goo blog サービス終了のお知らせ 

Making a good sound living

ブログ♪ファミローザ・ハーモニーより最新情報をお届けします♪

心のもの差し

2006-02-23 | エミコ
 音楽、映画…これは良い!っていう決め手になる、心のもの差しは人それぞれ。私の決め手はどうやら“切ないどうか”…これに尽きるようだ。音楽を聴いていて、歌詞やコード、メロディの進行に胸がキュン!となったり、本を読んでいて、ある文章が胸の奥の甘酸っぱい気持ちを呼び起こしたり。映画の終わりがハッピーエンドなんだけど、どこか切なさを伴っていたりすると泣き笑い(笑いというより、笑み)みたいな…何とも複雑な、変に満ち足りた気持ちになったり。ハッピーとは違う、悲しさとも違う、ちょっぴり幸福で、どこか哀しげ…“せつない”という感情はすごく曖昧、微妙。そこの部分で好き嫌いをジャッジするって感覚、自分でもちょっと不思議。
 私が高校3年まで生まれ育った家は高台にあったので、子供部屋から街並みや、天気が良ければ山並みも、そしてその中に沈んでいく夕日を見る事が出来た。私は窓辺に腰かけて、その景色を見ては、よく泣いていた。これと言った理由がある訳でもなく(好きな人がいた時には、だいたい好きな人を想って…かな?)もの哀しい気持ちになってしまって。その時は、何と言って良い感情か分からなかったけれど、きっと、それは“切なかった”からなのだと、今思う。今、音楽や何か映像を見て胸キュンになる感覚は、その時と全く同じ感覚。
 たとえば、暗くなるギリギリの時間まで毎日、遊んでるような子供だったら…何の制約もなく好きなだけテレビを見ているような子供だったら…そういう感情は育たなかったかもしれない。私にはピアノという毎日、やらなければならない事があった。限られた時間の中で練習する為には遊びやテレビの時間には制約をつけないと出来なかった。子供心にそれを辛いと思った事も勿論あったけれど、その制約のお陰で感情のアンテナが研ぎ澄まされていったような気がする。その結果が今の私。この“切ない”という感情はとても贅沢な感情だと、私は思っている。環境が悪かったり辛かったりしたら悲しみや怒りの感情が勝ってしまい、生まれてこない感情だと思うから。“切ない”と感じれるのは幸せだから…と、私は思う。だから、とっても大切。

生まれて初めてのインフルエンザ

2006-02-20 | エミコ
『最初に治った響生は一人でオムライス(あとは全員おじや~…)』

 生まれて初めてインフルエンザにかかってしまった。まず長男の響生が発症。次に私、夫、そして長女の彩音。すぐにお医者さんに行って薬を飲んだので、だいたい1日で熱も下がり、あとは人にうつらないように家にいるのみ。だから、元気な子供達は異常にうるさい。そんな中、末っ子の恵音はなかなか発症しない。機嫌もいつも以上に良くて、まるで私達を激励しているかのようにニコニコしている。ただ、後の全員は菌を持っている訳だから、必要以上に近づかないように(といっても、狭い家が菌だらけなのだから意味ないんだけど)触らないように、他の2人を制止するのが大変。そして、やっとやっと最後にかかったらしい。(らしいというのは、検査は白だったのだけど、土日を挟むという事で熱が上がったらすぐに飲ませるようにと薬をもらっていたので)

