夢を咲かせよう! 岡本真来としての生き方ブログ

~琉球アーティスト岡本真来としての生き方~
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CBGB

2006年03月31日 | Weblog
CBGBはニューヨークの老舗ライブハウス。
立ちたくても立つ事を許されるのはほんの一握り・・・
そのステージに立ちましたよ^^

CBGBのあの独特の重い空間は、あの場所に居合わせた人しか味わう事の出来ない。
神聖な空気が流れていました。

実際に出演しているバンドも表情は硬く、このステージに向かう姿勢がリアルに伝わってきました。

ジョン・ボンジョビも立った事のあるステージだそうで、僕のあこがれのアーティストに近づけた気がして少しうれしかったのを覚えています。


NY

2006年03月30日 | Weblog
NY ニューヨークに昨年行きました。
すごい街ですね。すべてが斬新に目に飛び込んでくる。
アメリカンドリームなんていうけれど、それだけ貧富の差が激しいという事が街並みから感じました。裏路地を見るとそこにいは下流の生活が・・・でも一生懸命生きている感じがとても胸を打ちます。
ニューヨークには不思議な香りがあります。
言葉では表現出来ない不思議な匂い。
一人で大体のエリアは地下鉄に乗って行きましたが、僕敵にはダウンタウンがすごく好きです。自由な国ならではの自由な発想。
色々目に焼き付いていて鮮明に記憶の中で生きています。
なぜ行ったか?
遊びではないですよ・・・仕事で行きました!
現地の日本食市場調査ですぅ。

音楽もNY’ROCKの発祥の老舗にも行きました!
また仕事で行きたいです。

前編はこの辺で・・・明日に続く・・・

山を越えるとそこにはまた山がある。

2006年03月29日 | Weblog
登山をした経験は今までにも数々ある。
登山をするような顔には見えない?そんな事はどうでもいい。
プロジェクトは登山と同じ。
会社の経営もまた登山と同じ。
山を登り始めは平坦で、徐々に急になっていく。
次の山(目標)は頂上に近づかないと見えてこない。
山の攻め方次第では、時間を短縮する事も出来るし、選択を間違えば命も取られる。
登山は決して簡単なスポーツではない。
僕の好きな冒険家で植村直巳という人が居る。
彼は単独で冬の雪山、マッキンリーに挑戦をしたり。
命を掛けて冒険をしていました。
最後は雪山で遭難してしまうんだけどね。

ビジネスも僕は登山に匹敵する鈍と鋭があると思うので、しっかりとした判断力で山頂を目指します。


ライブツアー

2006年03月28日 | Weblog
趣味??の音楽ライブツアー東京→広島→名古屋→東京が始まりました。
名古屋までは無事終了。たくさんのお客様に来場いただいて大変満足。
ありがとうございます。
ライブでのパフォーマンスは、ビジネスの世界で言うところのプレゼンテーション。
いかに説得力のある内容で、相手に物を伝えるか・・・
ではないだろうか

人に物を伝える事が苦手な人は少なくないと思います。
僕も昔は恥ずかしがり屋で・・・信じてもらえないかもしれませんが、これ本当の話です。
子供のころは、授業中も手を上げることが出来ない子供でした。

それが不思議なものです。
気持ち次第では人は変われるという事ではないでしょうか?
僕はそう思います。

自分の嫌な所や、変えたい場所がある場合は、思い込むことできっと変われます。
一緒にがんばりましょう。


国際ジャーナル

2006年03月24日 | Weblog
国際ジャーナルの取材がありました。
加納竜さんとの対談をしました。
役者ってすごいですね・・・
オーラがありましたよ

役者さんはカメレオンですね
役柄によって、医者になったり、弁護士になったり・・・


苦悩の毎日

2006年03月16日 | Weblog
何事も前に進むには苦悩がある。
躓きそうになっても倒れてはいけない。
これが経営者なのではないだろうか・・・
僕はボクシングのジムを立ち上げたことがある。
もちろんライセンスも持っていましたよ。
ジムのマネージャーとして、ジムの切り盛りその他ボクサーの育成をしていた。
マッチメイクももちろん大切な仕事。
日本ランカー戦のマッチメイクも経験があります。
そんな自慢をしたいわけではなく、要するに経営はボクシングと似ている!これが言いたかったのです。
一度リングに立ったら倒れることが出来ない。
チャンピオンになるまでは何も環境が変わらず、なってからがスタートラインなのである。
常に戦い、常に腕を磨き、常に耐える。
こんな苦悩と日々戦うのである。

これからの長い道のりは戦うためのものであるという自覚を常に確認しながら前に進んでいくのです。


ちなみに立ち上げたボクシングジムは星野敬太郎ボクシングジムという
世界チャンピオンのジムです。


子供の本音

2006年03月04日 | Weblog
幼少時代は決して明るいものではなかった。
僕には父親が2人いる。
生みの親と育ての親。
今でこそ珍しくはなくなったが、その昔は親が外人なだけでアイノコって言われ虐められたと、親が言っていました。
僕の祖父はアメリカ・マサチューセッツ州に居て、農場を経営している。
そんな僕はクウォーターなのです。
子供のころは金髪で目の色も茶色で、自分だけ違う気がして複雑な心境でした。
親も育ての親が面倒見てくれていたわけで、幼心ながらにその現状には気がついていました。
今考えると、そんなに気にしなくてもいいことだったんのかな?なんて反省しています。
僕が幼稚園の時、双子の妹が産まれました。
妹は一卵性で28歳になった今でも間違われるほど似ています。
家族は割と仲が良い方で、一緒に旅行に行ったり、買い物に行ったりします。
そんな妹にも僕は嫉妬をしていました。
どこに行っても、『可愛いね・・・』と注目の的だったからでしょう。
このころのストレスが、将来目立つことにこだわるきっかけになることは、誰も知らない・・・