落として進めばバーは上がってくれる、とわかっているのに、ほんとにバーは上がるのか?

上がらないでぶつかっちゃったらヤダな...と、思ってしまう時のあの感じに非常によく似ています。

 

あれ?何の話だっけ?

そう、ちょっと思ったのだが、東京にはこういう旅行者用のお得なチケットってあるのだろうか。

1日乗り放題券なんてのはありそうだが、それでもJRならJR、地下鉄なら地下鉄、(バスならバス?)と

交通機関や運営会社によって分かれているような気がするし、3日(72時間)なんていう長期のチケットのこともあまり聞かない。

交通費が高く(多くの外国人にとって)、路線も複雑に入り組んでいる東京で、複数の交通機関が横断的に利用できる

ワルシャワのような乗り放題チケットがあれば、海外からの個人旅行者とって心強い味方になるのではないだろうか。

だって、もし私が外国人で東京に旅行に来て、いちいちJRやら地下鉄やらで切符を買わなければいけないと思ったら、

それだけで気が重くなるもんね。

 

ひょっとしたら、ワルシャワは旧社会主義国の名残で、地下鉄・トラム・バスの経営母体が同じ、ということはあり得るかもしれない。

そうであれば全線共通乗り放題の導入は比較的容易だろう。逆に、東京のように複数の運営会社が入り乱れているようなところでは、

利害の調整や方針の一本化が難しく、導入は難しいということになるのかもしれない。

しかし、外国人観光客の誘致を政府をあげて推進するというのであれば(もちろん、日本は東京だけじゃないが、首都である東京が

まず範を垂れるべきであろう)、そのくらいのことをしてもいいように思うのだが。

 

長くなったので、「その3」はまた次回!

ワルシャワが終わらない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


ピューニッキ展望台へハイキング

2019年05月09日 | 日記

moi~!

昨日は朝から快晴。風もなく、気温も14℃まで上がった。

前の日も湖まで散歩に出かけたのに、こんないい天気にじっとしてはおられん!と

かねてより行ってみたいと思っていたピューニッキ展望台に行ってみることにした。

話によると、そこからタンペレの街が一望でき、かつそのカフェのドーナツはタンペレで一番おいしいらしい。

ということで、今回はピューニッキ紀行をお届けします♪

(ワルシャワはどうしたんだ?!という声が聞こえてきますが、それはまた次回...)

 

10時前に出発。タンペレ駅の横を抜け、まずはピュハ湖のほとりを目指す。

湖水クルーズに向かう船だろうか。桟橋に停泊していた。↓

 

まだまだ寒いとはいえ、季節は春。

萌え出たばかりの若葉が美しい。

これは白樺ですよね?↓

 でも、これは白樺と微妙にちがうような... ↓

幹も茶色の部分が多くなり、枝もやや枝垂れた感じ。

 

 

後で調べたところ、北欧にはシダレカ(ン)バというのがあるらしい。

画像がなくてよく分からなかったが、ひょっとしたらそれじゃないかな?

それにしてもいい天気。絶好のお散歩日和だな~♪

 

ここまでで家を出発してから30分といったところか。

さらに進んでいくと車道は途切れ、道は細くなり、いつの間に右手のほうはマツ系の針葉樹が主体の森になっている。

湖の波打ち際 ↓


そして、さらに進むとビーチがあるんです。↓

砂を運び込んで作った人工のビーチのようだが、夏場には多くの湖水客で賑わうそうだ。

 

...と、ここまで来たところで、急に道に不安を覚えた我々は

(何を隠そう、地図を忘れてきてしまい、ここまで連れ合いの記憶と勘を頼りに歩いてきたのであった)

ちょうどそばを通りがかった女性に聞いてみることにした。

 

「あの、すみません、私たちピューニッキタワーに行きたいんですけど。」

「???ん?(表情豊かにわかりにくさを表現してくれる)...ああ!!ピューニッキね!(破顔一笑)。それならあっちよ!」

「さあ、行きましょう。」

「あのあの💦、ひょっとしてそこのホテルに泊まってるんですか?」

ビーチの横にはホテルが建っている。さすがに連れて行ってもらうのは悪い。

「いいえ!私はピューニッキの近くに住んでるのよ。そこからちょっと下ったとこ。

 時々健康のためにこうやって(腕をワシワシ振ってみせる)ジョギングしてるってわけ。」

(はっ?ジョギングしてたんですね💦すみません)

