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聊齊志異 卷三 鴝鵒(清)蒲松齡

2022-05-30 14:19:58 | 日記
聊齊志異 卷三 鴝鵒(清)蒲松齡

鴝鵒
王汾濱言:其鄉有養八哥者,教以語言,甚狎習,出游必與之俱,相將數年矣。一日,將過絳州,而資斧已罄,其人愁苦無策。鳥雲:「何不售我?送我王邸,當得善價,不愁歸路無資也。」其人云:「我安忍。」鳥言:「不妨。主人得價疾行,待我城西二十里林樹下。」其人從之。攜至城,相問答,觀者漸眾。有中貴見之,聞諸王。王召入,欲買之。其人曰:「小人相依為命,不願賣。」王問鳥:「汝願住否?」言:「願住。」王喜。鳥又言:「給價十金,勿多予。」王益喜,立畀十金。其人故作懊恨狀而去。王與鳥言,應對便捷。呼肉啖之。食已,鳥曰:「臣要浴。」王命金盆貯水,開籠令浴。浴已,飛檐間,梳翎抖羽,尚與王喋喋不休。頃之,羽燥,翩躚而起,操晉聲曰:「臣去呀!」顧盼已失所在。王及內侍,仰面咨嗟。急覓其人,則已渺矣。後有往秦中者,見其人攜鳥在西安市上。畢載積先生記。

原文のあるサイト

原文、譯文(現代中国語訳)のあるサイト
https://inf.news/culture/8ce8578baa5f0d58b529c2533e3afc6a.html


現代日本語訳は「聊齊志異 上」平凡社にあります。

現代日本語訳
王汾濱のいったことだが、その郷里に九官鳥を飼っている者がいて、人間の言葉を教えよく馴れていた。ほかの土地に出あるくときも必ずいっしょに持って行って、数年のあいだつれ添っていた。
ある日絳州(山西省)を通りかかったが、まだ家までの道のりは遠いのに、もう旅費がなくなった。その人はどうにも仕方がなくなり、困ってしまった。
九官鳥がいった。
「私を売ったらいいでしょう。私を王様の邸に持ってゆけば、高い値段で売れます。帰りの旅費に心配することはありません」
その人がいった。
「それはわしにはできない」
鳥がいった。
「大丈夫です。主人(あなた)は代価をもらったら、大いそぎで立ち去り、城(まち)の西の方へ二十里いった大きな木の下で私を待っていてください」
その人は九官鳥の言葉に従って、鳥を持って城下へゆくと、鳥と問答をはじめた。見物人が次第にふえて来た。その中に王様の侍従がいて、それを見て王様に話した。王はその人を召し入れて、鳥を買おうといわれたが、その人はいった。
「私とはまことに切っても切れぬ仲なので、売りたくはないのでございます」
王は鳥にきいてまた
「お前はこのままここに居てもいいかどうか?」
鳥が「居たい」といったので、王はよろこんだ。すると鳥はいいった。
「代価を十両おやりなさい、それより余計やってはいけません」
王はますますよろこんで、すぐに十両を渡した。その人は、わざと口惜しそうな様子をして王の邸を出て行った。
王は鳥と話をしたが、テキパキを応答する。肉を持って来させて鳥に食わせたが、食い終わると鳥はいった。
「私は水を浴びたいです」
王は金の盆に水を入れさせ、籠を開けて水浴をさせた。浴びてしまうと軒端を飛び廻って、羽根をバタバタさせたりして、なおも王といろいろ話しつづけていた。しばらくたって羽根が乾くと、ひらりと飛びたって山西の訛でいった。
「私はゆきますよ!」
見る間にもう何処かへ行ってしまった。王と側付きの者たちは仰向いて嘆息した。いそいで売りつけた人を捜したが、もういなかった。
その後、秦中(陝西の地の異称)の方に行った者がいて、その人が西安(陝西省の首都)の市の中で鳥を持っているのを見かけたという。
―これは畢載積先生が書いていられることだ。





