夢を咲かせよう! 岡本真来としての生き方ブログ

~琉球アーティスト岡本真来としての生き方~
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妄想。。。

2006年02月20日 | Weblog
朝日がレースのカーテンから差し込む…
まぶしさで目が覚めてちょっと歩いた先のテーブルに用意した紅茶で目覚める。
真鋳で出来た重い扉を開けると、目線より広がる1階の景色。
半円状の螺旋階段をゆっくり降りると、そこには暖かい家族の声や、飼い犬の鳴き声が聞こえる。

ミュージシャン時代の僕の夢だ!
今でも少し薄れながらも抱き続けている。
こんな光景を夢見て日々現実と戦っているのは僕だけだろうか?
日常の中で一番自分らしくいられる時間は朝。
本当はゆっくりと時間を使い、真の自分と向き合うことの出来る時間に、
満員電車に揺られ、ドアに体を押し当てながらの通勤時間や、BLTを片手に小走りで駅に向かう自分に正直嫌気がさしている。
とは言え、空想と現実の狭間でもがいているのが現状で…
自分らしくいられる時間を有意義に活用し、少しでも優雅に人生が送れる環境づくりにこれからは本腰を入れていこう。
そう決めた。

会社設立の際に、会社の出勤時間いついて検討する機会があった。
正直言うと脳裏に優雅な生活の絵が浮かんだ…
自分でアホだな!
なんて思いながら、近い将来そんな生活が海外で送りたい。
そう思った。

『男なんて単純で、子供なんだから』
なんて女性の多くは言うけど、決して間違いではないな。苦笑
そう思う今日この頃である。

本社社長室から見える夜の景色は格別で、東京タワーが正面に望める。
この景色が後押ししてくれている僕の仕事はSI(システムインテグレーション)企業の社長。
前会社を閉鎖してから、入社した企業の社長になったのです。
そしてあの当時抱いていたIT企業への夢が、今でも実現できている自分の環境には満足している。

まだまだ先があるわけで…
僕の頭の中の妄想は日に日に膨らんでいく。

IT業界は初参戦

2006年02月19日 | Weblog
25歳でミュージシャンになる。
30歳で会社を立ち上げる。
34歳で事業を形にする。
45歳で政治家になる。
これが漠然とした僕のビジョンでした。

ミュージシャンとしての活動は13年間してきました。
25歳でソニー系レコード会社からデビューし、CDシングル8枚、アルバム3枚を出し、シドニーオリンピックでは国立競技場にて国家を独唱させていただくお仕事までさせていただきました。
実際に収入を得てビジネスとしてできた期間は、おそらく8~9年ぐらいかな…
ミュージシャン時代に決めていたこと!それが事業家への転向だった。
30歳までには会社を立ち上げ、新しい道を開拓すると決めていた。
ミュージシャンも辞めることなく一生続けていこうと決めていました。
27歳の時に、アルバイトでしてきたバーテンダーとしての経験を元に、お店をやっってみよう!なんて気軽に六本木で始めてみました。
1年間は経営勉強のつもりで周りの大人たちに聞きながら、中々いい加減な経営をしていました。
2年目以降、勢いのあるすばらしい仲間に恵まれ、思い切って会社を設立しましたのが30歳。
株式会社レジャーライセンスジャパン
このときの自分の将来進むべき道も考え、社名にライセンスという名前を入れています。
そう!将来的にライセンスを扱うIT企業にしていきたいと思ったのはこの頃でした。
なぜライセンスか?についてはこれから少しずつお話を紐解いていきましょう。
飲食店の経営をしながら、ライセンスについても勉強し少しずつし、企業として形になっていきました。
気がつけば…
ボクシングジムの経営、飲食店舗6店舗、結婚式場1店舗、本社事務所と形になっていました。
しかし、ここからが失敗の始まりでした。
今になってはなぜだろう?と思うほどお粗末な経営だったのです。
張りぼて経営・・・
こんな言葉がぴったりかもしれません。
その後会社を閉鎖し、現在の企業に入社したのがきっかけで現在に至っているわけです。
失敗なくして成功はない!なんて言葉がありますが、本音で言えば失敗せずに成功したい!ですよね。

これから少しずつ皆さんにお話していきたいとお思います。