愛鼬たちの回想録!

今は亡き8フェレたちに導かれて、全ての始まりであるこの地に再び舞い戻って来ました。

メイJ


メイJ
ファーム:アメリカン(♀)七女
2012年10月28日生 6歳06ヶ月
  地元のペットショップで1年以上も売れ残っていた子です。
あまりにも可愛らしくて、可哀相で銀次郎がラストだと言い聞かせていましたがお迎えしてしまいました。
この子も噛み癖があると聞きましたがとにかくお転婆です。
体重は800gちょっとしかない小さな子ですが銀次郎がひっくり返されました。
3月17日以来はメイJだけとなりましたが、その分 今まで以上にメイJを可愛がってあげたいと思います。

ポンちゃんの命日です!

2019年05月04日 | 虹の橋の天使たち


(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに 掲載お願い致します)

 5月4日(土) 晴れ 失業中

   今日は愛妻ポンちゃんの12回目の命日! 私が初めてお迎えした性格の穏やかな
ニュージー女の子 お迎えした当時私は失業中でした。
そして4月に2年6カ月勤めた会社を定年退職して今現在失業中です。

 5月から新天皇即位により令和と元号も変わりました。
再就職するには実に都合の悪い10連休という長いGWです。
一応7日には最初の採用面接が待ってはいますが高齢の為不採用のリスク大です。
                                                                
                                                
 2つ前の会社で水処理の仕事をしていた当時の事でした。
夜勤明けから帰宅したら既に虫の息だったポンちゃん。
前日まで元気でしたが、1ヶ月程前から1階和室にある フェレゲージの天井を破って脱走し
なんと2階のベットで 寝ている私の懐に潜り込んで来て寝る事が何度もあってあれが
ポンちゃんなりの助けてサインだったんですね。
 

  気づいてあげられなかった何もしてあげられ無かった 。
今でも思い返すと情けない旦那だったなと後悔します。
歴代9フェレさんたちの中で最も良妻賢母だったポンちゃん。
  

   毎年浜松祭の笛や太鼓の音を聴く度に私は悲しい気分になります。
晴れ渡った空の下、ポンちゃんの亡骸の入った小さな段ボールに
花を摘んでは入れて歩いたあの日の光景が蘇って来るのです。
「もう一度逢いたい、そして抱きたいよポンちゃん」







 今はポン太家の小史を全く知らないメイJだけです。
きっとメイJがラストの子になるだろうなあ。
 

コメント

今日は母の命日です!

2019年04月08日 | 刹那を生きる

 
(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに 掲載お願い致します)


4月8日(月) 晴 お仕事
  今日は母の命日です。
そして私自身今の仕事が4月末で定年となる為、請負委託契約での延長をせず
会社都合による定年退職を選択し辞める事になりました。
マンション管理代行の仕事を自分なりにしっかりとこなし、会社には随分と貢献したと
思っていますが、会社の方はあまり人を評価するような会社ではないのでした。


   私もいつかきっとあちらの世界へ旅立つ日が来る! でも私は誰にも会えない気がするのです。
見送りした9フェレたちや今は一緒に暮らすメイJとも再開出来ない
気がするのです。 
そんな事を想いながらも5月以降どうしようか考えなければなりません。



 生前の母と一緒の写真はホントに少ないです。
幼少期の2枚と80歳前の三ケ日へ旅行した時の 1枚くらいしか見つかりませんでした。






コメント

銀次郎4回目の命日です!

2019年03月17日 | 刹那を生きる


(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに 掲載お願い致します)

 3月17日(日) 晴れ お休み    今からちょうど4年前・・・  松戸から転勤で舞い戻って来た浜松で銀次郎が4年と 10ヶ月の短い生涯を終え旅立ちました。 フェレ生の半分を狭いペットショップのゲージの中で暮らし 残りの半分を我が家で過ごした事になります。 我が家ではのんちゃんに次ぐ本当に短いフェレ生でした。
   2月の通院の際に試験開腹手術を勧められてましたが 体重が少ない状態でのハイリスクになる手術を一旦見送り ステロイド追加投薬で体重増加を期待し再度手術再考と 二段構えで看病して来ましたが、その後の頑張りようを 振り返ってみればやはりあの時こそが手術を受けさせる たった一度のチャンスではなかったかと後悔します。
    深夜1時過ぎになって銀次郎が動き過ぎてしまうので 急ごしらえの段ボールベットの中に入れて寝室に行き 私と一緒の僅かな時間を過ごしました。 疲れていた私が眠りに落ちている間に逝ってしまい 私の手の中で逝かせる事は出来ませんでした。
  今からちょうど2年半前に銀次郎を松戸にある ペットショップで見かけたのが最初でした。 2年以上もの長きに渡って売れ残っていた銀次郎!
  マロン・マイキーJR・ポン太JR・ラブの4フェレたちが 居た頃から何度もそのペットショップに足を運びました。 でもどうしても銀次郎を引取る決心がつきませんでした。
  漸く銀次郎を引取る決断をしたのは、マイキーJRと ラブが逝ってからでした。 その時はポン太JRとマロンだけになり、マロンが高齢で ポン太JRにとって遊び相手が居なかったからでした。
  でもお迎えした銀次郎をポン太JRは受け入れず 銀次郎の遊び相手は結局私だけでした。
松戸では日勤だったのですが職場まで往復3時間の 電車通勤だったので、一緒に居られる時間は少なくて こちらに転勤になってから一緒の時間が取れました。
  ただ有給休暇を緊急で取る事は難しい職場で その点では銀次郎に対して申し訳なく思いました。 銀次郎ははたして幸せだったのでしょうか?
  歴代のフェレさんたちと違って最後まで銀次郎は 噛み癖が強くて、看病していた昨日も噛まれました。 でも不思議とその時だけは噛まれて嬉しかった。 まだ生きる気力があるのだなと・・・
  銀次郎はニッキーさんから頂いた『空へ』を聴いた後 段ボール箱に寝かされてそれがそのまま銀次郎の棺に なってしまいました。



コメント

のこちゃん10回目の命日です!

