人は大抵のことには慣れる。
それが人間の強さなんだと自分に言い聞かせる。
入院18日目。手術から9日目。
運命の激流に翻弄され、僕が辿り着いた場所(もしかしたらまだ何処にも辿り着いていないのかもしれない。実は今も流れが変わった。明日の退院予定が延期されたのだ)。
僕はこの激流を振り返り、1つのけじめをつけようと思う。
元々、楽観主義のプラス指向という性格。
深く悩み続けることは苦手なよう。
だが手術後、僕は生まれてこの方ない絶望の底にいた。
鬱はこうして始まるのかとも思った。
どうすれば楽に死ねるのかとも考えた(大袈裟と思うかも知れないが、それ程落ち込んでいた)。
緊急手術の直前、医者はこう僕に告げたのだ。
「腸を切って人工肛門にします」
高熱の頭で僕は最悪の事態になったことを認識せざるをえなかった。
「人工肛門になるくらいなら死んだほうがマシ」
常々そう思っていた。
それが我が身に降りかかる。
僕は薄っぺらな知識で医者に尋ねた。
「一時的なものでしょうか?」
「そう、半年から一年で再手術することになります」
人工肛門が切った部位によっては再手術で元に戻ることは知っていた。
古田夫人の中井美穂がそうであったことも最近話題になっていた。
最悪ではないと思った。
だが一年は長い。
一瞬逡巡して、答えた。
「分かりました」
ベッドに横たわり、ぼくはその時を待った。
再び、不安が頭をもたげてきた。
医者を呼んだ。
もう一度確認した。
「他に選択の余地はないんでしょうか?」
「この病院ではありません。腸に空いた穴が塞がることはありません。手術をしなければさらに重篤化し命に関わることにもなりかねません。これは命を賭けた緊急手術だと思って下さい」
退路は断たれた。
前に進むしかなかった。
鼻から管を通され、尿道にカテーテルを入れられ、全てのプライドは奪われた。
そもそもプライドなど安っぽい。
こんなもの捨ててこそ人は強くなれるのだ、と今なら思える。
だがベッドの上で僕の心はズダズタだった。
手術室に運ばれる。
幾つもの扉を開けて進んでいく。
明るい廊下。その薄っぺらな明るさが全てを絵空事のように錯覚させる。
だがこれは現実なのだ。
天井が滑るように後ろに流れて行く。
抗えない運命の流れ。
手術台に乗せられた。
目の前に大きな灯り。
これが無影灯か・・・どうでも良いことを思う。
心が冷静さを装っていた。
麻酔が躰に入ってくる。
すぐに意識を失った。
・・・・・・・
気がつけば全てが終わり、腹に鈍い痛みが残されていた。
「手術は無事終わりましたよ」
医者の声が聞こえた。
僕は横たわったまま、朦朧とした意識の中を彷徨っていた。
とにかく終わった・・・安堵感が芽生え眠りに誘おうとするが腹の痛みが安らぎを奪ってしまう。
眠れぬ夜が明けた。
手術が無事に終わったということは、ストーマ(人工肛門)という現実と向き合わなければならないということでもあった。
専門の看護師がやって来た。
縷縷説明をしてくれるが、僕の受け入れ準備は出来ていない。
ストーマを直視することすら出来ていない。
心は閉ざされていた。
ストーマについてはネットで調べていた。
多少の不自由はあるが、ほぼ元どおりの暮らしが出来る。
そう書かれてはいるが、容易には信じがたい。
マイナスのイメージばかりが頭に浮かぶ。
困難さばかりが立ちはだかる未来しか見えない。
到底、仕事復帰は無理とさえ思えてくる。
いずれ元に戻ると言われていても絶望感は大きい。
看護師さんに尋ねた。
「どれくらいで受け入れられるものなんですか?」
「人それぞれですね。全く受け入れられない人もいらっしゃいます。装着は簡単ですから、4,5回すれば慣れると思いますが、大切なのは気持ちです。受け入れようという強い気持ちです」
確かにそうなのだろう。だがそれは容易いことではない。
暫くしてガスが出始めた。
食事は開始されていないから便はまだ出ない。
ガスを抜く作業があるが、看護師さんに任せている。
