乾燥した岩場という足場の悪さにも関わらず、黒を身に纏うライオン型ゾイド――ライガーゼロ・アステルは、ある敵を牙で噛み砕き、またある敵を爪で引き裂き、そしてある敵を主砲のビームバスター・キャノンで撃ち抜く。
「……気合入ってるなぁ、師匠……」
その様子を、ホエールキング『オールド・クロック』の艦上から、ティオ・ルタナ・ニーヴは眺めていた。
目的の空域に着いた途端に艦橋に呼ばれ、メインモニターの映像を見てみれば。
「びっくりだよ。ナツキ姉だけじゃなくて、師匠まで……」
「戦闘絡みの仕事は久しぶりと言っていたからね。……それに、ティオ絡みの依頼でもある。そりゃあ師匠も、気合が入るだろうさ」
後方から飛びかかろうとしたコマンドウルフに対し、ライガーゼロ・アステルは片方のビームバスター・キャノンを真後ろに向けて発射。反対側のキャノンは横に展開して拡散照射、目くらましと牽制にする。
「……それにしても、よくピンポイントで『ここ』を襲撃するってわかったね」
ティオはふと疑問に思い、そう口にした。
思想集団『リヴィングス』の過激派による遺跡破壊活動は、当局や各国の軍ですら情報の把握が難しいレベルの神出鬼没さで行われている。にも関わらず、ナツキ達『古き風の音』はこのオリンポス山襲撃を事前にキャッチし、網を張る事に成功していた。
「私も詳しくは知らないけど、財団の上層部には軍との繋がりもあるみたいだからね。とはいえ、今回は運が良かった」
「……丁度、師匠がエウロペに居てくれたおかげか」
ティオとナツキのダウジングの師、アステル・レインはフリーのゾイド乗りであり、その仕事は戦闘から土木工事まで、おおよそゾイドを用いたものなら何でもござれ、というスタンスを取っている。活動拠点も特に定まっていないため、今回彼女が西方大陸に居たのはティオ達にとって幸運だったと言える。
そうこうしているうちに、モニターの中ではライガーゼロ・アステルが過激派の襲撃部隊を粗方制圧し終えていた。その様子を確認し、『オールド・クロック』からは保安部隊が降下を開始する。
「……さて」
それに合わせて、ティオもブリッジから格納庫へ向かう。ヴァルハライザーで、地上に降りるのだ。
果たして、ここでティオが求める情報を入手出来るか否か。
「ひっさしぶりですー、ティオ!」
黒と金が入り混じった髪の、長身の女性――ティオの師匠であるアステル・レインは、ヴァルハライザーから降り立ったティオの姿を認めた直後、駆け寄って思いっきり抱き寄せた。
「わぷっ!?」
「……ああ、やっぱりティオくらいが抱きやすくって丁度良いです。戻ってきません?」
女性としては長身なアステルがティオを抱き締める場合、小柄なティオの頭は丁度良い具合に彼女の豊満な胸に押し付けられる事になる。割と本気で、ティオは呼吸困難に陥りかけていた。
「……し、師匠……、その辺で」
「えー、折角の再会なんですから、もう少しスキンシップしましょうよー」
口ではそう言いながらも、アステルはティオを解放する。若干不満げではあったが。
「……うん、良い顔になってますね」
「師匠?」
「何があったかは聞きませんよ。そして私の『仕事』は今、終わりました。ここからはティオ、貴方のターンです」
ぽんぽんと、背中を叩かれる。
「……でも、本当に困った事になったのなら、私にでもナツキにでも、いつでも話しなさい。ちゃんと、助けに行きますからね」
「……ありがとうございます、師匠」
同じような事を、少し前にナツキからも言われていた事を思い出す。
敵わないな、とティオは感じた。師匠から離れて一人旅を続けて、少しは成長したと思っていたが、どうやらそんなでもなかったらしい。
「で、ティオの欲しがってた情報ですけども」
「あ、はい」
「確定じゃないですが、とりあえず連中から聞き出せました。……北、ですね」
テュルク大陸上空。訪れる者の絶えた地の空は、往く者も遮る者も存在しない。
――はずの澄み切った空を、一条の閃光が引き裂いた。
二回、三回と閃光が迸る度に爆発が生まれる。その炎と煙を切り裂いて、空を往く一団があった。
過激派の武装勢力である。ドラゴン型飛行ゾイド『レドラー』を中心に、アーケオプテリクス型『シュトルヒ』や翼竜型『プテラス』で構成された混成部隊。
数日に渡り、テュルクからデルポイにかけて目撃情報のある古代種と思しきゾイドを破壊する事が、彼らの目的であった。
彼らが目指すのは、はるか彼方から正確無比な砲撃を繰り返す白亜の竜――ブラウリッターだった。既に僚機が墜とされているにも関わらず、彼らの動きに躊躇いは見られない。ひたすらに距離を詰め、有視界の格闘戦に持ち込もうとしているのだ。
ブラウリッターの装備する胸部荷電粒子砲はかなりの長距離からの精密射撃が可能であり、掃射すれば空を薙ぐ光の剣となるようなシロモノである。しかし当然、一射で撃墜出来るのは射線に入った機体のみで、多くの場合は一機だけ。故に、反古代文明主義者の航空部隊は、犠牲を出しながらも距離を詰める事に専念していた。
巴戦に持ち込めば、あの大火力は用をなさなくなる。
そして部隊の半数に及ぶ八機の犠牲を払った時点で、ついに彼らはブラウリッターを捉えた。
一撃離脱を得意とするレドラーが、尾部のレーザーブレードを閃かせてブラウリッターに突撃する。軸線をずらして回避するブラウリッターに向けて、下方からシュトルヒが必殺の『バードミサイル』を撃ち込んだ。二発。ブラウリッターは急上昇、強烈な羽ばたきを実行する。
機体を軋ませ、円軌道を描きながらブラウリッターは急降下に移る。急激な軌道変更に、バードミサイルは目標を見失い迷走。その隙を縫ってブラウリッターの空対空ビームバルカンが火を噴き、シュトルヒが二機、墜ちる。
