見出し画像

本と音楽とねこと

生き心地の良い町──この自殺率の低さには理由がある

岡檀,2013,生き心地の良い町──この自殺率の低さには理由がある,講談社.(7.28.24)

全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”希少地域」、徳島県旧海部町。生き辛さを取り除く、町民達のユニークな人生観と処世術とは。【推薦の言葉】
 「探検記」の傑作。誰も知らない(住んでいる人たちも自覚していない)謎の「パラダイス」が存在したという展開は、ソマリランド級のインパクト。日本のあらゆる社会問題解決の鍵は本書にある!と遠吠えしたくなった。
 ―― 高野秀行、ノンフィクション作家、「謎の独立国家 ソマリランド」著者

徳島県南部の太平洋沿いにある小さな町、海部町(かいふちょう)(現海陽町)。
このありふれた田舎町が、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”希少地域」であるとは、一見しただけではわかりようがない。この町の一体なにが、これほどまでに自殺の発生を抑えているというのだろう。
コミュニティと住民気質に鍵があると直感した著者は、四年間にわたる現地調査とデータ解析、精神医学から「日本むかしばなし」まで多様な領域を駆使しつつ、その謎解きに果敢に取り組む。
ゆるやかにつながる、「病」は市に出せ、“幸せ”でなくてもいい、損得勘定を馬鹿にしない、「野暮ラベル」の活用など、生きづらさを取り除いて共存しようとした先人たちの、時代を超えて守り伝えられてきた人生観と処世術が、次々とあぶり出されていく。

 「自殺予防因子」の存在を求めて、岡さんがたどり着いたのが、「自殺稀少地域」、徳島県の海部町だ。

 グッド・リサーチの王道をいくような、周到なサーベイとフィールドワーク、そして、あっと驚くような数々の実りゆたかな知見は、圧巻、である。

 海部町は、江戸時代、材木の集積地として繁栄した。
 全国各地から、価値観、生活習慣、宗教等、多様なバックグラウンドをもつ人びとが海部町に移住し、互いの違いを認め合う寛容さと、「損得」を重視する合理的な思考が形成され、世代間で継承されていった。

 質問紙調査によって明らかになった、海部町民に特徴的な価値意識は、以下のとおりである。

いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
人物本位主義をつらぬく
どうせ自分なんて、と考えない
「病」は市に出せ
ゆるやかにつながる
(p.94)

 これらが、「自殺予防因子」となっていると、岡さんは言う。

 私が出会った海部町の人たち。彼らは概して人なつこい。おしゃべり好きである。周囲の人や世の中の出来事に対して興味津々であり、噂話で盛り上がったかと思うと、同じ速度で冷めて、そして飽きる。
 統制されるのが嫌いである。祭りの山車の修繕には大枚をはたいても、赤い羽根募金のような゙わけのわからないもの〟には百円たりとも投じたくないと言い張って役場の担当者を困らせる。年長者を敬うという一般的な習慣はあるものの、年齢が上だからといって自動的に偉くなるとは思っていない心の内が、ばれている。お上を畏れていないことも、ばればれである。おそらく、隠す気もあまりないのだろうと思う。
 また、これを書きながら思い返していたのだが、いわゆる卑屈さというものが見当たらない。そのような人も中にはいたのかもしれないが、記憶に残っていない。そして彼らは、弱音を吐くという行為について、それが必ずしも恥であるとは思っていない。
 この町に、聖人君子が大勢いると思って訪ねてくる人がいるとしたら、やや拍子抜けするだろう。私が考える海部町民気質と、「立派」という形容詞から連想される人物像──゙気高く〟〝理性的で〟゙高潔な〟というイメージとはあまり重ならない。それよりも、合理的で現実主義、酸いも甘いも噛み分けていて、人間臭さが前面に押し出された人たちというイメージが強い。
(pp.126-127)

