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moi! タンペレ

フィンランドのタンペレに半年滞在することに。その滞在記です。

ポーランド旅行~クラクフ編・アウシュビッツへのバスツアー~

2019年05月16日 | 日記

moi~!

本日は朝から快晴。最高気温も18℃まで上がった。

明日、あさっては20℃を超える予報。

短かった春が過ぎ、いきなり夏の到来か~!?(こちらでは一応6月からが夏らしい)

そういえば最近は、夏の訪れを前に街中がなんだか浮かれている気がするなぁ。

 

間が空いてしまったが、ポーランド旅行の後半をいってみたいと思います。

ワルシャワを後にして向かったのが、かつてのポーランド王国の首都であるクラクフ。

旧市街の歴史的町並みは、1978年にユネスコの世界文化遺産第一号に登録されている。

カジノのおねえさんが言っていたように、古い歴史のある街で、ポーランドでも有数の観光地らしい。

 

クラクフにはまるまる4日間滞在した。以下が大まかな日程。

4月29日 昼前の列車でワルシャワからクラクフへ。 宿泊先は旧市街近くのアパートメントホテル(5泊)。

  30日 アウシュビッツ、ビルケナウ英語ガイド付きのツアーに参加。

5月1日 旧市街めぐり(市庁舎の塔、聖マリア大聖堂、バベル大聖堂など)。

  2日 シンドラー・ユダヤ人博物館、ヤギェウォ大学。

  3日 カジミエシュ地区めぐり(テンプルシナゴーグ、レームシナゴーグ)。

  4日 午前出発のフィンエアーで、ヘルシンキへ。午後、タンペレに到着。

 

アウシュビッツ、とタイトルには書いたものの、あそこで見たものについて書くのは気が重い。

というか何も書きたくない。

ぐずぐずしているうちに、時間ばかりが経ってしまった。

たぶん、いつか、こんなエッセイの形ではなく、

何かもっと別の方法で表現することがあるかもしれない、と今は思うばかりだ。

 

そんなわけで、ここでは参加したツアーの様子について、ざっと説明することにいたします。

ほんとは日本語ガイド付きのツアーに参加したかったのだが、うっかりしていて気づいた時にはもう満杯になっていた。

出発1週間前くらいに、なんとか英語ガイド付きのツアーを見つけて申し込む。

はぁ~、英語か~、聞いても半分も分からんだろうな...この時点でテンションが下がる。

しかし、半分も分からなくて逆によかった、とこの後思うことになるのだが...

行きはバスが宿まで迎えに来てくれ、帰りは旧市街で一斉解散。

約7時間のツアーは、お昼のお弁当付きで一人60ユーロ、日本円で7800円である。

 

この日の参加者はわれわれを含めて20名ほどだった。オランダ、ベルギー、イギリスなど、ヨーロッパからの参加者がほとんど。

ツアー客以外には、現地までの案内役として、切り盛り上手の元気なおねえさんが一人と、

車間を詰めすぎてるせいか、せっかちなのか、いかなるときも急発進、急停車の運転技術にやや問題ありの運転手のおじさんが一人という構成だ。

海外の観光ツアーに参加すると、だいたい運転手さんというのはこのタイプなんだけど、なんで?

 

メンバー全員を拾って出発したのは9時半すぎ。

アウシュビッツ、現地の呼び方でオシフィエンチムまでは車で約1時間半の道のりだ。

この日は曇天で、時折小雨のまじるような肌寒い日だった。そしてバスの中はなぜか電気がついておらず、暗~いのである。

「なんで電気つかないの?」「わからん」「...」

陰鬱な感じが、これから行く場所にいかにも似つかわしいような気がしてくる。

 

11時過ぎアウシュビッツ博物館に到着。

入場には手荷物の制限があり、最大で30✖20✖10㎝のバッグというので、小さなポーチに貴重品と携帯だけ入れて

あとはバスに置いていく(実際にはバックパックを背負ってる人もいて、無事入場できていたようだが)。

集合すると、我々一行はバスの添乗員のおねえさんから、現地に待機していたおねえさんに引き渡される。

博物館駐車場には同じようなツアーバスが何台も止まり、入り口付近は入場を待つ人たちでごった返している。

こんなに込んでいるとはびっくりだ。個人で来るとなるとかなり大変なのかもしれない。

 

まずは10分間のトイレ休憩。

人波をかき分けて階下のトイレに直行。階段を降りたところに受付があって、トイレに入るには2ztが必要だ。

列をなすトイレ客(?)をさばくために、受付は3人体制。一体トイレ代だけで一日いくらの収入があるのかな?