触発

2006-02-19 | エミコ
 この前のブログで書いた、来世の夢…次に生まれ変わったら、どうなりたいか?…それを考えたのは、NHKのトップランナーという番組に私の好きな音楽プロデューサー、冨田 恵一さんが出ていたのを見て。結構、前から彼のサウンドがとても好きで彼のアルバムをくり返し聴きまくっていた。ディスコグラフィーを確認したら“この曲良いなあと”ひっかかっていたものは、ほとんどが彼の編曲だった。番組内で、楽曲を渡されて、どのようにアレンジしていくかという行程もやって見せてくれた。彼いわく、幼い頃からピアノ、オルガンを学んでいてクラシックが嫌だった。小学校1年生くらいの時にクラシックの和音に一つ音を重ねると(7thにするということ)好きな響きになる事を発見したと言っていた。(私はそれに気づくのが遅かった!ただ気持ちいいなあと聴いていたのみで、分析しようとしなかった!く~)学生時代、ギターをやろうと思い、雑誌でギタリストの巨匠が1日10時間、練習しているという記事を見て、やっぱり、それくらいはやらないとなと思い2年間くらいギターを毎日10時間、練習したそうだ。そういう過程もあって、生音で出来る事は全て自分でやっている。つまり、今よくある全てコンピューターによる打ち込みというサウンドではない。彼は、ドラムはこの人、ピアノはこの人、ギターはこの人、弾き手によって同じ曲なのにニュアンスが違う、そこに音楽の楽しみを見いだしていた時代に育ったから生音にこだわるのかもしれない…という事を言っていた。私も本当にそう思っていた、随分前から。ユーミンが好きで聴きまくっていたけれど、突然、打ち込みサウンド色が強くなった、あるアルバムから飛びついて聴くということは無くなってしまった。何かが違う。打ち込みを気軽に出来るようになって、裾野は広がったけれど、それに何の意味があるんだろう?ハーモニカのおじいちゃま、トゥーツ・シールマンスのライブでも感じたけど、楽器と溶け合うくらいの一体感を感じられなければ、それは右から左へ通過するだけ。少なくとも、私にとってはそうなのだ。
 そんな事から、自分のアイデアとテクニックで楽しめる次の人生を切望してしまったという訳。今の人生の残りの時間では、とうてい間に合わないから。だからって、この人生でも死ぬまで努力し続けないと、来世の理想へは結びつかないと思うから、大変だ~!

将来の夢

2006-02-18 | エミコ
 小さい頃、誰でも聞かれる「大きくなったら、何になりたい?」
そう、小さい頃は未来が無限に感じられた。何にでもなれる気がしていた。それ故に、なりたいものは気分でコロコロ変わる。それが、いつしか「こうなれたらいいな」という理想に変わり、もっと追いつめられると「せめて、これくらいであってくれたら…」となる。思い返すと私の場合、こうありたいという理想に向かって走りまくっている期間が長かった気がする。子供が生まれてそれが歩くスピードに落ち、2人、3人と増えるごとに、多少は自分をさておいても子供に…(あくまでも精神的な部分で。食べ物に関しては平等だ~!)というモードに自然にスィッチが入っていった感じ。その気持ちの変化は、自分がいかにここまで幸せにやってこれたかに他ならない。そうは言いながらも、編み物やらビーズやら、やりたい趣味もたくさんあるし、見たい映画、読みたい本、聴きたい音楽も山ほどある。感動に浸る余韻の時間だって欲しい、何かに取りかかる為の準備の時間だって欲しい…。そして何より、使命として与えられた事をやらなければ、この人生の意味が無いと思う。そう考えると、やっぱり限りが見えてくる。まだ手を付けていない興味のあることは沢山あるのだけれど、ここまで来たら、幾つかには蓋をしないと、きっと何もかもが中途半端になってしまう
 そして私は思った。来世の夢。北欧に生まれて、デザイナーになる。大きすぎず、小さすぎない。忙しすぎず暇すぎずで自分の店を持つ。または、ミュージシャン。ジャンルはグルーブ感を楽しめるフュージョンやジャズ。色々な人とセッションしまくり、ある意味“この人でないと”という存在を確立する。これに共通する願いは二つ。一つは女性である事。もう一つは、愛する夫と子供に恵まれる事。何だか、そんな事を考えていたら、ワクワクした気持ちになってしまった。ただ問題は、その生まれ変わった時代、今以上に地球が汚れていたら、自然破壊が進んでいたら…いや、もっとひどいのは地球滅亡までカウントダウンなんて時だったら…。
いかん、いかん!ネガティブ志向では。その頃までには、きっと科学博士が空気清浄機、自然維持装置のお化けでも作って、地球は自然と人間の共存するオアシスに変貌しているに違いないのだ!…と、念じておこう!

