moi~!
本日は朝から快晴。最高気温も18℃まで上がった。
明日、あさっては20℃を超える予報。
短かった春が過ぎ、いきなり夏の到来か~!?(こちらでは一応6月からが夏らしい)
そういえば最近は、夏の訪れを前に街中がなんだか浮かれている気がするなぁ。
間が空いてしまったが、ポーランド旅行の後半をいってみたいと思います。
ワルシャワを後にして向かったのが、かつてのポーランド王国の首都であるクラクフ。
旧市街の歴史的町並みは、1978年にユネスコの世界文化遺産第一号に登録されている。
カジノのおねえさんが言っていたように、古い歴史のある街で、ポーランドでも有数の観光地らしい。
クラクフにはまるまる4日間滞在した。以下が大まかな日程。
4月29日 昼前の列車でワルシャワからクラクフへ。 宿泊先は旧市街近くのアパートメントホテル(5泊)。
30日 アウシュビッツ、ビルケナウ英語ガイド付きのツアーに参加。
5月1日 旧市街めぐり(市庁舎の塔、聖マリア大聖堂、バベル大聖堂など)。
2日 シンドラー・ユダヤ人博物館、ヤギェウォ大学。
3日 カジミエシュ地区めぐり(テンプルシナゴーグ、レームシナゴーグ)。
4日 午前出発のフィンエアーで、ヘルシンキへ。午後、タンペレに到着。
アウシュビッツ、とタイトルには書いたものの、あそこで見たものについて書くのは気が重い。
というか何も書きたくない。
ぐずぐずしているうちに、時間ばかりが経ってしまった。
たぶん、いつか、こんなエッセイの形ではなく、
何かもっと別の方法で表現することがあるかもしれない、と今は思うばかりだ。
そんなわけで、ここでは参加したツアーの様子について、ざっと説明することにいたします。
ほんとは日本語ガイド付きのツアーに参加したかったのだが、うっかりしていて気づいた時にはもう満杯になっていた。
出発1週間前くらいに、なんとか英語ガイド付きのツアーを見つけて申し込む。
はぁ~、英語か~、聞いても半分も分からんだろうな...この時点でテンションが下がる。
しかし、半分も分からなくて逆によかった、とこの後思うことになるのだが...
行きはバスが宿まで迎えに来てくれ、帰りは旧市街で一斉解散。
約7時間のツアーは、お昼のお弁当付きで一人60ユーロ、日本円で7800円である。
この日の参加者はわれわれを含めて20名ほどだった。オランダ、ベルギー、イギリスなど、ヨーロッパからの参加者がほとんど。
ツアー客以外には、現地までの案内役として、切り盛り上手の元気なおねえさんが一人と、
車間を詰めすぎてるせいか、せっかちなのか、いかなるときも急発進、急停車の運転技術にやや問題ありの運転手のおじさんが一人という構成だ。
海外の観光ツアーに参加すると、だいたい運転手さんというのはこのタイプなんだけど、なんで?
メンバー全員を拾って出発したのは9時半すぎ。
アウシュビッツ、現地の呼び方でオシフィエンチムまでは車で約1時間半の道のりだ。
この日は曇天で、時折小雨のまじるような肌寒い日だった。そしてバスの中はなぜか電気がついておらず、暗~いのである。
「なんで電気つかないの?」「わからん」「...」
陰鬱な感じが、これから行く場所にいかにも似つかわしいような気がしてくる。
11時過ぎアウシュビッツ博物館に到着。
入場には手荷物の制限があり、最大で30✖20✖10㎝のバッグというので、小さなポーチに貴重品と携帯だけ入れて
あとはバスに置いていく(実際にはバックパックを背負ってる人もいて、無事入場できていたようだが)。
集合すると、我々一行はバスの添乗員のおねえさんから、現地に待機していたおねえさんに引き渡される。
博物館駐車場には同じようなツアーバスが何台も止まり、入り口付近は入場を待つ人たちでごった返している。
こんなに込んでいるとはびっくりだ。個人で来るとなるとかなり大変なのかもしれない。
まずは10分間のトイレ休憩。
人波をかき分けて階下のトイレに直行。階段を降りたところに受付があって、トイレに入るには2ztが必要だ。
列をなすトイレ客(?)をさばくために、受付は3人体制。一体トイレ代だけで一日いくらの収入があるのかな?
トイレをすませ、1階にある売店で素早く日本語のガイドブックを購入する。日本円で750円ほどだ。
再び集合の後、おねえさんに入場ゲートまで案内される。
ゲートを入るとヘッドホーンを手渡され、それをつけて、今度は博物館を案内してくれるガイドさんのもとに集合する。
ロビン・ウィリアムス似の男性ガイドさんはさっそく一行のイヤホーンの調子をチェックし、どこの国から来たのか手短かに聞いていく。
聞き終わると、彼は自分の英語はあまりうまくないが了承願いたい、みたいなことを言って、さっと黒いサングラスをかけると、
目印となる黄色い傘を振り上げて、後に着いてくるように一行を促した。
実際「R」の発音が巻き舌のRになっちゃうようなすごい訛りのある英語で、その上、早口でまくし立てるように話すので(江戸っ子か?)、
ほとんど何を言っているのかわからない💦(訛りがあろうがなかろうがわからないことに変わりはないともいえるが...)
