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【現代思想とジャーナリスト精神】

東京新聞「こちら特報部」2023年7月4日 12時00分

ジャニーズ性加害問題を報じたBBC記者「喜多川氏のやったことは不道徳で犯罪」日本の警察にも疑問

 ジャニーズ事務所前社長の故ジャニー喜多川氏の性加害問題で、3月に告発のドキュメンタリー番組「プレデター(邦題・J—POPの捕食者)」を放映した英BBC放送のモビーン・アザー記者(43)が本紙取材に応じた。日本で長年タブー視されてきた問題にどう切り込み、どう被害者の証言を引き出すことができたのか。日本メディアの一員としての反省も込めて話を聞いた。 (ロンドン・加藤美喜)

◆「見えているのに隠れている物語」

ジャニー喜多川氏の写真を手にするモビーン・アザー記者=BBCドキュメンタリー「プレデター」より(BBC提供)


 先月、ロンドンのBBC本社で待ち合わせたアザー記者は、番組当時の黒髪から鮮やかな銀髪に変身していた。両親はパキスタンからの移民で、本人は英国生まれ。これまで南アジアやメキシコ、米国、カナダなど世界各地で性的搾取や性的虐待のほか、タブーに挑戦する取材をしてきた。
 アザー氏は、喜多川氏が死去した時の日本メディアの報じ方に「よく似たパターンがあった」と話す。日本のポップ音楽のゴッドファーザーで、当時の安倍晋三首相が弔電を送り、最も多くのコンサートをプロデュースしてギネスブックにも載ったこと。そして最後に不祥事への言及がほんの少しだけあった。それが「興味をそそった」という。
ジャニー喜多川氏の性加害問題について、「被害者の勇気を称賛したい」と話すBBCのアザー記者=19日、ロンドンのBBC本社で、加藤美喜撮影



 さらに週刊文春の記事を巡る名誉毀損きそん訴訟で、東京高裁が2003年、記事中の10件の申し立てのうち、喜多川氏の性加害を含む9件を事実と認定していたことも知った。「なのになぜ、日本の報道では語られないのか。多くのメディアに連絡を取ったが、壁が立ちはだかった。『見えているのに隠れている物語』だった。誰もやっていないなら、私たちがやるしかないと思った」と振り返る。
 被害証言を探すにあたり、取材チームはネット上のジャニーズ百科事典のようなサイトを参考に数百人にアプローチし、数十人から返事があったという。番組公開後、新たに返事をくれた人もいる。被害者の多くは「ある種の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えていた」とも感じた。取材にあたり、答えたくないことがあれば撮影中いつでも中断できること、撮影後に公開したくないと思った部分があっても構わないことなどを説明し、番組で発言した全ての人にカウンセリングを提供した。放映後も連絡を取り、反応を確認しているという。

◆日本の報道界にいないおかげで

 実際、番組内で「ハヤシさん(仮名)」が当時の被害を思いだし、「ごめんなさい」と言葉に詰まる場面は悲痛だが、アザー氏は「必要なだけ時間を取ってください」と見守る。
ジャニー喜多川氏から性被害を受けた記憶を語る「ハヤシ」さん=BBCドキュメンタリー「プレデター」より、BBC提供


 アザー氏は、被害者たちの証言を引き出せたのは「BBCが日本の外にある組織だったことも重要」という。「私は日本語を話せず、通訳を介して話したが、被害者の多くは『日本文化の一部でない人と話すことで、より大きな自由を感じた』と言った。日本の報道界にいないおかげで、より正確で正直にこの物語を伝えることができた」ととらえる。
 アザー氏は日本メディアとジャニーズ事務所の長年の「共犯関係」を指摘し、「日本文化では礼儀正しさが重んじられ、問題がある場合にそれを指摘することは、失礼だとみなされることがある。私は報道陣にそれを見たように思う」と話す。
 「事務所の機嫌を損ねるから記事を書けないという声を何度も聞いた。それは本当に問題だ」といい、「今は状況が変わり、日本の視聴者は搾取について知りたがっている。社会正義は重要だ。この問題を取り上げた日本のメディアに感謝と連帯を示すとともに、今後も取り上げ続けることを訴えたい」と話す。

◆グルーミングを日本の言語に


 番組内では、「グルーミング」という言葉が登場する。わいせつ目的を隠して相手を信頼させ、てなずける行為を指す。日本では一般的な言葉ではなかったが、アザー氏は「この概念が広まり、議論されるのは重要だと思う」と話す。
ジャニー喜多川氏の性加害問題を取材するアザー記者=BBCドキュメンタリー「プレデター」より、BBC提供


