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Making a good sound living

ブログ♪ファミローザ・ハーモニーより最新情報をお届けします♪

気がつけば…

2007-08-27 | エミコ
すっかりご無沙汰してしまいました…という書き出しで、もう何回も下書きだけ書き始め未完のまま…のくり返し。気がついたら、もう夏も終わり!(まだまだ暑いけれど)という今日この頃…。ポルトガルのコンサートツアーを目前にして、ここらで書いておかないと、帰国したら大変なことになる!と思い、書いています。もちろん、3月半ばに夫は修行を無事終えて帰山しており、長男は1年生になり。夫が修行を終えてお世話になったお寺を去る日…風のように静かに去る…というのが本来のスタイルと聞いていたのに、当日、それまでの作業の手を止めて、わざわざ着替えをし、皆が門の前に並んでくださったそうで…聞いてるだけでも涙が出そうな光景。最後の大きな行事、開山式では立派な役もつけていただいて。この上なく恵まれた素晴らしい修行を無事に終えられて、きっと夫自身の大きな糧になったと思います。

 『開山式で老師の後を歩いています!』
 この間も、ファミローザ・ハーモニーは音楽活動をしていたわけですが、中でも印象に残るコンサートといえば、中野にある普門館(ふもんかん)の大ホールでのコンサート。ここは、吹奏楽のコンクールの決勝大会の場として、野球部が甲子園を目指すがごとく、吹奏楽部の学生達の間では「めざせ普門館!」と言われている場所だということを知りました。4mも上下するオーケストラピットに乗ってステージへ登場、退場なんていう…ちょっぴり気恥ずかしい…でも、豪華な演出でコンサートさせていただきました。
 そしてそして、先日、三女のフミコも書いたけれど、山口県阿武町でのコンサートは3年越しのラブコールを実らせることが出来たという本当に思い入れたっぷりのコンサート。風船おじさんである父…鳴き砂…そこから始まった出会いなのですが、山口県の鳴き砂は昔は本当によく鳴いていたのですが、一時鳴かなくなってしまい、それを復活させるために地元の方達が地道に地道にゴミ拾いをするなどの努力を重ねて再び鳴き始めている…そういう場所です。


