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アカガメ号航海記

週末は、ヨットで気ままにどんぶらこ!

ヴェ・イ・ヴォイトフ『単独航海の記録』

2009年06月20日 | 海本コーナー
ヴェ・イ・ヴォイトフ『単独航海の記録』

1971年にモスクワで出版された「海のロビンソンたち」の邦訳。
海洋航海の歴史がみっちり。
なんだか歴史の教科書を読んでいるみたい。

日本のセーリング文化の活性化を目指すには、まず教育から。
とりあえず「世界史」の一部として「海洋航海史」を!!!
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p8 フランシス・ブレントン、シエラ号、カタマラン、大西洋横断航海
p13 アラン・ボンバール、フランス人医師
p29 アルフレッド・イェンセン、初の大西洋横断、1876、港町グロスターからリバプール、デンマーク人、100年号
p36 ショシン・ローラー船長が2番目、ウイリアム・アンドリュースが3番
p110 太平洋単独横断、ジョン・コールドウェル、1946、妻に会うためにパナマからオーストラリアまで、自著『向こう見ずな航海』
p112 ウイリアム・ウィリス、1954、60歳、筏、七人姉妹号、エージ・アンリミテッド号
p132 イギリスの船乗り、ブライアン・プレット、日本の漁船の漂流の道をたどる航海、1959
p134 堀江謙一、1963、「孤独は耐えがたかった。一人ぼっちの人間は不幸だ」とこのヨットマンは日記にかいた
p138 アレックス・カロッツオ、1965、ゴールデン・ライオン号
p144 ジョシュア・スローカム、スプレー号、1898
p147 アメリカ人、スローカムに次いで、ハリー・ピジョン、アイランダー号
p172 アラン・ジェルボ、世界一周、ファイアークレスト号
p173 アルフレッド・ピーターソン、ストロムウェイ号
p174 ジャック・イヴ・ル・ツレメン、クールーン号
p178 「世紀の旅行家」フランシス・チェチェスター ジプシー・モス四世
p181 アルゼンチン人、ヴィト・デュマ
p206 (チェチェスターがなぜこの航海をしたのか?と問われて…)「私はその質問に60の答えができるだろうが、そのどれ一つとして正しくはないだろう。いずれにしろ、私はこのような航海が人生を生き生きさせるものだと思っている。このようなことに取り組めば、あなたは明るく生きるだろうし、このこと一つだけでもすべてが正当化される。つまり、あなたが完全な生活を営みたければ、その手段の一つがこれなのです。」
p207 オプティ号、1966、レオニード・テリガ、ポーランド
p216 ベルナール・モアテシエ「私はプリマスへは行きません」
p218 単独無寄港世界一周、ロビン・ノックス・ジョンストン、スハイリ号
p223 ロビン・リー・グラハム、ダブ号

松永義弘『トリとネコと無風先生の航海』

2009年06月20日 | 海本コーナー
松永義弘『トリとネコと無風先生の航海』

初老?の夫婦と大きくなった娘の3人で、館山から福岡の米納戸まで行く740マイル、29日の航海記。
ネコとトリを連れていくという、ほのぼのとした航海。(途中、ネコちゃんが亡くなってしまうが…)
シンプルで飾らない文章から、誠実な人柄がしのばれる。
こんな風に、家族旅行に行ってみたいなぁ。
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p12 大王崎も潮岬も、江戸時代から海の難所といわれている
p19 第三登日丸、館山港、ノラ26、ガフリグ・カッター
p26 波浮港投錨、元禄16年(1703)、江戸だけでも四〇〇〇〇人に近い市民が死んだといわれる大地震のとき、大島も激しくゆれて、火山湖の海側の壁が切れ、海とつながった。…中略…、寛政12年(1800)、秋山平六というひとが大工事をおこして、湖の切れ目を掘り下げ、堀り広げて港をひらいた。
p37 長津呂(石廊崎付近)は、帆船時代、風待ち港、避難港として、よく利用された。
p106 お皿の洗い方は簡単だ。大きな網に汚れたお皿を全部入れて、夜、スターンから開通につるしておく。すると朝になると潮とお魚がきれいにしてくれる。お湯をかけて熱湯消毒すれば、はい、おしまい。
p144 それにしても小才角はきれいだ。

