青い目の人形と日本女子大学校

ユナルデーちゃんとフローレンスちゃん

ギューリックと日本女子大学での講演 大正4年

2014-05-27 22:14:06 | 日記
  成瀬仁蔵とギューリックは、日米関係を憂慮し、活動を行っていたが、大正2年、ギューリックは健康を害して帰米する。
  おりしもカリフォルニア州では、大正2年5月、外国人の土地所有を禁止する「外国人土地法」(排日土地法)が成立する。この移民排斥法案は、市民権のない外国人に土地の所有あるいは三年以上の借地を禁止するというものであった。
  日本人の移民人口が次第に増加し、勤勉な日本人労働者の存在が同州の経済マサツをひきおこしていたのである。
  日本でギューリックが憂慮していた事態は現実のものとなり、大正3年、彼の働きかけにより、全米キリスト教協議会は、下部組織として「米日関係委員会」を設立し、ギューリックが代表者を務めることになった。
  そして大正四年、ギューリックは、全米キリスト教協議会のマシューズ会長らと共に来日し、成瀬仁蔵の招きに応じて日本女子大学に来校、「時局の心理」という講演を行った。その内容は、「家庭週報」(大正4年2月19日、第306号)に概略掲載されている。