ごまかすようにして猪口を唇に運んでいく。あいりは袖を持ち上げながらくすくすと笑う。
「千代さんにからかわれて、顔を真っ赤にして」
「知らん。覚えていない」
「私はよく覚えていますよ。あなた様は私に言ったんですよ。一緒に暮らさないかって」
「知らん」
と、言いつつも、太郎は耳まで赤く染めている。それは酒のせいと言わんばかりに、猪口の中をあおる。
「でも、あなた様はいつのまにか旦那様の養子に迎えられていて、そのうえ、譜代の御家来の方々に混じって馬廻衆にまでなっていました。すっかり武士になられてしまっていて」
「そんなそなたも今では俺の女房じゃないか」
「だから、夢のようなんですよ」
諭すような優しげな声に、こましゃくれはうつむいて表情を隠しながらも、その口許は珍しくにやけてしまっていた。
まったく、この女は自分勝手というか、なんというか。肝っ玉を腹の中にこしらえているくせに、妙な可愛げがある。いや、うまく扱われているのか、どうなのか。なにせ、太郎はあいり以外の女に欲情した試しがないのだ。
「そなたも飲め」
と、太郎は銚子を手に取り、傾けた。http://www.watchsrat.com
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「私はまったく駄目ですよ」
「飲めなかろうと、生きているうちに酒の味ぐらいは知っておくべきだ」
「その屁理屈めいた言い草、まるで旦那様みたい」
あいりは両手の指先で猪口をすくい上げる。
「ちょっとだけですよ」
太郎が注ぐと、あいりはそろそろと猪口を唇に寄せ、本当に唇に浸しただけで顔をしかめた。
太郎は愉快に笑い上げる。
「もうっ。あなた様も酔うとそういうふうになるのね」
「いいや、酔っちゃいない。男なんてのはこういうものなのさ」
そう言いながら、砕け切ってしまっている太郎は体を崩していき、頭をあいりの膝の上に乗せてしまった。瞼をつむりながら、気持ちよさそうに笑んでいる。
「助平なのね」
あいりは母親がそうするように太郎の頭を撫でる。
「ああ。俺は簗田助平衛門太郎だよ。しかしだ、言っておくけれど、俺はまことそなたしか知らんのだからね」
「野暮」
「なんとでも言えばいいさ」
「駒に笑われますよ」
「それはいかん」
ふふ、と、あいりは笑い、太郎も笑った。
障子戸の向こうで、草の葉がさらさらと風にそよいでいる。太郎はあいりの温かみを感じながら、目を閉じて庭先の秋の音に浸る。
弱肉強食の乱世。そんなもの、どこにあるんだろう。
「そなた、鈴虫の異名を知っているかい」
薄っすらと瞼を開いた太郎。あいりは首を傾げる。
「鈴虫に異名なんてあるんですか」
「ああ。誰が言ったか、月からふってきた鈴の子。月鈴子というらしい」
「まあ」
「まこと、子供がはしゃいでいるように聞こえてくる」
「本当ですね」
秋の夜長。慰め合うのでもなければ、目を背けるのでもない、寂しさや悲しさもまた安らかな風情に変えていく、二人だけの慎ましい時間だった。
妄想
越前制圧の大軍を率いて、上総介は出陣した。
その日は大垣と関ヶ原の中間、不破郡垂井に宿陣し、翌日は北近江領主羽柴筑前守の出迎えを受けて、小谷に宿泊した。
藤吉郎は、上総介の歓待は当然として、織田軍総兵に兵米を振る舞い、完成間近の長浜城とともに羽柴筑前の大器量を織田全軍に示した。
こうしたサルの明らかな見栄を上総介は嫌わない。高々と笑いながら、居館に集った重臣たちへ酒を出すようすすめ、自身はあまり口にしなかったが、佐久間右衛門尉などが主君の上機嫌をいいことに座をはやし立て、これから戦場に赴く気配とは思えない賑わいとなった。
もちろん、太郎も列席している。
彼は岐阜を出立してからというもの、父親の牛太郎が重臣でありながら出陣してい