なんとラッキーな。我々三人は歩き出した。

 

途中、ふだん使い慣れない英語での会話に四苦八苦しながら、急峻な坂を登り終え、

これまた長くて急な最後の心臓破りの階段(彼女が段数を教えてくれたのだが、忘れてしまった)を登り終えると

はたしてそこに、赤茶色をした趣のある石造りの塔が建っていた。

「ふー、着いた。ここよ。それじゃね!」

さすが、日ごろ鍛えてるだけのことはある。彼女は全然息が全然あがっていない。

爽やかな笑顔を見せて、塔の前の緩やかな下り坂を駆け足で去っていく彼女。

「ありがとう!」

快活で感じのいい人だったなぁと思いながら、最後のありがとうを英語で言ってしまったことに気が付いた。

「kiitos(キートス)」って言えばよかった...(後悔)

 


ここまで、途中写真を撮ったり小休止したりしながら、所要時間は1時間ぐらい。

何はともあれ展望台へ。

カフェでチケットを購入する。1人2ユーロ。クレジットカードOKである。

 

エレベーターがあるのだが、かなりの年代物で、自動扉の外側にもうひとつ手で開け閉めするドアが付いている。

乗っている最中も「ギュルルギュルギュル」というロープの擦れる音なのか何なのかわからない

けっこう大きな音が、間断なく聞こえてくる。

「これって、大丈夫かね... 定期点検とかしてるのかね...」(沈黙)

降りるとき見たらシンドラー製のエレベーターだった。かつての事故のニュースがよみがえる。

「乗り降りはできるだけ素早く!」と、連れ合いからの指令が出る。「ラジャー💦」

 

エレベーターを降り、てっぺんに通じる10段にも満たない階段を上って扉を開けると、

そこには期待にたがわぬすばらしい景色が待っていた。

塔そのものは26目mとさほど高いわけではないが、そもそも塔が高いところに建っているから

これだけの眺望がのぞめるのだろう。

タンペレって、ほんとに森と湖の街なんだなぁ、と実感する。

 

 

 

景色を楽しんだ後は、ドーナツタイム。

ドーナツとコーヒーにはbigとsmallがあるのだが、迷わずbigのほうを頼み、一人4.5ユーロ。

(たしかドーナツが2でコーヒーが2.5だったような・・・)

 

 

ーナツはスパイスの味がしっかりきいている。何だろう、ジンジャーかな?

それがこの甘さと意外にマッチしておいしい💕

そういえばSマートにも「スパイスケーキ」という袋入りのパウンドケーキがあって(ヤマザキのパンみたいな風体で売られている)、

一度食べたら妙にクセになる味なのだが、こちらでは甘いお菓子にスパイスを合わせるのは、普通のことなのかもしれない。

 

帰ってガイドブックを見てみたら、ドーナツの味について「カルダモンがほどよくきいた・・・」との記述がある。

うむ、そうかー、そうかもしれん。カルダモンね。ジンジャーともちょっと近い風味があるしな...

しかしまたある人のブログには「シナモンの香りが・・・」とあり、してみると何のスパイスが入っているのかには諸説あるようだ。

私の感じではやっぱりジンジャーは捨てがたく、ジンジャー&カルダモンじゃないかと思うのだが(そう、一種類ではないのよ)。

こちらに来られる方がいたら、ぜひピューニッキのドーナツを食べて、ご自分の舌で確かめてみてください。

 

ほっこりするドーナツタイムを終え、帰りは来た時とは別の、ゆるやかな森の小道を行くルートを辿って街まで帰る。

針葉樹の中に白樺が混じり、コントラストが美しい。

 

 

 

 

に下りて来たあと、これもまだ行ったことがなかったタンペレ・マーケットホールに寄り道して

場内をひやかして回り、家に帰り着いたのは13時前だった。


天候にも恵まれ、思い出に残るピューニッキへのハイキングだった。(完)


朝の散歩~小鳥とのふれあい~

2019年05月08日 | 日記

ポーランド旅行から戻ってきてからというもの、タンペレは連日寒い日が続いております。

4日、5日は最低気温が0℃を下回り、小雪の舞うような日で、今日も最低気温1℃、最高気温10℃の予報。

せっかく暖かくなり始めていたのに、またまた冬に逆戻りのような今週なのだが、

今日はお天気もちょっといいみたいだし、朝のうちに湖のほうに散歩にいってみるか!

