夫婦の風景

夫婦ふたりで一生懸命生きていこうと頑張るブログです

人生で大切なもの

2024-02-27 21:17:58 | 日記
今までパートで働いていたので仕事を辞めて、毎日家にいることがなんか違和感というか、フワフワした気分です。

貧乏性なので働かないといけないと思っててちびちび働いてきました。働くのが生きがいというか専業主婦になり切れなかったのよね。

今は、夫の三食(朝・昼・夜)を作っただけでなんか疲れちゃって昼寝したりダラダラの毎日で、主婦の仕事が出来てない。

そんなぐうたらな日々の中でふっと思う。

こうやって毎日ダラダラ過ごす時間も人生で大切なものなんだなあ。

時間に追われてイライラしながら毎日過ごしていた過去から、ふわっとした時間がいっぱいある今は幸せなんだなあと思う。

今日もいい夢を見られたらいいなあ。










母の介護を思い出す

2024-02-27 06:48:09 | 老後
母はもういない。
一昨年あの世へ旅立った。

母の介護を6年ほどしていました。
今から6年ほど前。
気丈に一人暮らしをしていた母が背骨の圧迫骨折になってからガラリと変わってしまいました。
寝たきりの母をわが家で引き取ってから母が妄想を抱き、言動がおかしくなっていく姿に心を痛めました。
病院へ連れていき、せん妄という診断をいただいたけど、それでも治る見通しがありませんでした。
精神科の先生を紹介されて診ていただくとせん妄・老人性うつ病にかかっているらしく、そのまま入院になりました。
退院してしばらく家で介護をしていましたが、急に大声を出して気が変わってしまう、そうしてしばらくして治まる、でもまた大声を出しての繰り返しでした。
先生に見ていただくと血管性認知症という病気ですと言われました。
母に何が起こっているのかさっぱりわからず、精神科の先生と相談して介護施設に入居しましょうということになりました。
私も夫も母の介護で擦り切れていて当時働いていた私たちは本当に途方にくれていました。眠れないし色々大変でした。

介護施設は本当に色々探し回りました。しかしなかなか見つかりませんでした。ある時、病院の紹介で介護施設専門の業者さんを教えていただいて、
ようやく母を預かっていただく施設を(サ高住)みつけました、

介護施設は本当に良いところでした。感謝しかありません。
介護施設の方々と連絡をとりながら母を看ていましたが、やはり急に精神状態が不安になったりするので、精神科の先生とも連携して介護をしていました。(しょっちゅう呼び出しがありました)

穏やかな老後を送ってほしかった私は母のために色々なことをしたのだけど、いまだにあれで良かったのかなあ?と思うことが多々あります。

母はとても気にする性格で今で言う繊細さん(HSP)だったと思います。

母の介護で人の優しさを知り、お金が必要だと知り色々勉強になりました。

明日は我が身と思い、日々ストレスを溜めないように生きていこうと思うこの頃です。