 海部町の人は、他地域の人に比べ、世事に通じている。機を見るに敏である。合理的に判断する。損得勘定が早い。頃合いを知っていて、深入りしない。このほかに、愛嬌がある、という表現を用いた人がいたが、これは言い得て妙であって、私も同感だった。
 こうして並べてみると、確かに「生活していく上で賢い」と評される海部町民の気質がよく表現されている。他町の人々が感じた海部町気質、そしてこれまで私自身が見聞した海部町民に独特の行動パターンなどを合わせ、すべての根っこにあるものは何かと考えたときに、冒頭のこの言葉に思いいたったのだった。
 海部町の人々は、人間の「性」や「業」をよく知る人々である。
(p.128)

 「病、市に出せ」という言葉は、病気が深刻になる前に、周囲に助けを求めるべしという、きわめて合理的な考え方に由来する。

 そのようなわけで、冒頭の「病、市に出せ」という言葉を聞いた場所も、やはり宿の帳場だった。これは、町の先達が言い習わしていたという格言である。
 彼の説明によれば、「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味している。そして「市」というのはマーケット、公開の場を指す。体調がおかしいと思ったらとにかく早目に開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲がなにかしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合いだという。
 同時にこの言葉には、やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒めがこめられている。悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思いきってさらけ出せば、妙案を授けてくれる者がいるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態にいたる前に周囲に相談せよ、という教えなのである。「病、市に出せと、昔から言うてな。やせ我慢はええことがひとつもない」。彼の母親の口癖であったという。「たとえば借財したかて、最初のうちはなんとかなるやろと思て、黙っとりますわな。しかし、どんどん膨れ上がってくる。誰かが気づいたときには法外なことになっていて、助けてやりとうてもどないもできん、ということになりかねん。本人もつらいし、周囲も迷惑する」。
 「じゃあこの格言は、リスクマネジメントの発想なんですね」私が言うと、「ほのとおり」。彼は力強く同意した。
(pp.72-73)

 海部町民の多様性への寛容さは、同調圧力に汲々としている人びとと対照的だ。

 赤い羽根募金を拒み、役場の担当者を困らせた海部町の男性、彼はなんと言ったか。「あん人らはあん人。いくらでも好きに募金すりゃええが。わしは嫌や」。
 はたまた、特別支援学級の設置に反対する海部町出身の議員がきっぱりと言いきったこと。「世の中は多様な個性をもつ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか」
 これらの言葉にある核と同じ核が、東京在住の海部町出身者らが語った言葉の中にもある。そして、彼らは上京当初は少なからぬショックを受けたものの、「世の中にはいろんな人がいるものだ」と達観できたことによって、そのショックに押し潰されるまでにはいたらなかったと言っている。
 彼らのこの弾力性こそが、海部町が多様性を重視したコミュニティづくりを推進してきた根拠となっているのではないか。もちろん、海部町の先達がこうした因果関係を意識していたとは考えにくく、多様性を認めざるをえなかったという町の成り立ちから、知らず知らずのうちに身につけた処世術であった可能性は高いのであるが。
 海部町では、周囲の人と違った行動をとったからといって、犯罪行為でもない限り排除されることはないのだから、多種多様な価値観が混在している。赤い羽根募金や老人クラブ入会を拒む住民のエピソードが、その一例である。同じものを見ても黒だと言う人と白だと言う人がいて、いやいや赤だと言う人が出てきても封じられることはない。したがって、変人もオタクも共存している。
(pp.98-99)