『地元の方々が集めたゴミの山…本当に地道で大変な作業です』


『その甲斐あって、綺麗な海岸に小さな蟹…!』


『山口県の名物の一つである、スイカ…本当に本当に美味しい!』

               
『津和野カトリック教会』

それに加えて、素晴らしい観光をさせていただいて私の興味の矛先が、ぐぐっと新しい方向へ…。以前からも私は音楽と宗教は一つ…という気持ちから、仏教、キリスト教…気持ちの向くままに興味を抱いてきたけれど、ここのところ、隠れキリシタンというキーワードが気になっていたところでした。現地に到着してから、山口県萩から津和野までは、キリシタン街道と呼ばれ、 隠れキリシタンや殉教者の歴史を追うことができると聞いてびっくり!実際に連れて行っていただいて、その場に立つことが出来たことは本当に感慨深かったです。感じたことは各人、違うと思うけれど、私としては、そういう流れになってしまったいきさつ…歴史に大いに興味を持ってしまいました。明治維新の原点ともいわれる、吉田松陰が開いた「松下村塾」にも連れて行ってもらいました。山口県という地からは総理大臣が8人も出ているそうで((伊藤博文・山縣有朋・桂太郎・寺内正毅・岸信介・田中儀一・佐藤榮作…そして、今の安部さんもそう!)、それと隠れキリシタンや松下村塾とは何の関係もないかも知れないけれど、でも熱い志のある人達の集まっている地なのではないか???と感じ入ってしまいました。実際、私達のコンサートを3年かけて実現させて下さったり…ということもそうだし、今回、短い時間だったけれど、現地の方達と触れ合った中でも感じたし…。その後、たまたま「ラストサムライ」の映画を見て、もうもう、たまらなく感動して魅せられてしまって、どちらかというと、これまで私はヨーロッパにおけるキリスト教の方が興味があったのだけれど、ここに来て俄然、武士の時代から明治維新…その時代の外国との関わりというあたりに興味の矛先が変わってしまいました。私の中では結構、大きな変化!ポルトガルのコンサートツアーのレパートリーの中で、私がソロでショパンのピアノ協奏曲の2楽章の一部を弾くのだけれど、その副題は「ロマンス」とショパンがつけています。でも私の今の気分では副題を「武士道」に変えたいくらい。これは完全に「ラストサムライ」の影響だけれど、映画を見た翌日、私は本屋に走り「武士道」と吉田松陰の生涯についての本を買いました。ポルトガルへ持って行って読むつもり!そしてそして、この数日はドラマ「ハゲタカ」にハマってしまい、しみじみと自分を素直に出せることの自由さ、責任、幸せを噛みしめてしまいました
 隠れキリシタン…そこまでしても神を信じる気持ち、でもその心のよりどころがあることが幸せと言えるほど貧しく苦しい状況…命をかけてまで何かを信じる気持ちが、今の私達にあるかどうか…? 松下村塾…何にしても始めの一歩を踏み出す人の信念や情熱はすごい!孤独な戦いであり、理解してくれる人もいない、成功するか否かの保証もない…それでも信念のみでやり遂げようとする力…。全てはどれも目には見えない…思想や情熱が全てを変え、動かしていく。それは「ラストサムライ」、「ハゲタカ」にも通じる、結局はそれなんだ!と思い知らされたような一連の出来事でした。
 そんなこんなで、それなりに夏休みを満喫してしまい、せっかく頑張ってきたポルトガル語もすっかり頭から抹消されてしまったような…。それも含めて準備が恐ろしいこれからの日々です。

そろそろ帰ってきます。

2007-03-26 | エミコ

 

 3月と言えば、旅立ち…そして別れの季節。長男も無事、卒園しました。
 そして、もう3月も最終週…本当に早い!去年の今頃、涙涙で送り出した夫が、そ~ろそろ修行から戻ってきます。本人曰く“一年満了を迎える時は晴々とした気持ちでもろ手を揚げて帰るんだろーと思って居たのだが、胸の内はどーも少し違うよーだ”とのこと。僧堂を去る時は、しきたりからすると誰に何も告げず、すっと姿を消すかのようにお寺を出るのだそうです(スナフキンのようだ…)。でも、仲間内でいつ出るかということは分かっているし、そこまで厳重にしきたり通りにやるかどうかは…??? 
 でも、少なくとも、卒業式みたいなのをやって一斉に出るというスタイルではなく、静かに一人出て行くということ、そして夫の場合、今いる仲間内で先陣を切って出ることになるので、それが何とも「寂しく」もあり「辛く」もあり「申し訳なく」もありそれでいて「嬉しい」という複雑な気持ちになっているそう。でも、そんな感情を表に出さず押し殺し、痩せ我慢に近い気持ちで静かに去っていく…日本古来の文化的精神的価値観。しかしこの価値観、感性があったればこそ日本固有の『ワビ・サビ』芸術を造り上げていったのであろうと思う…だそうです。
 “切ない”って言葉は外国では訳せないって聞きました。限りなく近いのが唯一、ポルトガルのサウダーデ=郷愁(それも、ポルトガル人に言わせると余りに多面的な言葉で一言でなんて言い表せないそうなのだけど)みたい。でも切ないという言葉も見えない気持ちを表す言葉の故、多面性があって安直にこういうこと!って言えない…。
 でも何より、こんな気持ちを実感できることが貴重で幸せだなあと、私も感じるのです。