トイレをすませ、1階にある売店で素早く日本語のガイドブックを購入する。日本円で750円ほどだ。

 

再び集合の後、おねえさんに入場ゲートまで案内される。

ゲートを入るとヘッドホーンを手渡され、それをつけて、今度は博物館を案内してくれるガイドさんのもとに集合する。

ロビン・ウィリアムス似の男性ガイドさんはさっそく一行のイヤホーンの調子をチェックし、どこの国から来たのか手短かに聞いていく。

聞き終わると、彼は自分の英語はあまりうまくないが了承願いたい、みたいなことを言って、さっと黒いサングラスをかけると、

目印となる黄色い傘を振り上げて、後に着いてくるように一行を促した。

 

実際「R」の発音が巻き舌のRになっちゃうようなすごい訛りのある英語で、その上、早口でまくし立てるように話すので(江戸っ子か?)、

ほとんど何を言っているのかわからない💦(訛りがあろうがなかろうがわからないことに変わりはないともいえるが...)

ともかくも、我々はこの超クールで、やや威圧的ともいえるガイドさんに従って、機関銃のように英語の礫を浴びせられながら、

(その間、わたしは忙しく日本語のガイドブックを繰りながら)神妙な面持ちで、次々に見学用に供されている建物を巡っていったのだった。

 

1時間半ほどで見学を終え、ぐったりしてゲートを出る。

バスに戻ると一人ひとつずつ、昼食の入った紙バッグを渡される。ずしりと重い。

中にはハンバーガーサイズのハムサンド(パンがしっかりしている)とチーズサンド、それにチョコクロワッサン、

さらにりんご、バナナ、チョコレートバー、ミネラルウォーターが入っている。

いやいや、これは多いよ💦 ハムサンドと自販機で買ってきたホットコーヒーでお腹いっぱいだ。

というか、見学を終えた直後に飯なんか食えるか!と思っていたのに、かなしいかな、食べ物を前にするとちゃっかり食べていた。

なんてゲンキンなわたしであることか。

 

15分ほどであわただしく昼食を終え、今度はバスでそこから10分ほどのところにあるビルケナウ、現地の言葉でブジェジンカへ移動。

正直、もう行きたくなかった。行ってもいいけど、バスを降りたくなかった。

もうわかった。わかったから、バスで待機させてくれ~💦

そんなヤワなわたしを尻目に、現地に着くやみなさん当然のように、颯爽とバスを降りて行かれる。

駄々っ子みたいにそこに居座るわけにもいかず、しかたなく後についてバスを降りる。

 

と、そこには先ほどのガイドのおじさんがすでに待ち構えていて、ポーカーフェイスで我々を迎えてくれる。

はぁ~~、はい、はい、行きますとも... 

おじさんの振り上げた黄色い傘を目の端におさめ、とぼとぼとついていくのであった。

終始野外を歩いての見学は1時間ほどで終了。しばらく休憩しあと、2時半前には現地を出発し、

クラクフの旧市街に戻ってきたのは4時前、予定通り7時間のツアーであった。

 

終わってみれば、実にシステマティックに組まれたツアーで、無駄な時間が少しもない。

その分自由行動もほとんどなく、見学の時にちょっと立ち止まって見たいと思っても

おじさんはどんどん先を歩いていくのでついていかねばならず、写真も移動の合間を縫ってササッと撮るしかない。

でもまあ、あれだけツアー客がひっきりなしに出入りしているのだから、それぐらいでないと捌ききれないのだろうし、

あんまりじっくり見たり考えたりしていたら、それはそれでこちらの神経がまいってしまう。

あれぐらいのスピードでちょうどよかったのだ、と思えてくる。

そう、英語も、わたしには何となくわかってるぐらいがちょうどよかった。

あれがはっきりわかった日には、気分が悪くなってイヤホーンを途中ではずしていたかもしれない。

 

聞くほうも大変だが、話すほうはもっと大変だろう。

あのガイドのおじさんは、毎日何を思いながらあの場所のことを語っているのだろうか。

何百回、何千回と話しているうちに、それが自分の体験したことのように思えてこないのだろうか。

その事実に打ちのめされたり、夢でうなされたりしないのだろうか。

おそらくそんな辛い体験をも凌駕するような強い義務感、責任感が、おじさんにはあるのだろう。

あの感情を交えない話し方も、ポーカーフェイスも、サングラスも、ひょっとしたら過度に感情的にならないための、

あるいはあらわになった感情を悟られないための、おじさんなりの自己防衛の方法なのかもしれなかった。

 

旧市街でバスを降りた後、ぶらぶらと駅のほうに歩いていく。

目抜き通りのフロリアンスカ通りは、カップルや、家族連れや、色んな国からきた観光客たちでにぎわっていた。

道脇には土産物屋やカフェが軒を連ね、観光地然とした華やかさに満ちている。

みんな幸せそうだ。

ほんのさっきまでわたしが見ていたのは一体何だったのだろうか。

そのあまりの落差にめまいがする。身体中の力が急に抜けていく。

しばらく歩いているうちに、わたしは猛烈に腹が減っていることに気が付いた。

同時に、あの場所で食べるものも与えられず、飢えて死んでいった人たちの顔が目に浮かんだ。

 