また一機、別のレドラーがブラウリッターの背後に着いた。固定装備として火器を持たないレドラーだが、反古代文明主義者達に提供されたこの機体には、機首下にバルカンバッグが装備されている。
背後からの射撃、しかしブラウリッターは冷静に軸線を外し、射線から逃れる。
レドラーを操縦するゾイド乗りには、血の通った相手と戦っている感覚が無かった。それほどに、ブラウリッターの射撃と機動は正確であり、また機械的だった。
背後に着いた時、人の乗っている相手ならば、そこから逃れようと何かしらの動きを見せるものだ。旋回する者もいれば、下降して振り切ろうとする者もいるし、一か八かの反撃に出ようとする者もいる。
なのに、対峙している白亜の竜からは、そういった『乗り手の存在』が一切、感じられなかった。どこまでも冷静に、自身に向けられる攻撃を捌き、僅かな隙をついて攻勢に出る。全く感情を感じさせず、機械のように。
彼の背を、冷たい汗が伝った。
このまま戦っていては、間違いなく全機、墜とされるだろう。残存機体は六機、レドラーが二とプテラスが三、シュトルヒが一。
各機体に指示を飛ばし、勝負に出る。
レドラーが二機がかりでブラウリッターの上を押さえ、シュトルヒが相撃ち覚悟で真正面からバードミサイルを撃ち放った。正対していたブラウリッターの荷電粒子砲が矢継ぎ早に速射され、バードミサイルごと射線上のシュトルヒを火達磨に変える。
彼らが狙っていたのは、その瞬間だった。
残存する三機のプテラスが、斜め後方からシェブロン(三角編隊)を組んでブラウリッターに突撃する。頭をレドラーに押さえられているブラウリッターは降下して振り切ろうとするが、同じく降下して食い下がるプテラスの編隊を引き離せない。
プテラスが、機首のバルカン砲を放つ。一撃必殺の武装では無いが、それでも三門たばになれば、その威力は跳ね上がる。当たれば、まず助からない。
旋回し、ブラウリッターが射線から逃れる。しかしプテラスの編隊も負けじと追いすがる。高速での降下に加え、この低空では彼我の運動性能に存在する差は殆ど無くなっていた。
あと少し。残弾が尽きる前に届く。
彼らの意識が、ブラウリッターに集中した――その瞬間。
はるか遠方から放たれた閃光が、プテラスを三機まとめて飲み込み、爆炎と化した。
「――間に合った!」
ブラウリッターに追いすがる三機のプテラスをギリギリのタイミングで墜としたティオは、すぐに意識を高空のレドラーへと切り替える。
アステル・レインがオリンポス山で過激派から入手し、ティオ達に伝えられた情報――テュルク大陸でのテロ活動の情報――によれば、航空部隊の戦力は十六機。
(……半分以上をブラウリッターが墜とした、って事か)
ティオの肌が粟立つ。
だが今は、その前に。
「……あんた達に恨みは無いけど、押し通させてもらう!」
上空で警戒体勢を取り続けるレドラーに、集中する。
二機のレドラーが、ほぼ同時に散開した。左右からヴァルハライザーに攻撃をかける。
「――右!」
ほんの僅か、距離が近い方に、ティオは迷わずヴァルハライザーを突撃させた。
突っ込み速度でレドラーに敵うゾイドは、ごく僅かしか存在しない。だからこそ相対する敵も、自信を持ってヴァルハライザーの正面から突撃をかけてくる。
だが、ヴァルハライザーは他の飛行ゾイドが持ち得ない、特殊極まりない機体制御システムを有している。
空中での戦闘速度は、極めて速い。双方の距離が一瞬にして詰まり、交錯する、その瞬間。
半ばから割れたヴァルハライザーの主翼がクローアームに変わり、レドラーの背中に突き刺さる。
「……ぅ、おおぉぉッ!!」
そのまま機体を振り回し、ほんの僅か到達の遅れたもう一機のレドラーに向けて、放り投げた。
二機のレドラーが凄まじい速度で激突し、砕け散る。
漆黒の竜が、白亜の竜に向き直った。
「――イリアス」
ここからが、本番。
「……ついてこい、ブラウリッター!!」
漆黒の竜が、咆哮する。
白亜の竜が、咆哮する。
二頭の竜は、ほぼ同時に上昇を開始した。
「ヴァルハライザー、並びにブラウリッター、上昇を開始しました」
その様子を、同じ空域で『オールド・クロック』が観測していた。艦橋ではオペレーターからの報告を、ナツキが複雑な表情で聞いている。
「強度の生体電磁波が、両機から発生しています」
「高度、一万五千メートルを超えました。尚も上昇中……」
食い入るようにモニターを見つめるナツキの肩が、ぽんと叩かれる。
「――不安ですか?」
振り返れば、優しげな表情を浮かべてアステルが立っていた。
「いや……、そういうわけでは……」
「……大丈夫ですよ。ティオはちゃんと、戻ってきます」
全てわかっていると言わんばかりに、アステルはナツキの言葉を先取りして、言う。
「私達が伸ばした手で、ティオを助けました。今度はあの子が手を伸ばして、誰かを助けに向かってます。……そして、いっしょに戻ってくる。私達のところに、ね」
「アステル師匠……」
「どーんと構えなさい、ナツキ・シノミヤ。貴女はティオのお姉さん、でしょ?」
「……そしたら、師匠はお母さんだね。これからは、そう呼んだ方が良いかい?」
「ありゃりゃ、これは一本取られましたね」
ナツキにもわかる。不安なのは、アステルも同じなのだろう。だからこうして、冗談めかして話して、その『先』の事を考えている。
ティオが助けようとしている、彼の大切な存在。それは、どんなヒトなのだろうか、と。
「……両機、高度二万五千メートルを突破! 上昇を続けています……!」
視線をモニターに戻す。漆黒と白亜、二頭の竜は互いに交錯しながら、尚も空を駆け上がる。雲を突き抜け、どこまでも高く。
