2006年11月17日(金)
日本サウンドスケープ協会・日本カナダ学会関東地区 共催
「マリー・シェーファー講演会」
「音楽」からサウンドスケープへ
に参加してきました。
通訳・コーディネーターにサウンドスケープ研究家の鳥越けい子氏を迎え、3つの作品を通じて、どのように音楽に対しサウンドスケープ論を導入していったかをスピーチしていくというものでした。
放映されたのは次の3つの作品です。
The Greatest Show 1977-87
The Princess of the Stars 1981
The Spirit Garden 1995-96(1997)
The Greatest Show はパフォーマーとオーディエンスの境界線を取り払い、誰もが作品に参加していく状態を作り出すもの。
細かいストーリーは割愛するとして、ポイントは一種のカオスによって、上記の状態を作り出し舞台の主体と客体という位置づけを取り去ってしまう点にある。
The Princess of the Stars は、オンタリオ湖の真ん中で仮装した舟の舞いと音楽によるパフォーマンス。
ポイントは、パフォーマンスで奏でられる音と早朝に鳴き始める鳥の鳴き声との共鳴にある。サウンドスケープ論の展開的側面としては、人工的音楽の中に自然の音を意識的に取り入れ、調和を生み出していると言う点である。
The Spirit Garden は、我々日本人にとっては非常に馴染みのある風景が演じられている。農作物の豊作を祈って、仮装したダンサーたちが雨乞いを行うというもの。パフォーマンスを通じて、自然とコンタクトし、それによって自然がパフォーマンスの舞台(背景)となり、双方の一体化というような融合が図られる。
音楽というカテゴリにおいて、環境を認識化したのがブライアン・イーノだとすれば、マリー・シェーファーはより音の粒子にまで遡り、全ての環境は何らかの音を奏でており、その音を意識に取り込むことで音楽の微細な構造化を試みたと考えられる。
興味深いことに、マリー・シェーファーはジョン・ケージとも交流があり、音楽だって音に違いないのだから、サウンドスケープだって音楽として扱われる可能性があることをケージは示唆したとのことであった。
マリー・シェーファーは、サウンドスケープは時代とともに変化しており、会場の建物でさえ音を奏でていると指摘した。鉄筋の建物でさえ、振動し揺れ動いており音を常に発しているのだ。数十年前までは、工業的環境が発展していなかった関係から、そのサウンドスケープは自然音に偏重する傾向があったが、21世紀では工業音がその中心になってきているとも述べた。そして、さらに最近ではその工業音でさえも音自体の騒音性は減少する傾向にあるとも語った。
講演会のタイトルは、音楽からサウンドスケープではあったが、それはどちらかというと意識や概念上の問題であって、実際の作品の構築という側面においては、どちらかといえば、サウンドスケープから音楽へという言い方のほうがしっくりくるのではないかと感じたのであった。
最後の鳥越けい子氏の「『サウンドスケープ論』におけるポストモダニティ」、シンポジウム「カナダのポストモダニティ ー 文化と社会に見るその諸相」のための報告主旨のテキストをアーカイブしておく。
「サウンドスケープ論」におけるポストモダニティ
都会の聴衆は、コンサートホールの存在を当然のことと思っていますが、実際のところ、それはごく最近つくられたものなのです。今日、地球上のほとんどの文化におけるおびただしい量の音楽は、いまだにコンサートホールの外で演奏されています。コンサートホールの発明により、その外側にある音と、内側にある音との間に壁が巡らされました。その結果、ホールの内側の音はより高尚なものとされ、一方、外側の音は無視されるようになりました。・・・このように音を二つの世界に分けてしまうことが、私たちに不利益をもたらすものだということが、今ようやく認識されるようになってきました。
私はコンサートホール音楽をとても愛しています。作品も書き続けています。けれども、私が今本当に熱意を注いでいるのは、音楽と私たちの生活を取り巻くあらゆる音が、もっと効果的に一体となることができるような環境の中に、音楽を戻していく作業です。この試みこそが、私が今いちばん興味をもっていることなのです。
[・・・・・]音楽を音響生態学に役立てる、この当時の感傷的な音を展示する一種の博物館として生き残っています。[・・・・・]一方、ここ数十年にわたって、オーケストラは環太平洋地帯の国々へと移り住み、そこで熱烈な歓迎を受けています。が、このテーマについて、私には語る資格がありません。
