クタバレ!専業主婦

仕事と子育て以外やってます。踊ったり、歌ったり、絵を描いたり、服を作ったり、文章を書いたりして生きています。

珈琲美学と不幸中毒

2023-03-13 03:33:02 | 2022年の旅エッセイ

“見つけてあげるよ~キミだけのやる気スイッチ~”

 

という、塾のCMがあった。子どもの頃は、とにかく目に入ったあらゆる種類のスイッチを“ポチポチ”と押したくなった。それが何のスイッチか、押したら何が起きるのか、本当に大丈夫なのか、そんなことは考えずに押したいから押していた。そうして「未体験」は加速して「経験」へと変わっていく。

 

この頃の私はどうだろう…?押せばいいだけのそのスイッチの目の前を、通り過ぎる日々である。“押してくれ”と迫ってくるスイッチと目が合うと厄介なので、「あ~忙しい…」なんて洗濯物を運びながら、見て見ぬふりを続けている。まるで妻の“夜のお誘い”を「今日は疲れてるんだ…今度にしてくれないか…」と断る夫の背中のようである。そのうち妻のスイッチも、“押してくれ”と夫に点灯する気力を失って、

 

『スイッチを押してくれる人と生きていきます。お世話になりました。ごめんなさい。』

 

という書置きと共に、古いスイッチを置いて出て行ってしまうだろう。そんな頃になって強く押してみても、ただの殻の箱である。「俺は…どうして…スイッチを押してやらなかったんだ…」妻のスイッチがまだピカピカと光っていたあの頃を思い出す。光るそばから“ポチポチ”押して、妻のスイッチに夢中だった日々が鮮明に蘇って涙が止まらない。「俺は…俺は本当にバカだ…すまん…許してくれ…」流れた涙が手に握るスイッチにこぼれ落ちると、一瞬弱く光を放った後、もう二度と点滅することはなかった。

 

― END ―

 

この妄想が伝わった人とは、2時間以上お茶をしても飽きないかもしれません。ようは、「やる気スイッチ」は普段から押していないと、なかなか押せなくなってしまうということに気付いた。押せたとしても過去の経験の中から無難な物だけを選んだり、“新しい挑戦”と言いながらもどこか安全圏を越えないようにしてしまうのだ。19歳でパニック発作を起こすようになってからは特にその傾向が強く、不安の向こう側へ飛ぶことを極端に恐れてきた。それが世界を狭くし、更に不安を強め、スイッチの種類や押す機会も減らしていってしまったのだ。もう自分の中の地雷を避けて歩くのではなく、吹っ飛ばされてもいいから私は私の中の大地を、裸足で全力で走りたいのだ。

 

ドラマ「白線流し」が放送されたのは、1996年だった。物語に自分の青春を重ね、冬に見る最初の雪のように白かった私の心も、いつしか道路の端に積み上げられた泥や砂利を含んで溶け残った雪の塊のように汚れていった。校舎で仲間と過ごした思い出も、他人事のように遠くなって、それでもこのドラマを見返すたびに、学生時代を思い出してはむせび泣いてしまうほど胸が苦しくなる。4回目の旅は、その「白線流し」の舞台である「長野県松本市」へ行くことにした。

 

「多治見駅」からJR「特急しなの」に乗り「松本駅」を目指す。「中津川」を過ぎた辺りから、山に埋もれた状態の景色が延々と続くので、景色を楽しむというよりは、なんだか息苦しく心細く不安になる。途中で見える「御嶽山」は突如現れた怪獣のようで、「わーすごい…」と感動しながらも、噴火の動画を思い出して更に怖くなってしまった。その隣で老夫婦が座席に脚を上げて4人席を占領し、大声でくっちゃべりながら煎餅をガサガサバリボリしている音を嫌々耳にしながら、「もしかしたら30年後の私たちかもしれない…」と想像してしまい、更に冷や汗が出るのだった。

 

…酔いました。「特急しなの」は、特別車でありながら横揺れがすごい。夫は骨折中だったので、人に向けたらバズーカー砲を発射しそうなごっついギプスを片腕に装着しておりました。あの頃の夫は、地面から数センチ浮いてるんじゃない?というほど、魂が軽かったです。

 

私は旅先で安い立ち食いそばやうどんを食べるのが好きであります。信州と言えば、お蕎麦。けれど高い蕎麦には興味がなく、天ぷらの盛り合わせが付いてウン千円もするような蕎麦と味の違いがさほどわからず、寒い冬に駅舎で熱々のおつゆにひたすら感謝しかながら食べるそばやうどんの方が好きなのであります。

 

松本は駅の中も外も、閑散としていた。平日かつコロナ渦ということもあり、観光地である松本市もすっかり冷え上がってしまっているようだった。今回は夫が計画してくれた旅なので、“映え写真”を残す為には城へ行くしかない。スケジュールは「白線流し」のロケ地をめぐることと、夜に馬刺しを食べに行くこと以外は特に決まっておらず、蕎麦を食べた後に駅前通りをゆっくりと歩いて「松本城」を目指すことにした。

 

途中、古い喫茶店が目に止まった。私の背後から喫茶店の入り口へ向かって風が流れている気がした。けれどこの手の“レトロ喫茶”は失敗も多い。せっかく入ったのに「ここからここまでやってないから」と、茶色いお湯が出てきたこともある。

 

「なんかめっちゃいい感じ。でもまぁ…気になったらまた後で来ることにするか。」

 

店の前の花壇の前にガーデン用の白いテーブルとイスが置いてあって、そこに身体の大きなおじさんが座っていた。

 

「あれ、店の人じゃない?」

 

「あー…そうなのかな?なんか暇そう(笑)美味しくないんじゃない?」

 

そのまま店を通り過ぎた。

 

「松本城」に着くと、お客のいない人力車が早々に店じまいを始めていた。それぐらい人がいない。城は外から眺めるだけにして、周辺を歩くことにした。オスの鳩がピンクに染まった胸をパツパツに膨らませて「ホロッホー♪♪ホロッホー♪♪」と鳴いて求愛ダンスをしている。実にしつこくメスの鳩をつけまわし、目の前にまわっては「ホロッホー♪♪ホロッホー♪♪」と左右に激しく揺れている。メスの鳩が逃げるようにその場を飛び立つと、すぐさま追いかけて飛んで行って、遠く離れた先でまた「ホロッホー♪♪ホロッホー♪♪」と、鳴いていた。あれが人間であったならば、ストーカー禁止法に基づき、“接近禁止命令”が出ていることだろう。