「……もう間もなく、成層圏に届きますね」
ぽつりと、アステルが呟いた。
「まるで、成層圏に落ちて行くような……、そんな感じです」
上下を百八十度入れ替えてみれば、違和感無く、そう見えるほどに。
ヴァルハライザーとブラウリッターは、迷い無く空を駆け上がる。
「――もっとだ、ヴァルハライザー……! もっと高く!!」
ヴァルハライザーの機体が軋む。強烈な加速に、息が詰まりそうになる。それでもティオは、ヴァルハライザーは、上昇を止めない。
遮る物の無い、もっと高くの空へ。
「っ、ぐ……!!」
高度が上がる度に、空気が薄くなる度に、互いに発する生体電磁波によって形成される記憶共有の強度が強くなる。
今なおイリアスを苛む、滅びの記憶がティオの脳裏によぎる。
燃え盛る炎。崩れ落ちる建造物。誰かの名前を叫ぶ、銀髪の少女。
「――もう、いいだろッ!!」
叫んだ。
「もう充分、苦しんだだろう!? これ以上、独りで抱え込むな!!」
苦しんで、苛まれて、悲しんで、嘆いて。
ずっと押し殺して、イリアスは生きてきた。
「イリアス!!」
ブラウリッターの加速が、僅かに鈍った。
ティオの声に、反応したかのように。
「――今!」
躊躇無く、ヴァルハライザーを突っ込ませる。
両翼をクローアームに変形させ、ブラウリッターの機体ごと抱き抱えるように、接触する。
「……ヴァルハライザー!!」
記憶領域の、完全リンク。
強烈な炎のイメージと共に、ティオの意識が一瞬、飛ぶ。
「……ここは……?」
気がつくと、そこに居た。
燃え盛る炎。崩れ落ちる建造物。その先に屹立する、黒い巨大な影。
絶望的なまでの、破壊の光景。
「テュルク大陸、トローヤ王都。その、最期の光景です」
背後から声が聞こえた。ずっと聞きたかった声。振り返る。
炎に照らされて輝く銀色の髪。赤く紅い世界の中ではっきりと見える、澄んだ青い瞳。
イリアスが、そこに居た。
「……駄目。来ては駄目です、ティオ」
駆け寄ろうとしたティオは、制止の声に踏みとどまる。
「どうして」
「ここは、私の記憶です。……ずっと目を背け続けてきた、私の記憶」
目を伏せて、イリアスは語る。その声は驚くほど平淡で、冷たかった。
「守れなかったのです。ここ、トローヤ王都だけではなく、この惑星の、この世界、全てが、今日この日、滅び去りました」
イリアスの指が、屹立する黒い巨大な影に向けられる。
「……後年、ゼネバス帝国がその姿と名前を模した戦闘機械獣を開発しました。あれは、その原型となった存在。真祖(オリジナル)デスザウラー」
黒い影が咆哮し、巨大な口腔から光の渦が吐き出された。飲み込まれた建造物が、一瞬で原子レベルに分解され、蒸発する。
「守らなければ、ならなかったのです。トローヤの竜王として、守護竜の依代として。……けれど、守れなかった」
黒い影が、歩を進める。後に残るのは、炎と、黒煙と、瓦礫と、そして死に行く者達の声無き声。
「……守れなかったのです、私は。何もかも……!」
風に巻かれて、炎がティオとイリアスの間を遮る。
「私はこの身体に、古代種のゾイドコアを埋め込まれています。だから、死ぬ事も出来なかった。……ずっと、この滅びを見続ける事しか出来なかった」
炎の勢いは増す一方で、イリアスの姿が少しずつ、霞んでゆく。
「……そしていつしか、目を背けるようになりました。心の奥に、この記憶を封じ込めて」
それは、ティオも同じだった。
なのに。
「だからこれは、罰なのです。トローヤを守れなかった私への、目を背け続けてきた私への、罰……!」
そんな事を言うから。
「……違うよ、イリアス」
はっきりと、否定してやる。
「ティオ……!?」
炎の中を、イリアスの所へ向かって進む。
熱い。記憶領域に再現された仮想空間であるはずだが、炎は現実の熱さをもってティオに襲い掛かる。
それでも。
「罰じゃない。これは、イリアスが乗り越えなきゃいけない記憶だ」
振り払って、進む。
「駄目、ティオ……! 来ないで!」
「嫌だ!!」
イリアスの場所まで。
「もう充分だろう!? こうなる前にだって、君はずっと苦しんでいた! 悲しんでいた!! だから、あの時に俺を励ましてくれたんじゃないか!!」
思い出すのは、ニクス辺境の街で夜を共にした時。悪夢に――両親を失った時の記憶に魘されていたティオを励ましてくれたのは、イリアスだった。
「……そう、そうよ。だって、そうしなきゃ! 私が、この滅びを止められなかったのだもの!! 忘れる事なんて、出来るわけ無いじゃない……!!」
「それが普通なんだよ、イリアス! 誰だって、つらい記憶からは逃げ出したくなる。俺だってそうだよ! イリアスが居てくれたから、ようやく向き合えたんだ!!」
ヴァルハライザーとの精神感応によって暴走したティオを救ったのは、他でもないイリアスだ。
「それじゃ駄目なの!! 私のせいで、たくさんのヒトが死んで、なのに私は死ねなくて……!! だから、これが罰なの! 私は許されちゃいけないから! ずっと逃げて来た私への罰、ここで、この滅びを見続ける事が……!!」
「……じゃあなんで、イリアスは俺を助けてくれたの!?」
「そうしなきゃいけないと思ったから!! あなたの血を残してほしいと……ッ!!」
激情のままに叫んでいたイリアスが、口をつぐんだ。
「……やっぱり、そうだったんだね」
記憶を共有したティオは知っている。否、知ってしまった。自分がヴァルハライザーを動かせる、厳密には使役出来る理由。
ティオが、かつてヴァルハライザーを使役していた『竜使いの民』の末裔であるから。
そして古代に、イリアスが唯一心を許していた人物――シーヴァの血を引く者だから。