駅に隣接するショッピングモールで見つけたビュッフェの店で、早い夕食をとった。

理不尽ともいえる空腹感に突き動かされて、わたしは食べた。

これまで食べたこともないくらい、たくさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


排水口掃除のおじさん来たる

2019年05月15日 | 日記

入居した当初から、どうも洗面所の排水口の調子がよくないなぁ、とは思っていた。

水の引きがちょっと悪くないかしら?と思いつつも、気のせいだろうと思ってやり過ごしていたら、

やはりそれは気のせいではなかったらしく、一週間くらい前からシャワーの後や洗面所を使ったあとに、

排水口から水が溢れ、なかなか引かなくなってきた。

こ、これは、まずいぞ~💦


今の部屋は、築年数はかなりいっている感じではあるが、玄関回りとか、クローゼットとか、キッチン収納とか、

ほんとにちょっとしたことなのだが実に機能的にできていて、使い勝手がよい。

さすが機能的なデザインに秀でているフィンランドだわ、と感心するのだが、

ただこの水回りだけは、日本人の私は慣れることができず、いまだにちょっと気持ち悪い(お世話してくださった方、すみません!)。

いわゆるユニットバス式で、バスタブとトイレと洗面台がいっしょのスペースに収まっていて、さらにそこに洗濯機まであって、

あるだけなら別に問題はないのだが、問題は排水口の数で、バスタブのお湯と、洗面台の水と、洗濯水の流れ込む所が一ヶ所しかないのだ。

それでどうなっているかというと、洗濯機の排水ホースがバスタブのふちに引っ掛けてあるのだ。

初めて見たときはギョッとした。

風呂の国日本から来た者としては看過できぬ由々しき事態。

これではバスタブがただの洗濯水の排水設備になりさがっとるではないか!

 

そうなのだ、たぶん、フィンランドの人たちは湯船に浸かる習慣がないんじゃないか?

なんたって世界に誇るサウナの国なんだから。

戸建てには大体サウナがあるというし、マンションにしても共同のサウナ場を備えているところが多いと聞く。

(この部屋を借りる時、「ただし、サウナはありません」と注意書きがあったくらいだから)

彼らにとっては風呂に入る=サウナに入る、であって、バスタブは洗濯機の排水口であってもいっこうに構わないというわけだ。

まあ、単にここがちょっと古い作りのマンションで、新しいマンションはそうじゃないかもしれないが。


そう、それで、この一週間というもの、水やお湯を出す時はなるべくほそ~く出したり、

長時間使いたい時もちょっと出しては止め、を繰り返したりして、とにかく出しっぱなしにしないよう、

細心の注意を払って使っていたのだが、状況は悪くなるばかり。

どう見ても排水口の奥のほうが詰まっているのだ。

この事実を何とかしないことには問題は解決せぬであろう。うむ。

パイプスルー的なものを買ってきてやってみようとも思ったが、そんなもので太刀打ちできるような雰囲気ではない。

第一、配管が排水口のカバーの上にあって、カバーがはずせない。

今まで遠慮していたが、こうなったら仕方がない。この部屋をお世話してくださった方にhelp me!メールを送る。


と、30分もたたないうちに、玄関のベルが鳴った。

ジリリ! ジリリ!

ん? これって、うち?

ジリリ! ジリリ!

はっ、は~い💦 今あけま~す!

もしや、排水溝か?! でもメールの返信もまだ来ていないしな。

 

玄関のドアを開けると、果たしてつなぎを来たおじさんが、消火器みたいな機材を携えて立っているではないか。

間違いない、このいで立ちは排水口の掃除をしてくれる人だ!

ジム・キャリーとクリントイーストウッドを足して二で割ったような味わい深い顔をしたそのおじさんは

にこにこしながら玄関を入ると、勝手知ったるわが家みたいに玄関横の洗面所にするすると入って行く。

あとはおじさんの独壇場で、洗面台下の配管をバコッとはずし(ただカバーの上にのっかってただけかい?)、

排水口のカバーを開けると消火器みたいな機材をギュンギュンいわせながらその奥にある大量の詰まりを取り、水をザブザブ流し、

ボトル二つ分の薬剤をザラザラ流し込んではまた水をザブザブ流し....で、ものの5分で普通通り水が流れるようにしてしまった。

口を開けて感心して見ていると、おじさんは洗面台の配管から飛び出していたきちゃないものを(想像させちゃってすみません)

引きちぎったトイレットペーパーで素早く引き出し、クルクルッと巻いて便器に放り込んで、ジャバーッと流してしまった。

ギャッ! 何と言うことを。そんなん流したら、今度は便器が詰まるじゃん。

と思う間もなく、配管を元に戻して作業終了。


wow~! パチパチパチパチ 思わず拍手してしまう。

にこにこ顔のおじさん。と、もう身支度を整え、玄関のドアを開けている。

は、はやいよ~、あの、キートス! とりあえずお礼を言う。

それに反応して、どういたしまして、的な笑顔を見せて去っていくおじさん。


ふぅ~、この一週間、あれこれ思い悩んでいたのがウソみたいだ。

それにしても、おじさん、来てから帰るまで見事に一言も言葉を発しなかったな。

不都合を感じなかったのは、おじさんが顔の表情でしっかり会話していたからなのか?