 「これは西洋の言葉であり、なぜ日本の社会に持ち込むのか、文化帝国主義だという指摘も受けたが、私は全く違う見方をしている。私自身は南アジアの血を引き、世界各地で多くの搾取問題を取材してきた。今回のような深刻な問題が起きた時、グルーミングの概念が日本社会で議論され、この国の言語となることは良いことだ」ととらえる。
 実際、アザー氏が取材した被害者の中には、自分が性的に搾取されたと認識していない人たちが多数いた。「彼らが何が起きたかを受け入れられるようになるには長い時間がかかり、助けが必要だ」と話す。

◆かつてBBCでも


 喜多川氏の加害はいつからで、何人に上るのか。アザー氏は「率直に言って知ることは不可能」と考えている。少なくとも1980年代からずっと被害の主張があり、聴いた範囲で最後の被害は2014年に発生したという。「しかし彼のキャリアは60年代から始まっているので、さらにさかのぼる可能性はある」と話す。
 英国でもかつて似た事件があった。BBCの著名司会者だったジミー・サビル氏=2011年に84歳で死亡=の事件だ。死後の警察の調べで、50年以上にわたり、200件以上の性犯罪を行っていた。被害者の7割が18歳未満で、最年少は8歳だった。BBCは検証番組を制作しながら放映を中止していたことが分かり、批判を受け編集幹部が辞任に追い込まれた。
 アザー氏は「サビルは王室や政界とつながりがあり、国宝とまで呼ばれた大物だった。死後、勇敢な人々の訴えで事態が解明されていったのは、喜多川氏の事件と共通している」と語る。BBCは隠蔽いんぺいの不祥事の後に古い態度を一掃し、多くの公的な議論と検証が行われた。警察の捜査も行われ、報告書が発表された。アザー氏は「喜多川氏のやったことは不道徳で、犯罪だ。彼はこの世にいないが、清算が必要であり、その清算はまだ起きていない」と話し、「日本のメディアは複雑な物語を解明する必要がある」と訴える。
 日本の警察の捜査が行われていないこともアザー氏は疑問視する。警察にも取材を申し込んだが、拒否されたという。「現在の日本のシステムでは、私が日本の警察にインタビューできる権利はない。多くの国で警察の取材をしてきたが、こんな壁に直面したのは初めてだった」と憤る。
ジャニーズ事務所の担当者に直接取材を申し込むアザー記者(右)=BBCドキュメンタリー「プレデター」より、BBC提供


 今回のドキュメンタリーは、日本人と英国人の間に生まれ、子どものころ日本で暮らしたメグミ・インマン氏がプロデューサーとして統括し、アザー氏は当事者へのインタビューやナレーションを担当した。
 日本の長年のタブーに風穴を開けたのが海外メディアのBBCだったことで、日本メディアの自己規制にも批判が高まった。アザー氏は「私は『相手が大きすぎる』という考えを恐れる。英国でも世界のほかの国々でも、ジャーナリストは何が取材でき、何が取材できないかを集団的に学んでしまう。自己検閲の文化が起きているのは日本だけではない」と語る。
 「でも私はこれを読んだ全ての記者に、何が正しくて何が間違っているかという道徳について本当に考えてほしい。声なき声がどこにあるのか。そしてデスクや編集者と議論して、困難を乗り越えてほしい」
 ◇ 
 「プレデター」日本語字幕版はユーチューブで視聴できる。

◆デスクメモ
 「虐待と同じくらい恐ろしい」。番組でアザー氏がそう言い表したのは、喜多川氏の疑惑に対する「沈黙」だ。未成年への性加害を日本社会は見て見ぬ振りをした。メディアはその空気を生む一端を担った。問題の責任追及はいまだなされていない。これ以上の無視と沈黙は許されない。(北)

【関連記事】ジャニーズ事務所の性加害問題「なぜ疑いを皆が知りながら、長年見過ごされてきたのか」 求められる改革は
https://www.tokyo-np.co.jp/article/250389   (榊)
【関連記事】70歳のジャニー氏に翌朝現金を渡され…退所 元Jr.中村一也さん「知られたくなかった」性被害を明かした思い
https://www.tokyo-np.co.jp/article/257857  (望月衣塑子記者)
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