青い目の人形と日本女子大学校

ユナルデーちゃんとフローレンスちゃん

成瀬仁蔵の「帰一協会」(M45)とギューリックの「戦争なき世界」(T11)

2014-07-24 06:25:16 | 日記
成瀬仁蔵は、明治45年、世界人類の平和の増進をはかるべく、「帰一協会」を設立した。渋沢栄一、森村市左衛門、姉崎正治、浮田和民、井上哲次郎、ギューリックらの賛同を得て設立したものである。「帰一」は、姉崎正治により王陽明の句「万徳帰一」からとられたという。
 前年の明治44年、日本女子大学校は創立10周年を迎え、成瀬は、思想団体を設立し、さらなる飛躍を目指そうとしたようである。
そして大正元年、成瀬は欧米に視察旅行をおこない、11月には「アメリカ帰一協会」が設立された。またさらに大正3年には「イギリス帰一協会」が設立され、世界人類の平和運動は広がりをみせていった。
成瀬によれば、異宗教、異人種、異国民の間に調和一致の点を発見し之を培養し発達せしむることが此の運動の主眼とするところである。併し調和一致を等閑に附して分離軋轢を事とするのは人類共通の欠点であるという。「帰一協会に就きて」(『花紅葉』11号、大正元年)
日清・日露の戦争などを経て、日本の帝国主義化、侵略主義が危ぶまれる中、成瀬の活動はきわめて先駆的であった。
ギューリックの「戦争なき世界」の運動は、成瀬没後、大正11年に発足したが、この運動がのちに「人形プロジェクト」へ発展していくことになる。そして渋沢栄一が日本側の窓口になっていく。