この人じゃなきゃ…

2006-02-15 | エミコ
『“この人じゃなきゃ…”の人に。今年のヴァレンタインは、チョコブラウニーを作りました!』

 前にある番組で、叶恭子さんが恋人という存在について、一緒に出演していた女優に「その人じゃなきゃダメなの?男子は毎日、生まれているのよ。」って(ある意味、真実だが)不思議そうに聞いていた。聞かれた側は「そう、その人じゃなきゃダメなの!」って声を大にして答えていた。“その人でないと…”そう思える存在に何人出会えるか、それは幸せのバロメーターでもあると、思う。家庭教師の先生、ピアノの先生、好きになった男の子、夫、姉妹、親…例えば、いじめっ子だって、その子が私をいじめたから、それを救ってくれたこの人が大切な存在になった、ということであれば、いじめっ子の存在も必要不可欠だった事になる。そして、子供は私のおなかから生まれた瞬間から“この子でないと…”という存在になってしまう。その存在は、人間の強みにも弱みにもなる。弱みにつけ込んで、人間はとんでもない事をしでかす。脅迫、誘拐、戦争…哀しい。哀しすぎる。キリンジの歌の歌詞にあったー「捨て身のヤツに負けはしない。守るべきモノが俺にはあるんだ…」そういうパワーにのみ転化する事は出来ないのか?ソーラーパワーのように、人の怒りや負のパワーを電気に変えられたらいいのに

顔に出る!

2006-02-11 | エミコ
 顔に出るんだなあ…しみじみと思ってしまった。
 久しぶりにテレビで見た奥田瑛二さん。まあ嫌いな顔ではなかった方だけれど、あまり気にもしていなかった。久しぶりに見たら、何だか格好良いではないか!今、大好きな映画監督をする事が出来て、夫婦仲も良く、家族も仲良くて充実しているらしい。ずいぶん前に奥様の本を読んだ事があって、芸術家肌の夫に本当に苦労していたようだったから、余計なお世話だけど、私は何より奥様に“良かったね!”という気持ちで一杯になってしまった。もちろん、本人も本当に苦労した時代が長かった訳で、それが糧となって成就したという顔つきは本当に素敵だった。
 そして、大竹しのぶさん。自叙伝を出すそうで、それに連動してある番組で特番をやっていた。亡くなった最初のご主人との騒ぎ(前恋人から奪っただの…)は私は小さいながらに、とても覚えていた。でも、闘病生活から亡くなるまでの間の時間軸はそんなに知らず、でも、その頃に大竹さんが出演していたドラマは毎週楽しみに見ていたから、その収録中に実生活ではこんな大変な事になっていたなんて…。そんな辛さをこれっぽっちも出さず(自分の親にすら黙っていたそうだ)頑張りきった彼女を本当に凄いと思ったし、その後、再婚して又離婚して、でも今とても幸せだと言っていた彼女の顔はこれ又、とっても可愛く素敵だった。
 響生のギターの先生が、30代をどう生きたかが次の40代に。40代が次の50代に。10年間どう生きたかが次の10年になる、顔にも出ると言っていた。
 私は人に弱みを見せたり、愚痴をこぼしたりするのは、格好悪くて嫌…でも、それは単なる見栄っ張りの裏返しなのではないか?と自問自答していた。いや、見栄を張っていると言うより、自分が格好悪いのが嫌なだけ。私は格好良くいたいのだ。見栄っ張りの裏返しでも良いではないか。それが発動力となって、努力を怠らない事になるのなら。素敵な顔の人生の先輩方を見て、勇気のわいた私なのでした!