舵編集部『クルーザー運用の実際』

2009年06月02日 | 海本コーナー
舵編集部『クルーザー運用の実際』

また時代遅れのハウツー本か、と最初は侮っていたが、この本は違った。
ヨット乗りになるための心構えが、分かり易く、納得しやすく描かれている。
ヨット小学校があったら、1年生の教科書にぴったり!
今回は図書館で借りたけど、座右の書とするに値する一冊。

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p7 艇内のテーブルに着くときは、船首に向かって右最前部がスキッパー、左最前部がナビゲーター、以下右、左、右、左の順に上級者から着席します。ちょっと古い原則論のようですが、船では原則として右が上席なのです。
p13 海図を能率よく用いるために ①赤色マーカーで暗岩、危険界線、5メートル等深線など、近寄ってはならないものをマークしておきます。②コンパスを用いて、灯台を中心とし、その光達距離を半径とする円を描いておきます。 ③海図図式を用意しておきます。 ④「党代表に掲載されている灯略記を切り取り、チャートテーブル付近に貼り付けておきます。 ⑤浮標式についても④と同じです。

岡本篤『ぼくの太平洋大航海~お父さんとヨットで太平洋横断!55日間の記録』

2009年05月27日 | 海本コーナー
岡本篤『ぼくの太平洋大航海~お父さんとヨットで太平洋横断!55日間の記録』

昭和54年の夏休み、小学校六年の男の子とお父さんがダブルハンドで太平洋横断。
「父子のきずなを強めるために、はたしてこのわたしになにができるのか?」と、著者の父が真剣に考えた結果の、この航海。
人生に誠実な、お父さんの「あとがき」に感動した。

いいお父さんをもった君は、ラッキーだ!
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p8 堀江さん、鹿島郁夫さん、牛島龍介さん、青木洋さん、栗原景太郎さんら、パイオニア
p26 堀江謙一さんの「世界一周ひとりぼっち」
p29 石浜紅子さんの航海日誌
p135 神田真佐子「アストロ号日本一周航海記、ふたりだけのヨット旅行」
p163 けれども、いちばん気がかりなことは別なところにありました。少々はみ出してもよい、信念をもった、勇気ある強い男になってほしい、と願い育ててきた篤が、しばらく見ぬうちに、なんとなく都会生活のわくにはまって、救いようのない、ひ弱な人間になりつつあるのではないかということでした。
p166 SK31、くろしおヨットクラブ、渡辺修司氏の設計
p169 アルビレオ号、洲本・サントピアマリーナ
p170 バスコダガマの喜望峰⇒コロンブスの米大陸発見⇒マゼランの世界一周
p171 1962年堀江謙一<マーメイド号>⇒1967年鹿島郁夫<コラーサ号>⇒1969年牛島龍介<サナトス号>⇒1975年青木洋<信天翁号>
p171 チャップリンの映画「街の灯」、人間が希望を持って生きていくには「勇気」と「情熱」と「サムマネー」、この3つを大事にすれば、とはげます。

ドット・オズボーン『冒険への航海』

2009年05月19日 | 海本コーナー
ドット・オズボーン『冒険への航海』

この本、おもしろすぎる!