 

「やっぱりさっきの喫茶店、寄ってみてもいい?」

 

“やっぱり”という感覚は大事だ。一度ピンときて、思い出してもう一度ピンときたならば、もうそれは行くしかない。そういうとき、私はなぜか早足になる。急がずとも逃げていかないような事や場所であったとしても、速く!早く!…いつだって運命と感情に素直に従った瞬間から、物語は始まっていくのだ。

 

少し日が傾き始めていて、街も車も少しずつ照明の数を増やしていく時間。

 

『珈琲美学アベ』

 

店の扉を開けると、思ったより店内は広く、奥へと空間が広がっている。…が、お客が見当たりません。

 

間違えたかしら…でも、お茶一杯飲むだけだし…いいか。

 

いつだって私の頭の中は「損か得か」そんなことばかりを考えて、自分の中の正解を避けて、世の中に正解の基準を合わせて生きてきた気がする。だが、私はこの場所で、たった一杯の珈琲で、その基準の一切を捨てることとなる。

 

「いらっしゃい~どうぞ~。」

 

やはり行きに見た花壇の前のおじさんが、店主であった。私たちが今日最初の客じゃないことを祈りながら、奥からひとつ手前の席に腰をおろした。私はストレートコーヒーのモカを、夫はカフェオレとチーズケーキをそれぞれ注文した。

 

『水ばかり飲んでコーヒーも飲まないなんて…人生に生きがいがあるだろうか

 疲れをいやす一時・・に悪魔のように深く恋のように甘いコーヒーを!!』

 

店の至る所にこの言葉が書かれてる。まるで呪い…もはや洗脳である。“水ばかり”というところに少々皮肉を感じるが、“悪魔のように深く恋のように甘い”は、ロマンチシズムである。きっと店主の珈琲哲学なのだろう。

 

がしかし、私は珈琲うんちく人生を語る人間があまり好きではない。はっきり言って嫌いだ。そのうんちくのおかげで珈琲が不味くなるし、ミュージシャンが自分の作った曲をラジオで事細かに説明してしまう残念さと似ている。語られることによって脳内がうんちくで支配されて、自分の本当の感覚が曇ってしまうのだ。

 

「こいつの話めっちゃ面白いから聞いて!」と言われて聞かされた話は、大概面白くない。

 

私が頼んだモカが運ばれてきた。運んできたついでに、この暇そうな店主の珈琲哲学の続きを聞かされやしないだろうかとビクビクしてしまう。ビーカーのようなガラスの器具に淹れられたコーヒーが、店主の仕上げによってカップへと注がれていく。こういう沈黙の時間を、私はどう待ったらいいのかわからない。実に苦い。

 

私の前に注ぎたてのコーヒーが置かれると、次に夫が頼んだカフェオレが運ばれてきた。やはりこれもここで仕上げるようで、夫の目の前に大きめの空のマグカップが置かれた。そして店主はそのカップ目がけて立ったままの姿勢で高い位置から勢いよくコーヒーとミルクを空中でトルネードさせながら注ぎ始めた!

 

「おっ!おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

二人はマスク越しに「お」だけを連呼した。「お」を拍手に例えるならば、「お」のスタンディングオベーションである。勢いよく注がれたホットコーヒーとホットミルクがカップの中で泡立ち、きっちりと量られたその量が、マグカップから溢れるギリギリの高さで表面張力を保っている。店主は私たちの反応に顔色ひとつ変えずに、チーズケーキを置いてカウンター奥へと戻っていった。いいのね?味で語る感じでいいのね?

 

では、いよいよである。

 

マスクを取って立ちのぼる白い湯気をスーッと鼻で吸ってみる。うん、珈琲の香り。では、ひとくち。

 

!?

 

水…?

 

ん?水??

 

無味である!舌の奥へゴクリ。さっきより華やかな香りが鼻の奥へと抜けていって、目の奥でパッと花が咲いた。頭が混乱している…味が無いのに…香りに味がある。

 

もうひとくち飲む。

 

うわんぐっ!!

 

電撃でピカッと身体が光った!衝撃である!ふたくちめではすっきりとしたその味をはっきりと感じて、香りが頭蓋骨の天頂まで到達すると、竜のごとくその体をひねって、胃へ流れ落ちていく珈琲を追いかけて香りが一気に手足から抜けていった。

 

脳から何か物質が出ました…

 

今まで飲んでいた珈琲が、すべて雑味とえぐみを搾り出した“珈琲汁”であったことがわかった。その味が珈琲だと想像して飲んだ所為で、最初は味が無いと脳が錯覚し、鼻を抜けた香りによって感覚が修正され正確な味を運んできたのだ。

 

私は夫からカフェオレを奪い取ると、ひとくち飲んでみた。

 

これはもはや…

 

ミルクティーだった…。

 

なんという感想だ!この下手くそバカヤロウめ!

 

だが、正直である。こんなにまろやかなカフェオレを初めて飲んだ。あの高さから勢いよく注いでいたのはただのパフォーマンスではなく、空気をたっぷりと含ませてこのやわらかさを出していたのだ。この舌ざわり…いや、もう舌には触れていなかったかもしれない!私は飲んだのではなく…包まれてしまったのだ!ムーニーマンおむつを取ってお風呂に入れてもらったその後に、赤ちゃんおしりぱふぱふベビーパウダーでちゅよ~…。

 

これがカフェオレの味の感想です。

 

がしかしっ!珈琲は実にうまいが、デザートはどうだ!あれもこれも極めてはいないだろうアベさんよ!正直に言ってごらん?…チーズケーキいただきます。

 

「うぐっ…」

 

牛が…牛が見える…。このチーズケーキ…牛が見えるぞ…!