恐るべき顔面力。

いずれにしても、こちらのメールに迅速に対応してくださったことに感謝したい。

ありがとうございました。


こういうことってわりとよくあることなのかもしれないが、ひとつ言わせていただけば、

こちらの排水口のつくりが、詰まりを引き起こしやすい原因のひとつになっているのではないだろうか。

日本だとキッチンのシンクの排水口とか、バスタブの排水口にはストレーナー、もしくはそれに類するものが付いていて、

要するに固形物が配管に流れ込まないような配慮がなされていると思うのだが、

なぜかこちらにはそういうものはなく、梅鉢マークそっくりの、丸い穴が6つ空いた排水口がそのまま露出しているのである。

この穴がけっこう大きい(とわたしには感じられる)。洗い物の時に野菜くずなんかが落ち込んだりしないか、

シャワーの時に長い髪の毛がどんどん流れていっちゃわないか、これでも気を使ってやってきたのだ。

ああ~、われながら、なんて神経がこまやかな人間なんだろう。ふぅ~


だからさ、こんな風に神経のこまやかな人間に気を使わせたり、しょっちゅう排管を詰まらせたりしないために、

フィンランドの排水口を、日本みたいに物がやたら落ち込まないような構造にしたらいいんじゃないでしょうか。

というのがわたくしの提案です。

これを読んでるフィンランドの排水口関係の技術者の方がいたら、ぜひご検討くださいませ。

でも、まあ、あんなに腕のいい排水口掃除のおじさんがいるんだったら、しょっちゅう詰まっても大丈夫か。

わたしも気が楽になった。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カレーが食べたい

2019年05月14日 | 日記

そう、カレーって、無性に食べたくなる時がありますよね。

特に海外生活で、慢性的に日本食欠乏状態に置かれていると、いったん食べたいと思ったら

もうカレーのことしか考えられなくなって、体がぶるぶる震えてくる(何かの病気か?)。

カレーは日本食かって?

もちろん、日本食ですとも!

クミンやらターメリックやらあまたのスパイスを調合し、鶏のぶつ切りなんかを長時間煮込んでナンと一緒に食すサラサラカレーではなく、

煮込んだじゃがいも、玉ねぎ、にんじん、肉に8皿分だの10皿分だのと書かれた市販の10四角いルーを割り入れて、

10分煮て頃合いになったところを白いごはんにドバっとかけて食すあのカレーは、歴とした日本食といってよろしいでしょう。


ということで、野菜も肉も冷蔵庫にあることを確認し、さっそくカレールーを買いに出かけた。

出向いたのは、歩いて5分のところにあるトゥーリントリショッピングセンター1階にあるアジアンマーケット。

こちらに来て間もなく発見したのだが、近くにアジアンマーケットがあって、

中国、韓国、タイ、日本などのアジアン食材がここで買えるのである。

もちろん値段は日本の何倍もするので、迂闊には買えないけど。


たとえば、日本食材だと、お寿司、お好み焼き関係が充実していて、米、すし酢、海苔、わさび、お好み焼き粉、おたふくソース、

青海苔、かつおぶしが置いてある。その他にも乾麺のそば、そうめん、インスタントラーメン、だしの素、なんてのもある。

あと、フィンランドのスーパーでは海産物関係がサーモン以外ほとんど皆無なのだが、

ここには冷凍もののエビ、イカ、タコ、なんかも置いてあるのだ。

あ~、なつかしいわ~。エビってこんな形してたっけ?


わが愛しのカレールーはというと、レジ横の目立つ場所に、棚三段分も使って、恭しく並べられている。

が、商品はと言うとS&Bゴールデンカレー(中辛と辛口)とハウスのこくまろ(辛口)しかなく、しかもそれぞれ2、3箱ずつしかないものだから、

すっごい間を空けて並べてあって、いつかテレビで見た品物があんまりない北朝鮮のスーパーみたいな感じになっちゃってる。

まあ、いいや。とにかくちょっと変な感じのその陳列棚から、迷わずこくまろ辛口を一箱手に取ってレジへ。

なぜこくまろかというと、日本での小売り価格を反映してか、こくまろのほうがゴールデンカレーよりも安いからである。

といっても一箱3.95ユーロ、日本円で500円ちょっとする計算だから、高いは高い。


カレーには白いごはんだ。カレー作りに取り掛かる前に、米を洗って給水させる。

ちなみに、今食べてるお米はこれ。

    

