北九州・孤独死問題:「普通就労可」と言っていない 主治医が市に抗議
◇調査票の内容めぐり
北九州市小倉北区の男性(当時52歳)が生活保護を辞退後に孤独死した問題で、市が作成した病状調査票の「主治医の意見」について、実際の説明とは違う内容が記されていたことが分かった。調査票では「普通就労可」とされたが、主治医は毎日新聞の取材に「普通就労ができる状態ではなかった」と説明。市側にも「話した内容と違う」と抗議したという。市側は、調査票を根拠に就労指導を繰り返し、男性から辞退届を受けて保護を打ち切っていた。【古川修司】
男性はアルコール性肝障害、高血圧などの症状があり、06年10月にタクシー運転手の仕事を辞めて生活が困窮。12月に生活保護を受けるようになった。この時点では、主治医とは別の医師が「軽作業可」と判定し、市側は通院指導もしていた。軽作業は一般的にデスクワークなどを指すという。
男性の病状調査票(07年2月23日付)は、北九州市の小倉北福祉事務所のケースワーカーが主治医から聞き取って作成。就労に対する主治医の意見項目は「通院しながら普通就労可」となっていた。事務所の嘱託医は「主治医の意見どおり」との見解を添えている。
しかし、主治医は取材に対し「市側には、症状が軽快し軽作業は可能と言ったが、普通の就労ができる状態ではなかったと説明した」と話した。男性は当時、精神的にも不安定だったといい、主治医は「福祉事務所は私の意見を十分に確かめていない。調査票にこのような書き方をされたら困ると伝えた」と話した。
三崎利彦・市保護課長は主治医の指摘について「今のところ状況が分からず、一切コメントできない」と話している。
福祉事務所は調査票を受け、男性への就労指導を強化。男性は4月2日に「自立します」との生活保護の辞退届を提出。市は同月末に保護を打ち切った。その後男性は就労せず、7月に自宅で亡くなっているのが見つかった。
残された日記には「がんばろうと思った矢先に切りやがった」「体がきつい、苦しい、だるい」などと書かれていた。「ハラ減った。オニギリ食いたーい。25日米食っていない」などの記載もあり、市は生活保護行政検証委員会の中で当時の状況を調べている。
毎日新聞 2007年8月10日 西部朝刊
最新の画像もっと見る
最近の「ニュース」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事