革でゆるりとカバンでも作ろ

革の職人の日記。革の手縫いのこと、ものづくりのこと、日頃思ういろいろなこと。
小さな町家の工房からお送りします。

明日のこと

2010年01月29日 08時24分27秒 | Weblog
そういえば、カウンセラーの先生にいつも「明日はどうされますか?」と聞かれた。

心療疾患の患者はいつも過去を振り向いていることが多い。

僕はプランナーという仕事をしていたので

未来のことを考える訓練をしていた。

あの街はどうすれば、どうなっていくのか?

この商品はどこでどんな人たちが買っていくのか?

だから未来のことを考えるのは得意だった。

そのことはとても幸運だったのかも知れない。


未来のことを想像して、それが現実になるとは限らない。

今の僕はどうだろう?

いくつかの未来は実現したかも知れない。

とにかく大きかったのは「お店」をオープンさせることが出来たこと。

それはとてつもない幸運で、

巡り会いやタイミング、気持ち、機会を得られたから

本当に偶然に突然実現してしまった。

でも手に入れられない未来もたくさんある。

「お店」を持つことで以前より何倍もお客様に対する責任が重くなった。

でも「技術」は偶然や幸運では手に入れられるものではない。

そのことを僕はデザイナー時代の20年間で嫌というほど知ってしまった。

それに若かったあの頃、景気も良く華やかな都会に住んでいた環境とは今は違う。

記憶力や肉体が衰える中で

まわりに教えてくれる人は少ない。

それでも人よりも何倍も努力して「技術」を手に入れなくてはならない。

今の環境が気に入らないわけではない。

それでも職人としての腕を磨くには難しい環境ではある。

やさしい環境は時に人を弱くし、甘えさせる。

そのことを知っているから、外に出る機会を多くする。

優秀な人たちといつも交わる。

病気が重い時、全てを失ったから、

今は一からやり直さなくてはならない。

もちろんそれまで生きて来た40年以上の人生が無駄だったわけではない。


今持っている技術だって

過去にして来たことの土台の上に立っている。

考え方なんか全く同じ。

でも技術というものには「修練」という要素が必要。

それに、きちんとした「技術」というものは

実は細かな「理論」の上に成立っている。

その「理論」はかなり数学的なものだったりする。

そのことを知るためには「勘」だけでは出来ない。

誰かにそれを伝授してもらうしかない。

なにせ「革」の世界には教科書がない。

これまで多くの職人さんがそのことを残して来なかったからだ。


最近僕の周りでそれを「残す」ために動きはじめている人たちがいる。

ありがたいと思う。

たぶん僕にも残せるものがある。


人の未来と誰かの未来はつながっている。

今年はそのつながりを見つめ直す年になるのだと思う。

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