ともかくも、我々はこの超クールで、やや威圧的ともいえるガイドさんに従って、機関銃のように英語の礫を浴びせられながら、
(その間、わたしは忙しく日本語のガイドブックを繰りながら)神妙な面持ちで、次々に見学用に供されている建物を巡っていったのだった。
1時間半ほどで見学を終え、ぐったりしてゲートを出る。
バスに戻ると一人ひとつずつ、昼食の入った紙バッグを渡される。ずしりと重い。
中にはハンバーガーサイズのハムサンド(パンがしっかりしている)とチーズサンド、それにチョコクロワッサン、
さらにりんご、バナナ、チョコレートバー、ミネラルウォーターが入っている。
いやいや、これは多いよ💦 ハムサンドと自販機で買ってきたホットコーヒーでお腹いっぱいだ。
というか、見学を終えた直後に飯なんか食えるか!と思っていたのに、かなしいかな、食べ物を前にするとちゃっかり食べていた。
なんてゲンキンなわたしであることか。
15分ほどであわただしく昼食を終え、今度はバスでそこから10分ほどのところにあるビルケナウ、現地の言葉でブジェジンカへ移動。
正直、もう行きたくなかった。行ってもいいけど、バスを降りたくなかった。
もうわかった。わかったから、バスで待機させてくれ~💦
そんなヤワなわたしを尻目に、現地に着くやみなさん当然のように、颯爽とバスを降りて行かれる。
駄々っ子みたいにそこに居座るわけにもいかず、しかたなく後についてバスを降りる。
と、そこには先ほどのガイドのおじさんがすでに待ち構えていて、ポーカーフェイスで我々を迎えてくれる。
はぁ~~、はい、はい、行きますとも...
おじさんの振り上げた黄色い傘を目の端におさめ、とぼとぼとついていくのであった。
終始野外を歩いての見学は1時間ほどで終了。しばらく休憩しあと、2時半前には現地を出発し、
クラクフの旧市街に戻ってきたのは4時前、予定通り7時間のツアーであった。
終わってみれば、実にシステマティックに組まれたツアーで、無駄な時間が少しもない。
その分自由行動もほとんどなく、見学の時にちょっと立ち止まって見たいと思っても
おじさんはどんどん先を歩いていくのでついていかねばならず、写真も移動の合間を縫ってササッと撮るしかない。
でもまあ、あれだけツアー客がひっきりなしに出入りしているのだから、それぐらいでないと捌ききれないのだろうし、
あんまりじっくり見たり考えたりしていたら、それはそれでこちらの神経がまいってしまう。
あれぐらいのスピードでちょうどよかったのだ、と思えてくる。
そう、英語も、わたしには何となくわかってるぐらいがちょうどよかった。
あれがはっきりわかった日には、気分が悪くなってイヤホーンを途中ではずしていたかもしれない。
聞くほうも大変だが、話すほうはもっと大変だろう。
あのガイドのおじさんは、毎日何を思いながらあの場所のことを語っているのだろうか。
何百回、何千回と話しているうちに、それが自分の体験したことのように思えてこないのだろうか。
その事実に打ちのめされたり、夢でうなされたりしないのだろうか。
おそらくそんな辛い体験をも凌駕するような強い義務感、責任感が、おじさんにはあるのだろう。
あの感情を交えない話し方も、ポーカーフェイスも、サングラスも、ひょっとしたら過度に感情的にならないための、
あるいはあらわになった感情を悟られないための、おじさんなりの自己防衛の方法なのかもしれなかった。
旧市街でバスを降りた後、ぶらぶらと駅のほうに歩いていく。
目抜き通りのフロリアンスカ通りは、カップルや、家族連れや、色んな国からきた観光客たちでにぎわっていた。
道脇には土産物屋やカフェが軒を連ね、観光地然とした華やかさに満ちている。
みんな幸せそうだ。
ほんのさっきまでわたしが見ていたのは一体何だったのだろうか。
そのあまりの落差にめまいがする。身体中の力が急に抜けていく。
しばらく歩いているうちに、わたしは猛烈に腹が減っていることに気が付いた。
同時に、あの場所で食べるものも与えられず、飢えて死んでいった人たちの顔が目に浮かんだ。
駅に隣接するショッピングモールで見つけたビュッフェの店で、早い夕食をとった。
理不尽ともいえる空腹感に突き動かされて、わたしは食べた。
これまで食べたこともないくらい、たくさん。