 

ふつうチーズケーキには酸味があり、レモン汁やヨーグルトが入っていたり、チーズ自体にも酸味や塩味があるので、どちらかというと紅茶の方が合うのだ。特に酸味の強い珈琲を一緒に頼んでしまうと、酸味×酸味で胃もたれする。が、このチーズケーキにはその酸味がない。

 

とにかく私には牛が見える…けれど、牛乳臭さは一切ない。とにかく広い草原に立ったご立派な牛が「モーッ♪」とこちらを向いて鳴いたのだ。いや、牛がここにいますよ…これが牛です…このチーズケーキは牛です。乱暴すぎる感想です。

 

アベさん、完敗であります…。

 

私が外で珈琲を飲まない理由は、ひとつはお腹を下すからだ。もうひとつは、カフェインがパニック発作を引き起こしやすいという情報からとことん避けてきた。外のお店ではカフェインの少ないものやノンカフェインを選ぶようにしている。なんてつまらない選択肢だろう…好きなものではなく、“大丈夫なもの”を選ぶ人生。私の生き方そのものではないか。

 

ほらね?珈琲語るヤツって、そこに自分の人生重ねて語り出すでしょう?(笑)

 

私たちは翌日も『珈琲美学アベ』を訪ね、もう一杯ずつ珈琲を飲んだ。せっかくの旅だから色んなお店へ行けばいいのに…なんて、つまらない“損得勘定”は捨てた。この日以来、私は外でも珈琲や紅茶を飲むようになった。たまに胃がゴロゴロするけれど、大したことではない。そんなことは誰にだってあることだろう。カフェインによってパニック発作が引き起こされている感覚も実はないことに気が付いた。そういう時は大抵別にストレス要因があったり元々身体に不調があるときで、ネット上に転がるあらゆる病名や症例に健康な思考や身体まで支配されてしまっていだけなのだ。

 

けれど、不安中毒に陥る人は、実は幸せ中毒にも向かっていける人なのではないかと思う。力にはいつも相反する対極の要素が働いていて、どちらかに思い切り引っ張れる人は、もう一方へも強く引っ張れる力を持っている気がするのだ。できないのはその力の調整の加減で、それが人によって違う“スイッチ”なのだと思う。こうするといい、あーするといい、これはやめた方がいい、これはよくないと、ネットや人の情報に頼ったり左右されるのではなく、私は私の中の正解だけを探し続けたい。

 

― ドラマのロケ地が見たい ―

 

たったそれだけの目的であった。

 

そして、たった一杯の珈琲を飲むことが、私の“やる気スイッチ”だったのである。

 

海鷂鳥

※『珈琲美学アベ』のミニチュアガチャ


名もなき街の、御猫堂(おねこどう)

2023-03-11 01:39:52 | 2022年の旅エッセイ

3度目の旅は、前回の「黄瀬戸のおじさん」愛知県瀬戸市の旅が旅としてあまりにも完璧すぎたので早速それを捨てることにした。観光地としてある程度成り立っている街ではなく、旅をしても何もなさそうな“名も知らぬ街”へ行くことにした。

 

そう決めたにも関わらず、計画の段階で欲が出る。近隣に聞いたことのある観光地を見つけると、そっちの方が“お得”なのでは?と、つい考えてしまう。この私の「損得勘定の基準」は、一体何なのだろう?と、考えたら、結局は人の目である。それが“楽しそうに見えるか?”、“羨ましがられるか?”、そしてそれが“一発で伝わる場所かどうか?”である。京都へ行った、沖縄へ行った、北海道へ行った、それだけで相手の「いいね♡」が付く。では、「白子に行ってきたよ!」と言ったらどうだろう?まず、「それ、どこ?」である。次に「そこ有名なの?何かあるの?」である。そして答えは「特に…」である。私は今からその「三重県鈴鹿市白子」という場所へ行った旅の話を書いていく。

 

交通費節約の為に三重県弥富市まで車で行って、そこから近鉄に乗って白子へ行くことにした。おかげで計画は台無しである。駅に向かうまでの1号線が大渋滞で、まったく進まない。ブチギレである!何本もの電車が通り過ぎていく…駅はもうすぐそこなのに。これが映画のシーンであったなら、私はこの瞬間に15年以上乗って錆びれた水色のパッソをここに置いていく!渋滞の列に残したまま捨てていく!一斉に鳴らされるクラクションの列を振り返り、「うるせーっ!!」と一喝して道路を横断していく。キャスティングは安藤サクラさんにお願いしたい。が、ここは現実である。とっくに昼食の予定時刻を過ぎて、更にイライラは募っていく…事が計画通りに運ばないと、私は癇癪(かんしゃく)を起こす。厄介である。

 

「白子駅」に着いた頃には、時刻は午後2時に近かったような気がする。もう食べ物の事しか考えられません。檻の中をぐるぐると回るライオンのようにイライラしています。予め行く店を決めていたので、予定が押しても臨機応変に対応できない性格が困難である。調べると3時まで開いているようなのでこのままま計画を実行する。私の計画はいつもギチギチ詰めの分刻みなので、旅というよりはトライアスロンである。これが営業マンの頃に活かされていれば、もう少し営業成績もマシだっただろう。しかし、やる気のないこと関しては0まで手を抜くのが私である。

 

海辺の食堂で遅い昼食を終え、腹が満たされて心は菩薩のように寛容である。夫はいつだってその横で、春に咲くたんぽぽのように微笑んでいる。さてさて、すぐそこの海へと歩いてみようかのぅ…この旅のハイライトは主に海しかない。私は海無し県に住んでいるので、海を見るということ自体が一大イベントに含まれる。心の中の私は、浮き輪を腰にはめて麦わら帽子を被って、海に向かって「わーい!」と駆け出す8月の小学生である。挿し絵はスイカでお願いします。が、実際は39歳なので、おほほほと淑女ぶって波打ち際を歩く。

 

海辺の倉庫を散歩していると、やたらと猫がいるではないか。動物は共に生きる地球の仲間なので愛さずにはいられない。もふもふは地球の宝だ。一匹、二匹、三匹…えーと…四匹…五匹、まだ来る…六匹…よく見るとあの角に更に二匹…こちらを見ている…ここは「御猫堂(おねこどう)」だ。私は猫の群れをそう呼んでいる。意味はない。言葉の響きが大事。

 

からだもある程度大きく、すり寄ってくるので、ここで餌をもらっているということだ。動物に寄られると「はふん♡」としてしまう。だが、猛獣は例外である。向こうが「はふん♡」と私の腹や頭を噛みちぎるだろう。それでも森で熊と遭遇したら、フォークダンスのコロブチカを踊れるのではないか?と考えている。向き合った熊の口からヨダレが垂れていたら、マイムマイムを踊りながら逃げようと思う。