ということで、簡単に朝食用のサンドイッチを作り、コーヒーをマグボトルに詰め、ピュハ湖のほとりにお散歩に行ってきた。

 

しかし、歩き始めると、どうも思ったようなお散歩日和ではないらしいことに気がついた。

風が強く、しかも冷たい。

向かい風の中を歩いていると、耳が凍えてちぎれそうだ。

体感温度は4、5℃ぐらいか。東京の1月、2月という感じだ。

 

それでも、木立の木々が芽吹いている。

やわらかい緑が美しい。

光線が足りず、パッとしない写真ですみません。

 

 

 

散策していると、色んな小動物たちに出くわす。

この日もリスが一匹、ボトルブラシのようなゴージャスな尻尾を立てて、道をシャシャシャーっと、駆け抜けていくのを見かけた。

そういえば先日も、木立の中をシャシャシャーっと駆け抜けていくのを見たっけ。

「春が近づいて、齧歯(げっし)類も活発に活動しておるのぅ。」と目を細めるわたし。

昔、何かの映画で、エボラ出血熱のウイルスを媒介するのがリスをはじめとした齧歯類だということを知ってから、

リスを見るたびに「齧歯類」と言ってしまう変なクセがついてしまった。

でもリスって、どうしてあんなにいつも急いでるんでしょうね?

 

リスの後はカモ。道脇の小さな池に雄のカモが二羽、何をするともなく浮かんでいる。

寝てるのか?!

寒いからなのか、二羽が二羽とも嘴をグッと羽根の下に突っ込んで漂っていらっしゃる。

「いやいや、そっち? 凍りつくような水に浸かってる腹のほうが寒いんとちゃう?」

と心の中でツッコミを入れる(なぜか関西弁)。

 

しかしこのカモの姿に、不覚にも今は亡き愛犬モモの在りし日の姿を思い出してしまう。

「そういえば、寒い日には鼻を前肢のところにグッと突っ込んで寝てたなぁ。」

鼻で体温調節をしている犬は、鼻を温かくすることで体温を逃がさないようにしているらしい。

うるうる... 

いや~、モモはかわいかったなぁ... 

うるうる... グズグズ...

亡くなって1年半経っても、悲しいものは悲しい。

そう、カモが犬に見えてしまうほど、私の愛は深いのだよ。

まあ、仕方がない...

こうして時々思い出しては涙するというのも、供養と思うことにしよう。

 

そしてうやうやしくサンドイッチタイムに突入。

風を避けて、道脇の木立の深いほうへ入ったところに腰をおろし、遅い朝食だ。

うまい!さむい!うまい!さむい!を連発しながら食べ終え、

この寒空に長居は無用、とサンドイッチの入っていた袋を片付け始めたその時!

何者かが背後から回り込んだかと思うと、我々の目の前に姿を現した。

 

な、なんと、ちびっこい小鳥ちゃんが必至の形相でホバリングしているではありませんか!

目の前30センチぐらいのけっこうな至近距離。羽根のパタパタパタパタっていう音がはっきりが聞こえてくる。

わわわー!!な、なに、これ!💦

ハチドリっていうのをテレビで見たことがあるけど、こいつは普通の小鳥サイズだし、

お腹は黄色くて、頭から背中のほうはちょっと青黒っぽい色をしているし・・・

以下、小鳥との会話。

 

「ちょっと、ちょっとー! アンタたち、今、パン食べてたでしょ。片づける前に、それ、ちょっとよこしなさいよ!」

 (パタパタパタパタ...)