『分かっている』という言葉の重さ

2007-02-07 | エミコ

“おもちゃの上にダイビングしてしまいました。…身をもって痛さを体感

 私の中で『分かっている』ということは理解しているということで、ゆえに、すぐに行動に移すことができる。形に表すことが出来る…という図式。何となくなら…とか、聞いたことはあるとか、調べてはみた…とかいう段階は『知ってる』ということになる。でも『分かっている』=『やれると思いこんでいる、やった気になっている』って人が沢山いるように私は感じる。本当に真を追求する人は、おいそれと『分かった』なんて言えない、と私は思う。そんな訳で我が家では子供が“わかってる”と答えると、分かっててもしないのは、分かっていないのと同じ!と怒ることになる。今まで?!年、生きてきて“本当に分かってる?”と言いたくなる様な人にも、たくさん出会った。でも言葉の解釈なんて十人十色。自分の物差しだけで意見するなんて…と思い、黙っていたけれど。
 それに似ていると感じたのは、今、話題になっている柳沢厚生労働相発言「女性を産む機械と例えた…」というもの。柳沢氏のプライベートは知らないけれど、もしも子供がいるのだとしても、子育てに参加して家庭を作り上げてきたという印象を感じることは出来ない。本当に子育てに熱心だったら、今回の発言は無かったと思う。子供がいる家庭を持っているという当たり前のようだけれど、本当に幸せな環境に感謝することもなく、子育てにも参加したかのような気になっている…それが今回の心ない発言に結びついたのじゃないだろうか?体感しているかいないかで、言葉の表現は大きく変わってくる。体感しただけに、言えなくなってしまうってこともあるだろう。でも、それは体感したゆえに謙虚な気持ちが芽生えたからであって、それは大きな前進だと思う。なんで、そんなこと急に思ったのかというと、座禅会に参加した時、最後のお茶会で在家の方の「分かっているということと、それが出来ているかということは、また別…」という一言が、なんだかもの凄く心に残ってしまったのだった。後で夫に聞いたら、その方は在家の中でも昔からいる本当に熱心な方で、厳しい修行期間も修行僧たちと修行を共にしているそう。夜明けに起きて、朝のお勤めを終えてから出勤し、退社後もやって来て修行に参加して泊まり、また翌朝、夜明けに起きて…。それを聞いて納得してしまった。体感している人の言葉だったから、妙に説得力があり、なんだか心に残ったのだ、きっと。
表面的な言葉だけを威勢良くまくしたてる人に負けそう…と、たじろぐ事もしばしば…。でも、私は身のしっかりついた言葉しか言わないぞ!と、改めて思ってしまったのでした。

空腹の時

2007-02-06 | エミコ
 作家の内田百間は美食家としても知られている。“希代の美食家は、また、空腹感をも愛した。「お腹が空いているというのは私が一番好きな状態の一つである」と百間は書く。夕べのご馳走を楽しみに、朝からほとんど何も食べない。ひたすら空腹感に耐えて、ようやく訪れた饗宴の時を心から味わう。それが、百間の習慣だった。”という記事を見つけてニンマリ。私は最近、しみじみとそう思っていた。ごちそうを食べることが分かっている前の空腹ほど、幸せな時はない!そう言ったら、夫に「え~?そ~お?」と驚かれた事がある。私はごちそうを食べる事が楽しみで、それこそ内田先生のように朝からほとんど食べずに、それに備える…ということをして、家族に「また、そんな無茶を!」と、たしなめられることも度々。確かに胃は丈夫な方じゃないし、我慢しすぎて気分が悪くなったり、空腹の末に張り切って食べるものだから、そのせいでまた気分が悪くなったり。それを知っているので心配してくれている、のは有り難いなあ…と感謝しつつも…