「……最初は、そうじゃなかったの。でも、いっしょに過ごすうちに、あなたのの中にあの人の面影を見てしまった。一度気付いたら、抑えきれなくなって……!」
「イリアス……」
「嬉しかったの……! 彼が、シーヴァが血を残してくれた事が! けど、あなたはティオ・ルタナ・ニーヴで、シーヴァじゃないって、わかってたのに……!!」
風が凪いだ。炎が僅かに、勢いを失う。ティオは一気に、イリアスとの距離を詰めた。
「……もういいんだよ、イリアス」
そして、抱き締める。今にも壊れてしまいそうな小さな身体を、両腕で大切に抱えた。
「もういいんだ。全部、知ってるから。イリアスのせいじゃない、って事も。俺を通して、イリアスが誰を見ていたのかも。俺は全部、わかってるから」
小さな背中を撫でながら、繰り返す。
「……だから、もういいよ、イリアス。ひとりで苦しまなくていい。許すから。みんな、許してくれるから」
強張っていたイリアスの身体から、少しずつ、力が抜けていく。
「つらい記憶なら、俺がいっしょに背負う。怖いなら、手を引いてあげる。だから……、いっしょに戻ろう?」
「……無理、です。だって、こんなの、重すぎる……! ティオには、わからない……!!」
「わかるよ。……イリアスも言ったじゃないか。つらさそのものはわからなくても、つらい記憶を思い出した時に、どういう気持ちになるかは、わかるって」
「……!」
ティオとイリアスの、共通する記憶。
(――「私のつらさと、ティオのつらさが同じかどうかは、わかりません。でも、そういう夢を見た時に、どんな気持ちになるかは、わかりますから」――)
一字一句、間違えずに思い出せる。あの時ティオは、その言葉にどれだけ救われたか。
イリアスの抵抗が弱くなる。そっと、ティオは手を緩めた。
「……それに、俺だけじゃない。ほら」
ティオとイリアス、二人だけが存在する仮想空間に、もう一人。
黒衣に身を包み、長い黒髪を二つに括った、海のように深い青色の瞳の少女。
「……ヴァルハライザー……?」
ヴァルハライザーの、対人コンタクト用仮想人格。
『わたしはずっと、後悔していました。あの時、戦友シーヴァの願いに逆らってでも、あなたをあの場から逃がしてはならなかったのかも知れない、と』
黒衣の少女は目を伏せたまま、僅かに声を震わせる。
『……それでも、わたしはあなたを守りたかった。シーヴァがそう望んでいたから』
少女が顔を上げる。彼女の海のように深い青色の瞳が、イリアスの空のように澄んだ青い瞳に向けられる。
『シーヴァは、あなたに生きていて欲しいと願っていました。遠い未来でもいい、いつかあなたが、笑っていられるように、と……』
静寂が、仮想空間を支配する。
「……――!」
聞こえないほどの、小さな声で。イリアスはその男の名を、呟いた。
「……俺も同じ気持ちだから。イリアスには、笑って欲しい。いつか、ちゃんと心から、笑えるようになって欲しい」
「……いい、の? 私は、許されて、いいの?」
「誰が何と言おうと、イリアスが自分を許せなくても、俺は許すよ」
「笑えるようになって、いいの?」
「……うん」
どん、と衝撃。イリアスが、ティオの胸に顔をうずめた。
「ごめんなさい……! 私、今どうしていいか、わからないの……!」
「……これからゆっくり決めればいいよ。だからさ」
そっと、ティオはイリアスの肩を抱き、向き合う。
「いっしょに、戻ろうか」
……泣き笑いの表情で、それでもハッキリと。イリアスは頷いた。
それから、色々な事があった。ナツキやアステルにイリアスを紹介し、クリスハイトに可能な限りの情報提供(流石にイリアスの素性は伏せたが)をして、他にも諸々なあれそれを片付けて、数日後。
「……ここが、トローヤ王都」
「の、跡地です。……地下神殿郡はまだありますけれど、地上はもう、ただの荒地ですね」
ティオとイリアスの二人は、トローヤ王都跡を訪れていた。二人を見守るかのように、漆黒の竜と白亜の竜が背後に聳えている。
乾燥した大地が広がる、極寒の土地。
かつてはここに、栄華を極めた古代文明が存在していた。
そこで、イリアスは生きていた。
「……今まで私は、ずっと囚われていたのですね」
イリアスが、握っていた手を広げる。そこには三枚の、不明瞭な紋様が刻まれた青いメダルがあった。
エレミア砂漠の遺跡と、そしてもう一枚は奇しくもオリンポス山の遺跡。それぞれに残っていた、古代の記録が収められたメダル。あの後、ティオはイリアスとの約束通り、このメダルを探し出した。
訝しげにその様子を眺めるティオを他所に、イリアスは再びメダルを握り締めると――その手を大きく振りかぶって、三枚のメダルを投げ捨てた。
「ちょ、イリアス!?」
「縋りたくなってしまいますから。持っていたら、きっと」
冷たい風が、イリアスの銀髪を揺らす。
「……『過去』にしなくては、あなたに失礼だもの」
そして、イリアスがティオに向き直った。
「ティオ。非礼を承知で……、前言を撤回させて頂きます」
真っ直ぐに、空のように澄み切った青い瞳がティオを見つめる。
「これからも……、あなたとといっしょに居させて下さい」
その言葉が、かつてヴァルハライザーの機上で聞いた質問への答えであるとティオが気付くまでに、少しばかりの時間を要した。
「……そっか。ごめん、俺、これからどうするかなんて、何も考えてないや」
「これからゆっくり、決めればいいです。……二人で、ね」
仮想空間で言った台詞をそのまま返され、ティオは苦笑した。
「うん。……それじゃイリアス、行こうか?」
「――はい!」
満面の笑みで、イリアスが答える。その表情からは、かつてティオが感じた小さな違和感は、微塵も感じられない。何より、
「……ティオ? 何だか顔が赤いですよ?」
