革でゆるりとカバンでも作ろ

革の職人の日記。革の手縫いのこと、ものづくりのこと、日頃思ういろいろなこと。
小さな町家の工房からお送りします。

2008年08月31日 03時04分02秒 | Weblog
人は嘘をつく。

必要な嘘。

傷つける嘘。

悲しい嘘。

やさしい嘘。

時に嘘は生きて行くために必要なことがある。

でも、気づかずに人を苦しめる嘘もある。

相手が気づいているのについてしまう嘘。

自分を騙すために自分につく嘘。

嘘には誰か相手がいる。

時に嘘はその人の人生を変えてしまうことがある。

誰かのためにつく嘘は人を幸せにする。

自分のためにつく嘘は人を不幸にする。


センス

2008年08月30日 03時21分59秒 | Weblog
持って生まれたセンス、という。

持って生まれたのであれば、

赤ん坊のときにはすでに身に付いていたんだろうか?

ヘヴィメタの赤ん坊。

メイド系の赤ん坊。

それはそれで楽しい。


でも、本当は違う。

人が持って生まれるのは五感の鋭さ。

でもこの五感は放っておくと、どんどん鈍ってしまう。

視力も聴力も味覚も触覚も臭覚も。

この五感は鍛えると鋭敏になる。

視力を鍛えると1キロ先の動物を見つけるブッシュマンになる。

聴力を鍛えるとオーケストラの全ての楽器を聞き分ける指揮者になる。

臭覚を鍛えると100種類の匂いを嗅ぎ分ける調香師になる。

味覚を鍛えるとお酒の中の元の水を言い当てる聞き酒師になる。

触覚を鍛えると感触で身体の悪いところを言い当てる指圧師になる。


センスは全員が同じように持って生まれた感覚を

努力で磨き上げた人が身につける。

それは年齢に関係なく、磨くことが出来る。

一度身に付いたセンスは本人の努力で維持することが出来る。

より多くを見て、より多くを経験すること。

そしてもっと大切なのはその見る、聞く、触る、匂う、味わうことを

「意識」して行うこと。

ただ「おいしい」「きれい」「気持ち良い」「楽しい」などと感じるのではない。

その向こうにある、「理由」を導きだす努力がセンスとなる。

だから、その人は「おいしい」「きれい」「気持ち良い」「楽しい」ものを

生みだすことができるのだ。

夢を

2008年08月26日 19時02分09秒 | Weblog
夢を見る。

夢を紡ぐ。

夢は決して逃げ込む場所ではない。

夢は捉えどころのない幻ではない。

夢は人が生きるための力となる。

夢は人が進むための指針となる。

夢は楽しいだけの場所ではない。

夢は空虚な中身のない入れ物ではない。

夢をカタチにする。

そのために人は生きている。

夢をその手で掴む。

そのために人生はある。

人の夢に自分を託すために自分が存在するのではない。

どの夢であっても、その人が手を伸ばすのは自分自身の夢でなくてはならない。

ささいな夢であっても、悲しい夢であっても、

その夢を生きるのは自分自身でなくてはならない。

あなたが「夢見ている」のはあなたの夢ではない。

あなたが今生きているその現実が、あなたの「夢」なのだから。

遺す

2008年08月25日 12時34分45秒 | Weblog
天国があるとは思わない。

人は死んで消えてなくなる。そう思っている。

でも、本当はそうではない。

人は死んでも消えてはなくならない。

人は痕跡を遺す。

その人を覚えている人たちの心に痕跡を遺す。

その人と関わったたくさんの人たちの記憶に痕跡を遺す。


それでもそういう心の痕跡は、やがて薄れ、消えてゆく。


この手で何かをつくる。

形あるものをつくり、遺す。

誰かに作ってもらうのではなく、自分の手でつくり、遺す。

その何かは誰かの手に渡り、そして、その人の元で遺る。

手から手に伝わり、そして、遺されていく。


それでもその何かは使われ、いずれ朽ちて消えてゆく。


そのものづくりは「人を幸せにすること」「人を愛すること」から生まれるのだと

誰かに伝える。

ものづくりの技術も、智恵も「人を幸せにする」ためにあるのだと

誰かに伝える。

だから、ものづくりの技術も智恵も遺していかなくてはならないのだと

誰かに伝える。


その気持ちや技術や智恵を受け取った人たちは

それを、また誰かに伝える。

その誰かはまた他の誰かに伝える。

そうして、遺されてゆく。

僕は永遠に遺る。

私は

2008年08月22日 08時02分06秒 | Weblog
私はつくるものです。

私は生きるものです。

私は伝えるものです。

私は残すものです。

私は傷ついたものです。

私は過去にとらわれたものです。

私は弱いものです。

私は孤独に生きるものです。

私は種を植えるものです。

私はゆっくり進むものです。

私は人を愛するものです。

私は海を渡るものです。

私は死に近づくものです。

私は指し示すものです。

私はここにいます。

私は誰ですか?

旗を立てる

2008年08月21日 00時32分42秒 | Weblog
すぐに道に迷う。

自分の進む方向を見失う。

走り抜ける力も、坂を上る力もない。

立ち止まってまわりを見回す。

どこに自分が立っているのかもわからない。


だから、旗を立てよう。

自分が行かなくてはならない場所に、

手の届かない向こう側に、旗を立てよう。


今の自分が出来ること、

今の自分が目指すこと、

今の自分がしなくてはならないこと、

それを忘れないために旗を立てよう。


歩幅は小さくても良い。

速度はゆっくりで良い。

いつかその旗に手が届くように、

前に進む。

振り返っても良い。

休んでも良い。

見失わないでその旗を見つめよう。

いつか、その旗にたどり着いたら、

もう一度旗を立てよう。

その旗がゴールなのではない。

その旗にたどり着いたなら、そこがスタートになる。

もう少しだけ考える

2008年08月10日 09時49分12秒 | Weblog
何かをはじめようとする時。

それをしたい気持ちはあるのに、何となくボーッと考えているだけ。

「絶対にする」って思うのは

自分にとってプレッシャーだと勝手に思い込もうとする。

だから、「何かしたい」と思うところから前に進まない。

今自分が置かれている条件。

「仕事が忙しい」「家事が忙しい」「時間がない」「お金がない」

そんなことを「考えない」言い訳にする。

でもそれじゃ、前に進まない。

その中で「どうすれば良いのか?」

考えてきたつもりなのに「何をどう考えたの?」と聞かれると答えられない。

ほんの少し努力すれば変えられるかもしれないのに、

してこなかったのは自分自身。

ほんの少しだけ考えよう。

今出来ること。

ほんの少しだけ前に進もう。

やれることからはじめる。

そうすれば扉は開かれる。

かかわる。

2008年08月06日 11時56分37秒 | Weblog
人とかかわる。

暮らしとかかわる。

社会とかかわる。

仕事とかかわる。


できればかかわりたくないと思う。

でも、誰かを大切に思っているなら、

自分が自分らしく生きようと思っているなら、

かかわらずにはいられない。


どんな些細なかかわりでも、

いつかそれは大きく育ちはじめる。

自分が望むと望まないにかかわらず、

そのかかわりは成長をつづける。


自分が逃げてきた責任や苦しみもそのかかわりとともに大きくなる。

もしも、そのかかわりから逃げ続ければ

その責任や苦しみは次の世代に先送りされる。

人はかかわることで生きている。

かかわることで自分の存在を確かめる。


だから、人はそのかかわりと向き合わなければならない。