11月30日。今日,ひとつの歴史が終わりました。
新幹線・0系。
実は岡山-博多間開業より長生きしている幻野(爆),幼いころの新幹線といえば0系しかありませんでした。
小学校入る直前まで三原駅近くに住んでいたもので,あの団子鼻の電車が,ものすごい速さで三原駅を通過していく様子を,何度も何度も見ていたものです。
親に連れられて大阪まで乗ったこともあります。修学旅行で先生に散々迷惑かけながら大阪まで往復したのも,この0系でした。
いろんな思い出が蘇ってくるというのも,この電車がそれだけ印象に残っているということなんでしょうね。
時代は流れ,いまじゃN700系が轟音を立てて300キロで走行しているというのも珍しくなくなりました。
それでもひっそりと「こだま」として立派に走っていった0系。
そのすがたが毎日見られるのも,今日で終わりです。
別件で倉敷方面まで出ていたんですが,やはり「最後の雄姿を目に焼き付けておきたい」という思いがそうさせたのでしょう。足は自然に新倉敷駅の新幹線ホームに向かいました。
大勢の,実に大勢の家族連れや鉄っちゃんで混雑する駅のホームで待つこと40分。
岡山を発車した最後の定期列車・こだま659号が駅に到着すると,あちこちからシャッターを切る音がホームで響きました。もちろん幻野も必死にシャッターを切り続けました。
のぞみ通過待ちで4分間停車。その0系の横を,N700系が通過していくのも,ひとつの時代が終わりつつあるのを象徴していたのでしょうか。
そして15時5分。
警笛の音を響かせながら,0系は博多に向けて最後の旅を続けました。
できれば,時間が止まって欲しい。終わりなんていって欲しくない。
そんな絶対に叶わないと分かっていることを願っている人も,幻野以外にきっと大勢いたはずです。
気がつけば,幻野の目にはあついものが浮かんでいました。
このブログを打っている中で,ちょうどテレビが18時45分に博多駅に到着したことを放送していました。
幻野だけでなく,本当に大勢の人たちの心に焼きついた0系。
きっと,「新幹線といえば0系だろ」と永遠に語り継がれることでしょう。
本当にお疲れさま。
まだ最後の運行が残っていますが,それまで無事に過ごしてください。
新幹線・0系。
実は岡山-博多間開業より長生きしている幻野(爆),幼いころの新幹線といえば0系しかありませんでした。
小学校入る直前まで三原駅近くに住んでいたもので,あの団子鼻の電車が,ものすごい速さで三原駅を通過していく様子を,何度も何度も見ていたものです。
親に連れられて大阪まで乗ったこともあります。修学旅行で先生に散々迷惑かけながら大阪まで往復したのも,この0系でした。
いろんな思い出が蘇ってくるというのも,この電車がそれだけ印象に残っているということなんでしょうね。
時代は流れ,いまじゃN700系が轟音を立てて300キロで走行しているというのも珍しくなくなりました。
それでもひっそりと「こだま」として立派に走っていった0系。
そのすがたが毎日見られるのも,今日で終わりです。
別件で倉敷方面まで出ていたんですが,やはり「最後の雄姿を目に焼き付けておきたい」という思いがそうさせたのでしょう。足は自然に新倉敷駅の新幹線ホームに向かいました。
大勢の,実に大勢の家族連れや鉄っちゃんで混雑する駅のホームで待つこと40分。
岡山を発車した最後の定期列車・こだま659号が駅に到着すると,あちこちからシャッターを切る音がホームで響きました。もちろん幻野も必死にシャッターを切り続けました。
のぞみ通過待ちで4分間停車。その0系の横を,N700系が通過していくのも,ひとつの時代が終わりつつあるのを象徴していたのでしょうか。
そして15時5分。
警笛の音を響かせながら,0系は博多に向けて最後の旅を続けました。
できれば,時間が止まって欲しい。終わりなんていって欲しくない。
そんな絶対に叶わないと分かっていることを願っている人も,幻野以外にきっと大勢いたはずです。
気がつけば,幻野の目にはあついものが浮かんでいました。
このブログを打っている中で,ちょうどテレビが18時45分に博多駅に到着したことを放送していました。
幻野だけでなく,本当に大勢の人たちの心に焼きついた0系。
きっと,「新幹線といえば0系だろ」と永遠に語り継がれることでしょう。
本当にお疲れさま。
まだ最後の運行が残っていますが,それまで無事に過ごしてください。