のんびりと茂市駅で折り返しを待つキハ52です。エンジンが更新されていてもこの塗装であれば充分満足でした。 02,04,28 茂市 685D
今年3月30日、岩泉線はサヨナラ運転をする事無く、廃線となってしまいました。それは突然やって来た悲報でした…2010年7月31日の大雨に伴って起きた脱線事故の後、復旧ができないまま不通が続いていた岩泉線について、JR東日本が復旧断念(廃止)を表明し廃止となりました。それは国鉄再建法に伴う特定地方交通線にも絶えた岩泉線がJR東日本線では初めてとなってしまった事実です。(一部区間としてき横川―軽井沢間も国鉄解体後の廃止となります。)
現在でも岩泉線と併走する国道340号線は峠区間てはヘアピンカーブを含め急カーブと急勾配が続きとても路線バスが冬季も含めて安全に走れる環境ではなく、それ故には特定地方交通線から除外された経緯があり、それは今も基本的に気変わりなくこの岩泉線の廃止きまさに企業犯罪と解釈しても差し支えないと私は思っています。
初めて岩泉線を訪れた時は岩手和井内駅前にはきくち商店が現役として商売をしていました。しかし次に訪れた際には更地になっていました。私にとっては幻の商店です。 02,04,28 岩手和井内 きくち商店
あるブログを読んでいたら「岩泉線はボランティアだ」とあるJR東日本幹部が語った、と書かれていました。その真偽のほどは明らかではありませんが輸送密度から言えばボランティア同然であることは明らなのは確かです。しかし公共性の高い企業であるからこそ、採算性ほを度外視してでも今回の不通となった落石対策を講じた上で運行を継続する義務があると思うのは私だけでしょうか?
傾いた太陽に向かうように岩泉駅を発車するキハ52です。この当時は岩泉駅前には国鉄バス(JR東北バス)が路線を持ち乗り入れていました。 02,04,28 岩泉 686D
「廃線」と言う言葉には言い知れぬ悲しさがあります。その鉄道のが栄華を放った時代が絶対にあるはずですので、その時代と対比するとなおさらです。岩泉線も現在の三陸鉄道小本まで開通させる計画でありましたが、結局は岩泉まで開通したにとどまりました。それでも岩泉線は貨物輸送が盛んで最盛期には複数本の貨物列車が設定されたと記録にあります。
岩手刈谷駅は駅舎を地域の人が大切にしていて、季節ごとの花が植えられ良く通ったものです。もうここも列車が来る事はありません。学生が沢山乗り込んでいる681Dが今まさに発車するところです。 02,04,29 岩手刈屋 681D
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