 集団を構成するメンバーの属性が均質でないこと、多様であることは、同調圧力による「集団極性化」を防止する。

 かつて私の周辺に、よく似た二つの集団があり、ひとつの集団には深刻ではないもののいじめに近い行為があり、もうひとつの集団にはまったくなかった。二つの集団を構成するメンバーの性別、年齢、職業などに大きな違いはないように思えるのに、一方にだけいじめが起きている。集団Aでいじめの対象になっている個人が集団Bには存在しないからという、単純な理由も否定できないが、仮にその個人を移し替えたとしても、集団Bではいじめは起きないような気がするのだった。
 なぜ私は、「そんな気がした」のだろう。自分自身が抱いた印象の根拠を突き止めたくて二つの集団を観察し始め、そこで気づいたことがあった。
 いじめのあった集団Aでは、ある個人に対する噂や批判が話題になると、その場に居合わせた者たちがこぞって話の輪に加わり一気に盛り上がっていた。言葉が行き来するたびに表現の強さがエスカレートし、おそらく彼ら自身が自覚している以上のどぎつい中傷の言葉を使っている。
 いじめのない集団Bでも、他者の噂や批判はたびたび話題になる。そこまでは集団Aとなんら変わりはない。ただし、集団Bではエスカレートの度合いが違う。そこには必ず、話題に対して関心を示さない者や、「自分は違う印象をもった」と異論を唱える者や、はたまた、場の空気を無視して話題をまったく別の方向へ変えてしまう者がいた。
 つまり、話題が盛り上がろうとするときに、水を差す、話の腰を折る者が集団Bにはいるのである。考えようによってはかなりKYな──空気を読まない人たちであるが、こうした人々のことを、私はひそかに「スイッチャー(流れを変える人)」と呼んでいる。
 集団が同じ方向を向き、一気にその方向へ進む。こうした状態は力を集約し増幅させていくには有効だが、ネガティブな方向にも同様に作用する。インターネット上で、ある対象への誹謗中傷が殺到する状態──いわゆる「炎上」がその典型といえよう。まさにネット「炎上」は、水を差してクールダウンさせる者が不在であること、群衆が一気に同じ方向へと雪崩を打って進むことによって起こる。その意味において、集団は均質であるより、異分子がある程度混ざっているほうがむしろ健全といえるのかもしれない。
(pp.101-102)

 海部町の人びとは、移住者とその子孫であったがゆえに、「出自」ではなく、「人物本位」で人を評価する習慣を体得し、継承してきた。

 そして、他者には並々ならぬ「関心」を示すが、多様性由来の、他者への一般信頼感が高いがゆえに、「監視」することはない。

 逆にこれが、地縁血縁の強い、人間関係の固定したコミュニティであればどうだったろう。かつて日本社会の大部分を占めていたコミュニティでは、住民ひとりひとりに与えられる身分や役割はその人の資質とはかかわりなく、生まれ落ちたときからほぼ決められていた。地主か小作か、本家か分家か、長男か次男か、その出自によって、残りの人生すべての見通しがついてしまうという時代があったのである。社会人類学者である蒲生正男は、こうしたコミュニティを、「状況不変のイデオロギー」に支配された社会であると指摘している。
 状況不変のイデオロギーに支配されたコミュニティにおいても、人間観察は当然行われていたであろう。しかし少なくともその観察は、地域のリーダーを選ぶために用いられる観察とは違う。ここでは、リーダーを決める条件は本人の資質よりもまず出自だからである。
 ところが、状況可変のコミュニティである海部町――誰をリーダーとして担ぐかを自分たち自身で決めなければいけなかった海部町では、真剣さの度合いが違う。そうこうするうちに、他者を観察し評価する感性や眼力が研ぎ澄まされていったのではないか、と思えてくるのである。
 住民を対象としたアンケート結果を見ても、海部町は他の地域に比べ、リーダーを選ぶ際の条件として、年齢や職業上の地位よりも問題解決能力を重視する者が多かった。
 前述の海部町民がいみじくも指摘したとおり、この町の人々は他者への゙関心〟が強く、ただしそれば監視〟とは異なるものである。一方、状況不変のイデオロギーに支配されたコミュニティでは、固定した階層や役割分担、人間関係を維持し統制する必要から、これを乱す因子を早期に発見するための゙監視〟が不可欠ではなかったか。
 表出された行動だけを見ていても区別しづらい゙関心〟ど監視〟。しかし根本的に異質であるこの要素が、海部町コミュニティを独特ならしめている。
(pp.110-111)