ーーーーーこのメッセージは、カナダの現代音楽の作曲家、E.マリー・シェーファーが、1995年7月、故武満徹監修の第20回目の(そして最後となった)「サントリーホール国際作曲家異色シリーズ」招かれた際、自作の交響曲《マニトウ》初演コンサートのため、そのプログラムノートの一部として記したものである。
シェーファーは、現代カナダを代表する音楽家であると同時に、「サウンドスケープ」(soundscape=音の風景)という用語の考案者として、さらには「音響生態学の開拓者」としても、世界的に知られる人物である。その活動に置いて、「サウンドスケープ」という言葉が明確な輪郭をもって現れてくるのは、『新しいサウンドスケープ』において、彼はここで、「音楽とは音である。コンサートホールの内と外とを問わず我々を取り巻く音である」というジョン・ケージの言葉を引用しつつ、「今日すべての音は音楽の包括的な領域内になってとぎれのない可能性の場を形成している。新しいオーケストラ、鳴り続く森羅万象に耳を開け!」と述べている。
シェーファーはその後、サイモン・フレーザー大学のコミュニケーション学部に「世界サウンドスケープ・プロジェクト」という音環境の調査研究のための拠点をつくり、1970年代前半を通じて、ヴァンクーヴァーの都市、カナダ全土、ヨーロッパ各地へと「サウンドスケープ調査」を展開した。その一連の野外調査活動の実践を終えた後、彼はその主著『世界の調律』を著した。
サウンドスケープの考え方をめぐる国際的情況としては、1993年にカナダのバンフで結成された「世界音響生態学フォーラム」という国際ネットワークの存在がある。現在、カナダをはじめ、英連邦とアイルランド、ヨーロッパドイツ語圏、フィンランド、オーストラリア、アメリカ、および日本に拠点を持ち、Soundscape:The Journal of Acoustic Ecology という機関誌を年に数回発行し、2、3年ごとに世界各地で国際会議を開催している。日本では、1996年に環境庁(当時)が実施した「残したい日本の音風景100選」事業など、サウンドスケープ概念を生み出したカナダ(および西欧諸国)の情況を超えた、サウンドスケープ論の多様な展開と実践事例が生まれている。[・・・・・続く]
日本サウンドスケープ協会・日本カナダ学会関東地区 共催
「マリー・シェーファー講演会」
「音楽」からサウンドスケープへ
に参加してきました。
通訳・コーディネーターにサウンドスケープ研究家の鳥越けい子氏を迎え、3つの作品を通じて、どのように音楽に対しサウンドスケープ論を導入していったかをスピーチしていくというものでした。
放映されたのは次の3つの作品です。
The Greatest Show 1977-87
The Princess of the Stars 1981
The Spirit Garden 1995-96(1997)
The Greatest Show はパフォーマーとオーディエンスの境界線を取り払い、誰もが作品に参加していく状態を作り出すもの。
細かいストーリーは割愛するとして、ポイントは一種のカオスによって、上記の状態を作り出し舞台の主体と客体という位置づけを取り去ってしまう点にある。
The Princess of the Stars は、オンタリオ湖の真ん中で仮装した舟の舞いと音楽によるパフォーマンス。
ポイントは、パフォーマンスで奏でられる音と早朝に鳴き始める鳥の鳴き声との共鳴にある。サウンドスケープ論の展開的側面としては、人工的音楽の中に自然の音を意識的に取り入れ、調和を生み出していると言う点である。
The Spirit Garden は、我々日本人にとっては非常に馴染みのある風景が演じられている。農作物の豊作を祈って、仮装したダンサーたちが雨乞いを行うというもの。パフォーマンスを通じて、自然とコンタクトし、それによって自然がパフォーマンスの舞台(背景)となり、双方の一体化というような融合が図られる。
音楽というカテゴリにおいて、環境を認識化したのがブライアン・イーノだとすれば、マリー・シェーファーはより音の粒子にまで遡り、全ての環境は何らかの音を奏でており、その音を意識に取り込むことで音楽の微細な構造化を試みたと考えられる。
興味深いことに、マリー・シェーファーはジョン・ケージとも交流があり、音楽だって音に違いないのだから、サウンドスケープだって音楽として扱われる可能性があることをケージは示唆したとのことであった。