 

何匹もの猫に囲まれてハーレムである。キャバクラで若い姉ちゃんに囲まれてデレデレしているサラリーマンの気持ちになる。なぁ、ちょっとぐらいお尻触ってもいいだろう?と手を伸ばすと、さらりとしっぽで遮られた。さすが…かわすのが上手である。たくさんのレイディーたちに囲まれながら、その様子を見て奥からまた新しいレイディー達が登場してくる。このまま太陽とすべての照明が落ちて、猫たちに怪しいスポットライトが当たり、この場が“バーレスク”と化してキャットダンスが始まったらどうしよう!そうだ、振り付けはPerfumeの振付師でおなじみ「MIKIKO」先生にお願いしよう。その時、私の妄想を遮断する鋭い視線を感じた…。

 

草むらの向こうから黒猫が豹のようにこちらを見ていた。群れのボスだと一瞬でわかる。その猫はジッとその場所から私たちを観察し、一歩も近寄っては来ない。「あなたもこっちへおいで」と私が立ち上がると、近づいた距離と同じだけ後退して距離を保つ。“来るな”という合図だ。のんきに私の前で腹を見せている数匹の猫たち…おそらく仲間の様子を見ているのだろう。黒猫のドスのきいた声が聴こえる。

 

「あまり人間に近付くな」

 

すると、腹を見せた猫が地面に背中をこすり付けながら返事をする。

「なんだよボスもこっちへ来いよ~気持ちいいぞ~?」

「まぁエサは持っていないみたいだけどな(笑)」と、隣の猫が“ニャー”と鳴く。

「でも俺たちに優しいぞ♪」、草の猫じゃらしを追いかけて白猫がジャンプする。

 

「簡単に人間を信じるな。こいつらは自分たちの都合で勝手に愛したり傷付けたりする。エサを持って優しく近付いてきたかと思えば、それを食って死んだ仲間もいると網戸越しにビビが言っていた。」

 

「なんだよ、ボスだって毎朝おっさんが持ってくるモンを素直に食ってりゃそんなに痩せずにすむだろう?」

 

「お前みたいにそんなに太ってどうする?いざってときに逃げられるのか?俺たちは群れのルールで生きて、群れのルールで死んでいく。それが俺たちの運命であり宿命だ。リクがあんな目に遭っても、まだわからないのか?」

 

「人間よりカラスの方がよっぽど怖いね!人間の近くにいればカラスだって襲ってこない。チビたちだって、ここにいるより人間に拾われる方がマシさ。」

 

「勝手にしろ。でもその人間を俺たちの“場所”には絶対に連れてくるな。」

 

黒猫はサッと姿を消した。音もなくどこへ消えたのかはわからなかった。けれど、私たちがその場を去るまできっとどこかから見ていたに違いない。それと同時に何匹かの猫たちもボスを追いかけて去っていき、私たちの後ろをついてきていた猫も、ある一定まで来ると縄張りと思われる境界を越えることなくその場に留まった。夕陽に照らされて小さくなっていく猫の輪郭。

 

「ボスにも人間と暮らしてた時期があったらしいぜ!」

 

そう言うと、最後の猫が群れへと戻って行った。

 

私たちは、動物を増やしたり、減らしたりする。増えれば生態系が崩れるとメスを入れて去勢し繁殖を妨いだり、殺したりする。人間の生活で減りすぎた動物は「絶滅危惧種」だと保護する。山を切り崩して、海を汚して、餌や棲み家を奪い、それを求めて山を下りてきた動物は“危害・被害”と叫んで殺してしまう。別の場所に動物園や水族館を建ててそこに閉じ込めて生かし、生きもの素晴らしさを伝えながら、育てて殺して食べて生活している。毎日大量の命が廃棄される。疫病になれば一斉に殺処分する。名もない鳥が、死んでいく。訳も知らずに愛されて、訳も分からず殺される。ペットとして売られる命、それを買う命、愛されて育つ命と、捨てられる命。もしこの世界に本当に神様がいるならば、私たち人間の願いなど決して叶えてはくれないだろう。神は彼らの味方であるべきだ。だとすれば今度は私たちが減らされていく番なのかもしれない。

 

毎日少しずつ、この身が罪を犯しながら生きている。私は菜食主義者でもなければ、保護活動をするわけでもなく、名もない鳥の行く末を知らない。一匹のうさぎと生活し、その命が尽きるまで傍にいて愛することしかできないでいる。

 

生きるとはなんだろう。うまれるとはなんだろう。命とは、人間とは、一体私は何のために存在しているのだろう。頭で考えずにただシンプルに人生を楽しめばいいのか?本当にそうなのか?何もしないのであれば、せめていつもこうして自分に問うていたい。それでも人間としての欲や文明を捨てられずに生きている自分を愚かだと責め続けたい。動物は気高い。美しい。命がちっとも汚れていない。それでいて残酷で、それがきっと正しい。けれど、海は私のどんな言葉も打ち消してしまうだろう。

 

何もない場所で何を感じ取れるかどうかが本当の「旅」なのかもしれない。そして、行けば必ず何かを見つけられるのも「旅」である。食堂で出会った認知症と思われる女将さんと、一緒にお店に立つ息子と思われる男性。今どき珍しいいかにも“ガキ大将”という見た目の男の子が、一緒に来ている友達が「お金ないから」と注文しないでいると、「俺が奢ってやるから食え!」と、300円ぐらいの素うどんを頼んでいた。一生懸命カタコトの日本語で頑張る「吉野家」の店員。宿のロビーで見た鈴鹿サーキットに来ていたであろう男性客。「満席なんで!」と断られた居酒屋で働く明るい女の子。無関係に関係したすべての人もまた、命である。

 

海鷂鳥


黄瀬戸のおじさん

2023-03-09 23:09:48 | 2022年の旅エッセイ

《まえがき》

昨日落ち込んでしまいまして…予告通りの更新ができませんでした。人生初の金髪に挑んだのですが、あまりにあまりのド金髪で、鏡の中の自分に大層ショックを受けてしまい、パソコンの画面にいちいち反射して映るピカチュウみたいな黄色い頭にうんざりしてしまい…寝ました。

 

《本編上映はこちら》

私たちはそのおじさんを「黄瀬戸のおじさん」と、名付けた。

 

1月の旅を経て、2月の旅は私が計画した。焼き物に興味があったのて、「岐阜県多治見市」と「愛知県瀬戸市」と迷ったが、織部焼は地元で馴染みがあったので、瀬戸焼を見に行くことにした。“焼き物に興味がある”なんて書くと、なんだかセレブでアートな匂いがするけれど、決してそうではない。“にわか”である。価値がどうとか、デザインがどうとか、窯元やら作家やら焼き物のうんちくには無知である。ただ“さわること”が好きなのである。見た目ではない手で持った感触が“これだ”と思う瞬間がある。それ相応の値段の場合もあれば、たった数百円の物もある。お小遣いで買える範囲の物を、増え過ぎない程度に買い集めている。

“すき”は、“すき”でいい。詳しくなくていいし、プロでなくてもいい、気まぐれでもいいから自分がどんな風にどんな時にそれがすきなのか、私は説明できる自分でいたい。

 

「愛知県瀬戸市」の人たちは、今まで旅をしてきたどんな場所より穏やかで親切であった。“人それぞれ”ではあるが、私は県民性というのはある程度ある気がしている。その土地の空気と水が人を作っているのである。後に、将棋棋士の藤井聡太さんの出身地だと知り、納得した。彼のあの表情が“瀬戸市”だと想像して欲しい。

 

コロナ渦の旅行は、店も客もお互いが戦いである。お客が欲しい観光地は、他県の人間に来てほしくない地元でもある。皆が険しい表情をしている。生活のために営業しながらも、見えない毒を運んでくるかもしれない客に対してどこか空気が張り詰める。そんな中で、この街の人々はニュースを見ていないのか?と思うほど、瀬戸市は和やかであった。どこへ行っても注文のやり取り以外に世間話を入れてくる。客商売のサービストークとは違う、家族や友人に話しかけるようなリラックスしたトーンで話して掛けてくれるのだ。この街に関しては語りたいことが山ほどあるけれど、今回は一部に絞って書いていく。語り過ぎない代わりに、是非「瀬戸市」へ行ってみてほしい。決して派手な観光地ではないけれど、小さな喫茶店や博物館、古いけれど丁寧に手入れされたホテルや美味しいお店が、優しく立ち並ぶ街である。悲しくなったら瀬戸市へ行きたい。きっと、人間を少し好きになって帰って来るはずだ。

 

1日目は、「瀬戸蔵ミュージアム」をゆっくりとまわった。若い頃は博物館なんて興味なかったけれど、コロナになった今、美術館や博物館をゆっくりと見る…そんな時間がとても貴重に思えた。昔の「瀬戸駅」が再現された展示は、博物館に興味がない人でもテンションが上がるエリアだ。まるで映画のセットのようである。その他は、ずらりと並んだ器、器、器…さっき見た物との違いがわからないほど、似たような焼き物がずらりと並んでいて、その用途と形が時代と共にほんの少しずつ変化していく様子を見て知ることができる。見どころは、すり鉢の“溝”が、どの時代で入ってくるかだ。あれを考えた人はシンプルに凄い。

 

中途半端なうんちくは避けるとして、この旅のメインは夫のマグカップを選ぶことでもあった。夫の「織部」のマグカップを私が割ってしまったので、これぞ!と思う物をこの旅で探そうとしていた。好みの物を探すということは、自分を探ることでもある。自分がどんなデザインが好きで、どんな飲み物をどれぐらいの量を入れたいのか、重さや手触りを確かめながら、自分の中の勘を探っていく。

 

メインストリートを中心に、数えきれないほどの陶器店が並んでいる。街の坂の上にはたくさんの煙突があって、この街が焼き物の地であることを教えてくれる。高価な物もあるけれど、そのほとんどが信じられないほどに安い!更にそこにお値引きシールが貼られているので、あれもこれも買っていたら大荷物になってしまう。欲しい物を数点に絞るというのも至難の業である。何を基準に振るいにかけるかで、手元に残るアイテムも変わってくるだろう。使い勝手を優先するのか、見た目を優先するのか、両方を選ぼうとすれば値段が跳ね上がってきたりして、予算とも相談しなければならない。子どもの頃の“おかいものごっこ”は、大切なお勉強だったのだ。

 

一軒一軒見ている間に、あっという間に日が暮れてしまい、続きは明日にすることにした。だいたいの目星はつけた。夜は小さな定食屋に入ったけれど、この街の飲食店はどこへ行っても食器がかわいいのだ。“焼き物のことはわからない”、そんな人でもいつも行く自分の街のお店で出てくる食器との違いはきっとわかるはずだ。これも是非行って確かめてみてほしい。うまく説明できないけれど、“皿があたたかい”(笑)この街の人たちとよく似ている。だって、そんな人たちが作っている「器」なのだから。

 

2日目に私たちは、前日に時間切れで入れなかったお店を中心に周った。正直この時点で買いたい食器はもうほとんど決まっていたが、“余すところなく見たい”という私の精神(「意地悪な海鷂鳥」参照)が、その店の扉を開いてしまったのが運命である。私たちはこのあと1時間半近くこの店に軟禁されてしまう(笑)

 

思い出してみてほしい…この街がどんな街かを…。そう…気さくで穏やかで和やかで親切。そして“お話し大好き”である。中でも最もお話し好きだったのが、この「黄瀬戸のおじさん」(やっと登場・笑)である!

