Drawing Diario

同志社大学クラマ画会2006年度生 北川巧の小作品群展示

黄金時代の衝撃

2010年03月17日 11時28分00秒 | メッセージ
以下は2006年9月24日、当時一回生だった僕がボックスノートに書いた文章である。彼は孤独な大掃除を終えた満足感と、その時偶然見つけた宝物への感動のあまり、大変長い文章を書いた。

「(前略) ここ何年も人の手が加えられていないようで、物や書類が積み重ねてあった本棚は、一度中身を引っ張り出して箱に詰め込んでおきました。 (中略) 掃除をしている途中に何世代も何世代も前の作品アルバムを発見したのですが、…凄いですね。びっくりしました!!…それによると、どうやらこのちいさい方のボックスでも当時は作品が制作され、活気に満ち溢れていたようです。感動したので、みなさんもご覧になって下さい。 (後略)」




…確認できた1978年~1994年頃までの部員たち。彼らにとって100号以上の作品は、あたり前のようだった。
彼らは京都市美術館を「市美」と呼び、学生の立場でありながら、そこで毎年展覧会を開催する偉大さを、まるで自然なことであると考えているようだった。

彼らは一人ずつ、自らの背丈と同じくらいの作品の横に立ち、写真に映っていた。どの顔も、満足そうで、誇らしげだった。


羨ましい…。
2006年当時、「絵を描かない美術部」であったクラマ画会を、変えたい気持ちでいっぱいだった僕は、この何十年も前の先輩方の力作記録が、部員たちのモチベーション向上に役立つと考えた。

しかし、偉大なアルバムは時とともにまたほこりをかぶり、現在のクラマ画会も、さほど大きな成長を見せぬまま、ようやくその不安定な時期をくぐりぬけたにすぎない。

部員がみな、クラマに所属してよかったと思えてはじめて、理想の部活動である。
君たちはもっともっと活動に時間と才能を使い、活躍することができる。ぜひ、過去の部員の活動を参考に、美術部やそれに所属する自らの可能性を発見する楽しみを味わってほしい。

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