DT200Aの庫 (goo-blg)

平塚駅から伸びていた専用線の事


 往路は推進運転で油槽所に向かっていました。DE11が主に充当されていましたが、まれにDE10が充当されている姿も見た事があります。   96,04,03 平塚・相模石油平塚油槽所専用線  スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 東海道線を下り方面に通勤する事になって、若かりし頃、東海道線そのものが被写体として魅力が溢れていた時代を懐かしみ沿線の景色に見入ってしまう場面が良くあります。昔、ゴハチの臨時列車を撮った場所とか、EF65Pのブルトレを待ち構えた場所など、私にとって思い出多き沿線ですが、宅地化でいまは撮影地の面影すらない撮影地もあります。そんななかで、意識しないのに見入ってしまうのが、平塚駅から東側に伸びて、相模川沿いで河川敷に出で北上していた専用線跡です。
 かつて平塚駅からはいくつかの専用線が延びていました。地元鉄ちゃんが調べた資料によると古くは駅の西側から北上する通称第二海軍火薬廠線というのが存在したと言う事ですが、さすがにその専用線の記憶はありません。平塚駅西側で言えば70年代に専売公社の専用線があり、ワム80000がいた事だけは僅かに記憶にあります。現在も専売公社(現:JT)の工場は現存しており、アスファルトで埋められていますが一部に旧専用線のレールが現れている所があり、かつても面影が少し偲ばれます。
 一方、平塚駅東側では相模川河川敷を利用していくつかの専用線がありました。この専用線の存在は断片的に鉄道雑誌に紹介され、かなり昔からワムやタキを入換しているDD13(晩年はDE11又はDE10)を見たおぼえがあります。専用線は戦前から存在していた様で構内南側から分岐し、本線南側に沿って東進、相模川の川岸で急カーブを描いて南北にそれぞれの専用線に分岐する線形で、一番奥は横須賀海軍工廠造機部平塚分工場へ、北側は天沼の日本国際航空工業へ向かっていたと手元の資料に記されています。これらは戦後も民間利用が続き、南側は東洋工機平塚工場、北側は日産車体湘南工場をはじめ、横浜ゴム平塚製造所や、相模石油平塚油槽所へ続く専用線が途中から分岐していたとの事で、現在平塚・文化公園に保存されている旧:国府津機関区D52403号機もこの専用線を利用して搬入されています。
 この平塚駅東側から伸びる専用線はかなり晩年まで現役として活躍していました。最後は河川敷にある相模石油平塚油槽所が残り一日1往復の列車が平塚駅(列車組成は相模貨物駅)とのを結んでいました。
 最終的には96年頃に専用線そのものが廃止となりましたが、各地で専用線が廃止となっていくなか、どことなく牧歌的な河川敷を走る専用線として地元でも注目されだし、ご多分漏れず私も仕事の合間にカメラ1台を持って何度か撮影に出掛けた記憶があります。
 現在も、専用線のレールは剥がされてしまいましたが、線形は至る所に残っていて、当時の面影を偲ぶ事が出来ます。

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コメント一覧

DT200A@CF-Y8
柴垣様
わざわざありがとうございます。

ブログの写真をそのまま使うのであればどの様にお使いいただいても構いません。キャプションに私の本名である渡邉健志を入れていただければ幸いです。

なお、アドレスを教えて頂ければ2月中には300kb程度の画像データを送る事も可能です。
柴垣 吉宏
この相模石油線の写真を転用させて頂きたくお願い申し上げます。2月に開催する平塚市博物館の文化祭で、「第二海軍火薬廠と専用線」について発表を予定しており、この写真を使わせて頂きたく、ご許可の程お願いします。
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