ギューリックは、成瀬仁蔵にあてた手紙の中で、「ウィルソン大統領にインタビューしたことや、カリフォルニア州の労働党議員らと会見したこと」などについて述べており、米国での平和活動は多忙をきわめていたようだ(大正4年2月6日付の書簡)。
大正4年、ギューリックは、日本女子大学で「時局の心理」という講演を行う。
「排日思想は決して米国のよき人々の間の思想ではありません。しかし種々の事情があってカリフォルニア地方の一部にこういう思想があることを否定できません。この問題が容易に解決できるかどうか、私はこの一年間は非常に希望を有しております。ことに日本国民が同情をもって解決しようとすれば、できぬことはないと信ずるのであります。」と述べている。
そして新聞などの言論が日米の国民の感情を結果として煽ることになることを憂慮し、「外国についての悪しき言論が書いてあれば、それは小さくとること、大きくとるのは間違いである」と述べ、「時局の心理作用」について警告している。
大正3年に第一次大戦が始り、日米は連合国側であったこともあり、排日運動は小康状態にあったが、将来、拡大することは予想されていた。
大正4年、ギューリックは、日本女子大学で「時局の心理」という講演を行う。
「排日思想は決して米国のよき人々の間の思想ではありません。しかし種々の事情があってカリフォルニア地方の一部にこういう思想があることを否定できません。この問題が容易に解決できるかどうか、私はこの一年間は非常に希望を有しております。ことに日本国民が同情をもって解決しようとすれば、できぬことはないと信ずるのであります。」と述べている。
そして新聞などの言論が日米の国民の感情を結果として煽ることになることを憂慮し、「外国についての悪しき言論が書いてあれば、それは小さくとること、大きくとるのは間違いである」と述べ、「時局の心理作用」について警告している。
大正3年に第一次大戦が始り、日米は連合国側であったこともあり、排日運動は小康状態にあったが、将来、拡大することは予想されていた。
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