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゛線路は東西から下り方がやや北を向いてますので、リバイバル゛つばめ゛の通過時間がベストなはずです!゛と現在は新宿の都庁でお部屋を持つM田さんに連れられてやって来たのが篠原駅上りホームの東側でした。まぁ30年前にこの場所を良くも見つけていたなぁ!と今も敬服しています。 81,07,25 篠原 9002レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
30年前の7月はEF5861号機(当時は人気のカマではありましたが、晩年の教祖様とまで祭り上げられる程ではありませんでした。)よるリバイバル”つばめ”が運転されました。この列車は後に星の数ほど運転されたリバイバル列車のさきがけだっと思われます。
イベント列車ではありましたが牽引したEF5861号機は、晩年の教祖様の如くピカピカに磨かれた姿ではなく、車体洗浄はしてあるものの、どちらかと言うと普段着の様な姿での運転でそれは、それで好感の持てました。
当時で既に旧型客車で”つばめ”編成を組成する事は出来ず、品川客車区の14系12両で組成されましたが、その中ほどにオシ14を連結し当時の姿に少しでも近づけようとする努力も感じられました。また、その後運転された東海道線東京-大阪(神戸)間のこの手の列車ではオシの連結が定例化して、そのさきがけがこの列車であった事は間違いないと思われます。
この゛つばめ゛の編成としは14系客車で組成され現役とは似ても似つかない運転でしたが、運転時刻は極力当時に近い時刻で運転されていました。そのため東京駅は9時発となったのですが、そのころ東京駅9時発は伊豆急下田行の急行(”伊豆”?)が運転されていて定期列車を3分下げてリバイバル”つばめ”を運転しました。しかし、時期は伊豆の海水浴シーズン真っ只中で伊豆方面への臨時列車はフル運転での時刻変更(ジヘ)だったために、伊東線・伊豆急線が単線であることも加わってジヘの余波はその日の午後まで続きました。当日の整理ダイヤを見ると9001レ続行の゛踊り子゛から始まる青スジ(ダイヤにジヘは青いスジで表記されます)の余波が消えるのは16時ころで、我々は喜んで撮影している列車の裏でこんな苦労があるんだなぁ~現場の方々のご苦労に頭が下がった覚えがあります。
現代なら宿泊予約はネット予約で現地で携帯から予約を入れられますが、同時は電話予約しかなく、また俗に言うビジネスホテルも少なく宿泊予約も大変でしたが、その中で大阪の宿泊は旧大阪鉄道管理局裏にあった大阪弥生会館は値段も安く、さらに鉄道電話(現在のJR電話)があり、駅で鉄電を借りれば何処からでもタダで予約が出来て、さらに値段もツインで6000円程度と安く重宝させてもらいました。この時も下り列車を撮影後に翌日に運転される上り列車に備えて弥生会館に泊まったのは言うまでもありませんでした。余談ながら新幹線総局は新大阪駅東側のコロナホテルを特約ホテルとして契約していて、ここも国鉄職員であればパス(職員証)をフロントで提示かれば誰でも安く泊まれましたが、新大阪駅に近すぎてポイントのすぐ横に部屋があり、列車運行時間帯はうるさくて寝れなかった(鳥飼への回送列車もあるので単純に言えば営業列車の倍の本数が通過する計算になります。)ので一度利用した以外は弥生会館が大阪の常宿になっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/a3/a66893bacc0498d1951e3a9d1d4719a2.jpg)
山崎で撮影してから新幹線で先回りして根府川で再度撮影したのですが、天気が悪く追っかけた意味甲斐はなかった様です。 81,07,26 根府川 9002レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED