2012/9/8
「子どもの自殺 心痛む」 評論・随筆その他
(古い文章の再掲です。「拍手」が一番多かった(15拍手)ブログ内容でした。この文章を書いてからも、ぜんぜん子どもの自殺が減っていません。かえって、増えてきたように思われます。連日のように「子どもの自殺」の報道が続いています。心が痛みます。今日約3年前の文章を読み直し、自分の考えを振り返ってみました。なお、一度読まれた方が複数おられると思いますが、お許しください。)
平成21年度 団塊の主張コンクール (応募原稿です。結果は佳作でした。)
タイトル=子どもが苦しんでいる時代はよくない時代(子どもの心の声を聞こう) 鬼井江(本名で応募したが、ここでは鬼井江)
「先生、退職されても、ブログを続けてください! 私たちにとって、先生はいつまでも先生なのです!」
教師としての最後の授業で、生徒たちが意外なことを言ってくれた。もうすぐ還暦を迎え、退職しようとしている教師に対して、あついメッセージをくれたのだ。「最近の生徒は、卒業すれば、それで終わりだ」と冷めた目で、生徒たちを見ることが多くなってきていた。しかし、最後になった教え子たちは一味違っていた。卒業(=私の退職)しても終わりではなかったのだ! むしろ、ブログを通じて「新しく始まる」ことを望んでくれたのだ。生徒たちは「ブログを続けてください!」と言ってくれた。ペンネームでこっそりと始めていた私のブログ。実は、退職したら、もう止めようか……と迷っていた。
退職の二年ほど前から始めたブログ。それも実名ではなく……。退職の日が近づき、退職することの発表と二年間ほど書いてきたブログの紹介をした。ほとんどの生徒にはブログの存在を知らせていなかったので、お別れに、秘密を打ち明けるかのように。反響は意外に大きかった。その日の夜、たくさんの心温まるコメントが寄せられたのだった。うれしかった。「先生、辞めないで!」と言ってくれるコメントも多数あった。涙が流れてきて、画面のコメントの字がぼんやりと白く感じられた……。
三十六年間の教師生活にピリオドを打つ日が近づき、なんとなく寂しく感じ始めていた。その寂しさを生徒たちが救ってくれたのだ。生徒たちの一言が、寂しげな私を元気にしてくれた。
世の中の子どもたちは苦しんでいる時代なのに、子どもたちから元気と幸せをもらった私。学校が「砂漠化」している時代なのに、疲れた私の心を元気づけてくれる子どもたちがいたのだ。今現在も、子どもたちに感謝の日々が続いている……。
現在、退職してから一年近くになろうとしている。私は晴耕雨読+ブログの生活をしているが、生徒たちは今もブログにコメントを書いてくれる。感心するぐらい、いつまでもコメントを書いてくれるのだ。そのコメントのおかげで、いつまでも「心は二十歳」でいることができるのだ。なんとまあ、幸せな元教師だろう!「卒業すれば、それで終わり」ではなかった生徒たち。ブログを通じて、私はメッセージを述べることができる。生徒たちにとってはブログを読むことで、私とつながっていることを実感してくれているのだ。私は生徒たちから幸せをもらっている。インターネットのおかげで、心と心がつながりやすい時代になったのだとも感じ始めている。
ところで、先日、教え子が死んだという知らせがあった。自殺かもしれない……。悲しい知らせであった。事故死、病死、自殺。どれであっても子どもの死は特に悲しい。
「何のために生まれてきたのだろう……」。現代の子どもたちは、もの心ついた頃から疲れ始めているようだ。いつの間にか、そんな時代になってしまった……。いや、むしろ大人たちがそんな時代にしてしまったのだ!
政治が悪くなっているのかもしれない。学校が悪くなっているのかもしれない。家庭が家庭らしさを失ってきているのかもしれない……。団塊の世代が子どもであった頃は、日本全体は貧しかった。しかし、子どもが自殺したりはしなかった。子どもはもっと生き生きしていた。のびのびと心が元気だった。なんといっても小学生ぐらいのときは「みんなでよく遊んだ」ものである。「みんなで遊ぶ」、あれがよかったのだ。貧しかったが、心は豊かだったのだ……。団塊の世代はそのことをもっと声を大にして語る必要があるのだ。
最近は悲惨な状況になっている。特に子どもたちの心が。いじめ・暴力・心の病気……現在の子どもを取り巻く環境は、不安定とゆがみに満ちている。いじめられる子もいじめる子も心は不安定であり、ゆがめられている。暴力(言葉の暴力も含めて)・心の病気についても昔とは違って悲惨な状況になっている。ストレスを幼い頃から抱えて生活しているからだろうか、やけくそ気味に生活している子どもが多くなった。三十六年間、教師生活をしてきた私の実感である。安心して生活できない時代になっているのだ。都会でも田舎でも「不安定とゆがみ」現象が続発する時代になった。
たとえば、携帯電話を持って風呂に入らなければ心が落ち着かない子どもたちの出現。送られてきたメールなどにすぐに返信をしないといじめられる、とのことだ。こんな話を聞くだけでも、心が痛む。何とかしてやれないものか……。便利であるが、時として悲しくつらい携帯電話の存在。これは一例に過ぎない。大人が何とかしてやらねば、とんでもない方向へ行ってしまいそうな現象が、ものすごいスピードで起こっているのだ。リストカットをしてしまう子どもが多い時代に突入した。こんな不安定な子どもたちにしてしまったのは、やっぱり大人たちだと思う。そうは言うものの、大人も大変な時代になっている。ここ何年かは、自殺者が年間3万人以上になっている。自殺未遂者は、その十倍はいると考えられるらしい……。何とか世の中を変えていかなければ、日本は「心が破滅する」国になってしまうだろう。世界中で見習うべき国はどこなのか? 自殺者が一番少ない国かも……。このままの政治・経済・教育・家庭などの今までの流れが続くと、もっと多くの大人や子どもたちの心が壊れていくだろう。もうすでにその兆候が……。
先ほど触れた教え子の死も以上述べたことと関係しているような気がしてならない。
戦後の大きな流れを振り返ってみると、車やテレビ、ゲーム機、パソコン、携帯電話など、現代文明はたいへん心を躍らせる便利なものを作り出してきた。それらのおかげで産業も発展してきた。日本の経済も豊かになったと言える。しかし、それらに子どもたちは振り回され始めている。それらに心躍らせられつつ、逆に苦しめられ始めているのだ。
「携帯電話を学校へ持っていくことは禁止」。それで、解決になっているのだろうか?子どもたちにも、どうしたらいいかを聞いてほしい。大人の視点で解決したつもりでも、本当の解決にはなっていないことが多いのだ。 昔に比べて、子どもたちは子ども同士で遊ばない時代になってきている。大人たちも遊ぶことの大切さを言わない。「今日は誰とどんな遊びをしたの?」とは、聞きもしない。話すことは勉強のことが中心になりすぎた。さらに、知らず知らずのうちに子どもたちの遊び場を奪っていった。遊び場には、やたら小中学生たちには邪魔になる遊具が多くなってしまった。こんなことは小さな話題かもしれないが、子どもの視点で税金の使い方を見直してみる必要があるだろう。大人の視点でものを見、考え、税金を使ってきたことが現在の子どもの不幸をもたらしているにちがいない。団塊の世代が子どもの頃に遊んだ空間を思い出してほしい。あのころの公園には何もなかったから、かえって遊べたのだ。遊具のない公園で遊びを工夫したのだ。いろいろな分野で税金の使い方を間違えてきたのではないだろうか?