向けられたティオが思わず赤面してしまうほどに、綺麗だった。
おわり。
「……気合入ってるなぁ、師匠……」
その様子を、ホエールキング『オールド・クロック』の艦上から、ティオ・ルタナ・ニーヴは眺めていた。
目的の空域に着いた途端に艦橋に呼ばれ、メインモニターの映像を見てみれば。
「びっくりだよ。ナツキ姉だけじゃなくて、師匠まで……」
「戦闘絡みの仕事は久しぶりと言っていたからね。……それに、ティオ絡みの依頼でもある。そりゃあ師匠も、気合が入るだろうさ」
後方から飛びかかろうとしたコマンドウルフに対し、ライガーゼロ・アステルは片方のビームバスター・キャノンを真後ろに向けて発射。反対側のキャノンは横に展開して拡散照射、目くらましと牽制にする。
「……それにしても、よくピンポイントで『ここ』を襲撃するってわかったね」
ティオはふと疑問に思い、そう口にした。
思想集団『リヴィングス』の過激派による遺跡破壊活動は、当局や各国の軍ですら情報の把握が難しいレベルの神出鬼没さで行われている。にも関わらず、ナツキ達『古き風の音』はこのオリンポス山襲撃を事前にキャッチし、網を張る事に成功していた。
「私も詳しくは知らないけど、財団の上層部には軍との繋がりもあるみたいだからね。とはいえ、今回は運が良かった」
「……丁度、師匠がエウロペに居てくれたおかげか」
ティオとナツキのダウジングの師、アステル・レインはフリーのゾイド乗りであり、その仕事は戦闘から土木工事まで、おおよそゾイドを用いたものなら何でもござれ、というスタンスを取っている。活動拠点も特に定まっていないため、今回彼女が西方大陸に居たのはティオ達にとって幸運だったと言える。
そうこうしているうちに、モニターの中ではライガーゼロ・アステルが過激派の襲撃部隊を粗方制圧し終えていた。その様子を確認し、『オールド・クロック』からは保安部隊が降下を開始する。
「……さて」
それに合わせて、ティオもブリッジから格納庫へ向かう。ヴァルハライザーで、地上に降りるのだ。
果たして、ここでティオが求める情報を入手出来るか否か。
「ひっさしぶりですー、ティオ!」
黒と金が入り混じった髪の、長身の女性――ティオの師匠であるアステル・レインは、ヴァルハライザーから降り立ったティオの姿を認めた直後、駆け寄って思いっきり抱き寄せた。
「わぷっ!?」
「……ああ、やっぱりティオくらいが抱きやすくって丁度良いです。戻ってきません?」
女性としては長身なアステルがティオを抱き締める場合、小柄なティオの頭は丁度良い具合に彼女の豊満な胸に押し付けられる事になる。割と本気で、ティオは呼吸困難に陥りかけていた。
「……し、師匠……、その辺で」
「えー、折角の再会なんですから、もう少しスキンシップしましょうよー」
口ではそう言いながらも、アステルはティオを解放する。若干不満げではあったが。
「……うん、良い顔になってますね」
「師匠?」
「何があったかは聞きませんよ。そして私の『仕事』は今、終わりました。ここからはティオ、貴方のターンです」
ぽんぽんと、背中を叩かれる。
「……でも、本当に困った事になったのなら、私にでもナツキにでも、いつでも話しなさい。ちゃんと、助けに行きますからね」
「……ありがとうございます、師匠」
同じような事を、少し前にナツキからも言われていた事を思い出す。
敵わないな、とティオは感じた。師匠から離れて一人旅を続けて、少しは成長したと思っていたが、どうやらそんなでもなかったらしい。
「で、ティオの欲しがってた情報ですけども」
「あ、はい」
「確定じゃないですが、とりあえず連中から聞き出せました。……北、ですね」
テュルク大陸上空。訪れる者の絶えた地の空は、往く者も遮る者も存在しない。
――はずの澄み切った空を、一条の閃光が引き裂いた。
二回、三回と閃光が迸る度に爆発が生まれる。その炎と煙を切り裂いて、空を往く一団があった。
過激派の武装勢力である。ドラゴン型飛行ゾイド『レドラー』を中心に、アーケオプテリクス型『シュトルヒ』や翼竜型『プテラス』で構成された混成部隊。
数日に渡り、テュルクからデルポイにかけて目撃情報のある古代種と思しきゾイドを破壊する事が、彼らの目的であった。
彼らが目指すのは、はるか彼方から正確無比な砲撃を繰り返す白亜の竜――ブラウリッターだった。既に僚機が墜とされているにも関わらず、彼らの動きに躊躇いは見られない。ひたすらに距離を詰め、有視界の格闘戦に持ち込もうとしているのだ。
ブラウリッターの装備する胸部荷電粒子砲はかなりの長距離からの精密射撃が可能であり、掃射すれば空を薙ぐ光の剣となるようなシロモノである。しかし当然、一射で撃墜出来るのは射線に入った機体のみで、多くの場合は一機だけ。故に、反古代文明主義者の航空部隊は、犠牲を出しながらも距離を詰める事に専念していた。
巴戦に持ち込めば、あの大火力は用をなさなくなる。
そして部隊の半数に及ぶ八機の犠牲を払った時点で、ついに彼らはブラウリッターを捉えた。
一撃離脱を得意とするレドラーが、尾部のレーザーブレードを閃かせてブラウリッターに突撃する。軸線をずらして回避するブラウリッターに向けて、下方からシュトルヒが必殺の『バードミサイル』を撃ち込んだ。二発。ブラウリッターは急上昇、強烈な羽ばたきを実行する。
機体を軋ませ、円軌道を描きながらブラウリッターは急降下に移る。急激な軌道変更に、バードミサイルは目標を見失い迷走。その隙を縫ってブラウリッターの空対空ビームバルカンが火を噴き、シュトルヒが二機、墜ちる。
また一機、別のレドラーがブラウリッターの背後に着いた。固定装備として火器を持たないレドラーだが、反古代文明主義者達に提供されたこの機体には、機首下にバルカンバッグが装備されている。
