のみや牧場のかあこ日記

プーさん大好きな「かあこ」こと ピアニスト「風間優子」&
ピクルス大好きな「牧場主」こと指揮者「野宮敏明」 の日記

のみや牧場のツバメ親子

2015-06-04 17:18:23 | のみや牧場情報
今日いつもより外が騒がしい、というか
ツバメたちのさえずりが賑やかだったので
どうしたんだろうと外へ出てみると...

のみや牧場前の電線に6羽のツバメが止まっていて
そこにもう1羽が飛んでくると止まっている6羽が
一斉にクチバシを大きく開けて泣き出すんです



そうのみや牧場の駐車場で育っていたヒナたち
そして時々飛んでくるのはその親ツバメのようです



右から、左から...と親が近付く度にヒナたちは大騒ぎ
あ~そろそろ巣立ちなんでしょうね。
byかあこ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お客さまと下田へ

2015-06-04 09:47:00 | 撮影会
今回の天城へのお客さまA氏と一緒に下田へ

まずは下田駅近くの駐車場に牧場号を停めて
駅前にある観光案内で地図をもらい情報をゲット
のんびりと歩き始めました



最初に訪れたのは「宝福寺」
ここには「唐人お吉記念館」があります。


入口にチェーンソーで作ったという龍馬像が


勝海舟は第十五代土佐藩主 山内容堂に坂本龍馬の脱藩の罪を解き
その身を自分に預けてほしいと懇願します。
容堂は海舟が酒を飲めないことを承知で
「ならば、この酒を飲み干してみよ」と切り返しますが
ためらうことなく、朱の大杯を飲み干した海舟...

その朱の大杯がこちらだそうです



左側はお吉19歳の時の写真。
(見えにくいですが正面から撮ろうとしたら光って...)

17才で下田奉行所支配頭取・伊差新次郎に口説かれて
アメリカ総領事タウンゼントハリスの侍妾となり
その後大きく人生が変わりました。
ハリスに仕えた期間はほんの僅かでしたが
お吉は「唐人」とののしられ芸妓として流浪。
後に下田へ戻って小料理屋「安直楼」を開きましたが
結局酒に溺れて2年後には廃業してしまいます。
明治24年3月27日の豪雨の夜
遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。

宝福寺の第15代竹岡大乗住職が哀れに思い
河川敷に3日も捨て置かれた遺体を境内の一角に葬りますが
後にこの住職もお吉を勝手に弔ったとして
周囲から迫害を受けて下田を去る事となったそうです。

お吉の存在は1928年(昭和3年)に
十一谷義三郎が発表した小説『唐人お吉』で
世の中に広く知られることとなりました。



そろそろお腹が空いたのでランチタイム
観光案内所でもらったパンフレットを見て
「料磨」というお店に入ってみました。

牧場主は地魚たっぷりの刺身定食、私は天丼
お客さまのA氏は穴子天丼を美味しく食べました


その後は「下田開国博物館」へ。
たっぷりと下田の歴史を勉強しちゃいました。
「花燃ゆ」の特別企画、吉田松陰展が開催中でした



それから日米下田条約締結所の「了仙寺」へ。
ここは「アメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)」が有名。
参道から境内にかけて1000株が咲き誇ります。
少し見頃は過ぎていましたがそれでももの凄い香りでした


どこを見ても全部アメリカジャスミン
白色と淡い紫色が綺麗でした。


初夏から夏にかけて花を咲かせますが、
咲き始めは紫色をしていて、だんだん白くなっていきます。


またまた花とオヤジたち...(笑)
ここはもう香りがすごくて鼻がおかしくなりそうでした
byかあこ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする