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本と音楽とねこと

「身体を売る彼女たち」の事情

坂爪真吾,2018,「身体を売る彼女たち」の事情──自立と依存の性風俗,筑摩書房.(3.6.24)

(著作権者、および版元の方々へ・・・たいへん有意義な作品をお届けいただき、深くお礼を申し上げます。本ブログでは、とくに印象深かった箇所を引用していますが、これを読んだ方が、それをとおして、このすばらしい内容の本を買って読んでくれるであろうこと、そのことを確信しています。)

 本書の読みどころは、セックスワーカーに、「そんな自分を貶めるようなことはやめなさい」と、彼女たちの事情や心情からするとまるで無意味な、上から目線のお説教をする──ワーカーに、不幸な性虐待等のトラウマがあり、それを思い出したくないために、自傷的に、その性虐待等よりもまだマシなウリをやっている場合は別──のではなく、彼女たちのプライバシーを重んじながら、必要であれば、傾聴し、司法や福祉につないでいく実践の方途を、明確に打ち出している、そこにある。

 筆者の坂爪さんは、性風俗で働く人のための無料生活・法律相談を行う、「風テラス」の理事長でもあり、本書は、その活動実績から生み出されたものだ。

 坂爪さんたちは、なかなか相談の場に来てくれないセックスワーカーに、「スマホを充電できる場所」を提供する。(pp.50-57.)
 ワーカーたちは、スマホを充電するために、指定された貸会議室に来て、好きなようにして時間を潰す。
 なかには、用意された、飲み物やお菓子を口にする者や、坂爪さんたちに、仕事の愚痴をこぼす女の子も現れる。

 ニュージーランドに次ぐ、セックスワーカーの人権擁護の先進国、オーストラリアはメルボルンの、ストリートの街娼のために活動するNPOを思い起こした。

 Rachel Lennon, Pranee Liamputtong and Elizabeth Hoban,Practising Social Inclusion: The Case of Street-Based Sex Workers and the St. Kilda Gatehouse in Melbourne,Practising Social InclusionAnn Taket, Beth R. Crisp, Melissa Graham, Lisa Hanna, Sophie Goldingay and Linda Wilson eds.,2013,Practising Social Inclusion,Lomdon:Routledge

 そのNPOが、ゲストハウスをストリートのセックスワーカーに開放し、彼女たちは、好きなときにそこを訪れ、休息し、時間を潰す、あるいは、飲み食いと、他のワーカーやNPO職員とのおしゃべりを楽しみ、必要な者は、ごく自然に、自身の健康と安全、尊厳を守るための生活・法律相談につながっていく。

 困っている人、苦しんでいる人を救いますよ、と、専門家が待ち受ける相談窓口ではダメだ。そんなところ、だれも出向こうとしないであろう。

 すべてのセックスワーカーに、「スマホを充電できる場所」を、と願う。 

 生活保護や生活困窮者支援制度より、デリヘル店が用意する「福祉」の方が上、だ。

 個人のプライバシーを保護する上で、最も隠されるべき性的行為をサービスとして提供することが、一部の女性にとっては、物理的にも社会的にもプライバシーを確保するための唯一の手段になっている、という逆説がある。
(p.102.)

 生活保護を申請すると、なぜ、「直系血族及び兄弟姉妹」に扶養照会がいく?

 最悪の、プライバシーの侵害、じゃないのか?

民法第877条「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。」
生活保護法第4条第2項「民法に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。」

 いまどき、こんな親族扶養義務を定めてんの、日本だけだろ。(ドイツ民法典にも直系血族間の扶養義務が定められているが、公的扶助開始後に簡単な審査が行われるにすぎない──これも問題だけどな。)

 デリヘルで働けば、即日現金払いでカネが手に入るし、寮(マンション)、無料託児所を完備しているお店も珍しくない。

 ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』では、主人公のホールデンは、広大なライ麦畑で数千人の子どもたちが遊ぶ、その子の中に、崖の方に走っていく者がいれば、その子をしっかりつかまえて守る、そんな存在になりたいと願う。

 セックスワーカーの伴走的支援者も、ホールデンのように、あるべき、だ。

 リフレで安全に働くための知識と情報を分かりやすくマンガ化して、求人ポータルサイト経由で読めるようにする、というアプローチは、専門用語で「ハームリダクション(harmreduction)」と呼ばれている考えに基づいている。
 ハームリダクションとは、個人が健康被害や危険をもたらすとされる行動習慣(合法・違法を問わない)をただちにやめることができない場合、その行動にともなう害や危険をできるかぎり少なくすることを目的としてとられるアプローチのことを指す。
(中略)
 だとすれば、できもしない「撲滅」や「浄化」を目指すのではなく、現場の不幸や被害を一ミリでも減らすための努力をすべきだ。「許す/許さない」といった二項対立からの卒業が求められている。
「いびつな共助」としてのJKビジネスや性風俗の世界は、多くの問題を内包しているが、それゆえに多くの人々を経済的・精神的に支えることができている。
 高度経済成長期における企業福祉も、家父長制に基づく家族福祉も、女性差別や性別役割分業を内包する、相当にいびつな存在だったはずだ。一方で、そのいびつさゆえに人々を経済的・精神的に支えることができたことは、否定しようのない事実である。
 そう考えると、「いびつではない共助」は存在しないのかもしれない。あらゆる共助は本質的にいびつであり、それゆえに人々を包摂できるのだ。
 全ての人が自助努力で生きる社会は、人類史上存在したためしがない。そして、全ての人が公助に頼っている生きる社会もまた、存在したためしがない。
 自己責任論に基づく自助努力が称揚され、財政難に伴う公助の削減が続く時代の流れの中で、JKビジネスや性風俗のような「いびつな共助」は、今後増えることはあっても減ることはないだろう。
 私たちにできることは、ハームリダクション的なアプローチを通して、「よりマシないびつさ」を求めることだけなのかもしれない。
(pp.257-259.)

 真の共助とは、「強い人が弱い人を助ける」「余裕のある人がかわいそうな人を助ける」といったことではなく、弱さを認め合った人同士が、社会の不条理に抗いながら、共に支え合って生きることなのだから。
(p.261.)

 すべてのセックスワーカーが、プライバシーを尊重されながら、対等な「友だち」として専門家を含めた支援者とつながり、必要であれば、生活・法律相談を受けることができ、そう望むのであれば、「昼職」に転換するための、教育、訓練、就労支援を受けることができて、それらのコストは、国家と自治体が、責任をもって支出する、そんなシステムが、必要とされている。

なぜ彼女たちは、JKリフレやデリヘルで働くのだろうか?風俗で働く女性のための生活・法律相談窓口「風テラス」に寄せられる彼女たちの悩みは背景には、若者の貧困、DVや虐待などの家庭問題、ワーキングプア、見えづらい障害や病気など、複雑な社会課題が絡み合っている。そうした課題を解決するために彼女たちが選んだJKリフレやデリヘルの世界には、一度足を踏み入れると抜け出しにくい構造がある。自助と公助の狭間に落ち込んでしまった彼女たちが集う「いびつな共助」としての性風俗の世界を描き出し、自己責任論と感情論に満ちた社会に風穴をあける一冊。

目次
第1章 「JKリフレ」という駆け引きの世界
「いくらで」「どこまで」やるかは、私が決める
「少女」と「大人」の狭間にある金脈 ほか
第2章 「風俗嬢」はこうして生まれる
生活保護はデリヘルに勝てない?
家族から逃れるために ほか
第3章 デリヘルの居心地がよい理由
彼女たちを守る「見えない」事務所
「助け合い」の果てに
第4章 性風俗で働くことの本当の怖さ
共助の中で生みだされる落とし穴
自分も外の世界も透明になる
「すべて現金化できる」という魔力
消えない過去から逃げられない ほか
第5章 ライ麦畑のサバイバル・ガイド


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