とにかく、子どもの言い分・視点を大切にして、学識経験者から意見を聞くことを大切にすることと同じぐらい、子どもからも意見を聞くことを重視するべき時代になったのだ。 子どもが苦しんでいる時代はよくない時代である。現代の子どもたちの様子から考えると、政治も教育も家庭もきっと悪くなってきているにちがいない。税金の使い方を子ども中心に変えるだけで世の中はよくなっていくかもしれない。そのためには、何らかの方法で「子どもの心の声」を聞くことである。そういうことを政治のリーダーがはっきりと自覚してほしいものである。税金の使い方が変われば、子どもが自殺しない時代になっていくはずである。早急に大人たちは実行すべきである。
利益ばかり追求するあまり、その会社で働く人の子どもが自殺するようでは、会社も幸せではないだろう。こういう視点で会社経営を考えた社長は少なかったはずである。会社は、働く人が幸福で、家族も幸福であってこそ「本当にいい会社」なのだという考え方をする社長が今後は増えてほしいと願っている。
ストレスを抱え、苦しんでいる子どもが多い時代にあって、私は希望も持っている。それは、私に幸せを送ってくれる子ども(生徒)が確かにいるからである。そういう意味では、私は幸せである。大人の自殺が減っていき、子どもの自殺が完全になくなる国になることを願っている。大人の一人である私自身が幸せに生きていることを、生徒たちに伝えるために、感謝の気持ちでこの原稿を書きました。まず、大人が元気に幸せに生きることが、子どもたちの幸せにつながっていくのだと信じつつ……。
完
平成21年度 団塊の主張コンクール (応募原稿です。結果は佳作でした。)
タイトル=子どもが苦しんでいる時代はよくない時代(子どもの心の声を聞こう) 鬼井江(本名で応募したが、ここでは鬼井江)
「先生、退職されても、ブログを続けてください! 私たちにとって、先生はいつまでも先生なのです!」
教師としての最後の授業で、生徒たちが意外なことを言ってくれた。もうすぐ還暦を迎え、退職しようとしている教師に対して、あついメッセージをくれたのだ。「最近の生徒は、卒業すれば、それで終わりだ」と冷めた目で、生徒たちを見ることが多くなってきていた。しかし、最後になった教え子たちは一味違っていた。卒業(=私の退職)しても終わりではなかったのだ! むしろ、ブログを通じて「新しく始まる」ことを望んでくれたのだ。生徒たちは「ブログを続けてください!」と言ってくれた。ペンネームでこっそりと始めていた私のブログ。実は、退職したら、もう止めようか……と迷っていた。
退職の二年ほど前から始めたブログ。それも実名ではなく……。退職の日が近づき、退職することの発表と二年間ほど書いてきたブログの紹介をした。ほとんどの生徒にはブログの存在を知らせていなかったので、お別れに、秘密を打ち明けるかのように。反響は意外に大きかった。その日の夜、たくさんの心温まるコメントが寄せられたのだった。うれしかった。「先生、辞めないで!」と言ってくれるコメントも多数あった。涙が流れてきて、画面のコメントの字がぼんやりと白く感じられた……。
三十六年間の教師生活にピリオドを打つ日が近づき、なんとなく寂しく感じ始めていた。その寂しさを生徒たちが救ってくれたのだ。生徒たちの一言が、寂しげな私を元気にしてくれた。
世の中の子どもたちは苦しんでいる時代なのに、子どもたちから元気と幸せをもらった私。学校が「砂漠化」している時代なのに、疲れた私の心を元気づけてくれる子どもたちがいたのだ。今現在も、子どもたちに感謝の日々が続いている……。
現在、退職してから一年近くになろうとしている。私は晴耕雨読+ブログの生活をしているが、生徒たちは今もブログにコメントを書いてくれる。感心するぐらい、いつまでもコメントを書いてくれるのだ。そのコメントのおかげで、いつまでも「心は二十歳」でいることができるのだ。なんとまあ、幸せな元教師だろう!「卒業すれば、それで終わり」ではなかった生徒たち。ブログを通じて、私はメッセージを述べることができる。生徒たちにとってはブログを読むことで、私とつながっていることを実感してくれているのだ。私は生徒たちから幸せをもらっている。インターネットのおかげで、心と心がつながりやすい時代になったのだとも感じ始めている。
ところで、先日、教え子が死んだという知らせがあった。自殺かもしれない……。悲しい知らせであった。事故死、病死、自殺。どれであっても子どもの死は特に悲しい。
「何のために生まれてきたのだろう……」。現代の子どもたちは、もの心ついた頃から疲れ始めているようだ。いつの間にか、そんな時代になってしまった……。いや、むしろ大人たちがそんな時代にしてしまったのだ!
政治が悪くなっているのかもしれない。学校が悪くなっているのかもしれない。家庭が家庭らしさを失ってきているのかもしれない……。団塊の世代が子どもであった頃は、日本全体は貧しかった。しかし、子どもが自殺したりはしなかった。子どもはもっと生き生きしていた。のびのびと心が元気だった。なんといっても小学生ぐらいのときは「みんなでよく遊んだ」ものである。「みんなで遊ぶ」、あれがよかったのだ。貧しかったが、心は豊かだったのだ……。団塊の世代はそのことをもっと声を大にして語る必要があるのだ。
最近は悲惨な状況になっている。特に子どもたちの心が。いじめ・暴力・心の病気……現在の子どもを取り巻く環境は、不安定とゆがみに満ちている。いじめられる子もいじめる子も心は不安定であり、ゆがめられている。暴力(言葉の暴力も含めて)・心の病気についても昔とは違って悲惨な状況になっている。ストレスを幼い頃から抱えて生活しているからだろうか、やけくそ気味に生活している子どもが多くなった。三十六年間、教師生活をしてきた私の実感である。安心して生活できない時代になっているのだ。都会でも田舎でも「不安定とゆがみ」現象が続発する時代になった。
たとえば、携帯電話を持って風呂に入らなければ心が落ち着かない子どもたちの出現。送られてきたメールなどにすぐに返信をしないといじめられる、とのことだ。こんな話を聞くだけでも、心が痛む。何とかしてやれないものか……。便利であるが、時として悲しくつらい携帯電話の存在。これは一例に過ぎない。大人が何とかしてやらねば、とんでもない方向へ行ってしまいそうな現象が、ものすごいスピードで起こっているのだ。リストカットをしてしまう子どもが多い時代に突入した。こんな不安定な子どもたちにしてしまったのは、やっぱり大人たちだと思う。そうは言うものの、大人も大変な時代になっている。ここ何年かは、自殺者が年間3万人以上になっている。自殺未遂者は、その十倍はいると考えられるらしい……。何とか世の中を変えていかなければ、日本は「心が破滅する」国になってしまうだろう。世界中で見習うべき国はどこなのか? 自殺者が一番少ない国かも……。このままの政治・経済・教育・家庭などの今までの流れが続くと、もっと多くの大人や子どもたちの心が壊れていくだろう。もうすでにその兆候が……。
先ほど触れた教え子の死も以上述べたことと関係しているような気がしてならない。
戦後の大きな流れを振り返ってみると、車やテレビ、ゲーム機、パソコン、携帯電話など、現代文明はたいへん心を躍らせる便利なものを作り出してきた。それらのおかげで産業も発展してきた。日本の経済も豊かになったと言える。しかし、それらに子どもたちは振り回され始めている。それらに心躍らせられつつ、逆に苦しめられ始めているのだ。
「携帯電話を学校へ持っていくことは禁止」。それで、解決になっているのだろうか?子どもたちにも、どうしたらいいかを聞いてほしい。大人の視点で解決したつもりでも、本当の解決にはなっていないことが多いのだ。 昔に比べて、子どもたちは子ども同士で遊ばない時代になってきている。大人たちも遊ぶことの大切さを言わない。「今日は誰とどんな遊びをしたの?」とは、聞きもしない。話すことは勉強のことが中心になりすぎた。さらに、知らず知らずのうちに子どもたちの遊び場を奪っていった。遊び場には、やたら小中学生たちには邪魔になる遊具が多くなってしまった。こんなことは小さな話題かもしれないが、子どもの視点で税金の使い方を見直してみる必要があるだろう。大人の視点でものを見、考え、税金を使ってきたことが現在の子どもの不幸をもたらしているにちがいない。団塊の世代が子どもの頃に遊んだ空間を思い出してほしい。あのころの公園には何もなかったから、かえって遊べたのだ。遊具のない公園で遊びを工夫したのだ。いろいろな分野で税金の使い方を間違えてきたのではないだろうか?
とにかく、子どもの言い分・視点を大切にして、学識経験者から意見を聞くことを大切にすることと同じぐらい、子どもからも意見を聞くことを重視するべき時代になったのだ。 子どもが苦しんでいる時代はよくない時代である。現代の子どもたちの様子から考えると、政治も教育も家庭もきっと悪くなってきているにちがいない。税金の使い方を子ども中心に変えるだけで世の中はよくなっていくかもしれない。そのためには、何らかの方法で「子どもの心の声」を聞くことである。そういうことを政治のリーダーがはっきりと自覚してほしいものである。税金の使い方が変われば、子どもが自殺しない時代になっていくはずである。早急に大人たちは実行すべきである。
利益ばかり追求するあまり、その会社で働く人の子どもが自殺するようでは、会社も幸せではないだろう。こういう視点で会社経営を考えた社長は少なかったはずである。会社は、働く人が幸福で、家族も幸福であってこそ「本当にいい会社」なのだという考え方をする社長が今後は増えてほしいと願っている。
ストレスを抱え、苦しんでいる子どもが多い時代にあって、私は希望も持っている。それは、私に幸せを送ってくれる子ども(生徒)が確かにいるからである。そういう意味では、私は幸せである。大人の自殺が減っていき、子どもの自殺が完全になくなる国になることを願っている。大人の一人である私自身が幸せに生きていることを、生徒たちに伝えるために、感謝の気持ちでこの原稿を書きました。まず、大人が元気に幸せに生きることが、子どもたちの幸せにつながっていくのだと信じつつ……。
完
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4

タグ: 子ども自殺
2012/9/6
「団塊世代と高度経済成長」 評論・随筆その他
我々団塊世代は高度経済成長期に青春を過ごしてきた。
1959年の皇太子御成婚、60年安保(私は小学生の頃だったので、デモの内容はよくわからなかった)を経て、64年の東京オリンピック(高校生時代)、70年の大阪万博へ。大阪万博のころのイメージは、まさに「高度経済成長」そのものであった。
しかし、私はちょっと変わっていたのか、「大阪万博反対!」の一人であった。大阪に住んでいながら、あの万博に行かなかった人は珍しいのではないだろうか? 当時、万博反対運動もあった。万博会場の「太陽の塔」に侵入して立てこもって、「過激な反対運動」をした奴もいた。ニュースにもなった。
私は「反対なら入場しなけりゃいいのに!」と冷ややかに見ていた。目立つ過激な反対運動は、私の性分に合わない。万博反対なら、「行かない! チケットを買わない!」ことだと思い、それを実行した。ささやかな消極的「反対行動」だった。
自分の性分に合うやり方で「反対運動」をするだけのことしかできない私である。64歳になっている現在も行動パターンは同じである。「過激な反対運動」はどれもこれもつぶれていった。誰かにうまく利用もされた。
「静かな反対運動」は、その人の生き方そのものであり、誰かに利用される危険性は少ないであろう。と思って、生きてきた。大したことをしてきたわけではないが、「私の反対運動」は(私なりに)続いている。
大阪万博に反対した人はほんの一握りであった。みんな喜んで万博へ行った。毎日毎日ものすごい数の人出で、会場は「祭りの絶頂気分」そのものであった。(私は反対だったので、入場はしなかったが、ニュースは見た。毎日毎日、万博に関するニュースが流れていたから。)
アメリカ館では「月の石」が展示されていたようである。それを一目見ようと、人々が押し寄せた。
長い前置きになったが、話を本題に入りたい。
日本に原爆を落としたアメリカのイメージは「マイナス」から「プラス」へ変わりつつあった。「月の石」展示のアメリカ館の爆発的人気。万博開始日(1970年3月14日)会場に『原子の灯』がともった。それは、敦賀原発1号機が稼働し、その電力がともしたものであった。日本の原発スタートの日でもあった。原発のイメージは、もちろんプラスイメージそのもので、誰も「原発反対」ではなかったようである。「万博超お祭り気分」にうまく乗ることができて、(万博プラスイメージと同時に)日本の原子力発電はスタートしたのであった。
原子力に関するものはすべてアメリカ製。高度経済成長の完成イメージを日本国民が手に入れ、祝賀的国家イベントは、原爆投下国アメリカ製の「原子の灯」をともされていたわけである。そして、原発安全神話も作られていったわけである。
アメリカの策略が背後に隠れているように思えないだろうか? 原発を「輸出」することに成功したアメリカ。そこに莫大な金の動きもあっただろう。現在、日本の大企業群がそれぞれの原発を製造し運営しているのだが、もともとはアメリカの企業からスタートした。安全神話とともに。「クリーンなエネルギー」のイメージづくりは「万博人気」とともに始められていたのだ。
私が万博に反対したのは、そんなことがわかっていての反対ではなかった。万博には「うさんくさいもの」を感じ、「そんなことに莫大な税金を投入することに反対だ! 税金をもっと違うことに使え!」というだけの理由であった。万博開幕日=「日本の原発開始日」であることを知ったのは、先のことであった。
今にして思えば、やはり「うさんくさいもの」を万博は含んでいたのだと思う。「アメリカの陰謀」がうさんくさいものの正体だったのかもしれない。そういうことを見抜くだけの力は私になかったが…。(今もないのだが、気をつけるようにはなった。)
アメリカは日本に原爆を2発も投下しておきながら、原子力の「マイナスイメージ」を(その投下国でのマイナスイメージを)払しょくし、原発稼働に成功した。原子力をプラスイメージに変えたのだ。原子力においても、日本は「アメリカのポチ」になったとも言える。「核の傘」もプラスイメージ化され、日本はアメリカなしでは成り立たない国になっていった。現在もそうなっている。
ちなみに、アメリカの了解なしにアメリカに貸しているお金(アメリカの国債に変化)を返してもらえない仕組みあり。「返してくれ」と言った途端に、「その時の総理大臣」はアメリカの力によって失脚させられるに違いない。(橋本総理が例であろう)だから、どの総理大臣もそんなことを言えない国になってしまった。
アメリカの陰謀は「万博」に隠されていたのではないだろうか? そんなことを考えているのは、私だけであろうか?
