こよなく自由を愛するが、
不自由なほうが自由なこともある。
自由過ぎる自由は、かえって本人を不自由にすることがある。
時には社会の底辺で、不自由なほうの選択肢を選び、不自由に椅子に腰掛けているのが良い。
自由とは、
そういうものだ。
こよなく自由を愛するが、
不自由なほうが自由なこともある。
自由過ぎる自由は、かえって本人を不自由にすることがある。
時には社会の底辺で、不自由なほうの選択肢を選び、不自由に椅子に腰掛けているのが良い。
自由とは、
そういうものだ。
人間の価値は、その人の生まれや血統、民俗、出身国などにあるのではなく、その人自身にある。
頭が良い人物か。
苦労を経験して、深い認識があるか。
心からの人や自然への優しさと思いやりがあるか。
自らの人生に対して誠実で、挑戦し続けているか。
人や世界を愛しているか。
人は、その人の持っているものに対して尊敬したり、畏敬の念を持ったりするのではない。
その人が元々持っていなかったもので、しかも得難いものを自らの努力で得た時に、深い尊敬の念と畏敬の念を持つのである。
だから、どんなにお金持ちで見かけを良くして立派な事を言っても、人々はそれだけではその人を尊敬しない。もしかしたら、先祖代々の遺産があり、家族が元々裕福であるが為にその人も裕福であるだけかもしれない。
一方で、だからこそオリンピックのゴールドメダリストは世界から敬意を払われる。誰もなし得ない世界のトップに自らの努力によって辿り着いたからだ。
また、パラリンピックの選手達にはまさに畏敬の念を抱かずにはいられない。それは、彼らが元々持っていないものを驚くべき努力と工夫により手に入れているからだ。世界中から尊敬されるのは当たり前である。
日本人の経済的豊かさが尊敬されるのも、彼らは元々何も持たないからである。国土に天然資源が乏しく、自然災害も他国に比べて多い。自ら努力するしか豊かになる術はなく、それを保ち続けているからである。
一方で、天然資源の豊富な国々があるが、それは元々持っていたものであり、得難いものを自らの努力で得た訳ではないのである。