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私たちの近現代史──女性とマイノリティの100年

村山由佳・朴慶南,2024,私たちの近現代史──女性とマイノリティの100年,集英社.(7.13.24)

一九二三年九月一日に発生した関東大震災は、大きな被害をもたらしたばかりか、近代日本の精神にも大きな傷跡と罪科を刻み込んだ。民間人らによる朝鮮人虐殺や憲兵らによる無政府主義者殺害である。シベリア抑留体験のある父を持ち、ドラマ・映画化された小説『風よあらしよ』でアナキスト伊藤野枝・大杉栄と、大震災での彼らの殺害を描いた村山由佳、祖父が関東大震災で殺されかけ、家父長制の色濃い在日家庭に育ち、自らも様々な形での差別を経験してきた朴慶南。ふたりが、戦争と植民地支配、災害虐殺が日本社会に与えた影響、そして、いまだ女性やマイノリティへの差別と偏見が根強く残るこの国の一〇〇年を語り尽くす。

 関東大震災のあと、幾多の朝鮮人が、自警団(一般市民)、警察、軍によって虐殺された。

 「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」といったデマを、新聞までもが拡散していった果ての凶行であった。

 以下は、フランス文学者の田辺貞之助の回想である。

朴  「ひとつひとつ見てあるくと、喉を切られて、気管と食道の二つの頸動脈がしろじろと見えているのがあった。うしろから首筋を切られて真白な肉がいくすじも、ざくろのようにわれているのがあった。首のおちているのは1体だけだったが、ムリにねじ切ったとみえて、肉と皮と筋がほつれていた。目をあいているのが多かったが、円っこい愚鈍そうな顔には、苦悶のあとは少しも見えなかった。みんな陰毛がうすく、『こいつらは朝鮮じゃなくて、支那だよ』と、誰かがいっていた。
 ただひとつあわれだったのは、まだ若いらしい女が──女の死体はそれだけだったが、──腹をさかれ、6~7ヶ月になろうかと思われる胎児が、はらわたの中にころがっていた。が、その女の陰部に、ぐさり竹槍がさしてあるのに気づいたとき、ぼくは愕然として、わきへとびのいた。われわれの同胞が、こんな残酷なことまでしたのだろうか。いかに恐怖心に逆上したとはいえ、こんなことまでしなくてもよかろうにと、ぼくはいいようのない怒りにかられた。日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない」
(p.45)

 伊藤野枝の評伝小説、村山由佳さんの風よあらしよで、野枝は、社会主義を、イデオロギーとしてではなく、身体にまさに体現していた、そんなふうに描かれている。

朴  私も同感です。野枝は時代の中で男性社会に抗っていったわけだけど、平塚らいてうをはじめとするほかの進歩的な女性たちって、あの時代に、みんな高等教育を受けられた恵まれた階層じゃないですか。由佳さんの作品を読むと、それに対して野枝は足をしっかり大地に下ろして、底辺からの生命力で抵抗したような印象があります。当時は、封建的で家父長的な男性優位社会ですよね。女性の権利などほとんど顧みられない時代に、自分を果敢に出して道を見つけていく生き方が力強く描かれていました。
村山  物語の中であえて、野枝が「組合」の話をするシーンを書きました。自分の村にはお互いに助け合う「組合」があって、駐在所(警察)どころか村役場だって必要ないくらいだった、と。野枝は、そういうことをよく分かっていたと思うんです。
朴  その「組合」は、相互扶助の共同体のようなものですよね。
村山  まさにそうですね。
 これは想像ですけど、彼女は村の共同体の隣組みたいなシステムの中で過ごしてきて、それが嫌で村を飛び出したわけだけれど、実は彼女こそ、体で共同体の大切さや社会主義の真髄を知っていたのではないかと。
朴  そうだったんだと思う。頭でっかちになりがちな進歩派とは違い、彼女からは下から突き上げてくるリアルな生活観が伝わってきて、その辺が本物の感じがします。私の中では、本当の野枝と、由佳さんが描いた野枝が一体化しているきらいはありますが(笑)。
村山  野枝の語る言葉は、アナキストや社会主義者の男性たちと同じだったから、言葉が空回りしているように見えたかもしれないけれど、でも実は肌で分かっていたんじゃないかと思います。理想の共同体では、警察はいらない、役所もいらない、と。
(pp.113-114)