何事も、「プラス面の背後にはマイナス面が隠れている」。そんな気がしてならない。そういう視点も大切だということを書いておきたかった。
万博は、40年以上も前の国家イベントであるが、(静かな)「万博反対者」の一人として、(現在の原発再稼働反対運動と絡めて)今日はその思いを書いておこうと思った。
若い人には、「万博」の話はピンと来ないかもしれませんが・・・・。(何かの参考に今日のブログ内容を読んでおいてください。)
とにかく「ムードに流されない」ようにしていきたいですね。ハシモトムードにも、単に流されないように気をつけたいと思っています。(「維新」の掲げることに疑問もありますから)
今のところ、橋下氏のブレーンの一人、古賀茂明氏を(この人の本を何冊も読みましたので)たいへん評価しています。この人が立候補してくれたらなあ、と期待しています。
1959年の皇太子御成婚、60年安保(私は小学生の頃だったので、デモの内容はよくわからなかった)を経て、64年の東京オリンピック(高校生時代)、70年の大阪万博へ。大阪万博のころのイメージは、まさに「高度経済成長」そのものであった。
しかし、私はちょっと変わっていたのか、「大阪万博反対!」の一人であった。大阪に住んでいながら、あの万博に行かなかった人は珍しいのではないだろうか? 当時、万博反対運動もあった。万博会場の「太陽の塔」に侵入して立てこもって、「過激な反対運動」をした奴もいた。ニュースにもなった。
私は「反対なら入場しなけりゃいいのに!」と冷ややかに見ていた。目立つ過激な反対運動は、私の性分に合わない。万博反対なら、「行かない! チケットを買わない!」ことだと思い、それを実行した。ささやかな消極的「反対行動」だった。
自分の性分に合うやり方で「反対運動」をするだけのことしかできない私である。64歳になっている現在も行動パターンは同じである。「過激な反対運動」はどれもこれもつぶれていった。誰かにうまく利用もされた。
「静かな反対運動」は、その人の生き方そのものであり、誰かに利用される危険性は少ないであろう。と思って、生きてきた。大したことをしてきたわけではないが、「私の反対運動」は(私なりに)続いている。
大阪万博に反対した人はほんの一握りであった。みんな喜んで万博へ行った。毎日毎日ものすごい数の人出で、会場は「祭りの絶頂気分」そのものであった。(私は反対だったので、入場はしなかったが、ニュースは見た。毎日毎日、万博に関するニュースが流れていたから。)
アメリカ館では「月の石」が展示されていたようである。それを一目見ようと、人々が押し寄せた。
長い前置きになったが、話を本題に入りたい。
日本に原爆を落としたアメリカのイメージは「マイナス」から「プラス」へ変わりつつあった。「月の石」展示のアメリカ館の爆発的人気。万博開始日(1970年3月14日)会場に『原子の灯』がともった。それは、敦賀原発1号機が稼働し、その電力がともしたものであった。日本の原発スタートの日でもあった。原発のイメージは、もちろんプラスイメージそのもので、誰も「原発反対」ではなかったようである。「万博超お祭り気分」にうまく乗ることができて、(万博プラスイメージと同時に)日本の原子力発電はスタートしたのであった。
原子力に関するものはすべてアメリカ製。高度経済成長の完成イメージを日本国民が手に入れ、祝賀的国家イベントは、原爆投下国アメリカ製の「原子の灯」をともされていたわけである。そして、原発安全神話も作られていったわけである。
アメリカの策略が背後に隠れているように思えないだろうか? 原発を「輸出」することに成功したアメリカ。そこに莫大な金の動きもあっただろう。現在、日本の大企業群がそれぞれの原発を製造し運営しているのだが、もともとはアメリカの企業からスタートした。安全神話とともに。「クリーンなエネルギー」のイメージづくりは「万博人気」とともに始められていたのだ。
私が万博に反対したのは、そんなことがわかっていての反対ではなかった。万博には「うさんくさいもの」を感じ、「そんなことに莫大な税金を投入することに反対だ! 税金をもっと違うことに使え!」というだけの理由であった。万博開幕日=「日本の原発開始日」であることを知ったのは、先のことであった。
今にして思えば、やはり「うさんくさいもの」を万博は含んでいたのだと思う。「アメリカの陰謀」がうさんくさいものの正体だったのかもしれない。そういうことを見抜くだけの力は私になかったが…。(今もないのだが、気をつけるようにはなった。)
アメリカは日本に原爆を2発も投下しておきながら、原子力の「マイナスイメージ」を(その投下国でのマイナスイメージを)払しょくし、原発稼働に成功した。原子力をプラスイメージに変えたのだ。原子力においても、日本は「アメリカのポチ」になったとも言える。「核の傘」もプラスイメージ化され、日本はアメリカなしでは成り立たない国になっていった。現在もそうなっている。
ちなみに、アメリカの了解なしにアメリカに貸しているお金(アメリカの国債に変化)を返してもらえない仕組みあり。「返してくれ」と言った途端に、「その時の総理大臣」はアメリカの力によって失脚させられるに違いない。(橋本総理が例であろう)だから、どの総理大臣もそんなことを言えない国になってしまった。
アメリカの陰謀は「万博」に隠されていたのではないだろうか? そんなことを考えているのは、私だけであろうか?
何事も、「プラス面の背後にはマイナス面が隠れている」。そんな気がしてならない。そういう視点も大切だということを書いておきたかった。
万博は、40年以上も前の国家イベントであるが、(静かな)「万博反対者」の一人として、(現在の原発再稼働反対運動と絡めて)今日はその思いを書いておこうと思った。
若い人には、「万博」の話はピンと来ないかもしれませんが・・・・。(何かの参考に今日のブログ内容を読んでおいてください。)
とにかく「ムードに流されない」ようにしていきたいですね。ハシモトムードにも、単に流されないように気をつけたいと思っています。(「維新」の掲げることに疑問もありますから)
今のところ、橋下氏のブレーンの一人、古賀茂明氏を(この人の本を何冊も読みましたので)たいへん評価しています。この人が立候補してくれたらなあ、と期待しています。
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/333/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>
5

2012/8/30
「続き(パクリ文化)」 評論・随筆その他
鉄砲(火縄銃)の「パクリ製造」の続きです。
鉄砲の国産化には、そりゃ、ものすごく試行錯誤の努力がなされたに違いない。手に入れた鉄砲を分解して、部品に分けて、それぞれの複製をつくっていった。木製の部分の複製にはそれほどの苦労はなかったであろう。しかし、一番困難だったのは「ネジ」の複製であった。鉄砲(火縄銃)の構造として、銃身(筒部)の底には鉄製の「雄ネジ」があった。つまり、銃身には雄ネジをねじながら受ける「雌ネジ部分」があったのだ。雄ネジの複製は当時の鍛冶職人にとっては簡単であったようである。しかし、鉄の筒部の内側に「雌ネジ部分」をどのようにしてつくれば(刻めば)いいのか、それが最大の難題であった。簡単にはできなかった。どうしてもできなかった。ぜんぜん複製が作れなかった。(パクリ方がわからなかった)。とうとう、しびれを切らしたのであろう。ネジをつくるのをあきらめて「ネジなし鉄砲」を製造した。銃身の底部を塞(ふさ)いでしまったのだ。鉄に焼きを入れれば簡単に塞げた。
どうなったか・・・? 一応、「鉄砲」にはなったのだが…。
玉一発はうまく発射できても、次の玉を発射しようとしたら、うまくいかなかった。暴発したのだ。「パクリ失敗未熟鉄砲」のせいで、怪我人は続出。即死でなかったにせよ、死者も出たにちがいない。(文献で確認していないが、鉄砲における暴発事故は現代でも起こっ
ているから、そう確信している私。)
さあ、困った、困った。怪我人や死者がでるような「パクリ失敗未熟鉄砲」をどう改良したものか? やはり、「雌ネジ」製造法を「パクルしかない・・・」と考えたようである。
伝説によると、種子島の天才的鍛冶職人(八板金兵衛)の娘(若狭)が活躍したとのこと。若狭が西洋人(鉄砲に詳しい人だろう)の嫁になることによって、雌ネジ製造法を手に入れることができたようである。伝説なので、ほんとうかどうかはよくわからないが・・・。
しかし、当時の天才的鍛冶職人の技術力をもってしても、「複製できなかったものが、(苦労したが)なんとか複製できた」という事実が、たいへんな影響をもたらしたのだ。
「日本、国産化に成功!」という大ニュース。瞬く間に、安全な複製鉄砲(パクリ鉄砲)は西日本の各地で製造されていくことになった。それも大量生産だ。ある文献によると、世界一の鉄砲生産国=日本だったのだ。ものすごいことが、16世紀に起こっていたわけである。
堺・根来・国友などで、鍛冶職人たちが大量生産しだした結果である。
日本最大の鉄砲生産地は堺であった。そのうえ、堺港には火薬の材料も(日本にはなかったので外国から輸入して)豊富にあった。堺が最大の鉄砲生産地であったがゆえに、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康たち、時の権力者が堺を支配下にしようとしたわけである。
「自治都市=堺」であったが、時代の権力者たちに抵抗はしてきたが、とうとう堺は焼かれてしまった。(「大坂夏の陣」で鍛冶は全滅か?)
