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えびみそのタイ冒険

2020年末にタイに移住し、自分と向き合う毎日を送る45歳の青年"えびみそ"の物語。

#8 鬱病という名の相棒③

2021-10-23 08:09:00 | 日記
23歳の年、あそこで明らかに僕の人生が大きく変わったのだろう。

それは、自分が求めたことだった。

4年間の大学で得たものが、そして得られなかったものが、僕の背中を後押しした。
それで旅立ったのだ。
海外へ。

ヨーロッパでの生活は2年間に渡った。
それは、20代の前半という僕にとっては貴重な青春の中で、やはり孤独と寂しさが一層助長されたものとなった。

大学時代の日本国内での一人暮らしでも、周りとのコミュニケーションの壁により孤独をふくらませたのに、言葉の壁がある海外ではなおさら孤独を感じることになった。

そこでの出会いと別れ。
僕は紆余曲折を経て、一人の女性に行き着いた。

それが正しいことだったのかどうなのかは、僕には分からない。
でも、出会って、一緒になったということは、間違いなく縁はあり、繋がりがあったのだろう。

僕は結婚した。
現地の女性だった。
彼女の中に、まだ自分の経験していない可能性を見たのだ。

そこからまた、新しい人生は始まった。
運命の抗えないうなりに巻き込まれ、流されるように。

だから、彼女に言ったのだ。
一緒に日本へ行こうと。

#7 鬱病という名の相棒②

2021-10-23 08:05:00 | 日記
とうとう、大学の4年間で運命の人には出会えなかった。

気ままな一人暮らし。
アルバイトをして、授業に顔を出してみたり、ちょっとキャンパスを肩で風切りながら歩いてみたり、ビックリするくらい高いビンテージデニムを履いてみたり、プレミアの付いて定価より遥かに高くなったハイテクシューズを集めてみたり。

自分のスタイルは崩したくなかった。
妥協というものが、世の中をうまく回したり、もっと狭い意味で、自分と誰かを結び付けて小さな幸せを掴むのに役立つなんてことを全く知らなかった。
突き詰めることが魅力なのだと勘違いしていた。

いや、勘違いではないな。
それはまさに、今、自分が学び直すべきことだ。

妥協の産物が、今、自分をここタイでこんな気持ちにさせているのだ。
たくさん妥協し、譲るべきでないものをたくさん譲ってきた結果が、今の僕自身なのだ。

結局、弱かったのだろう。
怖かったのだ。
だから、妥協して来た。
それが最善の道だと、自分に言い聞かせて。

あの頃。
あの時。
確かに、僕は妥協しなかった。

そして、4年越しに、夢を掴んだのだ。


#6 鬱病という相棒①

2021-10-23 07:53:00 | 日記
僕のもう一つの持病は、鬱病だ。

思い起こせば、かなり昔の、自分が少年だった時からの付き合いだと思う。

僕は、酷く情緒不安定な少年だった。
割と恵まれた家庭環境だったと思うけど、ある時ふと世界は自分を中心に回っているかのような気分になってみたり、突然些細なことで世界一の不幸を背負った少年になったりした。

中学校や高校の時から孤独を感じることがたびたびあり、大学生になり、一人暮らしを始めると、もっと深刻になった。

1人は辛かった。
僕は、大学一年生の頃に、当時1年前から付き合っていた彼女と別れた。
要はフラれたわけだが、自分が勝手に遠い大学を選び、年下だった彼女を地元に置いて出て行ってしまったのだから、しょうがない。

でも、僕はその子のことが本当に好きだった。
住みなれた街を出たのも、彼女を守る強い力を手に入れるためだった。

自分勝手な話。

僕はまた不安定になった。

秋口にひとりぼっちになったので、その冬は辛かった。
知らない夜の街を、1人歩いた。
知らない路地を行き来し、居酒屋から漏れる明るい笑い声を尻目に、僕はどうしてあの住みなれた街を捨てたのだろうかと考えた。

あの空気を捨てた。
当たり前の、少し煩わしいくらいに温かいあの空気を捨てて、どうしてこんな冷たい空気の街にやってきたのだろうか、と。

あの子の面影を、その遠く離れた街で探した。

後ろ姿がよく似た女の子を何度か見かけた。
彼女の代わりを必死に探していた。
でも、見つけることができなかった。
優しくしてくれた女性にも、僕は冷たかった。
そうじゃない、と思った。

そして、僕は1人だった。



#5 持病

2021-10-23 07:37:00 | 日記
僕には、持病がある。

誰でも持病はあるだろう。
だから、同情は要らない。
広い意味では、極度の肩こりや酷い花粉症だって持病だろう。

人は誰でも自分の持つ身体的ディスアドバンテージと共生して生きていかなければならない。

僕の場合、今から10年前に、悪性皮膚リンパ腫と診断された。
リンパという言葉が怖かった。
そして、これは癌の一種だ。

まさか自分が癌になるとは。
若い時の癌は進行が早いとか、無駄な知識ばかりが頭の中で先行する。

でも、10年経った今も、自分はちゃんと生きている。
癌は最低限に抑えられ、自分は自分の持病と共生している。

当時の担当医からは、一生治ることはないと言われた。
体質の問題だからだ。
付き合っていかなければならない。
だから、10年前から、自分の新しい相棒ができた。

それが、癌だ。

そして、僕にはもう一つの持病という相棒がいる。
悪性皮膚リンパ腫よりずっと以前から付き合わされていた、そしてもっと厄介な、だけど可愛い可愛い相棒だ。

その相棒の話は、また次の日記で。