初めての坐禅

2007-02-05 | エミコ
『朝、高尾のホームから見えた月』

 夫のいるお寺の市民座禅会に初めて参加してきました。母や妹は、何度か参加していたけれど、私は子供を誰かに見ていてもらわないといけないので、なかなかチャンスが無く、夫の修行期間もそろそろ終盤に近づいているので、母が子供を見てくれることになり三女の富美子と行くことにしました。朝5時に起きたら、まだ外は真っ暗!月がとっても綺麗でした。6時に家を出たけれど、まだ薄暗くて月を横目にi Podでチャック・マンジョーネのFeel So Goodを聴きながら…本当に朝焼けが綺麗で音楽も最高だし、それだけでももう満足の境地…いやいや、いかん!気を引き締めて坐禅に取り組まねば!…20分間を1セットで4回行います。禅堂は薄暗く、日も当たらないから、本当に寒い!3本目、4本目の時は、寒いという意識もないのに歯のカタカタいうのが止まらなかった。3本目の時に、警策で背中をたたいてもらいました。寒いから、たたいてもらうと、かえって背中がじんわりと温かくなってきた。でも、翌日の今日、さわると少しだけ痛いです。坐禅の後、老師の法話があり、作務(お掃除)をして茶礼というプログラム。
『坐禅を終えて、お寺を出たときの青い空!』
 坐禅というものは自分を無にすることが目的…でも、私は坐禅をしながら、格子窓から差し込む光の位置がどんどん変わっていくのを見て、こうやって時間は流れていくのだとか、警策を持って歩いている在家の方の足が妙に綺麗だとか、妙なことに感心したりしてしまって…。“無になる”という点においては、私の音楽に取り組む姿勢と同じ。私にとっては、ピアノを弾く方がよっぽど無になれるなあとしみじみと思ってしまいました。…なんて言っても、心が無になれても、それがそのまま演奏に表れるか…それは、すぐには無理なので練習するのだと思います。合致させるために。それを座るだけでやろうとするなんて、尊敬に値する!って思ってしまいました。でも絶対、自分を無にする(=自然と一体になる)という意識は、生きていく上で、とても大切な事だと思います。その手段は色々あって、一人一人ちがうと思う。夫が桜の舞う中での坐禅、月夜の坐禅がとっても気持ち良かったと何度か言っていたのを聞きました。その気持ちよさを感じることも貴重だし、ただ座って無になるということすら出来ない、不甲斐ない自分を感じることも貴重だし…。ぜひ皆さんも体験してみてはいかが?
『国立へ寄って妹とTea Time! 至福の時…

今年で15回目!

2007-01-30 | エミコ
 今年で15回目…!何がというと、ピアノ教師である母に学生時代からついていた、または全然違うルートで母の信念に惹かれてレッスンを受けるようになった…そんな、お弟子さん達によってグループが作られ「ローザの会~石塚由紀子(ファミローザ・ハーモニー)の仲間たち~」というコンサートを毎年、行っていて、それが今年で、もう15回目!
 第1回目は風船おじさんである父が飛んでいった直後、父が大騒ぎになるだろうからと用意していってくれたホテルに滞在している最中で、父のことを心配して憔悴していた母について行ったので、何だか妙に覚えている。当然のことながら、コンサート会場での母は毅然としていたっけ。あれから15年!毎回、本当にドラマがあって、人間劇場、人間交差点ってな感じ(13回目の時のドラマは、前に連載していたソニーミュージックのコラムコーナーに書いてます)。
 当然のことながら、毎年、各人の環境もその人自身も変化していく。その中にあっても、信念と核は変えずに、さらに深めるために精進精進…。でも、そんな風に自己探求が出来るって本当に幸せなことだと思う。しょっちゅう会っているわけでもないのに、演奏から今のその人の心の状態がそのまま、伝わってくる。すごく人間味にあふれていて、これぞ音楽!って感じ。でもね、それも聴いている方がいてくれるからこそであって…芸術すべてにおいて言えることだと思うのだけれど、表現する側、受け取る側、共に育て合っていくという関係があればこそ、共感もできるし、伝統として守ろうという気持ちも起こるのではないだろうか?日本では、まだまだ何だか難しい…。前にドイツで演奏した時にプレイングハイを感じたことがあるけれど、あれは絶対に一人よがりでは成立するものではなかったと思う。聴いていてくれる人達の気持ちに包まれて…そんな感じ。ああ、やっぱり音楽を日常に、伝統にしている人達なんだと感じ入ってしまった、あの感じ。ローザの会には、それがあると思う。演奏者の中の子供達に「たいくつだった~」と、とっても素直に意見を言った子がいたけれど、それでも、そこにいて聴いたということが大切なのだと思う。私だって、ある年まではコンサートよりも、絶対にその後の集いと美味しい食事の方が楽しみだった!子供の頃なんて、絶対的にそうだった!でも、いつ何時「あれ?今日は何だか面白く聴けた」って思う時が来るか分からないんだから!(私、実際そうだったし)でも残念ながら日本ではまだまだ、芸術は大人のものって感がある。それは、とても残念なことだと思う…

給食費未納に一言!

