05,09,10 鎌倉総合車両センター 以下2枚もデータ同じ
自宅から自転車で10数分の距離に大船工場がありました。国鉄時代は東京南鉄道管理局を中心とした電車と品川客車区の客車を主に担当していた工場です。非常に身近で慣れ親しんだ工場でした。親戚が鎌倉の梶原にいたために自転車で行く時も、モノレールやバスで行く時も大船工場の隣接した道を通るので入場している車両を眺めるのが楽しみでした。
国鉄時代には20系客車をはじめ、静岡鉄道管理局管内の身延線用の旧型電車などが見受ける事が出来て心躍らした事が忘れられません。
国鉄時代、機関区や駅構内は親切な職員さんが行けば侵入も可能でしたが工場は頑固な(職務に厳正な)守衛がいて全く無理でした。ですから国鉄で一番入り辛いのが工場関係でした。それは大船に限らず大宮工場も浜松工場も同じでした。しかし、普段見れない処には見たいものがあるのが世の中の常です。金網越しに垣間見る工場内は興味津々でした。一度だけ少しアンフェアながら、正々堂々と合法的に工場の敷地に入るとなんと旧1号編成が野ざらしで引き込み線の一番奥にいたのを見て腰を抜かさんばかりに驚いたことがありました。
そして世は流れてあれだけガード高かった工場も一年に一度公開をするようになりました。しかし、一般公開となれば見せたくないモノは見えない場所に隠してしまいます。見れるのは見慣れた113系やE217系だけで、それでは”行く意味がない!”とは言わずきれいなお母さん目当てで出掛けることにしました。
なお、この大船工場は06年03月31日にJR東日本の車両検修体制の見直しの余波を受けて、その60年の歴史を閉じています。なお、大船工場の敷地はもともと海軍工場であったために工場廃止後土壌調査を行ったところ、汚染物質が検出したためにいまだ再開発には至っていません。
注:大船工場は00年に大船電車区と大船工場を統合して鎌倉総合車両所としましたが、敷地も柏尾川を境に離れている事、また作業内容み全く異なることから旧大船工場と呼ばれ続けていました。
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