 深入りしない、淡泊な関係性の方が、「助けて」と言いやすい。
 「弱いつながりの強さ」、これは、マーク・グラノベッターが定式化したのとは別の意味ではあるが、本書の知見の中でもとりわけ重要なものである。

 そこが自殺希少地域であれ多発地域であれ、面白いほどに、住民の答えの内容は似通っている。特に強調されるのが、地域の助け合い、すなわち「絆」である。東京のような大都会と比較すれば、地方においては自殺希少地域と多発地域の別な「絆」や「人とのつながり」は大いにある。あえて強化する必要などないほどに、すでにたっぷりと存在する。日本の地方の町村の大半が、近所づきあいが盛んで、よく助け合うコミュニティだという話になるだろう。
 私が通説に疑問をもったきっかけは、彼らのこの答えだった。
 彼らが言うように、自殺希少地域にも多発地域にも同じように「絆」や「つながり」があるのだとすれば、それらは必ずしも自殺を抑制する要素として機能していない、という理屈になる。私は、人々が「絆」「つながり」と呼んでいるものの本質やそれに対する人々の意識に、地域によって差異があるのではないかと考え始めた。
 試行錯誤しながら研究を進めた結果、自殺希少地域である海部町では、隣人とは頻繁な接触がありコミュニケーションが保たれているものの、必要十分な援助を行う以外は淡泊なつきあいが維持されている様子が窺えた。
 対する自殺多発地域A町では、緊密な人間関係と相互扶助が定着しており、身内同士の結束が強い一方で、外に向かっては排他的であることがわかった。二つのコミュニティを比較したところ、緊密な絆で結ばれたA町のほうがむしろ住民の悩みや問題が開示されにくく、援助希求(助けを求める意思や行動)が抑制されるという関係が明らかになった。
(pp.176-177)

 海部町の人びとは、「幸せ」でもなければ「不幸せ」でもないという。
 それについての岡さんの解釈が秀逸だ。

 海部町とその他の地域を対象に行ってきた一連の調査では、既成概念をくつがえされることがたびたびあった。そんなはずがないと思ったり、非常に意外だったりする事柄に出会うたび、それまで思ってもいなかった新たな知見に目を向けることにつながった。自分の予想と違った分析結果は、私が未だ気づいていない何かを教
えてくれようとしている。
 私はこの幸福度に関する調査結果──海部町は周辺地域で「幸せ」な人がもっとも少なく、「幸せでも不幸せでもない」人がもっとも多い──という結果を示して、海部町の住民や関係者たちに感想を聞いて回った。興味深かったのは、海部町民自身がこの結果をすんなりと受け入れ、さほど意外とも思っていない様子だったことである。
 「ほれが(幸せでも不幸せでもないという状態が)自分にとって一番ちょうどええと、思とんのとちゃいますか」そう言った人がいた。゙ちょうどいい〟とは、分相応という意味でしょうかと私が尋ねると、その人は少し考えたのちに、「それが一番心地がええ、とでもゆうか」と言い足した。同じようなことを言った人が、ほかにも数人いた。
 なるほど。この人たちの言いたいことが、ぼんやりとであるが伝わってきた。「不幸せ」という状況に陥りたくない人は多いだろうが、では「幸せ」ならよいのかというと、考えようによってはさほど結構な状況でもないのかもしれない。「幸せでも不幸せでもない」という状況にとどまっていれば、少なくとも幸せな状態から転落する不安におびえることもない。そういうことを、この人は言いたいのかもしれないと思った。
 幸福感というのは客観的な指標ではなく、その人の極めて主観的な観念であり、同時にそれは、相対的な評価でもある。
 相対的評価という言葉の意味であるが、人は通常、自分が幸福かどうかを判断するときになんらかの゛物差し〟を使う。幸せというものはこれこれの条件が満たされている場合を指す、といった漠然とした基準が人それぞれにあり、これに当てはまっているかどうかを自己判断する。世間や他者と比較して自分を測るという行為であり、つまり、比較対照する世間や他者の状況に応じて自分の幸福度もまた上がり下がりする。このように考えていくと、「幸せでも不幸せでもない」状態とは、その判断基軸をあちこちに動かされることなく、案外のどかな気分でいられる場ともいえるかもしれないのである。
 さらにいえば、「不幸でない」ことに、より重要な意味があるとも感じる。「幸せであること」より「不幸でないこと」が重要と、まるで禅問答のようでもあるが、海部町コミュニティが心がけてきた危機管理術では、「大変幸福というわけにはいかないかもしれないが、決して不幸ではない」という弾力性の高い範囲設定があり、その範囲からはみ出る人つまり、極端に不幸を感じる人を作らないようにしているようにも見える。
(pp.181-183)

