青い目の人形と日本女子大学校

ユナルデーちゃんとフローレンスちゃん

成瀬仁蔵とギューリック

2014-02-27 22:13:03 | 日記
  日本女子大学校の創立者・成瀬仁蔵は、S・L・ギューリックが「青い目の人形」を提唱する以前から、彼と親交があった。
  大正4年、来日したギューリックは日本女子大学に来校し講演を行い、晩香寮(渋沢栄一が寄贈した洋風寮)で成瀬、渋沢、麻生らと午餐を共にしている。
  ギューリックは、1860年、マーシャル群島のエボンで生まれ、成瀬仁蔵は、1858年、山口県吉敷村に生まれた。両者は、世代的には同世代である。
  明治10年、成瀬仁蔵は、在日していたギューリックの叔父(アメリカン・ボード宣教師)や沢山保羅のすすめで、新潟教会の初代牧師、および新設されたミッション系の新潟女学校の初代校長に就任している。
  その後、成瀬は米国に留学、最初、アンドーバー神学校で学んだ。一方、熊本での任務を終え帰米したギューリックは、同神学校で研修している。同じ神学校で学んだという機関の同一性は両者を結びつけるが、しかしその時期には数年の違いがあり、両者はすれ違っている。
   ともあれ、両者の交流は、いつしか始まり、ギューリックの帰米後も続くことになる。