 

Sマートで見つけたジャポニカ米。ありがたいことに、フィンランドのスーパーでも、タイ米なんかといっしょのところに

ジャポニカ米が置いてある。1㎏で1.29ユーロだから167円? これは高くないぞ💛

まあ、あまりいい米ではないんだろうけど。炊いてもつやつや感がなく、食感もぼそっとした感じが否めない。

しかしアジアンマーケットの米はブランド米だから高いのだ。

カレーで食べるのであればこれで充分!(カレーじゃなくても食べてますけど)


最近、はたと気が付いてしまった。このお米「PUURORIISI」。

例のごとくフィンランド語なので「プウロリイシ」とローマ字読みして、10回ぐらい呪文のように唱えていたら、

あら、不思議!「パールライス」になってるじゃありませんか。

そうだ、あのJAが仕入れて販売しているというJAブランドのお米パールライス~! 

どこにも書いてないけど、あなた、あのパールライスなんでしょ?

こんな異国の地で相まみえるなんて、何かのご縁。さっきは悪口いってごめんなさいね。

 

米を炊くのはもっぱら鍋。最初は備え付けの電気炊飯器を使ってみたが、鍋部分がペラッペラで、

米は焦げ付くし、時間はかかるしでよろしくない。

そこで鍋で炊いてみたところ、15分ぐらいで炊けるし、焦げ付きは少ないしで大変具合がよろしい。

それ以来米を炊くのはこの鍋。

いかにも、おいらで米を炊いておくれよ~、って形してるでしょ?

      

  

あとは一気呵成にいつもの手順でカレーを作るのみ。

お買い得の一袋1㎏入りのにんじんが大量に残っていたので、それをすべて投入し、

途中お米もちゃんと炊いて、できました~(^^♪ 

にんじんたっぷりカレー、いただきま~す!

      

 

...やっぱり、カレーはおいしいわ💓

それに、白いごはんを食べるとお腹の落ち着き方がちがいますなぁ。

いや、わたしじゃなくて、腹の虫がそう言っとります。

そんなこんなで、週に2回はご飯を炊いて食べている今日このごろである。

 


ポーランド旅行~ワルシャワ編・後編その4~

2019年05月13日 | 日記

ついにワルシャワ編、最後のブログとなりました。

あっ、「その4」に入る前に、前回のポーランド料理の回で書き忘れたポーランドのビールについて一言。

といっても、お店で飲むやつじゃなくて、スーパーで売ってるやつね。

気づいたんだけど、たぶんポーランドには缶ビールの350ml缶というものが存在しないのである。

色んなスーパーに行くたびにチェックしていたのだが、すべての缶ビールが500mlか550mlだったと断言いたしましょう。

「350?! けっ、そんなもん飲んだうちにはいんないよ。飲むんだったら最低500からでしょ。500!」

そんなポーランド人の心意気が感じられるではありませんか。


それでわたしも、しょうがないので、ほんとは350mlでいいのに、それがないから、しかたなく、毎晩500ml飲んでました。

ほんとにしょうがないな~、もう~(^^♪

よく飲んでたのがこれ。(画像はエクスペディアの記事からの借用)

    

 

銘柄は「ジヴィエツ」と読むらしいが、これはどのスーパーでも大量に仕入れてあり、

また、ごそっとなくなっていたりして、地元の人たちが好んで飲んでいることがよくわかる。

食べ物でも飲み物でも、スーパーの売り場の状況を見て、とりあえず現地の人が一番買ってそうなのを選ぶ。

そうすると、その国の人たちのおおかたの味の好みがわかって面白い。


このビール、麦芽とホップの味がしっかりとして香りも豊か、しかも口当たりがまろやかだ。

大量生産品というよりはどこぞの地ビールという雰囲気なのだが、そこまで個性的すぎず、バランスのよい上質な味がする。

これが550mlで日本円にすると90円ぐらいだから、飲んでてとっても得した気分。

他にも何種類かの銘柄を飲んでみたが、このジヴィエツが一番おいしく感じられた。

ポーランドに行かれることがあったら、ぜひ一度お試しくださいませ。


その4 博物館はおもしろいが疲れる

「そんなん、あたりまえや~ん!」という声が聞こえてきそうである。

しかし、休日にもほとんど出歩かず、また決して物見高くもなく、

博物館とか美術館とか映画館とか、最近はとんと行っていなかった私は知らなかった。

その間に博物館の展示というものが、昔のように陳列されたものを単に見て回るものではなく、

見て、触って、聞いて、感じて、五感をフルに使って体験するものに進化していたということを。

ワルシャワ蜂起博物館などは、さながらどこかのテーマパークのアトラクションを回っているかのごときであった。


今回足を運んだワルシャワ蜂起博物館、ポーランド・ユダヤ人歴史博物館であるが、

戦後ソ連の影響下にあった共産党政権の時代には、蜂起の事実やユダヤ人問題がタブー視されていたため、

博物館の設立そのものが困難だったという。開設したのは、それぞれ2004年、2013年と、いずれもソ連崩壊後の2000年代に入ってからだ。

そうした事情も博物館のコンセプトや展示手法の新しさにつながっているのだろう。


また前者には日本語音声ガイド、後者には英語の音声ガイドがある。

せっかくなのでそれを借りて回ったのだが、この説明がやたら長い!いや、長すぎる!! 