16歳で年齢を偽り海軍へ入り、ケンカに明け暮れ、帆船に乗り組み、スパイになり、日本軍の捕虜になり、処刑されそうになり、そして有名人になり、本を書き、…。
もし、この話が実話なら(実話とのことだが、にわかに信じがたい内容ばかり)、この著者は超人だ。
あまりに冒険的で波乱万丈な人生。
一気に読み終えた。
久々の大ヒット!
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p198 戦争が始まったため、かねて計画していた冒険計画がだめになってしまった。その計画というのは、、<パット号>の遭難後ヒントを得たのだが、一歳の近代的器具を使わずに航海してみようというものだった。つまり、水の色、潮の流れ具合、風、星だけをたよりに、たったひとり、帆船にのって航海するのである。
刑務所にいるあいだに、私はこの船の設計を済ませ、釈放後、テームズ河のある造船所で建造に着手させていた。

栗原景太郎『白鴎号航海記』

2009年05月19日 | 海本コーナー
栗原景太郎『白鴎号航海記』

昭和44年、エノシマから喜望峰、マゼラン海峡を回って475日。7.5mのスループで世界一周した男女三人フネ物語。

序文は、なんと石原慎太郎。
本文にも、「僕は、日本人すべてが、いわゆるエコノミックアニマルばかりでないことを、世界中に示したかったのだ…」
熱気あふれる60年代の青年の「気負い」がまぶしい一冊!

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p21 アラン・ボンボワール「実験漂流記」、ヘイエルダール「コンティキ号の冒険」、「青い大陸」「モアナ号の冒険」「海底二万里」などの記録映画
p30 武田信玄、なせば成る、なさねば成らぬ、成る業を、成らぬと捨つる、人のはかなさ」
p44 奥村ボート製作所、鹿島郁夫のコラーサ号もここでつくられている
p100 「これがほんとの”風と共に去りぬ”だな」
p116 僕の愛読書、ツヴァイクの『マゼラン』
p130 「なあ栗原よ、やっぱりヨットというのは、こうして碇泊しているときが、いちばんいいなぁ。」
p260 僕自身は今度の世界一周から、次のようなことを学びとったつもりである。
 第一に、冒険は無謀であってはならないということ。僕の場合はたまたまヨットだったが、それ以上に大切なことは、人間いかに生くべきかという”人生の冒険”だと思う。この冒険も常に無謀を排除し、周到なる計画と計算の上に立脚した歩み方で行きたいと痛感した。
 第二に、ヨットで外国を訪れるものは、無冠の外交官の一員だという自負心を持って行動すべきだということ。というのは、普通の旅行者と違い、ヨットマンはかなり多くの外国人と接するチャンスがあり、国際親善に役立つところ大なるものがあるからだ。
 第三に、これは当たり前のことだが、英語などの語学力をつけるとともに、音楽的な教養を身につける必要を痛切にかんじたころ、音楽は異国人どおしのここをの扉を開くための重要なカギとして役立つからだ。

金子純代『ヨットが好き』

2009年04月27日 | 海本コーナー
金子純代『ヨットが好き』

独身の金子さんがヨットレースに魅せられ、紆余曲折ののち、自分でチームを立ち上げて’91 メルボルン~大阪ダブルハンドヨットレースに<マリーナシティクラブ>で出場した話。
女の子っぽいけど、男らしい?さっぱりした考えの人だな、と思った。そして元気。
有名なエレン・マカーサーをはじめ、今給黎さん、この本の金子さん、そしてエノシマのO角さん(最近お会いしていませんが)、その他にも思い浮かぶ方数名。ヨットにはまってる女性は、なぜこんなに元気?
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p13 <月光>
p19 ケンウッドカップ、<織姫>
p123 三木さんのお店「雪国」はキングクロスという有名な繁華街のはずれ日航ホテルの側にあり、シドニーの中で一番おいしい日本食店です。シドニーに行かれる方は是非寄ってください。高くありません。
p158 神保町のおいしい寿司屋の「金寿司」
p198 堀江謙一さんから「いまのFRPの艇は多少珊瑚礁にぶつかっても壊れません。大丈夫ですよ」とメッセージが入っています。

