まずは、ネットで目に入るニュースから。
彼女がブチ切れたクリスマスプレゼント「貯金をはたいて買ったのに…」
そして、ぼっちクリスマスというのを検索してみたら、こんなに出てきた。
いや、これ、ぼっちクリスマスは嫌だよね、というのを前提に話を進めてますね。
そして、もし、このブログの常連さん以外に、ひょっとして今日のタイトルが目に入って、本当に悩んでいてここにいらっしゃったとしたら、最後までお付き合いください。
そんなことで悩むのは馬鹿馬鹿しいです。
まず、クリスマスは宗教的なお祝いであることはご存知ですね。
Christmas は、Christ-mas すなわちイエス・キリストの生誕を祝うミサということです。クリスマスケーキを食べる日でも、恋人と銀世界で一緒に過ごす夜でも、プレゼントを交換する日でも、サンタクロースの格好をする日でもないです。これは、今騒いでいる毒ちん騒動と同じで、商業主義に則って作り上げられたものです。本来日本にはないイベントで、そういう意味ではハロウィンも同じですね。そんなものに夢中にならなければ、韓国であんな事件も起きることがなかったのです。
この辺りのことをエーゴを勉強している人ならリスニングのつもりで、エポックタイムズのショーをご覧になると良いです。サンタクロースがどうやって作られて行ったか、
え?北極から来るって?
Nah~~~~
ボー・デイヴィッドソンさんのショーですが、クリスマスは宗教的な祝日であること。それが、特にアメリカではユダヤ人や他の宗教を信仰する人を差別しないために、Merry Christmas!からHappy Holidays!に挨拶が代わっていること、そして、キリスト教の部分が削ぎ落とされていること、サンタクロースが贈り物をばら撒いていく姿から、何を貰うかがメインになってしまっていること、さらには、SDGsとか、地球温暖化とか、そんなことに寄付はするけれど、このクリスマスの教会に寄付をするということはほとんど注目されないこと、ある牧師はこのコロナ禍でミサを開いたために逮捕されていること、そして、クリスマスの精神である家族の繋がり、これが近年の全てをコンディション化する動きで、家庭でなくて、市町村が子供を養育、しつけや教育も家庭でなくて、学校が責任を持つという方向に動いているんですね。少しずつ政府や企業がそれをサポートしていくから、ゆっくりと確実にそう言った方向に動いていくのです。ぼっちクリスマスはその良い例。12月24日のクリスマスイブを一人で過ごすことがそれほど悪い事なんでしょうか?
とってもナンセンスです。ネズミーの配信、ティム・アレンのサンタ・クロースは、アレンがそういった商業主義に対抗してコメントを発しているのに対し、あちらこちらから槍玉に挙げられているようです。まずは、オフィシャルトレーラーから:
そして、こちらは違うバージョンです。
マライア・キャリーはクリスマスソングのレーベルをめぐっての訴訟で負けたそうです。クリスマスと言ったら、ジャクソン5、マライア、そしてワム、みたいなもんですけどね。
ずっと前から書こうと思っていたことが、今起こっているWokeという動きです。すべてが平等でなければいけない。この動きは必ず何かを見つけて非難するんです。それが上で言ったコンディションということです。条件がついているんですね。
だから、そんなものに左右されていては自分の人生を歩めないんです。
クリぼっちなんて言葉に振り回されたらいけません。そんなことより新しい年に向けて準備をする時期です。冬至を過ぎて、昼の長さが長くなり始めます。
サンタクロースのもとになった聖ニコラスは、現在のトルコ南西部にある街でローマ帝国によってキリスト教が迫害を受けた時、その教えを守るために戦った牧師と言われています。今のふくよかな白い髭のお爺さんになったのはアメリカに渡って、商業主義とマッチしてからです。
彼の精神こそがクリスマスの精神。それは与えるということ。Giveです。
Giveは見返りを求めるものでも、何かの効果を目論むものでもない、心から他の人のことを思い差し上げることです。
私はこの時期、ゆずのジャムを作って親しい人たちに差し上げます。大人の集まりにはちょっとしたチョコレート。ほっこりしたいなら、しばらく会っていない田舎の両親に電話をかけてみる、こんなのもクリスマスですよ。
(半分眠気で空になりながら打ってるので、誤字脱字、変な日本語があったらお詫び申し上げます。)