ストーマを直視できないぼくは、目を背けている。
手術から5日目。
僕は初めて、己のストーマを直視した。
左の腹に開けられた直径およそ3センチの穴。
ショックだった。
でもそれは同時にスタートのサインだった。
受け入れよう。
逃げても現実は変わらない。
目を背けても、何も消えない。
前に進まなければならない。
現実を直視し、受け入れること。
そして進むこと。
強く生きなければならない。
僕は覚悟した。
ストーマに対する社会の認識は余りにも低い。
僕も全く知らなかった。
それは多くの人が隠して生活しているからだ。
服を着れば分からない。
だがいつも見透かされている負い目がある。
「なかなか外出できない方もいらっしゃいます」
専門の看護師さんもそう言っていた。
なにくそ。
どうせ人間は糞袋。
体内に糞を貯めるか、外付けの袋に貯めるか。
ただそれだけのことだ。
寧ろ躰の中はオストメイト(ストーマ保有者)の方が美しい。
純なる皮袋。
オレは前を向く。
人は大抵のことには慣れる。
そうやって、次の扉を開けるのだ。
そう決意してストーマに向き合った。
装着の練習も順調だった。
ところが、昨日の夜中、流れが変わった。
ストーマが当初の位置から陥没していた。
看護師が主治医を呼び出す。
応急処置をする。
朝まで経過観察。
そして今朝、主治医の他に2人の医者。
話し合っている。
再手術・・・そんな声さえ聞こえて来る。
絶望がベッドに横たわる僕に覆い被さってくる。
結果、再手術は免れた。
だが、それすらいつまた流れが変わるかもしれない恐怖がある。
そ時点で、明日、退院に変更はなかった。
だが・・・
夕方、パウチ(便を貯める袋)の交換を手伝ってくれた看護師さんが、ストーマを見てこう呟いた。
「退院して良いんかなあ」
こうして僕の退院は延期となった。
流れはまだ穏やかにはならない。
幾つものアクシデントに疑心暗鬼は強まるばかり。
だがそれでも前を向く。
僕は歩を進める。
それが人間の強さなんだと自分に言い聞かせる。
入院18日目。手術から9日目。
運命の激流に翻弄され、僕が辿り着いた場所(もしかしたらまだ何処にも辿り着いていないのかもしれない。実は今も流れが変わった。明日の退院予定が延期されたのだ)。
僕はこの激流を振り返り、1つのけじめをつけようと思う。
元々、楽観主義のプラス指向という性格。
深く悩み続けることは苦手なよう。
だが手術後、僕は生まれてこの方ない絶望の底にいた。
鬱はこうして始まるのかとも思った。
どうすれば楽に死ねるのかとも考えた(大袈裟と思うかも知れないが、それ程落ち込んでいた)。
緊急手術の直前、医者はこう僕に告げたのだ。
「腸を切って人工肛門にします」
高熱の頭で僕は最悪の事態になったことを認識せざるをえなかった。
「人工肛門になるくらいなら死んだほうがマシ」
常々そう思っていた。
それが我が身に降りかかる。
僕は薄っぺらな知識で医者に尋ねた。
「一時的なものでしょうか?」
「そう、半年から一年で再手術することになります」
人工肛門が切った部位によっては再手術で元に戻ることは知っていた。
古田夫人の中井美穂がそうであったことも最近話題になっていた。
最悪ではないと思った。
だが一年は長い。
一瞬逡巡して、答えた。
「分かりました」
ベッドに横たわり、ぼくはその時を待った。
再び、不安が頭をもたげてきた。
医者を呼んだ。
もう一度確認した。
「他に選択の余地はないんでしょうか?」
「この病院ではありません。腸に空いた穴が塞がることはありません。手術をしなければさらに重篤化し命に関わることにもなりかねません。これは命を賭けた緊急手術だと思って下さい」
退路は断たれた。
前に進むしかなかった。
鼻から管を通され、尿道にカテーテルを入れられ、全てのプライドは奪われた。
そもそもプライドなど安っぽい。
こんなもの捨ててこそ人は強くなれるのだ、と今なら思える。