竹内秀馬『オールドヨットマンのソロ航海記』

2009年04月27日 | 海本コーナー
竹内秀馬『オールドヨットマンのソロ航海記』

商船学校卒、海員学校教師経験のある根っからの船好きの人が退職後にヨット乗りに。母港は愛媛・波方から、段階を追って航海を重ね、「成長」していく記録。
ただのセカンドライフ航海記ではなく、行間に著者の礼儀正しさ、誠実さがあふれる。まさにオールドソルト。こんなジイさんセイラーになりたい!
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p16 いい年をして今更ヨットでもあるまい、と笑う人もいるだろう。しかし、これはあくまで私の問題で、私が愛艇<あほうどり>を手に入れ、この初航海で得たものはとうてい他人(ひと)にはわかりようがない。…中略…そしてこれから先、この<あほうどり>での見知らぬ海への航海が、どんなうれしいこと、そしてどんな苦しい試練を与えてくれるのであろう。ついに少年時代の夢が復活し、実現したのである。
p37 「疲れた顔するなよ」「自慢の大声で話すんだぞ」「背をピンと伸ばせよ」と鏡の中の自分に言い聞かせ、上陸してからもたびたびこれを繰り返した
p137 田辺英蔵の『キャビン夜話』
p182 引退後に始めたヨットのことで、未熟な私に本州周航は自信がなかった。しかし、体力があるうちに長いクルージングは済ませたいとがんばった。おかげで念願の江差の土を踏むことができた。

竹内秀馬 1920年香川県粟島生まれ 1983年あほうどり購入、セカンドライフスタート。 現住所〒794 今治市高地町1-1738-10 ご健在であれば今年89才。

越野民雄『わたしエリカ号』

2009年04月27日 | 海本コーナー
長江裕明さんが、自分で作ったクルーザーで妻と娘で4歳の「エリカ」ちゃんと一緒に世界一周をした記録。
その物語をエリカの日記風にまとめた、一風変わった航海記。
エリカが航海中にクジラに出会ったり、学校に通ったり、嵐に遭ったり、両親の夫婦喧嘩に戸惑いながらもしながら成長していく姿がかわいい。うちにも4歳の娘がいるだけに、読みながら「4歳の娘を数年がかりのクルージングに連れ出すこと」の是非?について真剣に考えた。その結果、やはり、常識人の私にはマネできない…。改めて、長江さんのような変わった人?の素晴らしさを痛感したのでした。

…ちょうど、カジを読んでいたら、長江さんの訃報が掲載されていてビックリ。
ご冥福をお祈りします。
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あとがきより(抜粋)

…子供のころ、数々の海洋冒険小説に登場する主人公のように、自分もいつかこの広い海を渡り、世界をまわってみたいと夢を描いていた。東京に出て、ヨットに夢中になっていたころ、ジェニファーと出会い、結婚し、やがて娘の絵梨佳が誕生した。船の設計も、最初は一人だけの小型だったものが、家族が増えるにつれ、だんだんと大型のものへと、たびたび変更した。
十余年をかけて万全の準備をしたつもりでも、航海は想像を超える厳しいものがあり、激しい嵐や落雷に見舞われたり、座礁し沿岸警備隊に救助されたこともあった。…とくに、4歳から9歳までを海で過ごした絵梨佳は、大自然の中で多くを学び、体験し、また、百を超える寄港先では、現地の小学校に通ったり、子どもたちと楽しく遊びまわったことなどで、たくましく成長した…



ハル・ロス『ホーン岬への航海』

2009年04月24日 | 海本コーナー
ハル・ロス『ホーン岬への航海』
(野本謙作 訳)

