青い目の人形と日本女子大学校

ユナルデーちゃんとフローレンスちゃん

成瀬仁蔵編集の英文雑誌とギューリックの寄稿 明治44年

2014-03-30 18:32:02 | 日記
  "Life and Light"(ライフ・アンド・ライト)誌は、成瀬が明治43年、創刊した英文雑誌である(隔月誌、創刊時の誌名はLife、のちに改称)。
 当時、ギューリックは京都におり、同志社大学で神学を、また大阪のミッション系の梅花女学校で英語を教えていた。
  梅花女学校は明治11年、成瀬と同郷の沢山保羅により創立され、教員免状をもつ成瀬は開校時に同校の主任教師を勤め、また米国留学後には校長を勤めた女学校である。
  ギューリックは、同誌を贈られ、成瀬あてに礼状を出している
 「忘れずに『ライフ・アンド・ライト』誌をお送り下さって、ありがとうございます。貴誌は、大変、将来性があるように思えます。私はとくに日本に関しての部分を読みたいと思っております。」(明治44年4月1付、成瀬記念館所蔵)。
  その後まもなくギューリックは、同誌に「平和」に関する小論を寄稿する。明治44年5、6月号に掲載された、"Some signs of the Times"である。分量は2頁の短いもので(15-16頁)、米国の市民レベルでの平和活動、篤志家の寄付活動などを紹介し、日本での同種の活動を提案、期待するというのが趣旨である。  
  成瀬仁蔵もギューリックも、日米間の関係を憂慮し、コミュニケーションをはかることに懸命に努力していたことがうかがえる。
  この英文雑誌は当初、英語教育用の教材という役割をもっていたが、翌44年、平和問題関係の所論を多く掲載し、日米間のコミュニケーションを促進することにも貢献した。しかし同年、惜しくも六号で終刊となった。編集事務は、卒業生の上代タノ(のちに第6代学長)が担当した。