 

店内は他のお店とは少し違って、よりセンスのいい焼き物が並べられており、他とは違うことを値段と共に実感する。「何かお探しですか?」から始まるのはお約束である。少し強面に感じたのは、値段が高い店イコール店主も気難しいのではないかという先入観からだ。夫がマグカップを探していることを口にすると、店内の真ん中に置かれたごっつい木のテーブルに座らされた。「焼き物のことはご存じ?」と聞かれれば、「いや~そんなには~…昨日そこの瀬戸蔵ミュージアムには行ったんですけどねぇ…」と、愛想笑いで答える。

 

そこからである…

 

「よしきた!知らざ~言って聞かせやしょう!」と、おじさんに焼き物スイッチが入ったのである。私たち二人は勢いよく釣れた魚である。どれだけ身をよじって逃げようとしようとも、おじさんが仕掛けた返し針はしっかりと私たちの喉奥に突き刺さり、暴れれば暴れるほど深く喰い込んでくる。レッツスタート、である。

 

おじさんはまず、無言で店内のいくつかの食器やら湯呑やらを手に取り、すべてをテーブルに並べた。

 

「洋食器と和食器の違いはわかる?」

 

あまりにも長いので割愛するが、この続きが知りたい方は是非お店を訪ねてほしい。どのお店かはここでは紹介しないが、行けば必ず「黄瀬戸のおじさん」のお店を、メインストリートで見つけられるはずだ。

 

おじさんは、「瀬戸蔵ミュージアム」よりもミュージアムな人だった。実に丁寧にわかりやすく、焼き物の歴史や、違い、見方や選び方を教えてくれた。話がとても面白いのだ。聞くたびに「ほー!」「へー!」と、二人とも感嘆の声が上がってしまう。言葉も、子どもが聞いても理解できるような言葉で、気取らず、わかりやすく、時々クエスチョン&アンサーを交えてきて、学校の授業のようでもあった。昨日時間をかけて見た博物館の説明書きも、おじさんの話しを聞いてから行った方がより楽しかったに違いない。

 

だがしかし長い(笑)長すぎてその面白い話もだんだんと入ってこなくなってきた…体がムズムズしてきて、おじさんの後ろで振り子を刻む立派な木時計が授業の終わりのチャイムを鳴らしてはくれない。おじさん…もう下校の時間です(汗)

 

逃げられない状況下でだんだんとパニック発作の気配が背後に迫ってくる。バッグにいつも入れている安定剤を飲みたいが、それすらできない状況である。うまく切り上げればいいのだけれど、私たち夫婦はその術を知らず、こういった時は困ってしまう。

 

「わかりました、僕、じゃあこれ、買います!」

 

夫は自らを生贄に差し出した…。そう、ここから抜け出すためには、うまく断るか買うかのどちらかしかないのだ。おじさんがすくっと立ち上がり夫が選んだマグカップを持ってレジにいる奥さんの元へと席を立った。人質解放の瞬間である。

 

「いいの…?あれ結構するよ…?無理に買わなくても…」

 

私は夫に耳打ちした。夫は3,000円もする「織部」のマグカップを買った。マグカップひとつにこの金額は、高価である。店を出た瞬間、大きな深呼吸の後に声のボリュームが上がる。

 

「いや~ごめんよ、犠牲にさせちゃって…」

 

「あのおじさん、すごかったね。でも俺、おじさんの話が良かったから、本当にこれが欲しいって思ったんだよ。」

 

「そうなの?…」

 

メインストリートを歩く。私は欲しいティーカップとソーサーがあったので、その店へと向かった。値段もセットで1000円とお手頃で、ヨーロッパと中国が合わさったような変わったデザインが気に入った。けれど、お店に入ってその商品を目の前にすると…なんだかどうしても気が引けてしまった。夫が買ったマグカップと色違いの「黄瀬戸」のマグカップが頭に浮かぶのだ…。でも3倍の値段…黄瀬戸は淡い色なので、地味と言えば地味である。

 

「私、もう一回さっきのおじさんのお店に戻る。私も同じマグカップ買うよ。」

 

夫は驚いていた。私はなぜか小走りで「黄瀬戸のおじさん」の店へと向かっていた。早く行かなければあの魔法の入り口が消えてしまう…そんな気がした。何かが私を呼んでいる。息を切らしてもう一度あの扉を引いた。

 

「あの!私もさっきのマグカップ買います!」

 

黄瀬戸のおじさんは、驚く様子はまったくなく、まるでそうなることがわかっていたかのような目をしていた。

 

「どれにする?」

 

黄瀬戸のおじさんが言う“どれ”というのは、同じデザインでも微妙に形や大きさが違うからだ。ひとつひとつが手作りだからだ。釉薬(ゆうやく)の濃淡や貫入(表面のヒビの模様)の入り方、大きさ、裏に刻印された作家のサインは気まぐれで手書きだったり判子だったりする。その中から自分がピンとくる手触りの物を選ぶのだ。

 

「これにします!」

 

黄瀬戸のおじさんは、それ以上もう何も語らなかった。私は夫が選んだマグカップより少し大きめの色違いのマグカップを選んだ。きっと、私たち夫婦を表している。このマグカップは、底の形は丸いのに、飲み口は正方形なのだ。器には作り手が込めた使い手への想いが込められているという。ただ単にデザインを追求した器もあれば、本当に計算し尽くされて作られた器もある。それが日本のわびさびであり、もてなしの心に繋がるのだと教えてくれた。この底と飲み口の形の違いの意味には未だ気付けないでいる。けれど、意味というのは時間の宝物で、熟していつか知ることできることがこの世界にはたくさんあるのだと思う。いつかこの意味がわかったとき、私も自分の手で何かを作れていたら願う。

 

家に帰ってからも悩んだ。損をしたのではないか?騙されたのではないか?おじさんは単に高い物を売りたかっただけではないか?そんな疑問が反芻した。確かにおじさんの話はおもしろかったけど、私は夫につられて買ったようなものだった。夫はマグカップをとても気に入っていて、珈琲を淹れる度に「気分が違う」と、ご満悦であった。

 

けれど夫のマグカップがたった一ヶ月で割れてしまったのだ。夫の家族に不幸があった頃で、更に事故で腕を骨折し、夫は身も心もボロボロになっていた時期だった。たまたまテーブルの端に置いてあったマグカップが、強風で吹き上がったカーテンに引っ張られて床へ落ちたのだ。バリン!と音がして、見ると取っ手が取れてしまっている。

 

「嗚呼…」

 

それしか二人とも声が出なかった。わかっていた。まるで夫のようだった。

 

私のマグカップが割れればよかったのに…。価値がわからず使っている私より、気に入って使っている夫のマグカップが割れなくてもいいじゃないか、なにもこんな時に。夫は鬱になりかけていた。なんだかすべてが悲しい春前だった。

 