新しいデジカメ

2006-02-09 | エミコ
『こんなドアップが撮れて、嬉しい~!』

 やった~!ついに新しいデジカメを購入。
 今までは、実家が3年くらい前に購入したデジカメを子供がいるから、いつシャッターチャンスがあるか分からないということで我が家に置いてもらっていた。デジタル機器って日進月歩。その頃の画素数では私には我慢できなくなってきた上に、ブログというものが生活圏に入ってきて、人のブログで食べ物がものすご~く美味しそうに撮れてるのを見て“私もこんな風に撮れるようになりた~い!”と叫んだ所、夫が“このカメラでは難しいな”と一言。そこで、実家から借りっぱなしという申し訳なさもあったから、新しいデジカメ購入への努力を開始。デジカメのチョイスは、私の要望だけ言って、後は詳しい夫任せ。結構な日数をかけて最後の2台まで絞り込み、そこから又悩み…そして、ついに手に入れました!嬉しい~!!でも、なかなか使いこなす為には勉強が必要。私はマニュアルを持ち歩き、アンダーラインを引きまくり。でもね、シャッターチャンスは一瞬の事。とっさに的確な対処をするには実践あるのみだな。頑張るぞ~!


『響生の撮ったもの。テレビの前の寝ぐせ頭の私ー撮られたのも気づかなかった。子供のアングルって面白い!』

ハーモニカに泣く!

2006-02-05 | エミコ
『青山にあるブルーノート東京
ハーモニカの音色に魅せられたのは、ビリージョエルのアルバム『イノセント・マン』の中の「夜空のモーメント」…その曲だけテープが伸びきって聴けなくなるほど繰り返した。その後、自分で作曲を始めて編曲を友人に頼む時いつも「間奏にハーモニカを使って~!」と言っていた私を見て作曲の師匠が「この人知ってる?」と貸して下さったのが トゥーツ・シールマンス。すぐに虜になり、何枚も彼のアルバムを聴きまくった。8年前に青山のブルーノート東京に行って演奏を聴けてとっても感動して、その後も何度も来日していたのに行けなくて、久しぶりにこの間、夫と行って来ました!本当にチャーミングなおじいちゃまで、年齢を感じさせない、みずみずしく、甘くせつない音楽!
1曲目から泣かされてしまった…
 ハーモニカと彼は一心同体。音色は彼そのものであり、完全に溶け合っている。これだけの一体感がなければ、音楽なんてやらない方が良いと、しみじみと感じさせられた一夜でした。夫は自分のお葬式の時、このハーモニカを流して欲しいなあと、つぶやいておりました。そんなトゥーツ・シールマンスおじいちゃま、3才からアコーディオンを弾き始め、14才の時に見た映画の中で、電気イスに向かう囚人がハーモニカを吹くというシーンを見て、そのサウンドが気に入り、それがハーモニカを吹くきっかけになったとのこと!哀しい、どこか懐かしい音色がヘビーなシーンを美しく切なく、彩っていたのであろう事は容易に想像できる。
私の一押しは、なんといってもThe Brasil Project,The Brasil Project, Vol. 2です。ブラジル音楽界のスター達と制作した名盤!


あらすか…??