「ええ?! なんでわかるの? ずっと見てたわけ?」

「当り前よ。あたいは鳥よ。上から見てれば人間がやってることなんてぜーんぶお見通しなんだから。」

と、ちょっと柄のわるい小鳥ちゃんの飛んでいくほうを振り返ると、我々がわずかに風よけにしていた

背後の大木の幹にピタッとくっついているではありませんか。

そう、枝に止まっているのではなく、幹にくっついているんです。瘤とりじいさんの瘤みたいに。

「へぇ~、すごいじゃん! 小鳥ちゃん、それ、どうやって止まってんの?(まじまじ)」

(でもそんなとこからジッと見てたなんて、コワイよ、小鳥ちゃん...)

「ちょっと、変なとこに関心してんじゃないわよ!パンよ、パン!」

(パタパタパタパタ...)

再び我々の目の前に位置を移し、必死にホバリングしながら怖い顔でにらみつける小鳥ちゃん。

「ごめん、ごめん、全部食べちゃったんだよ。パンくずのひとつも残ってないの。ほら。」

と袋を逆さにして振って見せるわたし。

「んもうー! あたいたちの森に来るのに手土産のひとつもないわけ? 気が利かないったらありゃしない!」

(パタパタパタパタ...)

「ごめん。知らなかったんだよ。今度来るときは、必ずパン持って来るから。」

...という私の言葉が通じたのかどうか、ようやく諦めて飛んでいった小鳥ちゃんであった。

 

うちに帰ってネットで調べたところ、謎の小鳥ちゃんの正体は、アオガラかアオカワラヒワという鳥ではないかと思われる。

それにしても、野生の鳥ってあんなに人懐っこいものだろうか。

おそらくこれまでに、同じようにしてパンをせしめた成功体験があるのかもしれない。

今までに経験したことのない小鳥とのふれあいであった。

 

 

 

 

 

 

 

 


ポーランド旅行~ワルシャワ編・後編

2019年05月07日 | 日記

さて、「ワルシャワ編・後編」さっそくまいりましょう!

放っておくとまた牛のよだれみたいに長くなってしまうので、

今回は趣向を変えて項目別にまとめてみることにしました。

うまくいくかどうかは書いてみないとわからない...


その1 ポーランド国鉄には気をつけろ!

しょっぱなから刺激的なタイトルですみません。

今回、二度のワルシャワークラクフ間の移動で使ったのがポーランド国鉄の列車だったのだが、

これが予約のwebシステムはうまく機能しないわ、窓口の人たちは全く融通が利かないわで

ただ隣合わせで列車の切符を取りたいだけなのに、不要な緊張を強いられるコワイ体験をしてしまった。


たとえばあなたが友人と二人で旅行していて、

窓口で「席は隣り同士にしてください。あっ、支払いは別々で」と言ったとしよう。

その願いはほぼ聞き届けられないと思ったほうがいい。

隣同士の席を取りたければ一人が二席分購入するしかなく、支払いが別々なら席もばらばらになるんです。

まったくわけがわからない。

空いてるなら一緒にしてくれればいいじゃん(窓口おばさまの素振りが隣は空いている、と私に伝えていた)。


あるいはまた、一人は無事webで予約できたのに、一人はwebの不具合で予約できたのかできなかったのかさえ

分からない状態だったので、まずそれを確認してもらい(そこに辿り着くまでに色んなところをたらい回しにされる)、

結局予約できてなかったので窓口で切符を取ることになったとしよう。

その時の「席が隣同士になるように、webで予約したほうの席を変更してください」という願いも、

ほぼ聞き届けられないと思ったほうがいい。

一度予約した席を変更するなどという手間は業務に含まれていないのです(たぶん)。

我々はこれらの事情から、2回とも別々のコンパートメントにばらばらの席をあてがわれた。


そもそも、こちらが説明しているのにうんともすんとも言わず、パソコンに向かって作業に取り掛かる。

言ってることが通じていないのかな💦と不安に駆られてオロオロしていると、そのうちバンと切符を手渡される。

変更をお願いしても首を振るだけ。「いくらですか?」と聞いても、レジに表示された数字を指差されるだけ。

ぬぬうぅー!!

