見出し画像

本と音楽とねこと

戦後と災後の間──溶融するメディアと社会

吉見俊哉,2018,戦後と災後の間──溶融するメディアと社会,集英社.(5.1.24)

 本書は、2013年から2018年にかけて、新聞紙面に連載された時評集である。

 第二次安倍政権やドナルド・トランプが弄した数々のフェイク、原発回帰、沖縄基地問題等、まっとうな批判が繰り広げられているが、言葉遣いは慎重であり、抑制的だ。
 これには、新聞連載記事という制約だけでなく、炎上やキャンセル・カルチャーだけは回避したいという、吉見さん自身の意向もはたらいたのだろう。
 東大の学部長や副学長を歴任した人ならではの慎重さを感じた。(褒めているのでも貶しているのでもありません。)

 それでも、吉見さんの、時代を捉える視角は、正確であり、ブレがない。

 米国を取り巻く世界はどうか。ロシアにはプーチン、中国には習近平がおり、いずれも権力を集中化させている。ヨーロッパは分裂気味で中東は悲惨だ。約四半世紀前、東西冷戦が終結した時、世界はグローバルな民主主義の時代に入っていくかに思われた。しかし今、面前にあるのは、それとは正反対の世界である。
 この反転はなぜ起きたのか。昨年は反転を象徴する年となったが、前からの変化があったはずだ。それは一体何か。これを考えるには、一九九〇年代に戻っておく必要がある。
 九〇年代以降の世界を特徴づけてきたのは、第一にインターネットの爆発的浸透とICT(情報通信技術)産業の勃興、第二に中国などの新興経済圏の発展、第三に日本などの先進諸国、特にその重厚長大産業の深刻な停滞、第四に先進諸国での格差拡大と少子高齢化だった。
 これ以前と大きく異なるのは、世界の周縁だけでなく先進諸国の中心部が困難に直面していった点にある。その理由は、すべての傾向の根底に、新自由主義的なグローバル化があったからだ。新自由主義とは、戦後が築いてきた中産階級に支えられた国民国家の解体だった。この解体により、七〇年代から停滞してきた経済は金融で新市場を発見していく。
 その反動で、取り残された人々により排他主義的傾向が高まっていった。それでも経済が上向くと信じられているなら、排他主義が主潮流にはならない。だが、この上向きの希望が見失われるとき、不安におののく社会は敵味方を峻別し始め、他者排斥の欲望に駆られる。
(pp.166-167)

 穏当な論調ながら、新聞の社説のような退屈さはなく、高校生が文章作法を学ぶうえでも有益だろう。

フクシマ、トランプ、東京五輪問題に、パナマ文書、ポケモンGOのブーム、公文書管理の闇、そして日常に迫るテロリズム…。近年起きた無数の出来事が示すのは、メディアと社会の溶融である。本書では、東日本大震災後という意味での「災後」の二〇一〇年代に足場を置き、安倍政権とほぼ重なる「災後」の近景、それを一九九〇年代半ばからの変化として捉える中景、さらに戦後日本、なかでも七〇年代頃からの歴史に位置づける遠景の三重の焦点距離を通して戦後と災後の間を考察。未来への展望を示す。

目次
第1章 記憶の災後―情報は誰のものか 二〇一三年四月~一二月
第2章 縮む「戦争」と「日常」の距離 二〇一四年一月~一二月
第3章 対話を封殺する言葉―「イスラム国」と日米同盟 二〇一五年一月~一二月
第4章 仮想のグローバルディストピア 二〇一六年一月~一二月
第5章 ポスト真実化する社会のなかで 二〇一七年一月~二〇一八年三月
年表 2013年~18年に起きた主な出来事


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事