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本と音楽とねこと

【旧作】脱アイデンティティ【斜め読み】

上野千鶴子編著,2005,『脱アイデンティティ』勁草書房.(8.10.2018)

 概念や理論は、往々として特定の時代の産物でしかない。「アイデンティティ」もしかり。定型的なライフコース上のトラックを踏んでいけば、なんとか順調に人生を送っていくことができる時代は、すでに半ば終わっている。社会の流動化、新自由主義の席巻とグローバリゼーションによる貧困層の増大、そしてインターネットを介したコミュニケーションの浸透は、確固とした自己の存在証明、自己の一貫性・連続性を無用の産物とした。なんとかうまく人生を送っていくためには、むしろ、一貫した自己をもたず、ときには「解離」の経験を交えながら、変幻自在に複数の自己を使い分けた方が得策である。
 とはいえ、柔軟に変容する、ゆるいアイデンティティは、わたしたちが「解離性同一性障がい」の世界に移り住まない限り、やはり必要である。「脱アイデンティティ」が文字どおりに受け取られるとしたら、それは危険なことだ。編著者の上野千鶴子さん自身、研究者として、社会運動のリーダーとして主張され実践されてきたことにおいて、そこにゆるぎのないアイデンティティを看取するのはまちがったことなのだろうか。

目次
序章 脱アイデンティティの理論
第1章 脱アイデンティティの政治
第2章 物語アイデンティティを越えて?
第3章 消費の物語の喪失と、さまよう「自分らしさ」
第4章 解離の時代にアイデンティティを擁護するために
第5章 非・決定のアイデンティティ―鷺沢萠『ケナリも花、サクラも花』の解説を書きなおす
第6章 言語化されずに身体化された記憶と、複合的アイデンティティ
第7章 母語幻想と言語アイデンティティ
第8章 アイデンティティとポジショナリティ―一九九〇年代の「女」の問題の複合性をめぐって
終章 脱アイデンティティの戦略
人はアイデンティティなしでは生きられないのか?一貫性のある自己とは誰にとって必要なのか?賞味期限切れの概念に問題提起。

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