とにかく、鉄砲生産技術の伝来のもとは、種子島鍛冶職人の「パクリ」にあったわけである。
ちなみに、鉄砲伝来の歴史にたいへん関心があるので、「種子島に一度は行ってみたい!」と思っているのだが、未だ実現していない(悲)。3年前、一度は試みたが、鹿児島港からの高速船の切符(当日チケット)が売り切れてしまっていたので、行けなかった。やはりチケットの予約はしておくものだ、と後悔した。
(今日はここまで。、つづく)
鉄砲の国産化には、そりゃ、ものすごく試行錯誤の努力がなされたに違いない。手に入れた鉄砲を分解して、部品に分けて、それぞれの複製をつくっていった。木製の部分の複製にはそれほどの苦労はなかったであろう。しかし、一番困難だったのは「ネジ」の複製であった。鉄砲(火縄銃)の構造として、銃身(筒部)の底には鉄製の「雄ネジ」があった。つまり、銃身には雄ネジをねじながら受ける「雌ネジ部分」があったのだ。雄ネジの複製は当時の鍛冶職人にとっては簡単であったようである。しかし、鉄の筒部の内側に「雌ネジ部分」をどのようにしてつくれば(刻めば)いいのか、それが最大の難題であった。簡単にはできなかった。どうしてもできなかった。ぜんぜん複製が作れなかった。(パクリ方がわからなかった)。とうとう、しびれを切らしたのであろう。ネジをつくるのをあきらめて「ネジなし鉄砲」を製造した。銃身の底部を塞(ふさ)いでしまったのだ。鉄に焼きを入れれば簡単に塞げた。
どうなったか・・・? 一応、「鉄砲」にはなったのだが…。
玉一発はうまく発射できても、次の玉を発射しようとしたら、うまくいかなかった。暴発したのだ。「パクリ失敗未熟鉄砲」のせいで、怪我人は続出。即死でなかったにせよ、死者も出たにちがいない。(文献で確認していないが、鉄砲における暴発事故は現代でも起こっ
ているから、そう確信している私。)
さあ、困った、困った。怪我人や死者がでるような「パクリ失敗未熟鉄砲」をどう改良したものか? やはり、「雌ネジ」製造法を「パクルしかない・・・」と考えたようである。
伝説によると、種子島の天才的鍛冶職人(八板金兵衛)の娘(若狭)が活躍したとのこと。若狭が西洋人(鉄砲に詳しい人だろう)の嫁になることによって、雌ネジ製造法を手に入れることができたようである。伝説なので、ほんとうかどうかはよくわからないが・・・。
しかし、当時の天才的鍛冶職人の技術力をもってしても、「複製できなかったものが、(苦労したが)なんとか複製できた」という事実が、たいへんな影響をもたらしたのだ。
「日本、国産化に成功!」という大ニュース。瞬く間に、安全な複製鉄砲(パクリ鉄砲)は西日本の各地で製造されていくことになった。それも大量生産だ。ある文献によると、世界一の鉄砲生産国=日本だったのだ。ものすごいことが、16世紀に起こっていたわけである。
堺・根来・国友などで、鍛冶職人たちが大量生産しだした結果である。
日本最大の鉄砲生産地は堺であった。そのうえ、堺港には火薬の材料も(日本にはなかったので外国から輸入して)豊富にあった。堺が最大の鉄砲生産地であったがゆえに、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康たち、時の権力者が堺を支配下にしようとしたわけである。
「自治都市=堺」であったが、時代の権力者たちに抵抗はしてきたが、とうとう堺は焼かれてしまった。(「大坂夏の陣」で鍛冶は全滅か?)
とにかく、鉄砲生産技術の伝来のもとは、種子島鍛冶職人の「パクリ」にあったわけである。
ちなみに、鉄砲伝来の歴史にたいへん関心があるので、「種子島に一度は行ってみたい!」と思っているのだが、未だ実現していない(悲)。3年前、一度は試みたが、鹿児島港からの高速船の切符(当日チケット)が売り切れてしまっていたので、行けなかった。やはりチケットの予約はしておくものだ、と後悔した。
(今日はここまで。、つづく)
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3

2012/8/29
「パクリ文化」 評論・随筆その他
今日は「パクリ文化」について考えてみたい。
今読み始めている本『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまでに違うのか』(黄文雄著)によると、「世界のニセモノの80パーセントは中国からきている。その次は韓国である。」と書かれていた。たぶん当たっているような気がする。「すべてがウソ、ウソでないのは詐欺師だけ」ということを、あの朱鎔基(しゅようき)総理が口にしているのだから。とにかく、中国人自身が「ニセモノが多い」ということを自覚している国である。イタリア製のバッグなど上海でも売られているのだが、お金持ちは上海で買わないらしい。日本(東京の有名店)へ来て買うらしい。なぜなら、日本の有名店ではニセモノが売られていないから。そういうことはよく認識しているようである。
その本によると、「クレヨンしんちゃん」の例を挙げている。
《パクッた中国のクレヨンしんちゃんが本物になり、日本の元祖が逆に「パクリ」とされたことがある。その後2012年3月になって、中国側の著作権侵害が認められた。》
と書かれている。ひどい状態であることがうかがえる例である。今もって、多くの中国人は、日本がパクッたと思って「クレヨンしんちゃん」を読んだり、見たりしているような気がする。これは一例だが、かなりのこと(例えば、北京オリンピックの開会式でのアピール ⇒ 世界4大発明(火薬・羅針盤・紙・活版印刷)をしたのは中国人だ! などと恥ずかしくもなく国家を上げて言うのだから、驚きである。ちなみに、この国は何でも「中国が世界一」でなければならないようである。だから、現在においても、いろいろとパクリ製造したものまで「中国が一番初めに作ったのだ」と教育され、情報を流され、信じ込まされているようである。インターネットの時代になり、大多数の中国人も徐々に「世界に通用する真実」に気づいていくことであろう。もっとも、かなりの時間がかかるようであるが…。
さて、本題に戻る。今日は、中国の悪口を書くために「パクリ文化」について書き始めたのではない。中国人で素晴らしい人がたくさんおられることは事実である。以前、私のお隣には、りっぱな中国人(日本に帰化)が住んでおられたから、よく認識しているつもりである。
中国の「パクリ文化」はさておいて、実は、日本も西洋のものをパクッてきたのである。
私自身が最も関心を持っている「一番のパクリ」は、「鉄砲(火縄銃)」である。日本は「鉄砲」を西洋からパクッたのだ!
以下、火縄銃についての参考資料(ネット情報による)
《『鉄炮記』の記述により日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島より始まるとされてきた。しかし、近年では、東南アジアに広まっていた火器が1543年(天文12年)以前に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれ、伝来当初は猟銃として用いられていたとする説も提示されている(宇田川説)。だが、欧米の研究家の間では、欧州の瞬発式火縄銃が日本に伝えられて改良発展したものが、逆に東南アジアに伝えられ、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったものとする説もある。(ニッケル説、ブレーヤ説)関連して、火薬が15世紀後半の日本で生産されており朝鮮との交易の際に輸出品となっていたことが文献から窺える。》
参考資料内容より、鉄砲(火器)が1543年より以前に、猟銃として用いられていたようである。倭寇(海賊)が中国から持ち込んでいたと考えられる。(私はその説を信じている) しかし、日本国内に広がらなかった。なぜなら、鉄砲の数が少なすぎた、つまり鉄砲を「パクリ製造」できなかったからである。
「1543年に鉄砲が種子島に伝来した」ということが歴史に残った。種子島で鉄砲のパクリ(複製)が実現できたからである。もし、「パクリ製造」がなされていなかったならば、「1543年鉄砲伝来」という歴史は刻まれなかったのではないだろうか?