背後からの射撃、しかしブラウリッターは冷静に軸線を外し、射線から逃れる。
レドラーを操縦するゾイド乗りには、血の通った相手と戦っている感覚が無かった。それほどに、ブラウリッターの射撃と機動は正確であり、また機械的だった。
背後に着いた時、人の乗っている相手ならば、そこから逃れようと何かしらの動きを見せるものだ。旋回する者もいれば、下降して振り切ろうとする者もいるし、一か八かの反撃に出ようとする者もいる。
なのに、対峙している白亜の竜からは、そういった『乗り手の存在』が一切、感じられなかった。どこまでも冷静に、自身に向けられる攻撃を捌き、僅かな隙をついて攻勢に出る。全く感情を感じさせず、機械のように。
彼の背を、冷たい汗が伝った。
このまま戦っていては、間違いなく全機、墜とされるだろう。残存機体は六機、レドラーが二とプテラスが三、シュトルヒが一。
各機体に指示を飛ばし、勝負に出る。
レドラーが二機がかりでブラウリッターの上を押さえ、シュトルヒが相撃ち覚悟で真正面からバードミサイルを撃ち放った。正対していたブラウリッターの荷電粒子砲が矢継ぎ早に速射され、バードミサイルごと射線上のシュトルヒを火達磨に変える。
彼らが狙っていたのは、その瞬間だった。
残存する三機のプテラスが、斜め後方からシェブロン(三角編隊)を組んでブラウリッターに突撃する。頭をレドラーに押さえられているブラウリッターは降下して振り切ろうとするが、同じく降下して食い下がるプテラスの編隊を引き離せない。
プテラスが、機首のバルカン砲を放つ。一撃必殺の武装では無いが、それでも三門たばになれば、その威力は跳ね上がる。当たれば、まず助からない。
旋回し、ブラウリッターが射線から逃れる。しかしプテラスの編隊も負けじと追いすがる。高速での降下に加え、この低空では彼我の運動性能に存在する差は殆ど無くなっていた。
あと少し。残弾が尽きる前に届く。
彼らの意識が、ブラウリッターに集中した――その瞬間。
はるか遠方から放たれた閃光が、プテラスを三機まとめて飲み込み、爆炎と化した。
「――間に合った!」
ブラウリッターに追いすがる三機のプテラスをギリギリのタイミングで墜としたティオは、すぐに意識を高空のレドラーへと切り替える。
アステル・レインがオリンポス山で過激派から入手し、ティオ達に伝えられた情報――テュルク大陸でのテロ活動の情報――によれば、航空部隊の戦力は十六機。
(……半分以上をブラウリッターが墜とした、って事か)
ティオの肌が粟立つ。
だが今は、その前に。
「……あんた達に恨みは無いけど、押し通させてもらう!」
上空で警戒体勢を取り続けるレドラーに、集中する。
二機のレドラーが、ほぼ同時に散開した。左右からヴァルハライザーに攻撃をかける。
「――右!」
ほんの僅か、距離が近い方に、ティオは迷わずヴァルハライザーを突撃させた。
突っ込み速度でレドラーに敵うゾイドは、ごく僅かしか存在しない。だからこそ相対する敵も、自信を持ってヴァルハライザーの正面から突撃をかけてくる。
だが、ヴァルハライザーは他の飛行ゾイドが持ち得ない、特殊極まりない機体制御システムを有している。
空中での戦闘速度は、極めて速い。双方の距離が一瞬にして詰まり、交錯する、その瞬間。
半ばから割れたヴァルハライザーの主翼がクローアームに変わり、レドラーの背中に突き刺さる。
「……ぅ、おおぉぉッ!!」
そのまま機体を振り回し、ほんの僅か到達の遅れたもう一機のレドラーに向けて、放り投げた。
二機のレドラーが凄まじい速度で激突し、砕け散る。
漆黒の竜が、白亜の竜に向き直った。
「――イリアス」
ここからが、本番。
「……ついてこい、ブラウリッター!!」
漆黒の竜が、咆哮する。
白亜の竜が、咆哮する。
二頭の竜は、ほぼ同時に上昇を開始した。
「ヴァルハライザー、並びにブラウリッター、上昇を開始しました」
その様子を、同じ空域で『オールド・クロック』が観測していた。艦橋ではオペレーターからの報告を、ナツキが複雑な表情で聞いている。
「強度の生体電磁波が、両機から発生しています」
「高度、一万五千メートルを超えました。尚も上昇中……」
食い入るようにモニターを見つめるナツキの肩が、ぽんと叩かれる。
「――不安ですか?」
振り返れば、優しげな表情を浮かべてアステルが立っていた。
「いや……、そういうわけでは……」
「……大丈夫ですよ。ティオはちゃんと、戻ってきます」
全てわかっていると言わんばかりに、アステルはナツキの言葉を先取りして、言う。
「私達が伸ばした手で、ティオを助けました。今度はあの子が手を伸ばして、誰かを助けに向かってます。……そして、いっしょに戻ってくる。私達のところに、ね」
「アステル師匠……」
「どーんと構えなさい、ナツキ・シノミヤ。貴女はティオのお姉さん、でしょ?」
「……そしたら、師匠はお母さんだね。これからは、そう呼んだ方が良いかい?」
「ありゃりゃ、これは一本取られましたね」
ナツキにもわかる。不安なのは、アステルも同じなのだろう。だからこうして、冗談めかして話して、その『先』の事を考えている。
ティオが助けようとしている、彼の大切な存在。それは、どんなヒトなのだろうか、と。
「……両機、高度二万五千メートルを突破! 上昇を続けています……!」
視線をモニターに戻す。漆黒と白亜、二頭の竜は互いに交錯しながら、尚も空を駆け上がる。雲を突き抜け、どこまでも高く。
「……もう間もなく、成層圏に届きますね」
ぽつりと、アステルが呟いた。
「まるで、成層圏に落ちて行くような……、そんな感じです」
上下を百八十度入れ替えてみれば、違和感無く、そう見えるほどに。