2019年02月12日 | 虹の橋の天使たち

絵本を見るにはここをクリックして下さい!
(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに掲載お願い致します)
2月12日(火) 晴れ お休み

  のこちゃんが亡くなってからもう10年も経ちました。 前の会社で夜勤の浄水場に勤務していた頃でしたが 勤務日にはのこちゃんを連れ車中に設置した住空間で 仕事の合間に投薬して介護した事を思い出します。




 のこちゃんは小さい身体でありながら存在感は抜群で 私自身見習いたいぐらいのリーダーシップを発揮して 他のフェレさんたちをまとめ上げていました。

 そんなのこちゃんが不治の病に侵されてからは 一緒にベットで寝る日が続き出勤の時は車の中の のこちゃん専用の住居に移動させ投薬しました。
 前の会社で初めての転勤辞令が出てからは のこちゃんには本当に大変な日々でしたが 残念な事に新居に引っ越す前に逝ってしまいました。 きっとのこちゃんは私の大変さを察したんでしょう。 でも私はのこちゃんを連れて行きたかった。
 再びのこちゃんが亡くなった地に舞い戻って その頃は銀次郎とこちらでお迎えしたメイJと暮らし やがて銀次郎が病で虹の橋へと旅立ってしまって 現在は我が家のきっと最後だろう10フェレメイJと 暮らしてますが、当時の思い出が再び蘇ります。

 浜松在住時代に初めてフェレットポンちゃんと出会い ジャスミン・マロンとお迎えし、のんちゃんとのこちゃんを 里子に迎え、マイキーJR・ポン太JR・ラブと迎えて あの頃が一番幸せだったなあとしみじみ思います。
 8年勤めた前の会社を不本意な形で辞めましたが フェレさんの病気発症、看病・闘病中に3度の転勤! その間に9フェレさんが旅立っていきました。
  考えてみれば一緒に移籍した他の同僚たちと比べ
会社の意向とはとは言え一緒に暮らしてきたフェレ達に 随分と過酷な思いをさせて来ました。
 自分としてはもうこの地を離れたくないです。
 もしのこちゃんが先代のマロンのように 長寿フェレさんだったなら未だ充分生きていた筈です。 今のこの地が私とのこちゃんの故郷です。 「のこちゃん!またあちらで逢おうね!!」

    

コメント

今日は父の命日です!

2019年01月21日 | 家族

 

(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに
掲載お願い致します)





1月21日(月) 晴れ 振替休日

   今日は超過勤務分の振替休日です。
私の場合契約社員ですが残業は認められていません。
超過分は何処かで早退するか8時間以上あれば休日
とするかのいずれかになります。

  今日は父の命日ですが、お恥ずかしい事ですが
スマホに登録のカレンダーからの通知気づきました。

  私が中学生の頃に病院で亡くなった父の記憶は
とにかく怖いだけの存在であったという事!
亡くなった後も夢に父が出て来ると目覚め時には
汗びっしょりという事が何年も続きました。



  明治生まれの父は兄たちよりも10歳以上離れて
生まれた末っ子という事もあってか厳しかったので
いつも私は父の顔色を窺っては行動してました。

  断片的に甦る父の記憶・・・
寝る時枕元では偉人の話が多くて
「野口えいせい(=英世)はな、乃木大将はな」で始まり
小さな私にはちんぷんかんぷんでした。




  私には四つ上の姉がいるのですが父の誕生日に
二人で貯めたお小遣いをはたいてメモ帳付のペン立てを
プレゼントした時には褒められるどころか無駄遣いしてと
怒られました。


   学生時代に姉と二人でフォーククルセイダーズの名曲
「おらは死んじまっただ~」のレコードを買って聴いてたら
「不謹慎だ!」と確か姉が打たれたのを思い出します。


   反面父はたまに今で言うオヤジギャグを連発したり
ジンギスカンを大々的にやったりと家庭的でもあって
母が婦人会の旅行で留守した時は父お手製の料理を
食べた事もありました。


  中学生時代は父が市会議員をしていた事もあってか
私は男子生徒から暴力を受けたりの虐めにあって
いましたが、目を殴られて帰宅しても誰にも話す事が
出来ませんでした。


  ただ私自身もその反動でか自分より弱者に対して
酷い悪戯もしていました。
今で言う虐められてる相手からの強要だったりした
訳では無く、歪んでしまった私自身がした事でした。


  中学は実姉が通っていた○○大学付属中学に
行きたかったのですが駄目だと言われました。
高校受験を控え、病院に入院していた父からは
もう大学進学を諦め工業高校へ行けと強要されました。


  恐らく父は自分が死んだ後母が困らないようにと
思ったのでしょう。
父が亡くなった後私は高校に馴染めずズル休み
ばかりしていました。


   そんな私に大学進学への後押しをしてくれたのが
今は亡き次兄でした。

   とにかく生前父が怖くて怖くて仕方なかったですが
記憶を次に蘇らせるのはきっといつしか父とあちらで
再会を果たした時なのでしょう。


 父と大人の会話をした事の無い私ですから
きっとまた委縮して何も言えないと思いますが・・・


  父はきっと私を心底愛してくれたに違いない!
そう自らに言い聞かせている事が悲しい。







コメント