とはいえ、どうしてもこの事実を知っていただきたい、という博物館側の情熱をひしひしと感じる内容で、

一つの事象がその背景も含めて丁寧に説明されているので、これまでほとんど知ることのなかったポーランドの

複雑な近現代史が、あるいはユダヤ人がポーランドに定植してからの長~い歴史が、

第二次大戦という「悲劇」に向けてどのように進展していったのかが、まがりなりにも理解でき、大変ためになった。

ただ、その展示内容ともあいまって、最後までこの音声ガイドを聞きながら見て回ると心身ともにぐったりしてしまうのだが。

ふぅ~~


そういえば、ワルシャワ蜂起博物館は、入る前に手荷物をロッカーに預けることになっているのだが、

それには5zt(ズウォティ)コインが必要である(荷物を取り出した後に戻ってくるけど)。

訪れたのは2日目の朝だが、その時点でまだ現地通貨に両替していなかった。

ほとんどのものはカードで決済できるので、つい油断してしまうのだが、ロッカーや公衆トイレ、枕銭などの他に

地味~な観光スポットや、逆に込み合ってカード決済している時間がない超人気の観光スポットなども、

入場料は現金払いだけのところがあるので(クラクフに多かった)、用意しておいたほうが賢明だ。

 

仕方なく、いったん宿(ヒルトンホテルです)に引き返し、両替をすることに。

フロントに行くと両替はホテル併設のカジノで行っているという。

そういえば、ホテルの入り口の横のほうに、「CASINO」と派手な文字で書かれてた一角があったな...

入り口の扉を開けると、フロントデスクに、制服を着た長身のモデルさんみたいなおねえさんが立っていた。

おお、なんだかカジノっぽいぞ。

日本円を両替したい旨を伝えると身分証の提示を求められ、フィンランドの在留許可証を手渡す。

おねえさんはカードのコピーを取ると、こんどはその情報をパソコンに入力し始めた。

たかが両替と思っていたが、カジノに入るには相応の身分照会が必要みたいだ。

OKが出て連れ合いが奥の部屋へ両替に行ってしまうと、狭いフロントスペースにはわたしと彼女だけが残された。


なんだか気まずい。とはいえ、わたしのなまくら英語で話しかけるのも何だか気が引けるし...

と思っていたら、おねえさんが最初に声をかけてくれた。

「あなたたち、日本人なのね。」

「そうだよ。」

「わたし、ちょっと日本語が話せるのよ。ありがとう... こんにちは......よろしくおねがいします」

「すごい、すごい! どうして話せるの?」(必死に中学英語の文法を駆使して話すわたし💦)

「実は大学でちょっと勉強したことがあるの。ウクライナ語とラテン語もやったんだけど、どれも中途半端で。

日本語はいつかちゃんと勉強したいと思ってるんだけどね。」

「そうなんだ。...このカジノは24時間やってるんだね?」

「そうなのよ。一年で休みはクリスマスイブだけよ!」(信じられないでしょ?という顔)

「ええ?そうなの?ここに来るお客さんってそんなにたくさんいるの?」

「多いってもんじゃないわよ。3日3晩ここに泊まってずっとカジノで遊んでる人もいるのよ。

 ところで、どうしてあなたはポーランドに来たの?」

(うっ、と詰まるわたし。特にこれといった理由は...って、こんなこと言ったら失礼だもんな)

「うーん、ポーランドの文化に興味があって。あとはポーランドの歴史にもね。」(これはあながち嘘でもない)

「そうか。でもそれは私たちにとっては悲しい歴史なんだけどね... そうだ、ワルシャワのあとにクラクフに行くといいわよ。

 あそこは歴史があって、とてもいい街よ。」


おねえさんの言っていた「悲しい歴史」については、この後いやというほど思い知らされることになるのだが、

政治的な対立と民族的な対立が複雑に絡み合う戦中、戦後を生き抜いてきたポーランドの人たちは

大国の思惑によって自分たちの意に染まぬ心理的分断を幾度も経験させられてきたことだろう。

カジノを出てから彼女の出自がふと気になった。「私たち」とはポーランド人のことだったのだろうか、

それとも、ひょっとしたらユダヤ人のことだったのだろうか。

たぶんポーランドという国に生きるすべての人のことを言っていたのだと思うが...


