Drawing Diario

同志社大学クラマ画会2006年度生 北川巧の小作品群展示

編纂の継承

2010年03月17日 21時30分00秒 | メッセージ
新町・京田辺ボックス資料整理の結果、ボックスノートは1987年以降のもの、記録写真は1978年以降のものしか確認できなかった。
これではクラマ画会の歴史の3分の1さえ確認できない。


クラマ画会は1914年から、どのような形で存在してきたのだろうか。その中で、部員たちはいかなる創作活動を行ってきたのだろうか。それらを資料や証言から確認できてはじめて、「100周年」という言葉に中身がともなう。
また、過去の記録が単純に、現在のクラマ画会にとって大変役に立つものだということも、この数日間の資料紹介でわかってくれたと思う。



様々な意味・可能性を持った『100年史』を形あるものにする上で、1977年以前の部員の活動記録および証言は大変貴重である。
もし今後、77年以前に入学したとわかる卒業生に展覧会案内を送る機会があれば、案内状に「当時の写真や創作日記をもしお持ちでしたら、大変興味がありますので是非ご紹介ください。」と書き添えるとよいだろう。そしてそれらをお持ちくだされば、コピーを部に残す許可をとり、『100年史』を充実させる資料としたい。



大掃除の際などに、ボックスノート・記録写真は処分したり紛失してはならない。また、ボックスの壁の塗りかえを行う際も、いまいましい落書き群であるが、年号つきのものは『100年史』編纂に役立つ場合があるので、必ず作業前に状態を写真で保存してほしい。(ただし部室への落書きは今後一切しないこと。創作環境が部員に与える影響は、総会などで何度も語ってきたとおりである。こうした行動は、「無秩序な環境からでも創作は叶う」という、真剣に絵を描いたことのない者に特有の甘い考えを暴露していることと同じであり、大いに恥ずべきことである。)



僕は数日後部を去るが、このクラマ史の紹介という魅力的な仕事の続きを、誰かが引き受けたいと思ってくれることを祈る。

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