どこまでもコミュニケーション拒否の姿勢を貫く窓口おばさま。

「口をきいたら損をするとでも思っておるのか!おのれ、成敗してくれるわ!」

と、小心者の私は心の中で叫ぶ。


たぶん問題はこのおばさまの性格の悪さではなく(それもちょっとあるかもしれないけど)

そもそも客にサービスを提供するという概念がないのだろう。

「ルールに従って空いてる席の切符を売るのが私の仕事なんだから、それ以外のことはする必要ないでしょ」というわけだ。

なんだか社会主義時代に培われた勤労精神の負の側面が出てしまってる気がする。


しかし、あえて言わせていただければ、こんな態度は誰の得にもならないんじゃないでしょうか。

客は嫌な思いをさせられるし、職員の人たちだって私みたいな客に呪いをかけられるし、

挙句にポーランド国鉄の、ひいてはポーランドという国のイメージを知らぬ間に傷つけているのだ。

何も客に媚びろとか、お客様は神様だと思え、とか言っているわけではない。

切符を売ってやってる的な高圧的な態度を改め、

できる範囲で客の希望を聞いてやり(たとえそれが一銭の得にもならないとしても)、

客から「ありがとう」と感謝されたほうが、どんなにか気分がいいことだろう。

それが仕事のやりがいってものじゃないだろうか。

何だか負け犬の遠吠えみたいになってきたので(そう、負けたんです)、この辺で筆を置くとしよう。


ポーランド国鉄も日本の国鉄と同じように、そのうち民営化される日が来るかもしれない。

しかしそれまでは当分、お客様受難の時代は続くものと思われる。

web予約ができれるのであればそれをお勧めするが、運悪くできなかった時は(結構な頻度で不具合が発生するらしい)

心を強く持って窓口おばさまと対決してほしい。

健闘を祈る。

 

ちなみに、この列車は3人掛けのシートが向かい合わせて配された6人1室のコンパーメント式の時代物だった。

アルキュール・ポアロがこんな列車に乗ってなかったっけ?

乗車中、トイレに行ったら、便器の底がパカパカしていて線路が見えた。

ひぇ~~!

ということは、まさかのまんまバラまきなのか!?

たぶんそうなんでしょう...

しかしワルシャワークラクフ間を3時間弱で結び、料金は60PLN(約1800円)だから、安い。


はっ...

気づけば「その1」で既に牛のよだれ状態のこのブログ。

長くなるので一旦ここでアップ。

次回は「ワルシャワ編・後編の続編」をお送りする予定です。




 







ポーランド旅行~ワルシャワ編~

2019年05月05日 | 日記

moi!読者のみなさま

10日以上もお休みしてしまってごめんなさい。

最初は飛ばしてるけど、そのうち息切れしていなくなっちゃうヤツかと思われたかもしれませんが、

(そしてその素質は十分あるんですが)

実は、4月25日から5月4日まで、9泊10日でポーランド旅行に行っておりました。


何?パソコン持って行かなかったのかって?

ええ、まあ、それはね、持っては行きましたよ、持っては...💦

でも、旅って、ほら、見たり聞いたり感じたり、インプットの時間が多くって

すぐには言葉にならないっていうか、なんというか...💦(もごもご)


すみません!

昼間歩き疲れて、夜はたらふく食べて飲んで正体不明で寝てたもんで

ブログを書く暇がありませんでした。


ということで、気を取り直して旅のご報告を簡単にいたしましょう。

今回行ったのは、首都ワルシャワと「ポーランドの京都」とも言われる古都クラクフ。

ヘルシンキからクラクフに飛び、電車でワルシャワに移動。

そこで4泊した後、再び電車でクラクフに移動し、そこで5泊、

クラクフからヘルシンキに戻る、という工程であった。


ワルシャワに着いた25日は天気のいいポカポカ陽気。

街路樹の緑が美しかった。

フィンランドよりずいぶん季節が進んでいるなぁという印象だ。

通りがどこもだだっ広く、きらびやかな高層ビルが立ち並び、

その間を車の群れが猛スピードで走り去っていく。

あまりの大都会ぶりにびっくり。


ワルシャワでは、ワルシャワ蜂起博物館、ポーランド・ユダヤ人博物館、

ワルシャワ歴史博物館などの戦争やユダヤ人に関する博物館を回るとともに、

ショパン博物館、旧市街にある王宮や教会、ワジェンキ公園・宮殿といった

ワルシャワならではの観光スポットにも足をのばした。


これまでポーランドの歴史について、ほとんど何も知らず

とりあえず中公新書の『物語 ポーランドの歴史』を読んで旅立ったのだが、

(自分の理解力を棚に上げてなんですが、内容がイマイチのような...)