黄瀬戸のおじさんは言っていた。私が割れた食器を修復する金継ぎの技能について尋ねると、「ものすごく高価な器でもない限り金継ぎをする必要はない。物は壊れたらそこで終わり。割れたらまた新しい出会いを探す」のだと。

 

「また新しい物を探そう!そのためにまた旅をしようよ。またあのお店に買いに行ってもいいしさ。」

 

そう励ます私に、夫は力なく笑っていた。大丈夫。割れたのは取っ手だけ。湯呑のようになってしまったけど、まだ使える。新しい物を見つけられるまで使えばいいさ。そう言って一年経つが、取っ手が取れたままで今も我が家で活躍している。現役プレイヤーである。夫は新しいマグカップを買ったのだけれど、”何かが違う”とこのマグカップを使い続けている。私もようやく気付いたのだが、口に付けた瞬間の飲み口の口触りが他の物とは感触が違うのだ。しっくりくる。取っ手は取れてしまったけれど、本体にはヒビひとつ入らず頑丈で、ある程度の厚みがあるにも関わらずとても軽い。軽さは使い手への思いやりだと、おじさんは言っていた。今こうして黄瀬戸のおじさんのことを書き起こしていると、涙がじんわりと浮かんできてしまう…。うまくは説明できない、おじさんのことも、マグカップのことも…。けれど、“あたたかい”のだ。あの街そのものがそうであったように、派手ではないけれど、やさしく私を迎えてくれている。頑張らなくていいのだと、焦らなくてもいいのだと、教えてくれている気がする。

 

あのお店はおじさんの代で終わりなのだそうだ。そして、いつかおじさんもその命を終えるのだ。その日までおじさんは焼き物の良さと街の良さを伝えていくのだろう。長い時間を掛けて学び、選び、ひとつひとつ確かな目で集めてきた器が私を呼んだのだ。物は壊れてもいい。けれど、人は壊れてはいけないのだ。夫のすべてが壊れる代わりに、マグカップはその”腕”を失った。折れた夫の腕はちゃんと元に戻った。今日も片腕を失ったマグカップが、疲れた夫を癒しくれている。

 

私がどんな人間か、どんな人生か、そんなことを知らずとも人の優しさが風のように届く時がある。その人たちとの出会いがほんの一瞬であっても、知らず知らずのうちに救われたり救ったりしている。その逆もたくさんあるからこそ、私はずっと自分の中に閉じこもってきたのだけれど、誰かが呼んでいる方へ、私はこの翌月も、その翌月も、一年を通して向かっていくのである。

 

海鷂鳥


パニック発作と樽見鉄道どんぶらこ

2023-03-08 01:39:53 | 2022年の旅エッセイ

私にとって、知らない場所へ連れていかれる事は死に値する苦である。子どもの頃の生き埋めのような空気の家族旅行を思い出してしまうし、予測できない環境の変化に心が柔軟に対応できずパニック発作を起こしてしまう。それゆえ、人とのスケジュールは私が決めることがほとんどだ。自分で徹底的に下調べができる場所であれば比較的安心して行ける。私が決めたい!という性分もある。まったく気が小さいのか大きいのか…自分というのは矛盾の宝庫である。

 

ということで、1回目の旅は早速その十戒を破ってみることにした。夫の計画で旅をすることにしたのである。とはいえ2022年1月はCOVIT-19の真っ最中なので、自宅から近い県内もしくは比較的近い隣県を旅する「マイクロツーリズム」を選択した。

 

夫が選んだのは、県内を走る一両編成のローカル列車「樽見鉄道の旅」であった。早速嫌である…。人の計画やルールに従うことは、死に値する苦である。それでも自分で決めたことなので耐えるしかない。そしてこの旅は歯を喰いしばるほどの忍耐を要した。

 

旅の主役とも言える「宿」は、その大小に関わらず“清潔”が最低条件…いや、今となっては絶対条件と言える。質素な宿でも掃除さえ行き届いていれば、文句はない。むしろ少々の不便さは旅の醍醐味とも言えるし、今の超文明社会において山奥にある電波の届かない宿が逆に重宝されているとニュースで見た。

 

「樽見鉄道」に乗って「谷汲口駅」で途中下車して温泉に立ち寄り、そこから終点「樽見駅」を目指す。自宅から車で1時間ほどの距離をわざわざこの一両編成の列車に乗って行くことが夫にとっては大変意味があることらしい。よいよい、風情があってよいぞ。以下長くなるので旅のあれこれは省略させて欲しい。

 

簡潔に言って廃墟のような宿であった。部屋中カビの匂いが凄まじくいつ干したかわからないせんべい布団に、謎の毛が絡まりまくった毛布が一枚。昔は合宿などに使用されていたのか部屋数は多いが宿泊客は私たちだけだった。幾つも並んだ部屋の前を通る際には、見てはいけないものが見えてしまいそうだったし、床を歩くとそのままズボッと一階へと抜け落ちてしまうのではないかと思うほどふかふかしていた。廊下の突き当たりまで行かないとポットが無いので、ペラペラに薄い浴衣に凍死しそうなほど寒い廊下を抜けて、歯をガタガタ鳴らしながらお茶を煎れる。不思議なことにどれほど時間を置いても無味の薄緑色のお湯のままである。

 

― こ…このお茶は…いつから置いてあるのか… ―

 

しかもお湯を入れている最中にポットがジュポッと咳をした。

 

― 急須一杯に入ることなくお湯が切れた… ―

 

ポットの蓋を開けると空である。このほんの少しのお湯は、一体いつから入っていたのだろう…の、飲んでしまったではないか…。

 

洗面台を見ると、垢だらけ…これまたいつから置いてあるのかわからない見たこともないパッケージの歯磨き粉が握りつぶされた状態で死んでいる。いつ置かれたのかわからない掃除用ですか?というほど汚れた歯ブラシ。もし新しい歯ブラシが用意されていないのであれば、私は歯を磨かないぞと誓った。大丈夫、大丈夫…一晩だけなら大丈夫。た、耐えろ。むしろ楽しめ。いや、絶対に無理だ。大丈夫、大丈夫…明日には帰れる…いろいろ見るな。何も考えるな。知らぬが仏だ。

 