漢書 藝文志 (東漢) 班固

2022-04-30 10:00:00 | 日記
漢書 藝文志 (東漢) 班固

傳曰:「不歌而誦謂之賦,登高能賦可以為大夫。」言感物造耑,材知深美,可與圖事,故可以為列大夫也。古者諸侯卿大夫交接鄰國,以微言相感,當揖讓之時,必稱詩以諭其志,蓋以別賢不肖而觀盛衰焉。故孔子曰「不學詩,無以言」也。春秋之後,周道浸壞,聘問歌詠不行於列國,學詩之士逸在布衣,而賢人失志之賦作矣。大儒孫卿及楚臣屈原離讒憂國,皆作賦以風,咸有惻隱古詩之義。其後宋玉、唐勒,漢興枚乘、司馬相如,下及揚子雲,競為侈麗閎衍之詞,沒其風諭之義。是以揚子悔之,曰:「詩人之賦麗以則,辭人之賦麗以淫。如孔氏之門人用賦也,則賈誼登堂,相如入室矣,如其不用何!」自孝武立樂府而采歌謠,於是有代趙之謳,秦楚之風,皆感於哀樂,緣事而發,亦可以觀風俗,知薄厚云。詩賦為五種。

原文のあるサイト(457)

関連する中国語のサイト
http://wap.ilf.cn/mate/37048_4.html

原文と現代日本語訳は、Web検索で見つかったPdf資料の41ページにありました。
『文選』序文と詩の六義 ー賦は古詩の流ー 牧角悦子より抜粋します。

現代日本語訳
傳に言う、「歌わずに誦するものを賦と言う。高いところに登って賦することができれば大夫とみなしてよい」と。言葉が外物に感じて端緒を披く、その才能と知性が立派であれば、共に事を図ることができる。だから(登高して賦することのできる者は)大夫の仲間入りができるのだ。
古は、諸侯や卿大夫が隣園と外交する際は、微言(微妙な言い回し)で意志を通じあった。挨拶を交わす際も、必ず詩を稱することに気持ちを託した。そのような微言を操れるかどうかで賢者か不肖かを識別し、その國の盛衰を観察したのだった。だから孔子は「詩を學ばなければ、言葉を發する術は無い」と言ったのだ。
春秋の後、周の道はだんだんと崩れていき、聘問や歌詠は列國において行われなくなった。詩を學んでいた士たちは仕官できず世を逃れることになり、ここに賢人失志の賦が起こった。大儒者の孫卿及び楚の家臣屈原は、讒言にあって國を憂い、ともに賦を作って諷喻した。そこにはどれも憐み傷むという古詩の義があった。
その繼承者の宋玉・唐勅や、漢が興ってからの枚乘・司馬相如、下って揚子雲らは、競い合って過剰で大げさな言葉を弄し、諷喻の義が失われてしまった。そこで揚子雲はそのことを後悔して言った。「詩人の賦は美しくても規範的であるが、亂人の賦は美しさに溺れている。孔子の門下を賦で以て喻えるとすると、買誼は堂に登り、相如は室に入る、というところであろうが、いずれにしても賦は無用の物になってしまった」と。
武帝が樂府を立てて歌謡を採取したことで、代・趙の謳、秦・楚の風が、みな抒情的な音樂に乗せられて然るべき時に演奏されるようになり、それによって再び風俗を観察し人情の厚さを知ることができるようになったのだ。









桃李もの言わざれど下自ずから蹊を成す

2022-03-26 16:50:00 | 日記
2022年3月26日(土)朝8時15分~9時に放送された「チコちゃんに叱られる」を見ました。

桜の花見が川沿いに多いのは、八代将軍 徳川吉宗が史記からヒントを得たからという話がありました。
江戸の川の氾濫洪水を予防するため、人々に川沿いを踏み固めてもらいたかったと。


史記 卷109 李將軍列傳 第四十九 (前漢) 司馬遷より

太史公曰:傳曰:「其身正,不令而行;其身不正,雖令不從。」其李將軍之謂也?余睹李將軍悛悛如鄙人,口不能道辭。及死之日,天下知與不知,皆爲盡哀。彼其忠實心誠信於士大夫也?諺曰「桃李不言,下自成蹊」。此言雖小,可以諭大也。