魔の岬「ホーン岬」に憧れ、妻と愛艇<ウィスパー>と共に、南米南端海域の強潮と烈風を乗り越えて岬の回航を達成した、静かな闘志を感じる物語。
スプレー号航海記に出てきた地名がたっぷり。
迫力あるチリ沿岸の写真を見ていると、なんだか行ってみたくなってしまった…。
命があぶないけど、「航海」先に立たず、とも言うし、ね?
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p1 W.A.ロビンソン「偉大なる南海へ」
p13 スミートン、モアトシェ、ノックス・ジョンストン、カネロイド号、マヌマ号
p14 ウィリウォー
p269 「ふたりの太平洋」


迫正人『世界一周 子連れ航海記』

2009年04月24日 | 海本コーナー
迫正人『世界一周 子連れ航海記』

ヨットで旅を始め、途中で知り合った女性と結婚し、子供を授かり、離婚して、その後も子供と二人で、延べ7年8ヵ月の世界周航をやり遂げたワイルドな手記。
幸せの絶頂、悲しみのどん底が交互に続くこの本、読んでるだけで気が疲れる!
迫さん本人は本当に大変だっただろうなぁ。いつか会ってみたい人。
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p109 確かにヤマハのヨットやボートは買えば簡単に手に入る。だが、それでは壊れた時に修理もできない。僕の場合、すべて手作りだったから、応用もきくし、完全に修理もできる。
p109 垂乳根
p137 ふりそそぐような満天の星の下で、ワイングラスを片手に夕食をとった。バックグラウンド・」ミュージックはショパンのピアノ・ソナタ。静かなメロディは本当に心をなごませるのに十分であった。
p223 現住所 鹿児島県川辺郡笠沙町赤生木610


大儀見薫『波切大王の冒険』~太平洋縦断1万2000キロ~

2009年04月24日 | 海本コーナー
大儀見薫『波切大王の冒険』~太平洋縦断1万2000キロ~

いままで読んだヨット本にたびたび登場する「大儀見薫」さんが、1987年のメルボルン~大阪ダブルハンドヨットレースに優勝した話。
家族持ち、大企業の管理職でありながら、夢を追う覚悟を決めて、3か月も会社を休んだあんたはエライ!

この人の考え方は、共感できる部分が多かった。
偶然か、息子の名前も同じだし。
一方的に、親近感が湧いたなぁ。

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p3 ヨットの世界では年齢はなんら決定的要素とならない。それどころか熟年世代の経験と強靭な精神こそヨットには最適なのである。
p23 息子の元(げん)
p42 夢を追う大人がいてもいい
p53 ずいぶん悩み、迷った。/そして長い惑いの末、私は一つの決断をした。/たとえ会社を辞めることになっても、このレースに出場する。
p84 私は意地になった。巻きついた以上巻き戻すように、一つ一つ手順を踏んで行けばほどけるはずだと自分に言い聞かせた。
p130 エドワード・ヒース『ヨットとわが人生』
p130 なぜヨットをやるのかと問われて、「人生が充実するから」とヒースは書いているが、私もまったく同感である。
p181 …ところがその返事たるや、/「なんでもおれがやると思うなよ!」/涙が出るほど悔しかったが、ここは腹が減ったついでに腹の虫もおさめるのが正解だ。
p207 1.外洋ヨットで航海することは、「作業」することである。2.外洋ヨットは作業船であり、工房である。3.士官は技師長、クルーは工員。しかも、道具や材料がなくても、あり合わせの物を使って何とか修理できる能力を持っていなければならない。4.外洋に出るクルーは、いかなる状態のときでも、マスト・トップに上れるの力を持っていなければならない。5.艇の上のあらゆる装備を熟知しており、いかなる状態においても、これを修復する能力を有していなければならない
p216 チャップリンは、モダン・タイムスで「夢と希望とちょっとしたお金があれば」と名言をはいたが、私は「夢と希望とちょっとした勇気」と言いかえたい。
p236 <SIRENA 179>、二宮