マックス30度で爆裂送風しているエアコンは恐怖に息をのむばかりのこの喉をカリカリに乾燥させるだけで、隙間風の寒さには追い付かかず、耐えかねてもう一台の石油ファンヒーターのスイッチを押すも一酸化炭素中毒になるのでは?というほど灯油臭い…。だが、消したら寒さで死ぬ…。帰りたい、私は帰りたいぞ、夫よ。助けて…助けてカミサマ。

 

寒さと不安で腹がゴロゴロと鳴り始める…。緊張すると下痢になりやすい私は普段は極力冷たいものは避けている。季節は1月の険しい山脈が見える山奥。普段なら絶対に頼まないざる蕎麦を昼の温泉のお食事処で、新たな挑戦と意気込み食べてしまっていた…。温かいお蕎麦にしなかった数時間前の自分に切腹を命じた。

 

「やばい…お腹痛い…。」

 

夫は笑っている。なぜならトイレはあの廊下の突き当たりで二人とも未開の地である。扉を開けたら何が待ち受けているやら…私はこのままでは大人の女性として決して起こしてはならない状況でパンツを汚してしまうのではなかろうか…。い…行くしかない…。

 

猛吹雪の山頂近くの山小屋の扉を開ける気持ちで部屋のドアを開ける。妄想の中の私は、吹き込んでくる雪と風の勢いの強さに、思わず片手で顔を覆った。がしかし、この山のトイレはなぜか山小屋の外である…。「うぅ…」寒さで勝手に声が唸り出る。トイレの扉を開けて、いざっ!!

 

セーフ…。

 

“予想範囲内”の“汚さ”であった。ま…まだ大丈夫。これならなんとか大丈夫。あ…でも上がったままの便座…すんげぇ汚ぇ…。これをまず…手で触って…下げない…と…。涙が出そうである。急がねば、もう“あちらの扉”も決壊しそうである。手を洗えばよしっ!便座をON。

 

ぅぐっ!!つっ!めっ!たっ!!!

 

一度便座に付けたケツが条件反射で浮く。氷だ…氷でできた便座だ…座ったら血液も凍りそうなので、やや浮かして空気椅子状態で用を足すしかない…。恨むぞ、恨むぞ、夫よ。

 

全身全霊で骨盤底筋に力を入れて肛門を絞る。あの洗面台のくたびれた謎の歯磨き粉の残り全てを全神経で押し絞るような気持ちで。できる!できるぞ私!人生一度きり。今だけ今だけ!もう頭出てますよー!お母さん頑張ってー!もう少しですよー!最後最後ー!!いきんでー!!!!

 

頑張った…私、頑張った。これならいっそ和式の方がよかったわ…昭和生まれの私にとっては馴染みのある形だもの…。これじゃあ拷問よ。肛門の拷問よ、お父さん。

 

油断していた。まったくもって油断していた…。オーマイガーである。右手でペロンとホルダーの蓋を上げると、トイレットペーパーの芯が丸見えた。君の…君のお母さんはどこだい…?君を包んでいた柔らかい方の紙はどこだい…?上だね?上にお母さんはいるんだね?拭く前に立ち上がるなんて最低だけど、もう半分立ち上がってるようなものだから、あと少し頑張るね、私。クララだって立ったんだもの。もう驚かないわ、ロッテンマイヤーさん。

 

ネーシ。

予備もネーシ。

どうすんのこれ?

テルミー、セバスチャン。

 

旦那に助けを呼ぶ。ドアを開けて廊下をおーいと呼ぶわけにもいかず…どうしたんだっけ…携帯で呼んだんだっけ。拭かずにとりあえず外に出たんだっけ。申し訳ないが、記憶が定かではない。思い出すだけで今、私ハ全身ガ震エテイマス。強いストレスにより、健忘症状が出たと思われます。

 

夫が一階のトイレからトイレットペーパーを調達してきてくれた事実は覚えています。「よかったー、最初に入ったのが俺じゃなくて!」と言われたことも記憶しています。

 

その他にも部屋の鍵のドアが閉まったまま開かなくなったり…(部屋に電話がありません)、お風呂のマットは「見るな!」とお互いに声を掛け合い、部屋に置いてあった新品の歯ブラシに歯磨き粉が入っておらず…“あれ”を使うくらいなら素磨きしましょう!と夫と確かめあった直後に、パッケージの隅に「歯磨き粉のいらない歯ブラシ」と書いてあり、水を付けるだけでブラシが泡立つ仕組みであることがわかり、「騙されるところだったぜ!」と安堵した直後、したら夜一回だけで朝磨けねーじゃん!と突っ込み、素磨きしましょう♪に巻き戻り、カクカクシカジカ紆余曲折(うよきょくせつ)多々ありました。

 

ワタシ、睡眠薬を規定量飲んでも一睡もできませんでした…。薬が中途半端に効いた酩酊(めいてい)状態で持ってきたスナック菓子を真っ暗なかび臭い部屋でゴミ箱を抱えながらバリボリと一人貪っていたのを悪夢のように覚えています。

 

夜空が綺麗でした。星座がわかるほどに。お夕飯も部屋とは違って豪勢で美味しかったです。二人だけなのにプールのように広い湯船にたっぷりとお湯を張って下さり、シャワーはいつまでたっても真水でしたが、お湯が出るまでに大層な時間を要しましたが、湯船がありましたので!…よかったことは箇条書きでしか言い表せず、修行のように辛い記憶がこの身を覆っておりますが、何も言えなかったのは、ご主人がとても穏やかに優しい方で、お薦めしてくださった日本酒が本当に美味しくて、もう二人とも酔っぱらって訳がわからなくなってしまって、意味不明に狂ったように笑いました(ストレスでショック状態だったのかもしれません)。小声で「もうあの部屋に戻りたくないね」と耳打ちしては、食べたものを吐きそうになるほど大笑いしました。なんというか、最高の一年の出発でありましたな!ガハハハハハハハハハハ!!(泣き笑い)

 

…ふぅ…深呼吸しております。フラッシュバックで指先がキンキンに冷えております。こうして一年を懸けた私にしかわからない人生の闘いが幕を開けました。1月は書き起こしても大した学びがなくやや焦っておりますが、一年を通しての学びでありましたので、この旅はここで締めたいと思います。

 

明日は2回目、「愛知県瀬戸市の旅」をお送りします。極力、真面目にお届しようと思います。