ワルシャワでは、この他にも旧市街を歩き、ショパン博物館でショパンの音楽を堪能し(けっこういい演奏が聴けます)、

新緑の美しいワジェンキ公園の散策を楽しんだ。

歴史の重みにあえぎながら、それでも走ることをやめない、複雑でタフなワルシャワ。

おそらく生きているうちにもう来ることはないだろう。


写真はワジェンキ公園

    


    

 

次回はポーランド旅行・クラクフ編をお送りする予定です♪


 

 





 






ポーランド旅行~ワルシャワ編・後編その3~

2019年05月12日 | 日記

moi~!

昨夜から今朝にかけて、長いこと雨が降っていたタンペレです。

今日は一日中曇天で、最高気温は11℃、なかなか春の陽気になってくれない。

5月12日は母の日ということで、街のあちこちに白地に青いクロスを染め抜いたフィンランド国旗がはためいていた。

あるサイトを見ていたら、こちらでは法律で定められた国旗掲揚日というのがあるらしい。

12月6日の独立記念日や、5月1日のメーデーと並んで、母の日もその中に入っているんですよ。

ちなみに父の日は11月の第二日曜日なのだが、こちらは国旗を揚げることが「奨励される日」となっておりました、はい。

 

えーと、ポーランド旅行、ワルシャワ編でしたよね。

一回にひとつの項目しか書けないことがわかってきたので、タイトルに「その3」とつけさせていただきました。

(前編、後編なんてしないで、初めからそうしておけばよかったな...)

では、さっそくいってみましょう。

 

その3 ポーランド料理はおいしい

 「こらっ~!おいしくないと思っとったんかい!」とポーランドの人に怒られてしまいそうだが、

そうは思っていなかったけど、何となくジャガイモをたくさん食べてるイメージしかなくて(すいません)、

ポーランド料理と言われてもほとんど何も思い浮かばないとうのが正直なところだった。

 

ワルシャワ初日の夜は、これぞポーランド、というような料理が食べたいということで、

宿からも近く、webでも評判のよかった「Folk Gospoda」というお店に行ってみた。

直訳すると「民族の旅館」という店名で(なんか違うと思う)、店員さんが民族衣装を思わせるコスチュームでお出迎え。

薄暗い店内には、民族音楽...じゃなくてジャズが静かに流れている。でも違和感はなく、落ち着いたいい雰囲気だ。


メニューは英語も併記されていたが、中身が想像できないものが多くどんな料理が出てくるのかは来てのお楽しみ(^^♪

頼んだのは、野菜のグリルの盛り合わせ、ビーツ(たぶん)のスープ、カツレツ、ポテトパンケーキというメニュー。

野菜のグリルは盛り付けが美しく、二種類のソースが複雑美味な味で、紫が鮮やかなビーツのスープ(野菜が色々入ってるのかと思ってた💦)は

甘酸っぱくてあっさりとしていながら滋味深く、カツレツ(ポークチョップのつもりだった💦)は皿いっぱいの大きさで、

付け合わせで出てきたキュウリのヨーグルトサラダとの相性が抜群によく、そして名物のポテトパンケーキはというと、

驚いたことにビーフシチューがたっぷり包まれた(方々からはみ出てます)半月型の状態で出てきた。


写真はカツレツとポテトパンケーキ

 

見た目はそうは見えないかもしれないが、このポテトパンケーキが特筆すべきおいしさだった。

モチモチした食感といい、味といい、パンケーキの部分がすでにこよなくおいしいのだが、

中身のホロホロの牛肉がゴロゴロはいったビーフシチューがこれまた絶品で、

そんな最強同士がタッグを組んだのだからおいしくないはずがない。

あまりのボリュームに、「もうこれ以上腹にはいらん!」と言いながら、結局全部食べてしまった。


困るのが食事のあとの支払い。そう、チップ問題だ。

ワルシャワ入りする前に色んなサイトを見てみたのだが、ポーランドはチップが要るという人と、

要らないという人がほぼ半々ぐらいで、一体どうするのが正解なのか、最後まで分からなかった。

この日担当してくれたウェイターさんはスマートで、とても気持ちのいい接客をしてくれたので、

こういう時はチップを払ったほうがいいんじゃないか?ということになった。


伝票を持って来てもらって、店を出るまではこんな感じでした。

「伝票はこちらになります。」(先ほどの料理に飲み物を入れて152PLN、約4500円)