実際に博物館巡りをして、ポーランドってソ連とドイツという大国に挟まれて、

苦難の歴史を歩んできた国なんだなぁ、とつくづく思った。

何度も列強に国土を分割されて国家消滅の憂き目に遭い、そのたびに蜂起するも最後には潰され、

第二次大戦ではナチスドイツの侵攻でユダヤ人の大量殺戮みならずワルシャワの街が壊滅的に破壊され、

そこで幾多の蜂起を起こすもやっぱり最後には鎮圧され...

スーパーマンが最後に悪者を退治してくれる、なんていうハッピーエンドなどあるはずもなく、

ただただ荒涼とした結末が待っているだけで、だんだん胸が苦しくなってくる。


数多くの蜂起は数多くの「政治犯」を生み、彼らを収容した刑務所や監獄もあちこちに博物館として残されている。

これがまた気が滅入るような場所なのだ。

しかも戦争が終わったあとも、それまで自分たちの国をいいようにしてきたソ連の下で

1991年のソ連崩壊まで社会主義体制が長く続いたわけだから(社会主義そのものが悪いわけではないのだろうが)、

その鬱屈たるや相当のものだったのではないかと想像する。

辛い、つらすぎる...


それでいて今のこの発展ぶりには違和感を感じなくもないのだが、

おそらく今までの歴史が苦難の連続だったからこそのこの発展ぶりなのかもしれない。

これまで抑えていたものが一気に噴き出した感じ。

だからと言うべきか、そこに秩序とか計画性のようなものは感じられず

欲望のままにボコボコと高いビルを建ててしまった感が拭えない。

ちょっと道を入ると、社会主義時代のものと思われる古い住宅が立ち並び、

その向かいではそんな古い住宅がガンガン取り壊されている最中で、

ふと前方に目をやると、ギョッとするような高層ビルがニョキッと建っていたり。

宿泊したヒルトンはカジノも備えた超近代的な高層ビルだったが、

その向かいの通りにはかつてのユダヤ人ゲットーの赤レンガ造りの門がひっそりと残されていた。


こうした街の雰囲気は、もう15年以上も前の、超近代的なビルと昔ながらの長屋が

隣り合うようにして建っていた上海の街並みとどこか共通するものがある。

あるいは急速な経済発展を遂げる都市が避けては通れない道なのかもしれない。

ワルシャワは解決のつかない悲しみや怨念や怒りを抱えたまま、

それでも前を向いて突っ走っていくしかないのだろう。

街中を猛スピードで走り抜けていく車の群れや、トラムの遅れに苛立ちを隠さない人々の姿は、

ワルシャワという街そのものが晒されているストレスの大きさを物語っているようでもあった。


まあ、こんな私の感想も、島国という温室でぬくぬくと育ってきた一旅行者の感傷にすぎないとも言える。

苦闘の歴史に鍛えられてきたポーランドの人たちは、きっともっとずっとしたたかで、

この経済発展に乗って豊かさを手に入れるべく貪欲に、喜々として経済活動に邁進しているのかもしれないし、

歴史の悲惨を直接体験していない若者たちは、より個人的な喜びや楽しみの中に生きがいを見出し、

それこそ楽しく生きているのかもしれない。

願わくはそうあって欲しいし、二度と大国に蹂躙されるようなことがあって欲しくない、と強く思う。


はっ...

いつになくシリアスモードの内容になってしまいました。

そして「旅の報告を簡単に・・・」という当初の目的とも全くずれておりますな・・・💦


次回、ワルシャワ編・後編ということで、もうちょっとみなさんがワルシャワを訪問する際に

役立つような情報をお伝えできればと思います!