ヴァルハライザーとブラウリッターは、迷い無く空を駆け上がる。
「――もっとだ、ヴァルハライザー……! もっと高く!!」
ヴァルハライザーの機体が軋む。強烈な加速に、息が詰まりそうになる。それでもティオは、ヴァルハライザーは、上昇を止めない。
遮る物の無い、もっと高くの空へ。
「っ、ぐ……!!」
高度が上がる度に、空気が薄くなる度に、互いに発する生体電磁波によって形成される記憶共有の強度が強くなる。
今なおイリアスを苛む、滅びの記憶がティオの脳裏によぎる。
燃え盛る炎。崩れ落ちる建造物。誰かの名前を叫ぶ、銀髪の少女。
「――もう、いいだろッ!!」
叫んだ。
「もう充分、苦しんだだろう!? これ以上、独りで抱え込むな!!」
苦しんで、苛まれて、悲しんで、嘆いて。
ずっと押し殺して、イリアスは生きてきた。
「イリアス!!」
ブラウリッターの加速が、僅かに鈍った。
ティオの声に、反応したかのように。
「――今!」
躊躇無く、ヴァルハライザーを突っ込ませる。
両翼をクローアームに変形させ、ブラウリッターの機体ごと抱き抱えるように、接触する。
「……ヴァルハライザー!!」
記憶領域の、完全リンク。
強烈な炎のイメージと共に、ティオの意識が一瞬、飛ぶ。
「……ここは……?」
気がつくと、そこに居た。
燃え盛る炎。崩れ落ちる建造物。その先に屹立する、黒い巨大な影。
絶望的なまでの、破壊の光景。
「テュルク大陸、トローヤ王都。その、最期の光景です」
背後から声が聞こえた。ずっと聞きたかった声。振り返る。
炎に照らされて輝く銀色の髪。赤く紅い世界の中ではっきりと見える、澄んだ青い瞳。
イリアスが、そこに居た。
「……駄目。来ては駄目です、ティオ」
駆け寄ろうとしたティオは、制止の声に踏みとどまる。
「どうして」
「ここは、私の記憶です。……ずっと目を背け続けてきた、私の記憶」
目を伏せて、イリアスは語る。その声は驚くほど平淡で、冷たかった。
「守れなかったのです。ここ、トローヤ王都だけではなく、この惑星の、この世界、全てが、今日この日、滅び去りました」
イリアスの指が、屹立する黒い巨大な影に向けられる。
「……後年、ゼネバス帝国がその姿と名前を模した戦闘機械獣を開発しました。あれは、その原型となった存在。真祖(オリジナル)デスザウラー」
黒い影が咆哮し、巨大な口腔から光の渦が吐き出された。飲み込まれた建造物が、一瞬で原子レベルに分解され、蒸発する。
「守らなければ、ならなかったのです。トローヤの竜王として、守護竜の依代として。……けれど、守れなかった」
黒い影が、歩を進める。後に残るのは、炎と、黒煙と、瓦礫と、そして死に行く者達の声無き声。
「……守れなかったのです、私は。何もかも……!」
風に巻かれて、炎がティオとイリアスの間を遮る。
「私はこの身体に、古代種のゾイドコアを埋め込まれています。だから、死ぬ事も出来なかった。……ずっと、この滅びを見続ける事しか出来なかった」
炎の勢いは増す一方で、イリアスの姿が少しずつ、霞んでゆく。
「……そしていつしか、目を背けるようになりました。心の奥に、この記憶を封じ込めて」
それは、ティオも同じだった。
なのに。
「だからこれは、罰なのです。トローヤを守れなかった私への、目を背け続けてきた私への、罰……!」
そんな事を言うから。
「……違うよ、イリアス」
はっきりと、否定してやる。
「ティオ……!?」
炎の中を、イリアスの所へ向かって進む。
熱い。記憶領域に再現された仮想空間であるはずだが、炎は現実の熱さをもってティオに襲い掛かる。
それでも。
「罰じゃない。これは、イリアスが乗り越えなきゃいけない記憶だ」
振り払って、進む。
「駄目、ティオ……! 来ないで!」
「嫌だ!!」
イリアスの場所まで。
「もう充分だろう!? こうなる前にだって、君はずっと苦しんでいた! 悲しんでいた!! だから、あの時に俺を励ましてくれたんじゃないか!!」
思い出すのは、ニクス辺境の街で夜を共にした時。悪夢に――両親を失った時の記憶に魘されていたティオを励ましてくれたのは、イリアスだった。
「……そう、そうよ。だって、そうしなきゃ! 私が、この滅びを止められなかったのだもの!! 忘れる事なんて、出来るわけ無いじゃない……!!」
「それが普通なんだよ、イリアス! 誰だって、つらい記憶からは逃げ出したくなる。俺だってそうだよ! イリアスが居てくれたから、ようやく向き合えたんだ!!」
ヴァルハライザーとの精神感応によって暴走したティオを救ったのは、他でもないイリアスだ。
「それじゃ駄目なの!! 私のせいで、たくさんのヒトが死んで、なのに私は死ねなくて……!! だから、これが罰なの! 私は許されちゃいけないから! ずっと逃げて来た私への罰、ここで、この滅びを見続ける事が……!!」
「……じゃあなんで、イリアスは俺を助けてくれたの!?」
「そうしなきゃいけないと思ったから!! あなたの血を残してほしいと……ッ!!」
激情のままに叫んでいたイリアスが、口をつぐんだ。
「……やっぱり、そうだったんだね」
記憶を共有したティオは知っている。否、知ってしまった。自分がヴァルハライザーを動かせる、厳密には使役出来る理由。
ティオが、かつてヴァルハライザーを使役していた『竜使いの民』の末裔であるから。
そして古代に、イリアスが唯一心を許していた人物――シーヴァの血を引く者だから。
「……最初は、そうじゃなかったの。でも、いっしょに過ごすうちに、あなたのの中にあの人の面影を見てしまった。一度気付いたら、抑えきれなくなって……!」
「イリアス……」