原文のあるサイト

故事(桃李もの言わざれど下自ずから蹊を成す)の説明のある日本語のサイト

「史記 下」 平凡社 158Pに現代日本語訳があります。






隠れ家

2022-03-24 17:28:44 | 日記
隠れ家的なカフェの週変わりランチをいただきました。
素敵なインテリアに癒されました😸



















キムチ作り再現

2022-03-06 17:30:00 | 日記
母方おじいさん一家は(まだ母は生まれていない)戦前、会社の転勤で朝鮮半島で暮らした時期があった。
おじいさんは会社で平社員であったため、近所に暮らす朝鮮人の同僚の家族は、家族ぐるみで親しんでくれたようだ。おじいさんの子供たちも朝鮮人の同僚の子供たちにお世話になった模様である。




おじいさん一家は、戦争が始まる前に運よく日本に帰ることが出来た。
同じ会社の、おじいさんより年下の幹部コースの方は、戦争の後半から戦後まで朝鮮半島に残っておられた。
その時の体験を著された本があったが、既に絶版になっていて、国会図書館または中古を買って読むしかない。






たいへんな時代を生きた方は、人生を他人の何倍も濃く生きられたと思う。

一方、おじいさん一家の時は戦前のことで、朝鮮半島では経済的余裕もあり、お手伝いさんを雇えたし、近所の朝鮮人の同僚の家族からキムチ作りを教わったり、のどかな時代であった。当時、近所に美しい白い砂浜があり、チヌがよく獲れたそうだ。海が近いから魚介類の多く入ったキムチを漬けていたようだ。
日本に帰国し、戦後だいぶ経ってから、おじいさんは、キムチの材料が売られている情報を聞くとすぐに買いに行き、家でキムチを漬けて食べた。
しかし、おじいさん一家の誰も、朝鮮半島で暮らした時期の話をすることはなく、キムチ作りの方法も伝わらなかった。

先日、夕方のテレビで、たまたま白菜キムチの話をしているのを見た。テレビは浅漬けだったが、塩漬けがいちばん大切だと言っていた。ペットボトルで重しをし、塩水に漬けて時々ひっくり返す。後、二度くらい水洗いし、よく絞って水をきる。白菜の水分が抜け、白菜の体重は半分になる。すると、白菜の旨味成分グルタミン酸が濃縮されて、水分が抜けた所へは唐辛子の辛味成分などが入る。浅漬けは時間の経過で乳酸菌発酵して酸味が出て、白菜の(?)甘味も加わり、辛味、酸味、甘味がキムチの美味しさの理由だ。テレビのキムチには烏賊の切り身が入っていた。

韓国のテレビドラマ「追跡者」の中では、キムチを漬けるとき、まず10時間以上、塩水に白菜を漬けてから、冷水で洗うと言っていた。

2010年頃の韓国映画「食客2」では、キムチの味は、五味あると言っていた。また、この映画中、唐辛子で発酵を促さない白衣のキムチなるものがあると言っていた。




さて、2021年12月、家の近所で私もついにキムチを習えることになった。

先生のキムチ
私のキムチ

料理教室で習ったとき、アミ塩辛と野菜などミキサーにかけた薬味の残りを分けていただいた。それで、12月に家で漬けた2回は、몋치액젓と매실청とミキサーの薬味を使った。



その後、7回分は、몋치액젓と매실청、アミ塩辛の代用に새우액젓を使った。代用後に漬けたキムチから、合成調味料的な風味になってしまったが、すぐに馴れた。


アミ塩辛は手に入りにくく、あっても20回分くらいの大容量の商品。合成調味料っぽい새우액젓は7回で使い終えた。
よって今シーズンのキムチ作りはこれで終わりである。



来シーズン、もし20回くらい漬けるなら、アミ塩辛を買ってみてもいいと思う。