2007-01-25 | エミコ
 給食費の未払いが22億円…!!と聞いて思い出したこと。去年の秋、テレビで「ジェイミー・オリヴァーの給食革命!」という番組を見ました。“料理界のベッカム"と呼ばれる若きカリスマ・シェフのジェイミー・オリヴァー。イギリスでは国民的な人気を誇る、人気と実力を兼ね備えたスーパーシェフだそうで自信のレストランもロンドンで経営している。二児の父親でもある彼が、イギリスの子供たちの食事情を心配し、“子供たちに健康でおいしい給食を!"というメッセージを発信すべく、自らロンドンの各学校に飛び込み、給食改善運動に取り組んだというドキュメンタリー番組。
 イギリスの学校給食は、1980年代に全面的に民間業者に委託されてからは、子どもの好むファストフードばかりのメニューとなってしまった。3分の1近くが肥満か太り気味という深刻な状況を迎えており、子どもの食生活を改善するには給食を変えるのが手っ取り早いと、ジェイミー・オリバーが改革に乗り出したなという経緯。まずは給食担当の職員達の説得。それまで運ばれてきたものを温めるて並べるだけという作業だったものを野菜中心の味の良いメニューに改善にするに当たってかかる手間…50~60代くらいのおばさん達が半べそをかきながら「こんなこと私には出来ない。辞表を書く!」それを未来の子供達のためだから、と根気よく説得するジェイミー。で、説得できても次に技術の問題。給食までの短時間内に、それなりに手の込んだメニューを作ると言うことで前日の仕込みも必要になってくる。でも、残業手当も出ない状態の中、不平不満をぶつける人たち…。それでも彼は根気よく根気よく…。そして、徐々に同志を増やしていき、技術向上のために軍のキャンプ場を借りて、給食関係者を集め、給食作りのレッスンをしたり。で、その間、同時進行で子供達にも改善した給食を出していくのだけれど、ファーストフードに慣れている子供達はどうしたって食べない。食べても吐いてしまったりするこもいる、脱走して外にジャンクフードを回に走る子もいる。また、その子達にもジェイミーは根気よく話しかけながら、改善の意義を訴える。それでも駄目で、ジャンクフードの作られ方を実践して見せて、その恐ろしさ、お粗末さを目に見えるようにしてあげる。そんな事のくり返し。すぐに結果の出ることではないけれど、時間が限りなくあるわけでもなく、だから、どうやったら効率よく上手くいくか、ジェイミーの頭の中はその事で一杯。でも、自身のレストランの経営もあるし、家族もいる。奥さんに不満を言われたり、週刊誌にたたかれたりで、思わず厨房で一人で男泣き…なんてシーンもあった(これには私ももらい泣き)。でも結果、このキャンペーンに27万人もの賛同署名が集まったほか、政府の重い腰を上げるのに一役買うこととなり、学校内でのチョコレートや清涼飲料水の販売禁止が決定。また、給食改善の施策のために440億円もの予算が計上されるまでに至った。こうしたキャンペーンの成果を受けて、ジェイミー・オリバーは「学校の調理設備の整備、調理師の教育など、給食改善には長い時間がかかる。私は今後もずっと“学校給食問題のスポークスマン”としてかかわっていくつもりです」と語っている…。子供達がやっとファーストフードではない給食を食べるようになってから、午後まで集中力が切れずに授業が出来るようになった。ほとんどの子が吸引器を昼休みにしていたのに、しなくて済むようになった…などなど、先生達が喜んでいるシーンもあった。
 今、何かと「食育」って言われているけれど、こんなにも影響のあるものなんだと私も本当に考えさせられたのでした。それに比べて、日本の給食事情は本当に素晴らしいと思う。ジェイミーを呼んで見せてあげたい。きっと褒められると思う。私の子供の通っている学校の給食は(試食会にも参加しました)本当に美味しい。メニューを見ても本当によく考えられていて、時々、昭和20~40年代の給食というのが盛り込まれていたりする。きっと今、こんなに恵まれているんだよ、という再確認の意味もあると思う。栄養士、調理師達の報酬分として考えても、給食費を払う価値があると思うのだ。この「ジェイミー・オリヴァーの給食革命!」を各学校で試写会して、未納者に見せたら良いのにと思う。いかがかな?