「嬉しかったの……! 彼が、シーヴァが血を残してくれた事が! けど、あなたはティオ・ルタナ・ニーヴで、シーヴァじゃないって、わかってたのに……!!」
風が凪いだ。炎が僅かに、勢いを失う。ティオは一気に、イリアスとの距離を詰めた。
「……もういいんだよ、イリアス」
そして、抱き締める。今にも壊れてしまいそうな小さな身体を、両腕で大切に抱えた。
「もういいんだ。全部、知ってるから。イリアスのせいじゃない、って事も。俺を通して、イリアスが誰を見ていたのかも。俺は全部、わかってるから」
小さな背中を撫でながら、繰り返す。
「……だから、もういいよ、イリアス。ひとりで苦しまなくていい。許すから。みんな、許してくれるから」
強張っていたイリアスの身体から、少しずつ、力が抜けていく。
「つらい記憶なら、俺がいっしょに背負う。怖いなら、手を引いてあげる。だから……、いっしょに戻ろう?」
「……無理、です。だって、こんなの、重すぎる……! ティオには、わからない……!!」
「わかるよ。……イリアスも言ったじゃないか。つらさそのものはわからなくても、つらい記憶を思い出した時に、どういう気持ちになるかは、わかるって」
「……!」
ティオとイリアスの、共通する記憶。
(――「私のつらさと、ティオのつらさが同じかどうかは、わかりません。でも、そういう夢を見た時に、どんな気持ちになるかは、わかりますから」――)
一字一句、間違えずに思い出せる。あの時ティオは、その言葉にどれだけ救われたか。
イリアスの抵抗が弱くなる。そっと、ティオは手を緩めた。
「……それに、俺だけじゃない。ほら」
ティオとイリアス、二人だけが存在する仮想空間に、もう一人。
黒衣に身を包み、長い黒髪を二つに括った、海のように深い青色の瞳の少女。
「……ヴァルハライザー……?」
ヴァルハライザーの、対人コンタクト用仮想人格。
『わたしはずっと、後悔していました。あの時、戦友シーヴァの願いに逆らってでも、あなたをあの場から逃がしてはならなかったのかも知れない、と』
黒衣の少女は目を伏せたまま、僅かに声を震わせる。
『……それでも、わたしはあなたを守りたかった。シーヴァがそう望んでいたから』
少女が顔を上げる。彼女の海のように深い青色の瞳が、イリアスの空のように澄んだ青い瞳に向けられる。
『シーヴァは、あなたに生きていて欲しいと願っていました。遠い未来でもいい、いつかあなたが、笑っていられるように、と……』
静寂が、仮想空間を支配する。
「……――!」
聞こえないほどの、小さな声で。イリアスはその男の名を、呟いた。
「……俺も同じ気持ちだから。イリアスには、笑って欲しい。いつか、ちゃんと心から、笑えるようになって欲しい」
「……いい、の? 私は、許されて、いいの?」
「誰が何と言おうと、イリアスが自分を許せなくても、俺は許すよ」
「笑えるようになって、いいの?」
「……うん」
どん、と衝撃。イリアスが、ティオの胸に顔をうずめた。
「ごめんなさい……! 私、今どうしていいか、わからないの……!」
「……これからゆっくり決めればいいよ。だからさ」
そっと、ティオはイリアスの肩を抱き、向き合う。
「いっしょに、戻ろうか」
……泣き笑いの表情で、それでもハッキリと。イリアスは頷いた。
それから、色々な事があった。ナツキやアステルにイリアスを紹介し、クリスハイトに可能な限りの情報提供(流石にイリアスの素性は伏せたが)をして、他にも諸々なあれそれを片付けて、数日後。
「……ここが、トローヤ王都」
「の、跡地です。……地下神殿郡はまだありますけれど、地上はもう、ただの荒地ですね」
ティオとイリアスの二人は、トローヤ王都跡を訪れていた。二人を見守るかのように、漆黒の竜と白亜の竜が背後に聳えている。
乾燥した大地が広がる、極寒の土地。
かつてはここに、栄華を極めた古代文明が存在していた。
そこで、イリアスは生きていた。
「……今まで私は、ずっと囚われていたのですね」
イリアスが、握っていた手を広げる。そこには三枚の、不明瞭な紋様が刻まれた青いメダルがあった。
エレミア砂漠の遺跡と、そしてもう一枚は奇しくもオリンポス山の遺跡。それぞれに残っていた、古代の記録が収められたメダル。あの後、ティオはイリアスとの約束通り、このメダルを探し出した。
訝しげにその様子を眺めるティオを他所に、イリアスは再びメダルを握り締めると――その手を大きく振りかぶって、三枚のメダルを投げ捨てた。
「ちょ、イリアス!?」
「縋りたくなってしまいますから。持っていたら、きっと」
冷たい風が、イリアスの銀髪を揺らす。
「……『過去』にしなくては、あなたに失礼だもの」
そして、イリアスがティオに向き直った。
「ティオ。非礼を承知で……、前言を撤回させて頂きます」
真っ直ぐに、空のように澄み切った青い瞳がティオを見つめる。
「これからも……、あなたとといっしょに居させて下さい」
その言葉が、かつてヴァルハライザーの機上で聞いた質問への答えであるとティオが気付くまでに、少しばかりの時間を要した。
「……そっか。ごめん、俺、これからどうするかなんて、何も考えてないや」
「これからゆっくり、決めればいいです。……二人で、ね」
仮想空間で言った台詞をそのまま返され、ティオは苦笑した。
「うん。……それじゃイリアス、行こうか?」
「――はい!」
満面の笑みで、イリアスが答える。その表情からは、かつてティオが感じた小さな違和感は、微塵も感じられない。何より、
「……ティオ? 何だか顔が赤いですよ?」
向けられたティオが思わず赤面してしまうほどに、綺麗だった。
おわり。
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