「パクリ製造」は、昔から現在に至るまで行われているのである。もっとも、パクリには「ひどいパクリ」と「すばらしいパクリ」がある、と考えられる。現在の特許権の時代においては中国などがやっているパクリは「ひどいパクリ」である点は、世界が認識していることである。中国自身も認めているのだが、とにかく「コピー天国」らしい。そういうことが国家を弱体化させていくことになるのだと、(特に国家の指導者は)早く気付いてほしいものである。
鉄砲(火縄銃)のパクリ製造については、引き続き考えていきたい。
鉄砲が伝来した地、種子島は砂鉄が豊富であった。当然、鉄のあるところには鍛冶産業が発達していた。1543年ごろの鍛冶で作っていたものとしては、刀や槍、農機具などが中心であっただろう。鍛冶文化がレベルの高い段階にあった種子島。その種子島に新兵器「鉄砲(火縄銃)が難破船漂着によってもたらされた。これが、屋久島であったなら、歴史は変わっていたであろう。屋久島には「パクリ能力のある鍛冶職人」がいなかったからである。倭寇が持ち込んだ鉄砲と同じ運命になっていたであろう。つまり、「同じものをマネして製造する=パクル」ことができず、国内で大量製造ができずに歴史から消えてしまうことになる。倭寇が日本にもたらした「鉄砲」は、誰によってもパクリ製造されず、不用品扱いされていったことであろう。(倭寇がもたらした鉄砲の玉・火薬なども、使い切りだけの数で、国産化されることはなかった、と私は考えている。)
つづく(この続きは後日に)
今読み始めている本『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまでに違うのか』(黄文雄著)によると、「世界のニセモノの80パーセントは中国からきている。その次は韓国である。」と書かれていた。たぶん当たっているような気がする。「すべてがウソ、ウソでないのは詐欺師だけ」ということを、あの朱鎔基(しゅようき)総理が口にしているのだから。とにかく、中国人自身が「ニセモノが多い」ということを自覚している国である。イタリア製のバッグなど上海でも売られているのだが、お金持ちは上海で買わないらしい。日本(東京の有名店)へ来て買うらしい。なぜなら、日本の有名店ではニセモノが売られていないから。そういうことはよく認識しているようである。
その本によると、「クレヨンしんちゃん」の例を挙げている。
《パクッた中国のクレヨンしんちゃんが本物になり、日本の元祖が逆に「パクリ」とされたことがある。その後2012年3月になって、中国側の著作権侵害が認められた。》
と書かれている。ひどい状態であることがうかがえる例である。今もって、多くの中国人は、日本がパクッたと思って「クレヨンしんちゃん」を読んだり、見たりしているような気がする。これは一例だが、かなりのこと(例えば、北京オリンピックの開会式でのアピール ⇒ 世界4大発明(火薬・羅針盤・紙・活版印刷)をしたのは中国人だ! などと恥ずかしくもなく国家を上げて言うのだから、驚きである。ちなみに、この国は何でも「中国が世界一」でなければならないようである。だから、現在においても、いろいろとパクリ製造したものまで「中国が一番初めに作ったのだ」と教育され、情報を流され、信じ込まされているようである。インターネットの時代になり、大多数の中国人も徐々に「世界に通用する真実」に気づいていくことであろう。もっとも、かなりの時間がかかるようであるが…。
さて、本題に戻る。今日は、中国の悪口を書くために「パクリ文化」について書き始めたのではない。中国人で素晴らしい人がたくさんおられることは事実である。以前、私のお隣には、りっぱな中国人(日本に帰化)が住んでおられたから、よく認識しているつもりである。
中国の「パクリ文化」はさておいて、実は、日本も西洋のものをパクッてきたのである。
私自身が最も関心を持っている「一番のパクリ」は、「鉄砲(火縄銃)」である。日本は「鉄砲」を西洋からパクッたのだ!
以下、火縄銃についての参考資料(ネット情報による)
《『鉄炮記』の記述により日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島より始まるとされてきた。しかし、近年では、東南アジアに広まっていた火器が1543年(天文12年)以前に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれ、伝来当初は猟銃として用いられていたとする説も提示されている(宇田川説)。だが、欧米の研究家の間では、欧州の瞬発式火縄銃が日本に伝えられて改良発展したものが、逆に東南アジアに伝えられ、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったものとする説もある。(ニッケル説、ブレーヤ説)関連して、火薬が15世紀後半の日本で生産されており朝鮮との交易の際に輸出品となっていたことが文献から窺える。》
参考資料内容より、鉄砲(火器)が1543年より以前に、猟銃として用いられていたようである。倭寇(海賊)が中国から持ち込んでいたと考えられる。(私はその説を信じている) しかし、日本国内に広がらなかった。なぜなら、鉄砲の数が少なすぎた、つまり鉄砲を「パクリ製造」できなかったからである。
「1543年に鉄砲が種子島に伝来した」ということが歴史に残った。種子島で鉄砲のパクリ(複製)が実現できたからである。もし、「パクリ製造」がなされていなかったならば、「1543年鉄砲伝来」という歴史は刻まれなかったのではないだろうか?
「パクリ製造」は、昔から現在に至るまで行われているのである。もっとも、パクリには「ひどいパクリ」と「すばらしいパクリ」がある、と考えられる。現在の特許権の時代においては中国などがやっているパクリは「ひどいパクリ」である点は、世界が認識していることである。中国自身も認めているのだが、とにかく「コピー天国」らしい。そういうことが国家を弱体化させていくことになるのだと、(特に国家の指導者は)早く気付いてほしいものである。
鉄砲(火縄銃)のパクリ製造については、引き続き考えていきたい。
鉄砲が伝来した地、種子島は砂鉄が豊富であった。当然、鉄のあるところには鍛冶産業が発達していた。1543年ごろの鍛冶で作っていたものとしては、刀や槍、農機具などが中心であっただろう。鍛冶文化がレベルの高い段階にあった種子島。その種子島に新兵器「鉄砲(火縄銃)が難破船漂着によってもたらされた。これが、屋久島であったなら、歴史は変わっていたであろう。屋久島には「パクリ能力のある鍛冶職人」がいなかったからである。倭寇が持ち込んだ鉄砲と同じ運命になっていたであろう。つまり、「同じものをマネして製造する=パクル」ことができず、国内で大量製造ができずに歴史から消えてしまうことになる。倭寇が日本にもたらした「鉄砲」は、誰によってもパクリ製造されず、不用品扱いされていったことであろう。(倭寇がもたらした鉄砲の玉・火薬なども、使い切りだけの数で、国産化されることはなかった、と私は考えている。)
つづく(この続きは後日に)
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1

2012/7/18
「脱原発と生き方」 評論・随筆その他
「脱原発」に賛成するためには、「その考えに行動が伴う」ことが大切である。
私も(わずかであるかもしれないが)脱原発を可能にする「節電生活」を続けようと思っている。昨年の同月電気代を意識して、節電に努めたい。とりあえず、ここ2、3か月は電気代が去年同月の電気代よりも少ないので、実行できているようである。
電力使用量を減らす生活、つまり節電。全国的に、国民はすでに節電生活に入っている。湯水のごとくじゃんじゃん電気を使っている国民はほとんどいないだろう。節電生活を真面目にする素晴らしい国民だと思う。阪神淡路大震災や東日本大震災にみまわれた時にも、「暴動」は起こらなかった国である。こんなに整然と行動する国民は、地球上で日本だけかもしれない。この素晴らしい国民や会社が協力して、すべての面で「節電」に取り組むならば、「原発0」でもやって行けるはずである。私は日本人の力を信じている。電力会社や今の政府や官僚たちの主張は信じられない。特に電力会社が出してくるデータはひどいものである。まったく信じられない。「九州電力やらせメール問題」などにおいても、誠意を示さないままの状況で「時間の経過」を待っているだけである。あのような体質が「すべての電力会社の体質」なのである。まったく改善されていないことが、はっきりと示されつつある。国民は、電力会社や政府(総理大臣=財務官僚の操り人形である)の言うことを信用しなくなっている。だから、すでに民主党政権は崩壊に向かっている。それだけのことをしてきたのだから、崩壊して当然であろう。
話がずれてきたので、元に戻す。
多くの国民が「節電生活」をきちんとしている。老若男女、全員で節電生活をしている。
こういう状況にもかかわらず、政府(中心は財務官僚たち一派であろう)や電力会社・原子力ムラの原発推進一派は原発再稼働に向けて必死である。原発推進一派の言動は見苦しいし、国民の声を無視してでもやっていく連中の集まりである。東京での原発反対デモ参加者は週ごとに増えていっている。私も参加したい気持ちである。(大阪でも原発反対デモ企画があれば、参加したいと思っている。)
「原発なしでは日本の経済は滅びる!」というフレーズを合言葉に、大手企業群・経済界は「原発の必要性・再稼働の必要性」を繰り返し発信している。「原発が稼働しない場合の景気浮揚はあり得ない」という妄想(電力会社と官僚たち中心になり創り出した、都合のいいデータによる世界)にとりつかれているようである。
日本の技術力を信じれば、原発推進予算を0にして、「原発以外の発電方法研究」に国家予算をまわせば、すごい成果を短期間で出すに違いない。そう信じている。
たとえば、休耕田や高速道路の壁面のほとんどを太陽光発電に利用すれば、すごい発電量を生み出せるはずである。この例は素人の考えにすぎないが、その道のプロがアイデアを出し、国家予算をそちらにどんどん振り向ければ、原発0になってもやっていけるのが、日本(の技術力)の素晴らしさである。
原子力推進一派は、そちらに舵を切られることを恐れているに違いない。
しかし、「人間の力でコントロールできない原発」はこの世から葬らなければ、安心して暮らせない。原発の近くにお住いの方々は、原発関係の仕事にかかわっておられるので、原発反対や脱原発運動は表立ってできないだろうが、ほんとうは「安心して暮らせる地」になることを願っているはずである。
スリーマイル島・チェルノブイリ・福島県の一部地域…と「大きな原発事故発生地」はどこも汚染されたままである。除染がどれほどの効果をもたらすかは、わかりにくい。不安を抱えたままで生活しておられるであろう。
「安心して暮らせる地」になるまで何年(何十年?)かかるのであろうか・・・。
「原発事故」から学んだこと。それは、「原発0の国」にすること以外は、考えられない。
(原発0に向けての「生き方」や「企業のあり方」については、また別の機会に考えたい。)
*補足 マスコミの姿勢について思うこと。
マスコミもいろいろな面で、徹底的には追及しない。一言でいえば、いいかげんな体質である。(例えば、少し前には大きく取り上げていた「九電のやらせメール事件」。あの事件の報道は、もうまったくしていない。九電の問題を(国民に)忘れてもらうのを待っているようである。マスコミはある事件が起こると、それを熱病にかかったように(大騒ぎして)報道して、次の話題が見つかった途端、もう「追及すべき報道内容」から手を引いていく。誰かによって、操作されているような気がする。九電問題をとり上げるマスメディアは、(現在)もうなくなった。こういうことの繰り返しである。テレビも新聞も同じ体質である。今は大津での事件をばかりを大きく・長い時間とりあげることによって、逆に「原子力ムラ」の本質にかかわることには触れていない。
そういう目でニュースを見ることも大切であろう。私はとかく「本質を見る目」を失いがちになるので、ブログを書きながら、別の角度からも「ニュースを考える」ようにしている。
私は「九電やらせメール事件」の詐欺的世論づくりの問題性を忘れていない。あれが、電力会社の体質なのだと思っている。各電力会社もまったく同じである。気の毒なのは、原発がないのに「原発費用」を負担させられている沖縄電力(その利用者の住民)である。原発0の唯一の電力会社=沖縄電力。沖縄電力は払う必要のない「原発費用」を支払っているとのこと。電力会社仲間ゆえであろう。沖縄電力の利用者(沖縄県住民)は、「原発費用」分を値下げ申請してほしい。当然の権利であろう。このことが大きな意見にならないように、マスコミも触れていないようである。
沖縄住民の方へ。
沖縄電力における原発費負担分の値下げ運動を起こしてくださいよ!