マリー・シェーファーは、サウンドスケープは時代とともに変化しており、会場の建物でさえ音を奏でていると指摘した。鉄筋の建物でさえ、振動し揺れ動いており音を常に発しているのだ。数十年前までは、工業的環境が発展していなかった関係から、そのサウンドスケープは自然音に偏重する傾向があったが、21世紀では工業音がその中心になってきているとも述べた。そして、さらに最近ではその工業音でさえも音自体の騒音性は減少する傾向にあるとも語った。
講演会のタイトルは、音楽からサウンドスケープではあったが、それはどちらかというと意識や概念上の問題であって、実際の作品の構築という側面においては、どちらかといえば、サウンドスケープから音楽へという言い方のほうがしっくりくるのではないかと感じたのであった。
最後の鳥越けい子氏の「『サウンドスケープ論』におけるポストモダニティ」、シンポジウム「カナダのポストモダニティ ー 文化と社会に見るその諸相」のための報告主旨のテキストをアーカイブしておく。
「サウンドスケープ論」におけるポストモダニティ
都会の聴衆は、コンサートホールの存在を当然のことと思っていますが、実際のところ、それはごく最近つくられたものなのです。今日、地球上のほとんどの文化におけるおびただしい量の音楽は、いまだにコンサートホールの外で演奏されています。コンサートホールの発明により、その外側にある音と、内側にある音との間に壁が巡らされました。その結果、ホールの内側の音はより高尚なものとされ、一方、外側の音は無視されるようになりました。・・・このように音を二つの世界に分けてしまうことが、私たちに不利益をもたらすものだということが、今ようやく認識されるようになってきました。
私はコンサートホール音楽をとても愛しています。作品も書き続けています。けれども、私が今本当に熱意を注いでいるのは、音楽と私たちの生活を取り巻くあらゆる音が、もっと効果的に一体となることができるような環境の中に、音楽を戻していく作業です。この試みこそが、私が今いちばん興味をもっていることなのです。
[・・・・・]音楽を音響生態学に役立てる、この当時の感傷的な音を展示する一種の博物館として生き残っています。[・・・・・]一方、ここ数十年にわたって、オーケストラは環太平洋地帯の国々へと移り住み、そこで熱烈な歓迎を受けています。が、このテーマについて、私には語る資格がありません。
ーーーーーこのメッセージは、カナダの現代音楽の作曲家、E.マリー・シェーファーが、1995年7月、故武満徹監修の第20回目の(そして最後となった)「サントリーホール国際作曲家異色シリーズ」招かれた際、自作の交響曲《マニトウ》初演コンサートのため、そのプログラムノートの一部として記したものである。
シェーファーは、現代カナダを代表する音楽家であると同時に、「サウンドスケープ」(soundscape=音の風景)という用語の考案者として、さらには「音響生態学の開拓者」としても、世界的に知られる人物である。その活動に置いて、「サウンドスケープ」という言葉が明確な輪郭をもって現れてくるのは、『新しいサウンドスケープ』において、彼はここで、「音楽とは音である。コンサートホールの内と外とを問わず我々を取り巻く音である」というジョン・ケージの言葉を引用しつつ、「今日すべての音は音楽の包括的な領域内になってとぎれのない可能性の場を形成している。新しいオーケストラ、鳴り続く森羅万象に耳を開け!」と述べている。
シェーファーはその後、サイモン・フレーザー大学のコミュニケーション学部に「世界サウンドスケープ・プロジェクト」という音環境の調査研究のための拠点をつくり、1970年代前半を通じて、ヴァンクーヴァーの都市、カナダ全土、ヨーロッパ各地へと「サウンドスケープ調査」を展開した。その一連の野外調査活動の実践を終えた後、彼はその主著『世界の調律』を著した。
サウンドスケープの考え方をめぐる国際的情況としては、1993年にカナダのバンフで結成された「世界音響生態学フォーラム」という国際ネットワークの存在がある。現在、カナダをはじめ、英連邦とアイルランド、ヨーロッパドイツ語圏、フィンランド、オーストラリア、アメリカ、および日本に拠点を持ち、Soundscape:The Journal of Acoustic Ecology という機関誌を年に数回発行し、2、3年ごとに世界各地で国際会議を開催している。日本では、1996年に環境庁(当時)が実施した「残したい日本の音風景100選」事業など、サウンドスケープ概念を生み出したカナダ(および西欧諸国)の情況を超えた、サウンドスケープ論の多様な展開と実践事例が生まれている。[・・・・・続く]