2006-02-03 | エミコ
『曇り空に、ひときわ輝く金のしゃちほこだ~!』

 あらすか?アラスカ?名古屋弁で「あるはずがない」の意味。“みゃあみゃあ”を連発する会話を耳に出来るのかしら?と思いつつ、ファミローザ・ハーモニーで1泊2日、名古屋へ演奏しに行きました。
 私達の一台八手とミニオーケストラで、あるイベントのオープニングを華々しく飾るというもの。音楽に合わせて映像も作られていて、現地入りしてからの初合わせ。通常だと耳にイヤホンを付けてカウントに合わせて演奏すれば、何なく映像ともミニオケとも、すぐにバッチリ合わせられるのだと思うのだけれど、制作して下さった方は高輪プリンスホテルのコンサートに遠路はるばる何度かいらして下さった方で、私達らしさが少しでも伝わるように…という配慮だと思うのだけれど、終わりさえピッタリ合えばと、そういう人間的でないものは排除。でも、数度のリハで迎えた翌日の本番は、全てがピッタリ!私達にとっても、いちかばちかの賭けだったから、それはそれは気持ちよかった!
 それはさておき、時間に追われて土地勘のない場所へ行くと、まず思ってしまうのが“美味しいコーヒーが飲みたい~!”なのです。
『どこでも探す、愛しのスターバックス』
 今の私にとっては、美味しいコーヒー=スターバックスになってしまう訳で、特に今回は駅から少し離れた場所だったのでリハーサルが終わったら、まずはスターバックスを求めて繁華街へ。ちょっと歩いたら、すぐに見つかった!本当にどこにでもあるもんなんだなあと、感心してしまう。コーヒータイムを満喫した後は街探検。東京では聞いた事もない名前の建物を狙って入ったせいか?やはり心なしか色が派手めで目がチカチカ!お楽しみの食事といえば…以前、ラジオでスガ シカオさんが名古屋は味の濃いのがダメな人には辛いかもって言ってたのを聞いた事がある。薄味系の私、それを聞いてなかったら名古屋名物、みそかつとか手羽先とか食べようよ~ってなってたと思うけれどホテルで食事を用意して下さっていた事もあって名古屋ならではの名物は口にしなかった…あ!でも外出した妹が“世界の山ちゃん”の幻の手羽先を買ってきてくれた。それをつまみながら、母の部屋に結集して(ちゃんと一人、一部屋の宿泊を用意して下さっていたので)皆でビールを飲みながら…ちょっと修学旅行気分。確かに美味しかった。でもやっぱり味は濃いめで、ビールが進む危険なおつまみ。翌日、本番が終わって、じゃあ夕食は…結局、東京に直行して丸ビルでおそばを食べた。さっぱりしてて美味!あ、そういえば“みゃあみゃあ”言ってる人と一度も遭遇できなかったなあ。残念…

団子より花

2006-01-15 | エミコ
『いつでも、花のある生活にしたいなあ

 いつからだろう…“団子より花”に、なったのは…。一時期、やっぱり花は絶やさずに飾らないとね!などと思い、三姉妹共同の部屋の奥、自分のコーナーに頑張って花を花瓶に生けて飾っていた。でも都心ならまだしも、ちょっと郊外の花屋にはオーソドックスな種類しかなく、その上なるべく持ちの良い花なんてケチるものなら、アリストロメリアとクジャク草、ヒナギク系のものばっかり。ストックとかキャンディダフトとかマーガレットとか…ちょっとお洒落な、でも決して派手派手ではない花に興味のある私は、地味過ぎる地元のお花屋さんのラインナップにじき飽きてしまった。最近は、本当に色味にもヴァリエーションが増えて、素敵な花が多い。だから、コンサートでお花を頂くのは本当に嬉しい。子供の頃は、花より団子はたまたオモチャ類だったけれど、今は本当に花が嬉しい。
 売る側も、いわゆる花屋とは一線を画したタイプのものが増えている。この前、テレビでたまたま見たジャルダンデフルール…「花のオートクチュール」というスタイルの彼らのアレンジは,贈るその人その場所に合わせ,花材を仕入れるところから始まり、オーダーメイド専門で花屋という店構えではない。彼らの斬新なアイディアとシンプルで意外性のある…でも、何ともお洒落なアレンジメントを見て、ある人が伝えた私というイメージが花になると、どんな風になるのか…ちょっと見てみたいなあと思ったりした。
 ファミローザ・ハーモニーというグループ名からもお分かりの通り、私達の象徴はバラ。それは母がバラ狂いで有名であるということ、花言葉が愛であるということ…そんな事から皆で考えたグループ名で、だからかどうか…頂く花束にもバラが多い。バラの中にも今までには無かった色を見かけるようになってきた。ものすごく深い紫とか、オレンジとブラウンの間の感じとか、落ち着いたサーモンピンクとか…。持って帰って飾るのが楽しみで、ルンルン気分になってしまう。外国では、男性が女性に花を贈るシーンを映画やドラマでしょっちゅう見かける。たった1本の花でも、女性は花を贈られたら良い気分になるに決まってる。でも、そのたった1本に頭が回らなかったりするんだよね、男性は