ポルトガル語とブラインドタッチ

2007-01-21 | エミコ
あ~あ、始めちゃった…。今年の秋、ファミローザ・ハーモニーはコンサートと録音のためにポルトガルへ参る予定であります。何年も前からポルトガルと深いご縁に結ばれてしまった私たち。母はそれこそ録音=自分の遺言書という気持ちで臨む覚悟でおります。
 で、母と妹二人は1年くらい前から最初に訪れたポルトガル旅行の際に大変お世話になり、それ以降もずっと懇意にしていただいているマヌエラ先生(ポルトガル文化センターをご夫妻でやられていて、日本とポルトガルの架け橋として活躍なさっていらっしゃる他、学校、外務省の方々にもポルトガル語を教えています)にポルトガル語を習っています。私は夫が僧堂へ行っていて子供がいるため、彼が戻ってきてから始めようと思っていました。でも、次女の優美ちゃんが友人がいたこともあってポルトガルへ何度も行ったので、夫が戻るまでの少しの間、子守をしてくれて私を行かせてくれることになりました。でもね、いきなり中級のくラスです。まあ、見学のつもりでちょっと行くか…と思って行き始めたけれど、変に理解できる部分もあるし、発音も良いと褒められてしまった。故に私の根性に火がつき、こうなったら、ここまでの分、独学で勉強して追いつくしかないではないか!という気持ちになってしまったのでした。でもね、そうは言っても子供達もいることだし、家事や雑事を省くわけにはいかず、そうそう時間を取ることが出来ない!こうやってブログも書いちゃったりしてるし。本当は食べるのも忘れて没頭したいくらいだ!受験生はもちろん、学生の人たちは勉強、勉強で辛いって思うこともあると思うけれど、余計なことを周りの人が全てやってくれて勉学にいそしめるという状態は、環境が平和であり、愛情に支えてられているという本当に幸せな状態なんだよね。決してあたりまえの状態ではないって事、感じて欲しいって、しみじみ思ってしまう。


『久しぶりに活躍している単語帳。』 
 しか~も!この間、テレビでバレリーナの草刈民代さんが出ていて「ブラインドタッチをね、3週間で習得したの。やっぱり早いよ。ここぞっていう時の集中力は私、すごいの」って言ってるのを聞いてしまい、私も…!って思ってしまった。(草刈民代さん…1才年上、三姉妹の長女。歯に衣着せぬ言い様。チャレンジ精神とバイタリティ。旦那様が優しそう…何となく、共通項を見いだしてしまったりして)でも、これが意外に簡単ではないのね。ネットで自習方法を見つけて、その練習をしてるのだけれど、まず眠くなっちゃうし。で、わざわざ北側にある寒い書斎でやってみたりして。すると今度は、ヒーターを入れても指先がかじかんで、あまり動かなくなるもんで練習してる意味があるんだか…。毎日やろうと思ってはみても、ポルトガル語もやらなくちゃいけないし…そうもいかない。もう今、私の頭の中はポルトガル語とブラインドタッチがベースになっている。今年の冬は、夫がいないから、内緒でセーターでも編んであげて…なんて思っていたのに、これじゃあ無理だ!

