でも、いざ実際肉体を放置すると、感情だけが先走り、この世をさ迷うに違いない。あわれな風となって。
牛太郎は、怒りを冷静のうちに閉じ込める。一歩、また一歩と、冷たさもいとわずに足を踏みしめていく。五感で受けるこの世この日このときの調べをさえざえと受け止めて、飛び出そうな感情を抑えつけ、さらには、この怒り、この憎しみ、この悲しみ、この嘆き、この痛み、ばらばらにさせてはならない。
すべての感覚を充実させ、先走りそうな心と疲弊した体をつなぎ止めなくてはならない。
揺るぎない信念で。
たとえ、太郎の状態が目を覆いたいぐらいであっても、揺らいではならない。
それが現実であり、それが地獄への門戸。
彼がこれからやろうとしていることは、今までの彼では耐えられない。並の意識では耐えられない。
そうでもして、それをやろうとするのに理屈はない。
憎悪。
太郎の夢を、太郎の幸せを、真っ暗にさせてしまった者への憎悪。
理屈はない。
別喜右近大夫とて、罪なき民を何百人とほふってきた。
そんなものは関係ない。http://www.watchsrank.com
腕時計 メンズ ランキング
シチズン
憎悪に論理は通用しない。
登山道は、修羅への道。真新しい雪と同じく、意志に濁りはない。
太郎は城郭の南丸にいるとのことであった。牛太郎は兵卒に導かれて本丸まで登り、そこをまた通り過ぎていこうとしたが、牛太郎の到着を聞き知った宿屋七左衛門が陣幕をめくって飛び出してきた。
「旦那様――」
七左衛門は牛太郎の姿を確かめるなり、その場に膝から崩れた。やはり、落涙した。
牛太郎は踵を返して七左衛門に歩み寄る。
「七左」
と、彼の頭に革手袋の手を置いた。
「泣くな。男が泣くのは母御が死んだときか、いくさに勝ったときだけだ」
ううっ、と、嗚咽して、七左衛門は牛太郎の足元にすがりついた。
玄蕃允が立っていた。見ないうちに髭をたくわえていて、一万五千の大将役の責務がそうさせたのか、目付きから余計なぎらつきは失せていて、顔つきは精悍に引き締まっている。
雪は弱まっていた。
「玄蕃、あとで話がある」
「ああ」
牛太郎は背中を返した。
兵卒とともに再び雪深い山道に入り、南丸へと向かった。
綿城山の南方からは両白山脈へと続く城下の景色が眺められるが、今は雪に覆われていた。ほとんど、何の光景も確認できなかった。はらはらと降りゆく雪によって、灰にくすんでいた。
牛太郎は館に入る前に足を止めて、閉ざされた世界をじっと見つめていた。
「寒いな」
と、初めて、案内役の兵卒に口を開いた。
「はい」
牛太郎は木戸門をくぐり、館に入った。
草履を脱ぎ、番兵が用意してきた足袋にはきかえた。太刀を外す。しばらくの間、戦場を共にしてきたその愛刀を見つめる。
柴田権六郎から頂戴したものである。
番兵に渡した。
太郎は館の奥の居室にいるということであった。牛太郎は誘われてそこへ向かう。途中、本多弥八郎が姿を見せた。もともと細かった輪郭が、さらに痩せこけていた。無精髭をまばらに伸ばし、瞼の下はくぼんでいる。瞳は精気を失っている。
無言で頭を下げていた。
「弥八さん」
牛太郎は彼の華奢な肩に手を置いた。
「太郎を補佐してくれて感謝します」
弥八郎の視線が持ち上がる。
「しかし、簗田殿、拙者が、拙者が」
牛太郎は静かに首を振った。
「うまくいかないときだってある。それが現実だ」
弥八郎の肩を軽く叩くと、太郎のもとに向かった。
六畳ほどの小狭な板間であった。板戸が閉め切られており、明かりの頼りは燭台の火のみで薄暗かった。火鉢が焚かれており暖かくはあった。