きっと効果がありますよ。
沖縄電力が永遠に「原発0」であり続けることを支持します。
関電も「原発0」の道を探り始めるべきである。
私も(わずかであるかもしれないが)脱原発を可能にする「節電生活」を続けようと思っている。昨年の同月電気代を意識して、節電に努めたい。とりあえず、ここ2、3か月は電気代が去年同月の電気代よりも少ないので、実行できているようである。
電力使用量を減らす生活、つまり節電。全国的に、国民はすでに節電生活に入っている。湯水のごとくじゃんじゃん電気を使っている国民はほとんどいないだろう。節電生活を真面目にする素晴らしい国民だと思う。阪神淡路大震災や東日本大震災にみまわれた時にも、「暴動」は起こらなかった国である。こんなに整然と行動する国民は、地球上で日本だけかもしれない。この素晴らしい国民や会社が協力して、すべての面で「節電」に取り組むならば、「原発0」でもやって行けるはずである。私は日本人の力を信じている。電力会社や今の政府や官僚たちの主張は信じられない。特に電力会社が出してくるデータはひどいものである。まったく信じられない。「九州電力やらせメール問題」などにおいても、誠意を示さないままの状況で「時間の経過」を待っているだけである。あのような体質が「すべての電力会社の体質」なのである。まったく改善されていないことが、はっきりと示されつつある。国民は、電力会社や政府(総理大臣=財務官僚の操り人形である)の言うことを信用しなくなっている。だから、すでに民主党政権は崩壊に向かっている。それだけのことをしてきたのだから、崩壊して当然であろう。
話がずれてきたので、元に戻す。
多くの国民が「節電生活」をきちんとしている。老若男女、全員で節電生活をしている。
こういう状況にもかかわらず、政府(中心は財務官僚たち一派であろう)や電力会社・原子力ムラの原発推進一派は原発再稼働に向けて必死である。原発推進一派の言動は見苦しいし、国民の声を無視してでもやっていく連中の集まりである。東京での原発反対デモ参加者は週ごとに増えていっている。私も参加したい気持ちである。(大阪でも原発反対デモ企画があれば、参加したいと思っている。)
「原発なしでは日本の経済は滅びる!」というフレーズを合言葉に、大手企業群・経済界は「原発の必要性・再稼働の必要性」を繰り返し発信している。「原発が稼働しない場合の景気浮揚はあり得ない」という妄想(電力会社と官僚たち中心になり創り出した、都合のいいデータによる世界)にとりつかれているようである。
日本の技術力を信じれば、原発推進予算を0にして、「原発以外の発電方法研究」に国家予算をまわせば、すごい成果を短期間で出すに違いない。そう信じている。
たとえば、休耕田や高速道路の壁面のほとんどを太陽光発電に利用すれば、すごい発電量を生み出せるはずである。この例は素人の考えにすぎないが、その道のプロがアイデアを出し、国家予算をそちらにどんどん振り向ければ、原発0になってもやっていけるのが、日本(の技術力)の素晴らしさである。
原子力推進一派は、そちらに舵を切られることを恐れているに違いない。
しかし、「人間の力でコントロールできない原発」はこの世から葬らなければ、安心して暮らせない。原発の近くにお住いの方々は、原発関係の仕事にかかわっておられるので、原発反対や脱原発運動は表立ってできないだろうが、ほんとうは「安心して暮らせる地」になることを願っているはずである。
スリーマイル島・チェルノブイリ・福島県の一部地域…と「大きな原発事故発生地」はどこも汚染されたままである。除染がどれほどの効果をもたらすかは、わかりにくい。不安を抱えたままで生活しておられるであろう。
「安心して暮らせる地」になるまで何年(何十年?)かかるのであろうか・・・。
「原発事故」から学んだこと。それは、「原発0の国」にすること以外は、考えられない。
(原発0に向けての「生き方」や「企業のあり方」については、また別の機会に考えたい。)
*補足 マスコミの姿勢について思うこと。
マスコミもいろいろな面で、徹底的には追及しない。一言でいえば、いいかげんな体質である。(例えば、少し前には大きく取り上げていた「九電のやらせメール事件」。あの事件の報道は、もうまったくしていない。九電の問題を(国民に)忘れてもらうのを待っているようである。マスコミはある事件が起こると、それを熱病にかかったように(大騒ぎして)報道して、次の話題が見つかった途端、もう「追及すべき報道内容」から手を引いていく。誰かによって、操作されているような気がする。九電問題をとり上げるマスメディアは、(現在)もうなくなった。こういうことの繰り返しである。テレビも新聞も同じ体質である。今は大津での事件をばかりを大きく・長い時間とりあげることによって、逆に「原子力ムラ」の本質にかかわることには触れていない。
そういう目でニュースを見ることも大切であろう。私はとかく「本質を見る目」を失いがちになるので、ブログを書きながら、別の角度からも「ニュースを考える」ようにしている。
私は「九電やらせメール事件」の詐欺的世論づくりの問題性を忘れていない。あれが、電力会社の体質なのだと思っている。各電力会社もまったく同じである。気の毒なのは、原発がないのに「原発費用」を負担させられている沖縄電力(その利用者の住民)である。原発0の唯一の電力会社=沖縄電力。沖縄電力は払う必要のない「原発費用」を支払っているとのこと。電力会社仲間ゆえであろう。沖縄電力の利用者(沖縄県住民)は、「原発費用」分を値下げ申請してほしい。当然の権利であろう。このことが大きな意見にならないように、マスコミも触れていないようである。
沖縄住民の方へ。
沖縄電力における原発費負担分の値下げ運動を起こしてくださいよ!
