青い目の人形と日本女子大学校

ユナルデーちゃんとフローレンスちゃん

成瀬仁蔵にあてたギューリックの書簡、明治44年

2014-04-25 20:34:28 | 日記
 成瀬仁蔵も、ギューリックも、日米間の将来を憂慮していた。
 ギューリックが成瀬仁蔵にあてた書簡が数通、成瀬記念館に保存されている。
 当時、ギューリックは京都に居住していたが、横浜の外国人の実業家たちの情勢について把握していたようである。
 横浜に在住する外国人実業家の多くが、アジアの覇権を握ろうとする日本の侵略主義、帝国主義に危惧し、「戦争になればよい、そして日本が打ちのめされてしまえばよい」と願っているというのである。
「私は、横浜の住人(外国人)で過激な反日本人という人物に会いました。彼は「戦争になるとよい。それもすぐ戦争になるとよい」と望んでいるのです。彼は「日本が将来へのチャンスがまったく無くなってしまうほど打ちのめされてしまうのをみたい!」というのです。そしてさらに彼は「これが横浜に住んでいるほとんどの実業家が望んでいる願望なのだ」というのです。」(明治44年3月22日付の書簡)
こういう情勢を把握していたギューリックは、「沸騰している噴火口の中に飛び込み、誤解や嫌悪の情を取り除くために、男らしく行動をおこさなければならないでしょう」と成瀬仁蔵に決意のほどを述べている。
成瀬仁蔵編集の英文雑誌「Life and Light」(明治44年5・6月号)にギュ-リックの寄稿「Some Signs of the Times」(2頁)が実現したのは、両者の認識と実践活動が一致したからであろう。
しかし惜しむらくはギューリックは、健康上の問題も抱えていた。
写真は、フローレンスちゃんの旅券である。

 



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