「ふむふむ(料金を確認)。この金額にチップは含まれていますか。」

「いいえ、含まれておりません。」

「どうやって払えばいいですか。」

「もし私個人にくださるのであれば、現金でいただくのが一番ありがたいのですが・・・」

「そうしたいのですが、今現金を持っていないもので(この時はまだ両替していなかった)。カードで払ってもいいですか。」

「もちろんです。少々お待ちください。」

といって、おにいさんは小さいな機械を持って現れた。

それに先ほどの伝票に記された食事代の約10パーセント(15PLN)の金額をチップとして入力して渡す。

「ありがとうざいます。」

今度はおにいさんがそれにさっきの食事代をプラスして、こちらに見せてくれる。

「このようになりますが、よろしいでしょうか。」

了承してカードを渡すと、カードを機械に通してめでたく支払いが完了した。


結論から言うと、チップを払うか否かは、web上で要る、要らないが半々だったように、

どちらでもいいとしか言いようがないというのが本音である。

最初に伝票を渡された時に、そのままカードを渡して決済しても、それはそれでいいような雰囲気ではあった。

ただその日はワルシャワ初めての夜で、料理にも満足したし、ウェイターさんの仕事ぶりもよかったし、

なんというか金を払いたい気分であった。


支払いが終わって、食器を片付けはじめたウェイターさんに、「おいしかった」と伝えたかったわたしは、

かばんから『地球の歩き方』を引っ張り出し、ポーランド語会話術のページを開けて、

そこにあった「とてもおいしい」というフレーズをへなちょこポーランド語で言ってみた。

不意を突かれたおにいさんは怪訝そうにこちらを見るばかり。

いかん!これは通じておらんぞ!

すかさずそのページをおにいさんに差し出し、これ、と指差した。

しばし目を凝らしていたおにいさんが、突如「ああ、smakuje(スマクーイェ)ね!」と笑いながら正しい発音で言ってくれる。

「そう、スマクーイェ~」(にこにこ)

「ありがとう~」(ちょっと照れたような笑顔)

 

こうして一日目のワルシャワの夜は更けていったのだった...

 

2日目の夜は「miss・kimchi」という、これも宿にほど近い、今ワルシャワでも人気の韓国料理の店に食べに行った。

狭い店内ながらひっきりなしに客が訪れ(若者が多い)、その盛況ぶりに驚いてしまった。

あの辛さが、現地の人たちにも受け入れられているのはちょっと不思議な感じだ。

食事はビュッフェ風定食方式で、重箱のような仕切りのある容器に、白米とこちらがショーケースの中から選んだ料理

(メインを1品、副菜を4品)を、お店の人が入れて渡してくれる。

すごいボリューム~💛 これで一人前25PLN、約750円だ。


味も評判にたがわずよかった。

ただ、材料も調味料も現地で調達できるものには限界があり、現地風にアレンジされている感じは否めない。

本場の味、にこだわる人には物足りない面もあるかもしれない。

それでも、ポーランド料理とは全く異質な料理に舌鼓を打っている若者たちを見ていると、

彼らの味覚の懐の深さみたいなものを感じた。まあ、どこの国でも若者と言うものは上の世代に比べると

進取の精神に富んでいるものですけどね。その点においては日本も変わらないのかもしれないが。


実は、ワルシャワでレストランと名のつくところで夕飯を食べたのはこの2日だけで、あとの2日はというと、

宿の隣の「カルフールエキスプレス」というちっちゃなスーパーでカップラーメン、カップ焼きそば、およびサラダを購入し、

それにビールやらポテトチップスやら、アイスやらを買い込んで、部屋で饗宴を開いたのであった。

いや~、外国で食すカップラーメンというのは実においしいものですね💛

これです。


「OYAKATA」は親方だ~!親方ラーメン、なかなか渋いネーミングではないか。

上のほうにAJINOMOTOとある。味の素が現地の会社で生産しているのだろう。

左から味噌ラーメン、しょうゆラーメン、ソース焼きそばのラインナップ。

ラーメンにはあとチキン味が、焼きそばにはてりやき味とわさび味があって、

いずれも次の日に試してみたが、一番おいしいと感じたのは、ラーメンなら味噌、焼きそばは普通のソース味だった。


写真はないが、一緒に買ったパック入りのサラダがちょっといいレストランで出てきそうな味だった。

ポテトサラダと厚みのあるハムのコンソメゼリー寄せに西洋わさび(?)がたっぷり添えられている。

ポテトサラダには何かの香辛料がいくつか入っているようで(全くわからなかった)、それらがえも言われぬ複雑微妙な

味わいを作り出し、ハムのほうは取り合わせも見た目も全くのお初で、こんな食べものがあったのかと驚いた。


「Folk Gospoda」の料理のことも考え合わせると、たぶんポーランド料理というのは、西と東の融合の上に成り立っているのだろう。

フランスやドイツの料理をベースにして、そこに、ロシアとあとはトルコなどの中近東系の味も加わっているように思われる。

それらの配合のバランスが実に絶妙なので、日本人のわたしたちが食べてもその味が新鮮でおいしく感じられるのであろう。

ポーランド料理、奥が深いです。


次回はワルシャワ編・その4をお送りします。

いよいよワルシャワともおさらばだ...