 関東大震災後に伊藤野枝、大杉栄、橘宗一は、甘粕正彦等によって殺害された。

 甘粕の心理は、朝鮮人を虐殺した自警団の人びとのそれと通底する。

朴  下手人は甘粕正彦とされているけれど、甘粕ではないという説もありますよね。
村山  本人も、自分がやったと部下が言うならそうなんでしょう、と言ってみたり、かと思えば犯行を認めるようなことを言ったり、そこは本当に藪の中ですね。
 甘粕が手を下したとして話しますが、彼の中にある考えって、当時は必ずしも甘粕だけの異常な考えではなかったと思うんです。膝を悪くしてしまってエリート街道ではなく憲兵の方へ行かざるを得なかった甘粕のコンプレックスもあったとは思うんだけど、日本のために自分は尽くすのだってなったときに、弱者である人たち、抵抗しようとする人たちを抑え込まずにいられない心理が働いて、やがて社会主義者や無政府主義者を厳しく取り締まり、先回りして芽を摘み取るように弾圧しようとする極端な心の動きになっていく。
 それは当時だけでなく、今もそうかもしれない。自分の奥底にある差別的な心情が、権力への欲望と結びつくと、その差別の対象をスケープゴート的に悪者に仕立て上げてしまうようなことって、今もあると思います。甘粕だけじゃなくて、私たちの中にも絶対にある心理の転がり方で、そこは私自身の自戒も含めて書いておきたかったんです。
 実は連載時点では、甘粕視点のパートはありませんでした。事件の真相が藪の中ということもあって、荷が重いなと思って避けてしまったんだけど、やはりそこを書かないと、大事なところが抜け落ちてしまうと思い直して、単行本にするときに書き下ろしました。
朴  権力悪を人間の普遍的な心理に引きつけて掘り下げたのは、由佳さんならではでした自警団の人たちが朝鮮人たちを常日頃、下に見て抑えつけながら、仕返しされるかもしれないと感じて、流言飛語に煽られて殺してしまうこととも通じる精神構造だったのだと思います。

流言飛語がリアリティを持つ時代
村山その意味では、自警団による朝鮮人虐殺と、甘粕らによる大杉と野枝と宗一少年虐殺は、やはりつながっているとも言えますね。
(pp.122-123)

 「自分の奥底にある差別的な心情が、権力への欲望と結びつく」
 これが、いちばん怖い。

 歴史修正主義の反動にはしる者たちの心理を、村山さんと朴さんは的確に描き出す。

村山  最近、愛国というのは本当はどういうことなんだろうと思うことが多いんですね。過去を糊塗して見たくないものから目を背けている間は、それは絶対育たない。過去をしっかり検証して、事実は認めて、謝るべきことはきちんと謝ったうえでないと、本物の愛国心は育たないはずなんだけれども、今、過ちを塗り込め、あったことをなかったことにしようという風潮があります。その方が、むしろ私は自虐的だなと思います。自分の存在と自分の歴史を虐待している。
朴  まさしく自虐ですよね。
村山  今、愛国って言葉がフラットな言葉ではなくなっちゃっているじゃないですか。すごく右寄りになっている。
朴  そういう偏った愛国心を持たないなら非国民、みたいなね。愛国という幻想みたいなものに寄りかからないと自分が保てない、何か欠落感を感じるようなことがあるんでしょうね。日本はいまだにアジアの盟主という意識があり、どこよりも自分たちは上だと思っていたのが、一方で経済的にも存在感としても埋没していく現実があり、それに対して、その落差を埋めようとする精神的な作用が働くのかな。その欠落感から回復するために、韓国でも中国でも、貶めたいという心理が起こるのかもしれない。
村山  それと、アジアを見下ろす優越感は、アメリカへの劣等感と裏表ではないでしょうか。
朴  日本には日本のよさ、素晴らしさが本当にあると思うんですよ。文化も自然も人々の気質も。劣等感も優越感も持つことなく、そこに軸足を置いて誇りを持つといいのに。戦後には、平和国家として戦争を放棄すると謳った憲法9条という、どの国から見ても素晴らしい理想まで持っていることが誇れるでしょう。
村山  今までは自分の方が優越的な立場だったのに、それが経済的にも文化的にもそうでなくなってくると、それを認めたくなくて現実から逃げようとする。何か違うもので自分を着飾ろうとする。それが歪んだ愛国心だったり、排外主義だったりするわけで、そんなことを精神の拠りどころとしてしがみついているように見えます。
朴  そんな精神の拠りどころが形を変えて、ひどいヘイトデモやヘイトスピーチになるんでしょうね。自分より下と思える対象を攻撃し、貶めることで優越感や満足感を得ようとする。
(pp.234-236)

 村山さんと朴さん、お二人の語りに深く頷きながら一気読みした一冊だ。

目次
序章 女性とマイノリティの近現代史へ―2人の出会い、そして語りたいこと
第1章 朝鮮人虐殺の事実に分け入る
第2章 虐殺はなぜ起こったか―隠された歴史の解明と希望をつなぐ人
第3章 伊藤野枝の恋と闘い―『風よあらしよ』をどう読むか
第4章 痛みを負った人々への想像力―『星々の舟』をどう読むか
第5章 差別の構造を超えて―女性とマイノリティに身を置き換えてみる
第6章 独自の価値を探して―愛と性の自分史を語ろう
終章 想像力のレッスン―物語は他者の「痛み」を伝える


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