宮田秀明『プロジェクトマネジメントで克つ!』

2009年03月31日 | 海本コーナー
宮田秀明『プロジェクトマネジメントで克つ!』

アメリカズカップに出場したニッポンチャレンジの、艇の設計プロジェクトの話。
効果的な「組織」について話がメインで、いわゆるビジネス書っぽい。最初はヨットの本かどうかさえ分からなかった。
あんまり潮っ気のある話ではないが、一応読んでみた。
設計の裏話として、面白かった。

著者は元ニッチャレの艇の設計をマネジメントした東大教授。
韋駄天、阿修羅といった艇の設計で、東大の学生が大活躍。
万一、10年早くヨットを知っていたら、もしかしてちゃんと勉強していたかも???
というより、ヨット⇒ビールの味を知って、身を滅ぼしていたにちがいない…
よかった…。

あれ?10年前ではもう会社員だ。
20年前か!

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p96 優れたリーダーは、最終目標から目を離さない人である
p106 ポジティブ・スパイラル
p147 J44 阿修羅
p150 J52 韋駄天



佃昭二『ディンギーセイリング』

2009年03月25日 | 海本コーナー
こりゃわかりやすい!
読めばディンギーに乗りたくなる、そしてレースに出たくなる本。
エノシマが舞台なのもGOOD。
今シーズンのレースに、この知識を役立てよう!
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p2 …ヨットという一見優雅な乗り物は、私たちの錆びついた野生のアンテナを最も効率よく磨いてくれる道具であり、私たち現代人を「自然と一体化」させてくれる夢の船なのです。
p11 基本フォームが重要、①上半身が外側に傾いていること、②あごは引いて頭は垂直を保つこと ③脇を締めること
p16 ハイクアウトからの復帰は、頭からではなく、腰から!!
p22 ティラーはフネの状態を知るための重要なセンサーでもあるのです。
p156 乗艇位置、ウェザーヘルムを減らすには前乗り
p157 ヨットのチューニングとは、乱暴に言ってしまえばヘルムをニュートラルな状態にするということです。
p184 テルテールを完璧に流すコツは、…具体的に何を目安にテルテールの乱れを予測すればよいのでしょう?それはヒールです。外側から見ていたらヒールとも思えないような微妙なヒールが、テルテールが乱れる前兆となって現れるのです。…これらの微妙なヒールを感知するのは「目」です。
p198 大西型(突風型)、朝鮮半島から発達した低気圧が日本海に入ったときにおこる現象です(太平洋側にも低気圧)
p233 タッキングは必ずブローで行う
p241 下マークを回航し終ったと同時に完全なクローズホールドであることが大切です。
p249 ヨットレースは記憶力が勝負。…まず記憶することから始めてください。下マーク回航時に自分の前後にいた数艇のセイル番号を覚えることです。そして、アップウインドのレグに入ってから、彼らと自分の順位がどう入れ替わるかをチェックします。

豊崎謙『挑戦そして帰還』

2009年03月08日 | 海本コーナー
豊崎謙『挑戦そして帰還』
~Whitbread Round the World Race 1993-94 「海のパリ・ダカ」32,000マイル 小松謙一、46歳の航跡~
写真・添畑薫

小松謙一さんの体育会系思考の一端に触れられます。
厳しさ、謙虚さ、気迫。

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p14 3人のセイラーがそろった…<ヤマハ>の小松謙一(46歳)、<トキオ>の原健(31歳)、<ハイネケン>の松永香(30歳)
p31 (日体大でヨットを始め、フィンを買うときにメーカーの人に)「…大学の3年間で必ず日本で何番かに入る選手になってみせる。それだけの自信がある。なぜなら、江の島でヨットをやっている名だたる選手たちが、日体大の同僚のような激しい練習をしているのを見たことがないからだ。私はそれ以上の練習をする。経験というのは時間が必要だしセイリングセンスと言うのは生まれながらのもの。でも体力はやればつく。だから、まずそこから攻めていきます」
p132 『ダブ号の冒険』