太郎はむしろの上に仰向
牛太郎は、怒りを冷静のうちに閉じ込める。一歩、また一歩と、冷たさもいとわずに足を踏みしめていく。五感で受けるこの世この日このときの調べをさえざえと受け止めて、飛び出そうな感情を抑えつけ、さらには、この怒り、この憎しみ、この悲しみ、この嘆き、この痛み、ばらばらにさせてはならない。
すべての感覚を充実させ、先走りそうな心と疲弊した体をつなぎ止めなくてはならない。
揺るぎない信念で。
たとえ、太郎の状態が目を覆いたいぐらいであっても、揺らいではならない。
それが現実であり、それが地獄への門戸。
彼がこれからやろうとしていることは、今までの彼では耐えられない。並の意識では耐えられない。
そうでもして、それをやろうとするのに理屈はない。
憎悪。
太郎の夢を、太郎の幸せを、真っ暗にさせてしまった者への憎悪。
理屈はない。
別喜右近大夫とて、罪なき民を何百人とほふってきた。
そんなものは関係ない。http://www.watchsrank.com
腕時計 メンズ ランキング
シチズン
憎悪に論理は通用しない。
登山道は、修羅への道。真新しい雪と同じく、意志に濁りはない。
太郎は城郭の南丸にいるとのことであった。牛太郎は兵卒に導かれて本丸まで登り、そこをまた通り過ぎていこうとしたが、牛太郎の到着を聞き知った宿屋七左衛門が陣幕をめくって飛び出してきた。
「旦那様――」
七左衛門は牛太郎の姿を確かめるなり、その場に膝から崩れた。やはり、落涙した。
牛太郎は踵を返して七左衛門に歩み寄る。
「七左」
と、彼の頭に革手袋の手を置いた。
「泣くな。男が泣くのは母御が死んだときか、いくさに勝ったときだけだ」
ううっ、と、嗚咽して、七左衛門は牛太郎の足元にすがりついた。
玄蕃允が立っていた。見ないうちに髭をたくわえていて、一万五千の大将役の責務がそうさせたのか、目付きから余計なぎらつきは失せていて、顔つきは精悍に引き締まっている。
雪は弱まっていた。
「玄蕃、あとで話がある」
「ああ」
牛太郎は背中を返した。
兵卒とともに再び雪深い山道に入り、南丸へと向かった。
綿城山の南方からは両白山脈へと続く城下の景色が眺められるが、今は雪に覆われていた。ほとんど、何の光景も確認できなかった。はらはらと降りゆく雪によって、灰にくすんでいた。
牛太郎は館に入る前に足を止めて、閉ざされた世界をじっと見つめていた。
「寒いな」
と、初めて、案内役の兵卒に口を開いた。
「はい」
牛太郎は木戸門をくぐり、館に入った。
草履を脱ぎ、番兵が用意してきた足袋にはきかえた。太刀を外す。しばらくの間、戦場を共にしてきたその愛刀を見つめる。
柴田権六郎から頂戴したものである。
番兵に渡した。
太郎は館の奥の居室にいるということであった。牛太郎は誘われてそこへ向かう。途中、本多弥八郎が姿を見せた。もともと細かった輪郭が、さらに痩せこけていた。無精髭をまばらに伸ばし、瞼の下はくぼんでいる。瞳は精気を失っている。
無言で頭を下げていた。
「弥八さん」
牛太郎は彼の華奢な肩に手を置いた。
「太郎を補佐してくれて感謝します」
弥八郎の視線が持ち上がる。
「しかし、簗田殿、拙者が、拙者が」
牛太郎は静かに首を振った。
「うまくいかないときだってある。それが現実だ」
弥八郎の肩を軽く叩くと、太郎のもとに向かった。
六畳ほどの小狭な板間であった。板戸が閉め切られており、明かりの頼りは燭台の火のみで薄暗かった。火鉢が焚かれており暖かくはあった。
太郎はむしろの上に仰向