 海部町の年齢階梯集団、「朋輩組」では、年長者による年少者へのしごきは、「野暮」なこととして、忌避されてきた。
 「野暮」であるからこそ、しごきやいじめ、排除が、回避される。

 海部町では、個人の自由を侵し、なんらかの圧力を行使して従属させようとする行為をくい止めたいと考えた。そのことが、彼らの目指すコミュニティづくりにはそぐわなかったのであろう。次にとった行動が、そうした行為に「野暮ラベル」を貼ることだったのではないか。野暮ラベルは、いわば魔物を封印する御札のようなものである。
 これはなかなか巧妙な策である。自分たちがこうあってほしいと考えるコミュニティにおいて、不適切と思われる行為すべてに、まずはべたべたと「野暮ラベル」を貼っておく。それと同時並行して、周囲から野暮と思われるのがいかに不名誉なことか、その観念を植えつけてコミュニティの共通認識にしていくのである。特に私が感心したのは、反抗的で斜に構えた態度をとって格好つけたがる年頃の、いわゆるティーンエイジャーにも使える有効な手段だという点だった。
 思春期にある彼らの多くが、自分たちの言動が「ダサイ」「野暮」と思われることを非常に気にする。これを回避するためにはどうすればよいか、四六時中そのことばかり考えていると言ってもよいくらいである。何かを真正面から諭そうとしても一筋縄ではいかないこの年代の輩に、「野暮ラベル」を用いる効果は大きかったのではないだろうか。
 「朋輩組」においても野暮ラベルは活用されていたと思われる。中学を卒業した年頃の男子が次々と入会し、古参、中堅、新入りまで年齢階層が積み上がっている構造の「朋輩組」にあって、年長者による年少者へのしごき行為は完全に封じられていた。この項の冒頭で紹介したように、いじめやしごきは無かったのかという私の質問に対し、メンバーたちは「ほない〝野暮〟なこと、誰もせんわ」と笑い飛ばしたのである。メンバー間の関係性は公平水平で、年少者の意見であっても、妥当と判断されれば即採用されていた。
(中略)
 私は、海部町の先達が数百年前から「野暮ラベル」を貼って封じてきた行為について、想像してみた。それらはいずれも、彼らが生き心地良いと感じられるコミュニティを成すのに妨げとなる要素、取り除きたい要素であったはずだ。
 たとえば、人と違った考えや特徴を持っているという理由だけでその人を排除するという行為に、野暮ラベルを貼って封じたのかもしれない。他者を評価する際に相手の能力や人柄を見ることなく、年功や家柄、財力だけで判断しようとする行為も、封じたのだろう。その人にやり直しのチャンスを与えずスティグマ(烙印)を押しつけるという行為にも。あるいは、権力を行使して相手を無理やり従わせようとする行為にも──。
 ここで最も重要な点は、ラベルを貼る対象の選択プロセスである。強固な権力構造に支配されたコミュニティであれば、支配者が独断で決めた対象にラベルが貼られ、残る者たちが唯々諾々と従うという図式が生まれかねない。こうなればラベルの効用は百八十度反転し、住民たちに息苦しさをあたえるという側面を強めるだけとなる。
 「野暮ラベル」は、海部町コミュニティにおける公平水平な人間関係、弾力性の高い合意形成のプロセスがあったからこそ、長年にわたり魔除けの札として活用されてきたと考えられる。
(pp.195-198)

 海部町と比較対照されたA町住民にも、調査結果が大きな影響を与える。

 A町では排他的な意識がより強いこと、日頃は緊密な近所づきあいをしながらも、かえってそれが障害となって容易には助けてくれと言えない人が多いこと、他者への評価が人物本位ではなく年功重視の傾向にあること、「どうせ自分なんて」と考える人が多いこと、これら特徴の中には地理的条件に起因すると考えられるものがあること、そして、こうしたコミュニティ特性が住民の精神衛生にどのような影響をあたえる可能性があるのか──私の話に、多くの人が熱心に耳を傾けてくれた。話の後には、「思い当たる」「あまりに図星で、さぶいぼが出た(鳥肌が立った)」などの感想が上がった。
 かねてより保健師が警戒していたうるさ型の古老も、「この地域の特徴が、まっこと、よう表れとる。これはもっと多くの人に知ってもらわんといかん調査や」と言ったため、これには誰よりも保健師たちが驚いていた。
私が、海部町のうつ受診率が高いことや、「あんた、うつになっとんと違うん、早う病院へ行き」と当人にずけずけと言う海部町民たちの様子を伝えると、A町の聴衆からは小さなどよめきが起こる。ある高齢の女性が、「ほないなこと、言うてもええんじゃねえ」とつぶやき目を丸くしていたのは、すでに紹介したとおりである。もちろん、この女性が翌日から隣人に対し「あんた、うつになっとんと違うん」と言うようになるとは考えにくい。しかし、長い人生においてそうした言葉を決して口にしてはいけないと信じ続けてきた人の、心の固い結び目がほんの少しゆるんだ瞬間を見たと思った。この女性の「気づき」こそが啓発の第一歩なのだと思い、自分の仕事に励ましを得た気分になった。
(pp.206-207)

 地域保健の実践に役立つ、有益な知見の数々に圧倒される思いである。

 社会調査はかくあるべしという、良きモデルにもなる研究であり、その点でも、参考になるところ大であろう。

自殺をテーマにした異色の2冊の著者が語る「なぜ徳島県海部町は日本一自殺率が低いのか」
末井昭(『自殺』)×岡檀(『生き心地の良い町』)前編

「痛い体験」を吐き出すことで自分が楽になっていく
末井昭(『自殺』)×岡檀(『生き心地の良い町』) 後編

目次
第1章  事のはじまり ―海部町にたどり着くまで
第2章  町で見つけた五つの自殺予防因子 ―現地調査と分析を重ねて
いろんな人がいてもよい、いろんな人がいた方がよい
人物本位主義をつらぬく
どうせ自分なんて、と考えない
「病」は市に出せ
ゆるやかにつながる
第3章  生き心地良さを求めたらこんな町になった―無理なく長続きさせる秘訣とは
多様性重視がもたらすもの
関心と監視の違い
やり直しのきく生き方
弱音を吐かせるリスク管理術
人間の性と業を知る
第4章  虫の眼から鳥の眼へ ―全国を俯瞰し、海部町に戻る
「旧」市区町村にこだわる理由
最良のデータを求めて
指標が無いなら作るまで
海抜五百メートルの山と高原
地理的特性の直接・間接的影響
海部町の「サロン」活用法 
第5章  明日から何ができるか ―対策に活かすために
「いいとこ取り」のすすめ
思考停止を回避する
“幸せ”でなくてもいい
危険因子はゼロにならない
人の業を利用する
「野暮ラベル」の効用


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事