美しい新聞

2007-01-13 | エミコ
 
         『子供達も新聞、読んでます…っていうか、見てます…だな』

 …って決して回し者ではないのだけれど、キムタクがCMモデルとして出ている“美しい新聞”。何だか気になって、無料購読を1週間できると知り、早速たのんでみました。私はまめに新聞を読む方ではないけれど(何か良い番組がないか?とテレビ欄チェックは怠らないが)時間のある時に、ざっと目を通し、たまに感動する記事にお目にかかるとスクラップはしておきます。でも、見ないで終わってしまう日の方が多いかな。ラジオを聞いたり、夜ニュースを見たりすれば事足りるし。
 で、その“美しい新聞”。大きさがまず良いです。前に真面目に新聞を読んでいた頃、時間が無くて電車に持ち込んだこともあったけれど、女性があの大きな新聞を広げて読むのはどうも…。今は外出時にバッグに入れて、外でも読んでます。そして手が汚れない。だから横に入ってるものが黒くならないか…なんて気にせずバッグに入れられる。写真も綺麗。往来の新聞に比べたら、記事は少ないけれど、少ないながらピックアップされているものにセンスが感じられる。だからこそ読もうという気になるし、もっと掘り下げたいテーマがあったら、インターネットやテレビのニュースで補えばいい。今の時代にピッタリの新聞って感じです。お値段もリーズナブルなのが嬉しい。そんな訳で来月から購読決定!中に宣伝も兼ねて、キムタクが1ページ占拠してるからファンにはたまらないかもね~

思いやられる…

2007-01-12 | エミコ

『桜のつぼみが、もうこんなにふくらんでる…!このつぼみが開く頃には…??? 』

 長男の卒園の謝恩会の出し物の練習がぼちぼち始まりました。長女もお世話になった、その幼稚園ではファミローザ・ハーモニーで毎年コンサートをさせて頂いています。無難に音楽チームの私。長女の時は、私も初めてのことで張り切っていたから、子供達の馴染みのある歌をリサーチしてメドレーに編曲し、私が伴奏と指導(?)めいたことをやりました。今回は、歌もピアノも専門というママが何人かいるおかげで私はコーラスの一人。曲も決まって、初めての練習…4曲やるのだけど、そのうちの1曲はかなりヤバい!選んだリーダーのママ達はこの歌で泣かせて…と言うけれど、泣かせる前に歌ってる方が号泣でしょ~て感じ。初めての譜読み段階だというのに、音を追いながらも、もうウッと来てしまってウルウルしちゃった。こんなんじゃ、先が思いやられる。本番が思いやられる。
 そして、思い出した。そうえいば、私が小学校4年か5年の頃…音楽の時間に習った「気球に乗って どこまでも」「翼をください」。私はこの2曲を涙をボロボロ流しながら歌っていた。しかも毎回。感きわまってしまって。さぞや他の友達から見たら奇異だったに違いない。
 長女の時は、ピアノを弾いていたから泣いちゃったけど、支障はなかった。でも!今回はヤバいですぞ。
 ウルウルものの歌詞です。ちなみに、この歌は長女が小学校の音楽会で音楽劇をやり、その最後を感動的に飾った歌でした。

「おそすぎないうちに」
なくしてしまってから その大切さに気づいて 
悔やんだり 悲しんだりしても おそすぎるよ
もしかしたら いちばん この世で大切なものは 
ふだん あまりに身近すぎて 気にも とめていないかも
今ある すべてのものは あたりまえなんかじゃなく 
今ある すべてのものが 奇せき的にあるとしたら
きみは どうやって それを守るだろう
おそすぎないうちに おそすぎないうちに 
まにあう今のうちに できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に

なくしてしまってから その暖かさに気づいて 
悔やんだり 悲しんだりしても おそすぎるよ
もしかしたら いちばん この世で大切な人は 
あたりまえと決めつけてて いると疑わないかも
生きてる すべての人は なんとなくなんかじゃなく 
生きてる すべての人が ぎりぎり生きてるとしたら
きみは どうやって それを愛すだろう
おそすぎないうちに おそすぎないうちに 
まにあう今のうちに できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に