だがベッドの上で僕の心はズダズタだった。
手術室に運ばれる。
幾つもの扉を開けて進んでいく。
明るい廊下。その薄っぺらな明るさが全てを絵空事のように錯覚させる。
だがこれは現実なのだ。
天井が滑るように後ろに流れて行く。
抗えない運命の流れ。
手術台に乗せられた。
目の前に大きな灯り。
これが無影灯か・・・どうでも良いことを思う。
心が冷静さを装っていた。
麻酔が躰に入ってくる。
すぐに意識を失った。
・・・・・・・
気がつけば全てが終わり、腹に鈍い痛みが残されていた。
「手術は無事終わりましたよ」
医者の声が聞こえた。
僕は横たわったまま、朦朧とした意識の中を彷徨っていた。
とにかく終わった・・・安堵感が芽生え眠りに誘おうとするが腹の痛みが安らぎを奪ってしまう。
眠れぬ夜が明けた。
手術が無事に終わったということは、ストーマ(人工肛門)という現実と向き合わなければならないということでもあった。
専門の看護師がやって来た。
縷縷説明をしてくれるが、僕の受け入れ準備は出来ていない。
ストーマを直視することすら出来ていない。
心は閉ざされていた。
ストーマについてはネットで調べていた。
多少の不自由はあるが、ほぼ元どおりの暮らしが出来る。
そう書かれてはいるが、容易には信じがたい。
マイナスのイメージばかりが頭に浮かぶ。
困難さばかりが立ちはだかる未来しか見えない。
到底、仕事復帰は無理とさえ思えてくる。
いずれ元に戻ると言われていても絶望感は大きい。
看護師さんに尋ねた。
「どれくらいで受け入れられるものなんですか?」
「人それぞれですね。全く受け入れられない人もいらっしゃいます。装着は簡単ですから、4,5回すれば慣れると思いますが、大切なのは気持ちです。受け入れようという強い気持ちです」
確かにそうなのだろう。だがそれは容易いことではない。
暫くしてガスが出始めた。
食事は開始されていないから便はまだ出ない。
ガスを抜く作業があるが、看護師さんに任せている。
ストーマを直視できないぼくは、目を背けている。
手術から5日目。
僕は初めて、己のストーマを直視した。
左の腹に開けられた直径およそ3センチの穴。
ショックだった。
でもそれは同時にスタートのサインだった。
受け入れよう。
逃げても現実は変わらない。
目を背けても、何も消えない。
前に進まなければならない。
現実を直視し、受け入れること。
そして進むこと。
強く生きなければならない。
僕は覚悟した。
ストーマに対する社会の認識は余りにも低い。
僕も全く知らなかった。
それは多くの人が隠して生活しているからだ。
服を着れば分からない。
だがいつも見透かされている負い目がある。
「なかなか外出できない方もいらっしゃいます」
専門の看護師さんもそう言っていた。
なにくそ。
どうせ人間は糞袋。
体内に糞を貯めるか、外付けの袋に貯めるか。
ただそれだけのことだ。
寧ろ躰の中はオストメイト(ストーマ保有者)の方が美しい。
純なる皮袋。
オレは前を向く。
人は大抵のことには慣れる。
そうやって、次の扉を開けるのだ。
そう決意してストーマに向き合った。
装着の練習も順調だった。
ところが、昨日の夜中、流れが変わった。
ストーマが当初の位置から陥没していた。
看護師が主治医を呼び出す。
応急処置をする。
朝まで経過観察。
そして今朝、主治医の他に2人の医者。
話し合っている。
再手術・・・そんな声さえ聞こえて来る。
絶望がベッドに横たわる僕に覆い被さってくる。
結果、再手術は免れた。
だが、それすらいつまた流れが変わるかもしれない恐怖がある。
そ時点で、明日、退院に変更はなかった。
だが・・・
夕方、パウチ(便を貯める袋)の交換を手伝ってくれた看護師さんが、ストーマを見てこう呟いた。
「退院して良いんかなあ」
こうして僕の退院は延期となった。
流れはまだ穏やかにはならない。
幾つものアクシデントに疑心暗鬼は強まるばかり。
だがそれでも前を向く。
僕は歩を進める。