きっと効果がありますよ。
沖縄電力が永遠に「原発0」であり続けることを支持します。
関電も「原発0」の道を探り始めるべきである。
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2012/7/5
「データから考えることの大切さ」 評論・随筆その他
物事を考えるにあたって、とかく私はテレビや新聞の影響を受けやすい。見出しの大きさやテレビニュースで流される画面の迫力やコメンテーターなどの意見に押されて、「事実・真実」の把握を誤ってしまうことがある。
そこで、(最近の私は)できる限り、報道内容に対する賛成派と反対派の両方の意見を聞くようにしている。さらに、いろいろな立場から出版される「本」からの情報をより重視して、物事を考えるようにしている。
テレビや大手新聞は官僚支配(マスメディアに対する許認可権は官僚およびOBがバッチリ押さえてきている)の影響があるので、そういうつもりでテレビを見、大手新聞を読んでいる。全部が全部、官僚の影響下にあるのではないが、肝心なところは官僚一派(金融機関・官僚方針支持の大手企業および大株主など)が思うように操作している。
その結果、「超金持ちや税金で無茶苦茶甘い汁を吸っている者など」がいつまでもその状態が続くシステムを守っていることになる。ちなみに、所得の把握問題でも超金持ちたちが反対していることであろう。国民総番号制(マイナンバー)になって一番困るのは誰なのか? もちろん、超金持ちたちである。私のお金に関する情報が(ハッキングされて)洩れたとしても、私個人は一向にかまわない。国民の多くは(若干の違いはあるだろうが)同じ程度に思っているだろう。しかし、ちょっとだけニュースにするだけで、ほとんど実質の話は進まない。超金持ちおよび超高給取りが反対しているからである。
日本の国の財政を立て直すには、「超金持ち」および「超高給取り」の人から税金をたくさん取るようにすれば解決できるはずであるが、(一部の超金持ちは賛成しているのだが)「超金持ちが反対する動き」はすぐにつぶされるか先延ばしされる。官僚の超得意な「先延ばし」である。おそらく10年先延ばしすれば、「忘れてくれる・問題が薄れる」ことを官僚はよく心得ているのである。
私は「その問題」を忘れないようにしようと、このブログに書いたりする。じぶんのために、ここに書いているつもり。結構頭を働かせるので、認知症対策になっているだろう。
ブログが途絶えてしまった時は、入院したか死んだかのどちらかであろう。(今は笑っていられるほど健康ですが・・・)
話を戻す。マスコミの力は「取り上げようとしない」という点でも、強い! 「超金持ちから税金をもっと納めてもらうべきである」という意見をマスコミがどんどん国民に流すと、世の中が変わるかもしれない。マスコミの力は、とにかく、強い。
日本が世界一金持ち国であることも大々的には言わない。「財政破綻」のことばかりコメンテーターも一緒になって言う。世界一金持ち国なのに、なぜ多くの国民は貧しいのか? という本質的な疑問には触れようとはしないマスコミ。
アメリカやヨーロッパの国々ほどではないが、(原因は)日本も、金持ちと貧乏人との格差があるからなのである。アメリカはひどい格差社会である。最近の中国も。とにかく、国民の1パーセント(の超お金持ち)が「国家所得」のほとんどを持っている構造である。
日本は、(先進国の中では)格差の一番少ない国だというデータがある。いいことだと思うし、いつまでもそうあってほしい。しかし、超お金持ちからの税金を一昔以前なみに徴収するだけで、さらに「富裕税」なる税を新設する国にすれば、財政問題は改善できるはずである。すでにアメリカが動き始めているニュースあり。日本が「世界一素晴らしい国」になるために、現在よりももっと格差を少なくするために、「民意」をつかんでいってほしいと思う。
こういうことを言う者はまだまだ少数かもしれないが、言うべきことは言っておきたい。生活保護およびその費用のニュースが多くなっているが、その問題への視点・考え方を変えてみる必要もあるだろう。「生活保護費でパチンコを・・・」などと大きく話題にしているマスコミであるが、何か「本質的な問題点の差し替えかも?」と感じる私である。生活保護制度のマイナス面を大きく取り上げて、プラス面を消そうとしている逆効果もあるはずである。どういうニュースでも、そのニュースの両面を考えるようにしていこうと思っている。
今日も話がまとまらないが・・・。
要するに、「センセーショナルなニュース」に目を(心を)奪われないようにして、物事の核心を考えていきたい、ということを書きたかったのである。
そのためには、「本で知るデータ(数値)」を頼りにするほうがいい。
次の選挙では、官僚主導政治と本気で闘う人に一票を入れるつもりである。
そこで、(最近の私は)できる限り、報道内容に対する賛成派と反対派の両方の意見を聞くようにしている。さらに、いろいろな立場から出版される「本」からの情報をより重視して、物事を考えるようにしている。
テレビや大手新聞は官僚支配(マスメディアに対する許認可権は官僚およびOBがバッチリ押さえてきている)の影響があるので、そういうつもりでテレビを見、大手新聞を読んでいる。全部が全部、官僚の影響下にあるのではないが、肝心なところは官僚一派(金融機関・官僚方針支持の大手企業および大株主など)が思うように操作している。
その結果、「超金持ちや税金で無茶苦茶甘い汁を吸っている者など」がいつまでもその状態が続くシステムを守っていることになる。ちなみに、所得の把握問題でも超金持ちたちが反対していることであろう。国民総番号制(マイナンバー)になって一番困るのは誰なのか? もちろん、超金持ちたちである。私のお金に関する情報が(ハッキングされて)洩れたとしても、私個人は一向にかまわない。国民の多くは(若干の違いはあるだろうが)同じ程度に思っているだろう。しかし、ちょっとだけニュースにするだけで、ほとんど実質の話は進まない。超金持ちおよび超高給取りが反対しているからである。
日本の国の財政を立て直すには、「超金持ち」および「超高給取り」の人から税金をたくさん取るようにすれば解決できるはずであるが、(一部の超金持ちは賛成しているのだが)「超金持ちが反対する動き」はすぐにつぶされるか先延ばしされる。官僚の超得意な「先延ばし」である。おそらく10年先延ばしすれば、「忘れてくれる・問題が薄れる」ことを官僚はよく心得ているのである。
私は「その問題」を忘れないようにしようと、このブログに書いたりする。じぶんのために、ここに書いているつもり。結構頭を働かせるので、認知症対策になっているだろう。
ブログが途絶えてしまった時は、入院したか死んだかのどちらかであろう。(今は笑っていられるほど健康ですが・・・)
話を戻す。マスコミの力は「取り上げようとしない」という点でも、強い! 「超金持ちから税金をもっと納めてもらうべきである」という意見をマスコミがどんどん国民に流すと、世の中が変わるかもしれない。マスコミの力は、とにかく、強い。
日本が世界一金持ち国であることも大々的には言わない。「財政破綻」のことばかりコメンテーターも一緒になって言う。世界一金持ち国なのに、なぜ多くの国民は貧しいのか? という本質的な疑問には触れようとはしないマスコミ。
アメリカやヨーロッパの国々ほどではないが、(原因は)日本も、金持ちと貧乏人との格差があるからなのである。アメリカはひどい格差社会である。最近の中国も。とにかく、国民の1パーセント(の超お金持ち)が「国家所得」のほとんどを持っている構造である。
日本は、(先進国の中では)格差の一番少ない国だというデータがある。いいことだと思うし、いつまでもそうあってほしい。しかし、超お金持ちからの税金を一昔以前なみに徴収するだけで、さらに「富裕税」なる税を新設する国にすれば、財政問題は改善できるはずである。すでにアメリカが動き始めているニュースあり。日本が「世界一素晴らしい国」になるために、現在よりももっと格差を少なくするために、「民意」をつかんでいってほしいと思う。
こういうことを言う者はまだまだ少数かもしれないが、言うべきことは言っておきたい。生活保護およびその費用のニュースが多くなっているが、その問題への視点・考え方を変えてみる必要もあるだろう。「生活保護費でパチンコを・・・」などと大きく話題にしているマスコミであるが、何か「本質的な問題点の差し替えかも?」と感じる私である。生活保護制度のマイナス面を大きく取り上げて、プラス面を消そうとしている逆効果もあるはずである。どういうニュースでも、そのニュースの両面を考えるようにしていこうと思っている。
今日も話がまとまらないが・・・。
要するに、「センセーショナルなニュース」に目を(心を)奪われないようにして、物事の核心を考えていきたい、ということを書きたかったのである。
そのためには、「本で知るデータ(数値)」を頼りにするほうがいい。
次の選挙では、官僚主導政治と本気で闘う人に一票を入れるつもりである。
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